学校法人根津育英会武蔵学園公式サイト
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武蔵学園百年史
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武蔵100年のあゆみ
2022年、武蔵学園100周年を記念して製作された映像。創立に至る経緯から旧制高等学校時代、新制高校中学、新制大学の現状までを俯瞰する
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創立者根津嘉一郎
根津嘉一郎の信念と学校設立に至るまでの経緯
「社会から得た利益は社会へ還元する」という思想が根津の根底にあり、それが訪米後にはより明確な形となって現れるようになった。
平田東助を総裁とする臨時教育会議での七年制高等学校推進派が、のちに校長を務める一木喜徳郎、山川健次郎らである。
根津の親友で当初から設立構想を練る仲間であった宮島と正田は、こののちもずっと学園の運営に関わり、創立者根津嘉一郎の思想が後々まで受け継がれる基礎を築くことになる。
根津と官界との連携を仲介したのが本間則忠。これにより政界・官界・学術界と幅広い分野にわたる人物の助言や提言を受けることが出来、根津嘉一郎の学校設立構想は現実的なものとなってゆく。
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旧制武蔵高等学校の歴史
日本初の私立七年制高等学校、武蔵高等学校の設立
記憶力や計算力だけでなく、観察力や構成力、表現力を重視する入学試験は現在に至るまで受け継がれ、他の学校とは一線を画す特色となっている。
「一木博士を校長に戴くことを得たことこそ、生徒諸君に向って最も祝福してやまざる所である」と根津理事長が入学式で述べた通り、創立時から現在に至るまで、歴代校長・学長には社会から尊敬される優秀な人格者が就任することになる。
一木喜徳郎校長と山本良吉教頭の協議によって「三理想」は明文化され、以来かわることなく武蔵学園の基本精神として受け継がれることになる。
学園の校舎は、耐久性や災害対応などを考慮して、当時はまだ珍しかった鉄筋コンクリート造とされ、100年を経た現在でも利用されている。
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旧制武蔵高等学校 一線を画した教育
座学での授業に止まらない幅広い教育
山上学校は日光や軽井沢で開かれた。座学のほか登山や遠足、観察が頻繁に行われ、当初は日常の起居についても厳しい指導が行われた。100年を経た現在でも武蔵中学校の行事として存続している。
海浜学校は、初期は千葉県岩井海岸で、後には千葉県鵜原の学校寮で行われた。海での水泳と安全を主眼においた合宿で、2019年まで続けられる。
外遊生に選ばれるのは最優秀の生徒で、成人の年収に匹敵する金額を費用として渡され、使途は裁量に任された。外遊生からは宮澤喜一首相を筆頭に多数の優秀な人材が生まれている。
運動部では、バスケットボール、サッカー、剣道、弓道がインターハイ優勝を成し遂げ、オリンピック選手も排出した。
気象部は長年の観測の成果から気象庁の観測所として観測網に組み込まれて後にアメダスが設置され、また民族文化部の研究成果「千川上水」は練馬区の文化財に指定される。
戦時中は修業年限が短縮され、勤労動員や疎開で充分な教育が受けられず、また空襲によりいくつかの建物が焼失するなど、施設の損害も少なくなかった。
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新しい時代 生まれ変わる武蔵
旧制時代の終焉と新制への移行、そして武蔵大学の創立
旧制の在学生は新制の武蔵高校に進学し、中学校は3学年を同時募集。時を同じくして新制武蔵大学も第1回生が入学する。校舎は旧制以来の本館を共用し、教員はその多くが大学・高校中学の双方の授業を担当した。
宮本和吉は山形出身の哲学者。京城帝国大学教授を経て1946年に武蔵高等学校の、旧制最後の校長に着任する。新学制への移行と武蔵大学設立に伴い武蔵大学長・武蔵高等学校中学校長を兼務することになる。
鈴木武雄は兵庫出身の経済学者。おなじく京城帝国大学教授であった宮本学長に招聘されて経済学部の中核をなし、後に第4代学長に就任する。
1950年代のゼミナール授業。一人の教員が担当する学生は10人程度。現在でもこの制度が受け継がれている。
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1950-60年代の武蔵学園
単学部の大学と、中高一貫校としの武蔵高等学校
経済学部のみの単科大学として開学した武蔵大学は、1953年に初めての卒業生を送り出す。
武蔵高等学校中学校は、旧制七年制高等学校から多くの思想を受け継いだ、高校中学6年一貫教育校となる。
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1970-80年代の武蔵学園
人文学部の創立と、高校中学校舎移転
正田健次郎学長の構想により、日本で初めてとなる「人文学部」が設立され、以後学生数も大幅に増加する。
高校中学は濯川の南に校舎を新築して移転、同じ敷地内での大学と高校中学の棲み分けがなされるようになった。
施設の充実とともに、学校行事・課外活動も多彩なものとなった。
1975年に学園長制度が制定され、以後大学には公選の学長、高校中学には校長がそれぞれ置かれることになり、それぞれ発展の途をたどることになる。
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1990年代以降の武蔵学園
社会学部の設置とグローバル化の進展
2006年に有馬朗人が学園長に就任。学術面・教育行政面での経験をもって学園の発展に大きく寄与した。
大学では社会学部が創設され、また海外の大学との連携プログラムが設置されるなど、多様なカリキュラムが設けられる。
2000年には高校入試を廃止し、武蔵高等学校中学校は完全な6年一貫教育となる。
19:02
100周年を迎えて
武蔵学園は次の100年をどのように発展してゆくのか
2022年国際教養学部を創設、大学では三理想に基づいたリベラルアーツ&サイエンス教育を実施する。
これまでの100年間の武蔵の良さを生かし、時代の流れを踏まえ、次の100年に向けて進化してゆく。
動画館一覧
2025.03.03
昭和33年学校山林遠足
紀元2600年記念植林から18年、美しい森に成長した学校山林へ遠足に向かう中学2年生と先生方
2024.12.02
1959年制作「武蔵大学の昨今」
武蔵大学開学十周年を記念して制作された記録映画。池袋から江古田までの情景、構内の建物と内部の様子、ゼミナール演習、学生生活など
2024.09.01
武蔵学園80周年記念ビデオ「武蔵 その原点」
2002年制作の学園創立80周年記念ビデオ。再現ドラマとインタビューをもとに、20世紀の武蔵学園を振り返る。
2024.07.01
1955年開催の全校マラソン大会
冬場の運動不足対策として実行されたマラソン大会。スタートの江古田校地から練馬、江古田近辺と目白通りの様子
2024.04.20
武蔵高等学校開校十周年記念動画
1932年撮影、開校十周年記念式典が開催された武蔵高等学校の様子。当時の江古田校地や建物、根津嘉一郎理事長をはじめ来賓の櫻井錠二、一木喜徳郎、荒木寅三郎。