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Ⅲ 武蔵大学

社会学部

 1969(昭和44)年の人文学部発足に際して,それを構成する3学科の一つとして社会学科は,その一歩を踏み出した。

 当初の方針をみると,理論系,産業社会学系,社会人類学系を3本柱とし,これに応用社会学系を配するという構想で,当時の他大学の社会学科と比較して,より実証的な学科の創設を志向していた。カリキュラムは,武蔵大学の少人数教育の理念を演習を通して実施すべく,1演習は多くても20名程度で各学年に配置され,1年次のすべての演習を専任教員が担当することとされた。文部省(当時)への申請の際に,フィールドワークやアンケート調査を行う専門の組織として研究室に付属する「調査室」の整備が認可の付帯条件とされた。だが,その充実には長い期間が必要であった。

 文化の総合的な研究の遂行を理想とする人文学部のなかに位置づけられた社会学科であるが,社会科学系の教員を多数擁する経済学部と部分的に重なる関係もあり,具体的なカリキュラム編成における様々な問題を初めから抱えていた。

 10年後(72年)のカリキュラムからは,初期の教員の半数が入れ替り,科目名の変更等が生じたことがうかがわれる。

 81年度に研究室が新図書館棟に移転し,学生・教員・職員の接し方および図書と機器利用の面で研究室制度に大きな変化が生じ始めた。調査室は3号館3階の東南端に置かれ,翌年はカード式の情報処理機が導入され,しばらくして日本語ワープロ機も備えられた。

 カリキュラムの大きな見直しが始まったのは84年度からである。第一外国語(英語)の2単位減,共通専門科目に10科目を提供すること(それまでは4科日),必修科目としての「社会構造および変動論」「集団論」に代えて「社会心理学」「社会人類学」を取り入れたこと,それまで2単位の「社会学演習」の4単位化が主たる変更であった。

 86年度末に人文学部長より,社会学科の4年次生に対する履修指導のあり方を検討するように求められた。3年次までに努力して必要な単位を修得してしまうと,4年次に何も履修登録せずにいられる仕組み(同年度には3名の該当者がいた)はいかがかと問われたのである。これに対して87年度末に社会学科は報告書を提出し,4年次演習の必修化と4年次向け新必修科目の設置を全体的なカリキュラム改訂の一環として行うと表明した。

 当初の社会学科は,おおむね専任者7名で支えられていたが,87年度から人事に関わる変化が次々と生じ,専任者3名という危機的状態もくぐり抜け,「カリキュラム'89」と通称される案をまとめた。4年次問題は,4年次演習の必修化,「社会学総合特講」の新設,3・4年次年演習の継続履修で対処した。卒業論文は選択のままであったが,それに匹敵する「卒業研究レポート」が全員に課されることになった。社会学の専門講義科目はA(高齢化),B(地域化),C(情報化・国際化)といった課題に対応する3科目群と基礎科目群の計4群に編成され,必修科目もこれに対応した形の重点化が図られた。卒業論文の扱い,学年進行のチェック,コース設定による系統的な科目履修,外国語,特に英語読解力の確保などカリキュラムに関する事項はもとより,就職活動と4年次での履修,入試方法,他大学における社会学の教育状況についても検討が行われ,可能な部分から実施に移されていった。

 この後の大幅な改革は,いわゆる大綱化に対応して96年度に改訂されたカリキュラムと,社会学部化にともなう全面的見直しであった。その間に生じた状況の変化には,91年度からの臨時定員増で社会学科に50名が割り振られたこと,中国語も第二外国語に加えられたことなどがあげられる。また,調査室の充実という面では,92年頃からパソコンを導入した電算化が図られ,その他の機器類の整備も進められて,調査室はその後の演習や調査の授業で積極的に活用されることになった。

 「カリキュラム'96」では結果として,外国語科目と一般教育科目,および,卒業条件の改正が行われた。一般教育科目を「共通関連科目」という名称に改めて各専攻の専門科目との関連を深め,新分野の科目や総合講座等を組み込んで「自然と環境」「文化と社会」「心と体」(ここには保健体育関連科目が全面的に見直し強化され,取り入れられた)「言語」の4分野に大別する斬新な案が採用された。社会学科は外国語に関して必修の履修単位数を4単位減らし,2年次の第二外国語科目を選択必修とすることにした。卒業総単位は128単位となった。この2年後の学部化に際しても,基本的にはこのカリキュラムが取り入れられた。

 武蔵大学の発足当初から,文系の大学としていかに充実を図るかは将来構想のなかに様々に描かれてきたが,90年代中頃には社会学部案が検討された。その外部要因は,端的に少子化と表現される社会的環境であり,それに見合う大学設置基準の大綱化であった。また内的には,人文学部に収まりきらない形での社会学分野の発展があり,それに社会学科を構成する教員の大幅な変化からくる社会学科側の積極的な対応があった。さらに,他に具体化しうる新設学科・学部案も出されなかった。このようにして,社会学科の学部化が実現する運びになったのである。新学部は初め97年度からと予定されていたが,進行中の建設計画や申請手続きの都合で,98年度の発足予定で各種作業が進められた。

 新学部の教育のうち専門科目は96年のカリキュラムを大幅に拡大,充実させることで行うことになった。すなわち,専門教育科目を,「社会学原論」を核とする「理論科目」,社会調査方法論や社会調査実習を核とするとする「方法科目」,1年時の「社会学基礎演習」と3・4年次の「専門研究演習」からなる「演習科目」,家族社会学や都市社会学などの様々な連字符社会学や文化人類学,メディア研究などの科目から構成される「専門研究科目」の四つに体系化した。この体系化には過去にない三つの特徴がある。一つは,社会調査実習を15名程度の少人数の演習方式とし,2年次の必修科目としたことである。これにより,1年次の基礎演習,3・4年次の専門研究演習を含め,1~4年で一貫して少人数ゼミ教育を実践することが可能となった。二つ目は,専門研究科目に関して,「社会システム」「人間と文化」「メディアとコミュニケーション」という三つのコース制を設けて,科目を再配分,増設したことである。これにより,学生は自らが主体的に学ぶ分野を意識的に選択することが可能となった。三つ目は,これまでのゼミ論必修・卒論選択という方式を改め,全学生に卒業論文を必修としたことである。社会学部の学生は4年間の演習・実習と体系化された科目群の学習の最終的な成果を卒業論文に結実させることとしたのである。

また,こうしたカリキュラムを実践的に運用する教育環境の整備も行われた。7号館3階に,社会調査集計用のコンピューター等の設備を配した教室,調査用の実習室,グループスタディルーム等を設置し,社会学部実習準備室を置いてこれら施設を管理する職員を配置した。

 学部は当面1学科で出発し,入学定員は150名で専任教員は4名増の13名,これに多数の非常勤講師が加わって学部を支えることになった。教育・研究体制の観点からは,部分的とはいえ同一の研究分野に複数の教員がいる状態が漸く実現したことになる。2002(平成14)年春に第1回卒業生を無事送り出すことができたが,学生は総じて意欲的に勉学を行っていたといえる。その結果,人文学部社会学科の時代と同様の高い就職率を維持できた。

 最初の卒業生を送り出した02年から,もう1学科増設する案の検討が始まった。既存コースにおいて「メディアとコミュニケーション」コースの選択者数が多く,「メディア社会学科」増設に向けてのカリキュラムや設備の検討が行われた。

 この結果,04年度にメディア社会学科が設置され,社会学部は既存の社会学科とあわせて2学科体制となった。入学定員は,社会学科110名,メディア社会学科90名で,学部として200名となり,専任教員も社会学科10名,メディア社会学科9名の19名体制となった。新カリキュラムでは,基本的な枠組は学部発足当初のカリキュラムをベースとしながら,各学科のコースの再編が行われた。すなわち,社会学科は「社会とネットワーク」「文化とグローバリゼーション」「社会心理とアイデンティティ」,メディア社会学科は「マスコミュニケーション」「パブリックコミュニケーション」「メディアプロデュース」のそれぞれ3コース,計6コースに再編された。また,このカリキュラム改革にあわせて,人文学部時代から「演習」と呼んできた科目名を,「社会学基礎ゼミ」「メディア社会学基礎ゼミ」等,「ゼミ」という名称に改め,「専門研究科目」を「展開科目」と名称変更した。

 その後,09年に社会のニーズに対応して全学的な入学定員の見直しを行うことになり,社会学部では各学科の入学定員が15名ずつ増え,社会学科125名,メディア社会学科105名,学部全体では230名となった。これにともない,専任教員も各学科1名の増員となって,社会学科11名,メディア社会学科10名の21名体制となった。

 経済学部が主催する全学の「ゼミ大会」で研究を発表するゼミ生達も増え,学部横断的な研究活動も芽生えてきた。

 11年には,総合科目の改編を中心とした全学的なカリキュラムの改訂が行われるなかで,社会学部でも新しいコース設定や開講科目の再編が行われた。すなわち,社会学科では,旧来の3コースを「社会とグローバリゼーション」「文化とコミュニケーション」「社会心理とアイデンティティ」に再編し,両学科で専門的な講義科目である「展開科目」の個々の科目を時代のニーズに応じたものに改めた。

 この間,学部教員が中心となって様々な社会学の副読本や叢書シリーズを刊行している。(詳細は「研究体制」を参照)また,社会学部の学びの最終目標は卒業論文を書くという学部哲学に則して,09年度から優秀卒業論文の発表会を開催し,10年度からは「シャカリキフェスティバル」として,各ゼミ代表の卒論報告会が定例化された。主として翌年卒論を書く3年次生を対象とした論文報告会で,メディア社会学科では,卒論だけでなく卒業制作の発表も行われている。

 社会学ならではの資格として,社会調査士があげられるが,その資格取得のために,多くの実習授業,関連科目を設置しており,毎年50名程度,多い年には90名程度の学生たちが社会調査士の資格を取得し,卒業している。

 人文学部社会学科の29年,単学科としての社会学部の5年,そして,メディア社会学科を増設した04年からの8年。武蔵大学に社会学の灯がともって40年以上の歳月の上に現在の社会学部がある。学部化以降,幸いにも受験生数も総じて上向きであり,全国の社会学部を擁する大学のなかでもその一角を占める位置を認知されるようになった。また,卒業生たちが,企業の広報部門や社会貢献部門,自治体,教育分野等で活躍するようになり,教育効果が社会的にも少しずつ浸透しつつある。こうした伝統を踏まえて,現在,学部学科再編をも視野に入れた新しい社会学部の将来が模索されている。

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