N001-3  濯川・夏 中の島付近
 

N001-3 濯川・夏 中の島付近

濯川縁起

2017年5月撮影。開校時より教頭として教学、運営全般を主導した山本良吉は、楚の大詩人である屈原の詩から濯川と命名した。
滄浪之水清兮 可以濯吾纓 滄浪之水濁兮 可以濯吾足
(そうろうのみずすまば、もってわがえいをあらうべし、そうろうのみずにごれば、 もってわがあしをあらうべし)
 屈原 「漁父」(楚辞 巻七)ーー追放された屈原が沼沢地で漁父にあい、処世につき問答す。屈原は潔白な生き方を貫こうとするのに対し、 漁父は世の清濁に応じて生きよという。滄浪は揚子江の支流漢水の下流の名。纓(えい)は冠のひものこと。
山本はこの命名について次のような文を寄せている。

校舎と運動場との間に谷がある。そこに以前小さい用水が流れて居た。開校の頃、生徒は運動がすめばそこで手を 洗ひ、家づとに大根を買へば土を洗い落した。その後運動場の整理と共に、幅を広くし、橋をかけ、島を築き、両崖 には花卉を植え、流に沿うて小径を造り、そこにはプラタナスを植えた。ケム川の岸、それに沿うた森が幾多世界的 偉人を生じた如く、この川岸からも世界の運命を支配する人材の出るのを望む積りで、武高のケム川と仮称したが、 更にすゝぎ川と命名した。固より屈原の漁父辞から取ったのである。川の前身から知って居る文科三年生に命じて、 その記を作らせた。川が代わった如く、生徒の思想も文章も変わった。中には意外と思はれる佳作もあつた。 川の水、時には澄み、時には濁る。丁度われ等の心が時には晴れ、時には曇ると同じく、又人生の運に時には幸が あり、時には不幸があると同じである。いづれ二元の間に徘徊するわれ等は、この川が二相を呈するのを咎めむべき でもあるまい。清い時には清きに処し濁った時には濁りに処する。幸が来れば幸を受けん、不幸が来れば不幸を迎へ ん。この小川が自身のの清濁を一向知らず顔に、ゆるゆる、しかも止まずにその流れを続ける如く、われ等もわれ等 の道を辿りたい。川沿いの木、今は尚小さいが、他日それが大きくなって、亭々として天を衝くとき、今の諸生が その下逍遙して、想いを今昔の間に回らせば、かならず感ににたへないものがあらう。今諸生が見るその水はその頃 には流れ流れて、いづこの果に、どうなってあるか考えることもできまい。しかし在る物は永遠に消えぬ。独り水辺 に立って、静かに行末を思ふと、われ等の心は自然に悠遠に引きこまれて行く。・・・・・ 昭和3年8月9日 久雨始めて晴れた朝、 山良生〈文献:校友会誌 8号〉

注:ケム川(The River Cam)英国ケンブリッジ大学構内の川、この川にかかる橋が大学の名の由来といわれる。 山本教頭は「欧米の学生生活状況調査」の途次、大正10年3月9日にケンブリッジを訪れ、ケム川を舟で周遊している。
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