1959年制作「武蔵大学の昨今」
武蔵大学開学十周年を記念して制作された記録映画。池袋から江古田までの情景、構内の建物と内部の様子、ゼミナール演習、学生生活など
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記録映画「武蔵大学の昨今」
武蔵大学開学10周年記念の記念映画。第1回卒業生である向山巌教授らによって企画、制作された。
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池袋から武蔵大学まで
1959年の池袋
(1:01)池袋駅前のバス停。左に「富国生命」の看板があるが、この会社も根津嘉一郎理事長の創設によるもの。戦前はこの近辺の地所も根津理事長の所有地であり、「根津山」と呼ばれていた。
(1:54)当時の池袋駅東口の様子。三越と、その向かいに「丸物(まるぶつ)」と「西武百貨店」。丸物は後に「パルコ」と名前を変えて現在に至る。駅前のロータリーには自動車のほかにオート三輪やトロリーバスなどが出入りしている。
(2:30)池袋駅の西武池袋線ホーム。5番線に豊島園行きの列車が入り、そして出発。
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江古田駅の周辺
江古田駅とその周辺の街並み
(3:24)江古田駅ホームより北側の浅間神社を見る。ちょうど祭礼が行われているらしく、鳥居には日章旗を掲げ、脇には「武蔵高等学校中学校」の看板が建てられている。
(3:43)1959年当時の江古田駅南口。そもそも江古田駅は武蔵高等学校への通学のために「仮停留所」として設けられたもので、当時は学校側から鉄道会社へ列車停車のための補助金が支払われていたと大正11年の理事会記録に残されている。
(4:01)江古田駅の西側、桜台駅寄りの踏切を渡る人々と周辺の様子。背後に映る洋裁店、飲食店、電器店などの店舗の中には現在まで存続するものもある。
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武蔵大学前
千川通りに面した正門から学園内部へ
(4:36)正門の看板からは当時の学園構成がわかる。当時大学は経済学部のみの単科大学で、経済・経営の2学科が置かれていた。正門の奥に見えるのは旧制時代からの校舎(大学3号館)で、この当時は大学・高校・中学の共用校舎となっていた。
(4:48)正門を入って左側、当時の大学1号館。この年に完成したばかりの大学専用の校舎で、当時としては充実した施設を備えていた。
(4:57)3号館屋上から正門を見る。正門から右側に視線を移すと千川通りに沿うように建築された大学1号館、その南側に寄りかかるようにして立つ建物は図書館書庫。
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大学1号館
竣工間もない武蔵大学1号館の様子
(5:24)大学1号館内部、1階には事務室や窓口などがある。階段を上ると学部長室。
(5:46)校舎内の「演習室」、十数名程度の少人数ゼミなどに用いられる。
(5:55)大学1号館の「大教室」、約400人を収容できた。この教室の完成により、全国大会規模の学会が開催できるようになった。
(6:51)1号館大教室に集まる学生たち。みな学生服を着ているが、これは当時の大学生の標準的なスタイル。
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当時の教職員
教職員の執務の様子と、ゼミナール授業風景
(7:31)執務する磯海事務局長。旧制武蔵高等学校の第1期卒業生である。
(7:37)和文タイプライターを打つ事務職員。ワープロが一般に普及する1980年代までは、日本語の文書を清書する和文タイプライターは事務室に必須であった。
(7:41)ゼミ演習をおこなう芹澤彪衛教授、経済政策論担当。武蔵大学の名物教授として有名であった。
(8:12)藤塚知義教授のゼミ。10人にも満たない、少数の精鋭学生たちで構成される。
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学園の施設
教室棟・図書館棟その他の大学施設
(8:34)事務室で執務する教職員。旧制高等学校時代からドイツ語を担当する佐藤新一教授、その左は職員の大竹正美氏。
(8:44)学生部の窓口、執務する職員と、事務室の様子
(9:17)江古田校地の東北隅には、学生のための厚生施設が集まっていた。学友会室や学生集会所、そして女子学生専用の校友会「いずみ会」など。当然ながらいずみ会は男子禁制であった。
(9:42)東から正門を見る。左側に見えるのは大学3号館の入口で、1922年に初代校長と初代教頭がこの場所で並んで撮影した写真が残っている。
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大学での研究
研究室や図書室での研究の様子
(10:09)大学の研究室。文献を調査するのは財政学担当の佐藤進教授。
(10:27)図書館閲覧室での学生たち。外から資料を持ち込んで勉強するのは控えて、閲覧室では所蔵資料の閲覧のみにしてほしい、というのが大学の方針であった。
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江古田キャンパスの南半分
江古田キャンパスを屋上から眺めてみる
(11:08)江古田キャンパスの東門付近、現在大学11号館が建てられている場所はかつてはテニスコートだった。
(11:15)東門(高中正門)付近のテニスコート。向こう側に部室棟、さらに奥には大学2号館が見える。左奥には根津化学研究所。
(11:28)大学3号館屋上から東側、図書館および書庫を見下ろす。奥には同窓会室、右に1953年竣工の大学2号館、さらに右には1931年竣工のプール。カメラは左側、正門方向へ戻るが、このルートは現在ではケヤキ並木として整備されている。
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江古田キャンパスの外
第一学寮・食堂での学生生活
(12:14)武蔵大学第一学寮、環状七号線を挟んで西側の飛び地にあった。そもそもは旧制高等学校時代に建てられた外国人教師用の住宅で、建築当初は地続きだった。
(12:27)大学寮での生活の様子。寮生が向かう机の本棚には皇太子(現在の上皇陛下)御成婚の記念写真が飾られている。
(12:57)学寮の食堂。この学寮の由来を辿れば、旧制時代に外国人教師用宿舎として竣工したもの。戦時中は戦災で住居を失った教職員が入居、戦後はそのまま教職員宿舎として利用されていた。
13:15
四大学運動競技大会
四大学運動競技大会の教職員ソフトボール、ただし、場所は成蹊大学グラウンド
(13:24)当時の職員の回想によれば、教職員チームは四大学の中でも強かったらしい。からまったネットをほどくのは体育実技担当の杉本栄教授。
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大学校舎群と、講堂での教授会
大学1号館から南、2号館方面を見下ろす
(14:31)この記録映画の企画者である、向山巌教授。武蔵大学の第1回卒業生で、当時は専任講師であった。
(14:41)大学3号館から講堂をみる。左に視線を移すと、木立の向こうに集会所と体育館が見える。
(15:06)講堂内の会議室で行われていた教授会。藤塚教授や芹澤教授、杉本教授の姿も見える。この会議室は、現在は武蔵学園記念室となっている。
(15:53)研究する久山満男教授。なぜ久山教授の姿がこの記録映画の最後にあるのか定かではない。
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