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008
白雉縁起
白い雉の剥製2体
白雉の由来 

 白雉は武蔵学園のシンボルであり、高中、大学のエンブレムにも意匠として用いられているほか、秋の武蔵大学祭は「白雉祭」を名乗り、大学の運動系サークルのニックネームにも雉を英語にしたPheasantsが使用されている。また、新制武蔵高校でも一時期、「白雉寮」という学寮があった。

 その由来は『続日本紀』「称徳紀」の「神護景雲二(768)年、武蔵の国で白雉が捕獲され、称徳天皇に献上された」という記述に基づいている。称徳天皇(第48代)は第46代の孝謙天皇と同一人物で、孝謙天皇が一度退位した後、重祚(ちょうそ)し称徳天皇として皇位についた。史上6人目の女性天皇である。

 創立時の徽章を定めた記録にも、その理由として「雉は吉瑞(よいことの前兆)の鳥であり、さらにめずらしい白雉が武蔵の国からでたことは学校・国に貢献する人材を多数輩出することにもつながる」とある。このことは校名が「武蔵」と定められた理由のひとつでもある。

 旧制武蔵高等学校が設立申請をしたときの名称は、「東京高等学校」だった。しかし、当時文部省でも同名の7年制高校を準備しており、「東京」の名を譲ってほしいという申し入れを受け、学校建設の中心人物だった本間則忠の提案により上記の「武蔵」が校名となった。本間則忠は、文部事務官で初代根津嘉一郎の社会貢献の志を知り、七年制高校の設立を根津に勧奨し、開校までの実務に奔走した人物である。

 本間は、校名を武蔵とした事由について、武蔵国という地名、「むさし」の音が「無邪志」に通じることなどを挙げて述べているが、一方で本間は文部省の現役官僚であり、他の創立関係者も文部大臣、臨時教育会議総裁、東京帝大総長など、当時の教育界を代表する重鎮である。これらの人びとが「東京高等学校」を文部省が準備している情報を知らなかったと考えるほうが難しい。では、なぜあえて「東京」の名で申請したのか。設立の準備は武蔵のほうが東京高校より圧倒的にはやく、尊官民卑の時代ゆえに公式な設立の年月日は官立の東京高校に譲ったが、うがった見方ほすれば、あえて「東京高校」と申請し、それを取り下げることで民の気骨をしめしたのかもしれない。

 その背景と校名の由来については、本サイト内の「武蔵学園紀伝」ページの大坪秀二元校長(故人)による論考、「校名『武蔵』のこと」を参照されたい。 

剥製はどこからきたか

 現在、学園記念室(大講堂2階の展示室)に展示されている白雉の剥製は、1972年、武蔵開学50周年の折に秋田県本庄市の野鳥研究家、繁殖家である佐藤栄一氏から寄贈されたものだ。佐藤氏は剥製を寄贈した後、武蔵に招待され、正田建次郎学長・ 校長(当時)と対談しており、そのときの録音カセットテープが残っている。

 佐藤氏は当時39歳。すでに著名な鳥の繁殖家で、神奈川県のこどもの国に200羽の鳥を放鳥したりしている。 また、日本野鳥の会の発足に関わった中西悟堂氏とも交流があった。佐藤氏によるとこの白い雉はアルビノではなく、 5年くらいかけて体色の薄い雉を交配させた結果だという。しかし佐藤氏は、けして自分が「作った」のでは なく、あくまで生まれたのだと正田学長・ 校長に熱弁をふるっている。

 さらにテープを聴くと、佐藤氏は当時武蔵で美術教師をされていた洋画家の伊能洋氏と懇意にされていて、 武蔵のシンボルである白雉をぜひ描きたい、そして白雉など想像上の鳥と思っている生徒たちに本物を見せたい という伊能氏の熱意に共感して寄贈を決めたということが判明した。なお、伊能氏の実兄の敬氏(故人)も武蔵の 教員をされていて、伊能忠敬の七代目の子孫にあたる。なお、佐藤氏の剥製は2体あり、もう1体は理事長室に置かれている。

 佐藤氏は、子どもたちに本物をという伊能氏のことばにとにかく感動したようだ。そのころ、佐藤氏の白雉の剥製は各方面から譲ってほしいというオファーがあったが、「金額ではなく精神の問題」と佐藤氏は武蔵に寄贈を決めたという。対談後半で氏は、「鳥の写真をきれいに撮影したり、分類や生物学的知識で立派な先生や専門家はたくさんいるけれど、わたしのように何千羽の鳥を育て、直接触れ合うことで鳥を学んだ人間はそうはいません」と自負された。するとそれまで静 かに佐藤氏の熱弁を聴かれていた正田先生はおだやかに笑いながらこういわれた。

 「いやいや、われわれ教員には耳の痛いお話です。子どもに教えたいという先生はたくさんいますが、子どもと心から触れあいたいという先生はなかなかいないのですよ」。

 白雉の剥製が寄贈されてから48年が経過した。作りがていねいうえに、佐藤氏の情熱が込められているのだろう。保存状態はきわめて良好である。記念室に常設展示している白雉は、大講堂2階の展示室の開室時には誰でも見ることができる。

                                                   (武蔵学園記念室・調査研究員 三澤正男)


 
 
 
 
 
 
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