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根津育英会武蔵学園は2022年4月17日で創立100周年を迎えました
武蔵学園史紀伝
オンケルの遺産 「民文」の礎を築いた原田亨一
井上 翔(高校81期)

はじめに

 原田亨一(1897―1938)は、自らの号、恩軒にかけてオンケルと自称され、その愛称で生徒に非常に親しまれた旧制武蔵高校の歴史の先生である。原田は在職中、病床に倒れ、そのまま惜しまれつつ病没した。その教育熱心な授業態度や校友会活動に積極的に取り組まれる姿は教職員や生徒から多大な尊敬の念を集め、その一端は、『校友会誌』(追悼特別号)*1によって明らかである。その内容は、まず名物教師といってよいものであり、愛敬あふれるエピソードにめぐまれている。生徒とのほほえましい話は同号に多数収められており、原田氏の普段の活動については、同号を良く読んでいただければお分かりいただけるだろう。そこで本文では、追悼号では余り触れられなかった、原田亨一の歴史学者としての側面に注目し、学生時代のエピソードや研究テーマ、論文を参照し、武蔵の教育に与えたであろう少なからぬ影響についてみていきたいと思う。

1、大学・大学院学生時代

 原田亨一は、明治30年(1897)に高知県高知市に生まれた。大正4年(1915)に第三高等学校第二部甲類に入学するも、同8年(1919)に病気を理由に退学する。同9年(1920)に第六高等学校文科乙類に入学し、同12年(1923)3月に卒業すると、同年4月に東京帝国大学文学部国史学科に入学した。同級生には、皇国史観で固まっていた東大国史研究室を戦後になって立て直し、実証的な歴史研究で多大な業績を挙げられ、後に文化勲章を受章する坂本太郎がいた。坂本は自叙伝の中で原田のことについて以下のように語っている。

 原田亨一君は、肋膜で永く休んだとかで年がかなり上だった。自称オンケルOnkelというあだ名を披露して、よくみんなの面倒を見た。ただし学校の講義にはあんまり顔を見せず、修学旅行だけは休んでは卒業できぬという噂だといって参加した。無類の歌舞伎好きで、この人の案内で同級生数名が歌舞伎座の三階に行ったことがある*2。

 歌舞伎好きが高じて卒業論文は、出雲の阿国歌舞伎についてであり、後に昭和3年(1928)に至文堂より『近世日本演劇の源流―阿国歌舞伎の内容と其の発展を中心として―』と題して出版されている。さすがに、戦前の研究のため現在では引用されることも少ない本書であるが、本書の史学史上の評価について、芸能史研究の大家である服部幸雄はこう論評している。

 この書以前の歌舞伎成立史研究が、とかく「事始」的に「出雲阿国伝」にかかわりすぎて、いわゆる「出雲阿国の伝説」に入っている芸能(念仏踊・神楽など)以外に眼を向けようとしなかったのに対して、視野を周辺の先行諸芸能に拡げねばならないということに着目されたわけで、成立史研究の段階としては明らかに一つの飛躍であった。(中略)信憑性の濃い一等史料を利用するようになった嚆矢であって、このことは研究

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これまでの百年と次の百年への展望

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