武蔵学園80周年記念ビデオ「武蔵 その原点」
2002年制作の学園創立80周年記念ビデオ。再現ドラマとインタビューをもとに、20世紀の武蔵学園を振り返る。
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プロローグ
創立時から現在に至る武蔵学園の情景を振り返りながら、その建学の精神を探る
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根津嘉一郎と社会貢献事業
なぜ根津嘉一郎は学校創立を決意するに至ったのか、当時の社会情勢と根津の思想から読み解く
高等教育機関の整備が急務となった大正初期、七年制高等学校が制定されるが、国は設立には消極的だった
卓越した実業家だった根津は「社会から得た利益は社会に還元する」を旨として社会貢献活動にも積極的に関わっていた
米国視察でロックフェラーなどの寄付活動を目の当たりにした根津は、社会貢献への信念を一層確かなものにした
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学校設立構想
根津嘉一郎と友人たちの協議により、社会貢献活動としての学校設立構想が具現化する
再現ドラマ「根津を説く本間則忠」学校設立を勧める本間の提言は、根津の基本構想とよく合致していた
再現ドラマ「宮島清次郎の回想」根津は宮島清次郎、正田貞一郎ら親しい友人と相談し、育英事業を社会貢献活動の中心にすえることを決定した
各界の有識者で評議会を編成して学校の性格と方向性を議論し、日本で初めてとなる七年制高等学校を創設することを決定する
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校名の由来
大坪秀二校長へのインタビュー、「武蔵」の名称の由来について
大坪秀二(16期)1943年に武蔵高等学校を卒業。昭和医科大学予科教授を経て武蔵高等学校教諭・武蔵大学助教授。教頭・校長を計20年務める。
校名の由来は、一つには学校所在地の地名である武蔵国、二つ目には第一次世界大戦終戦条約の年であることから「武器を蔵に収める」という平和への期待、三つ目には邪心を持たない「無邪志」
12:00
武蔵高等学校の開校
一学年80名という少人数教育の学校として、武蔵高等学校はスタートする
高い理想を掲げる学校への期待から1,000人を超える志願者が集まり、その中から選ばれたわずか80名が、日本初の私立七年制高等学校の新入生となった。
初代校長と初代教頭によって「世界に雄飛する」という目標が掲げられ、「三理想」が制定された。
13:34
武蔵の先輩はかく歩めり
先輩たちの受けた教育について、創立者の孫である根津公一がインタビュー。宮澤喜一、西室泰三、畠山穣
宮澤喜一(11期)1939年に武蔵高等学校を卒業。大蔵省官僚を経て政治家となり、大蔵大臣・財務大臣、農林水産大臣、郵政大臣などを歴任、第78代内閣総理大臣を務める。
西室泰三(28期)1954年に武蔵高等学校を卒業。東芝社長、東京証券取引所社長、日本郵政株式会社社長などを歴任する。
畠山穣(29期)1955年に武蔵高等学校を卒業。通商産業省官僚となり、のちにJETRO理事長などを歴任する。
根津公一(43期)創立者根津嘉一郎の孫。1969年に武蔵高等学校を卒業。2002年当時は東武百貨店社長、2024年現在は根津美術館長・学校法人根津育英会武蔵学園理事長。
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武蔵学園と濯川
濯川を中心とする校地改修計画を主導した太田学園長が、校地と水辺について、学校の教育について語る。
太田博太郎(4期)1932年に武蔵高等学校を卒業、建築史学者。東京大学教授、九州芸術工科大学長などを歴任する。1978年より第2代武蔵学園長。
田中郁三(17期)1944年に武蔵高等学校を卒業、光化学を専門とする化学者。東京工業大学教授、東京工業大学長、学位授与機構長などを歴任した文化功労者。
24:41
武蔵の教育と研究の特色について
2002年当時の学園長・学長・校長が武蔵の特徴について語る
田中郁三学園長。1998年より第4代武蔵学園長。2000年からは学校法人根津育英会理事長を兼務する。
横倉尚学長、専攻はエネルギー・環境経済学。通産省を退職後、武蔵大学の専任教員となる。2000年に武蔵大学長就任。
福田泰二校長(30期)1956年に武蔵高等学校を卒業。専攻は植物学、千葉大学教授を経て1997年より武蔵高等学校中学校長。2024年現在は武蔵学園記念室名誉顧問。
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