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Ⅲ 武蔵大学

学生国際交流およびTUJとの連携

 教育の面における国際交流の歴史は,おおよそ10年刻みの(1)夏季休暇期間を利用して学生海外研修を開始した1980年代,(2)在籍学生の海外留学を可能にした1990年代,(3)大学国際センターが設置され,交換留学協定による留学生の受け入れを開始した2000年代の3期と,(4)学校法人根津育英会国際交流委員会が設置され,武蔵高等学校中学校,次いでテンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)との連携が始まった2008年以降の時期,の4期に分けて考えることができる。

(1)国際交流の揺籃期(1980年代)

 大学として学生を海外に派遣する最初の試みは,それまでの特待生制度に代わる制度として1982(昭和57)年度から始まった学生海外研修制度であった。現在も続くこの制度は,夏季休暇中1カ月程度,調査研究のため希望国・地域に学生を派遣する制度であり,一定の語学基準を充たしていることを応募の条件とし,提出した研究計画に基づく面接を経て選ばれた研修生には武蔵大学学生海外研修奨学金が支給される。帰国後の報告書提出が義務付けられており,成果報告書が毎年刊行されている。

 この制度には,発足当初から,画期的な教育プログラムとして学生,教職員の双方から熱い期待が寄せられ,自主的な計画に基づく調査研究が可能であるため,参加希望者も多かった。初年度は経済,人文両学部各6名,合計12名の派遣が予定されたが,厳選して7名の派遣にとどめられた。しかし,翌83年から88年にかけては各年11~12名,89年から2007(平成19)年にかけては各年19~30名とその規模が拡大されていった。しかし,2000年代に入って,テロの頻発や国際的な規模での感染症の流行もあって危機管理の必要性が一段と高まった。そのため,派遣枠は08年に15名,09年に10名と漸次削減されたが,12年までの30年間での派遣実績は542名の多数にのぼっている。

 学生海外研修制度の淵源は,77年,大学協議会で国際交流委員会を設置することが決定され,翌78年に同委員会の検討結果が「国際交流促進についての報告書」としてまとめられたところに遡る。同報告書は,「教員の交流」「学生の交流」「文書等の交流」を主要な柱とする種々広範な提言を内容としており,同報告書を受けて,国際交流の具体化に向けて,学長,学部長,学部教務委員長等を構成員とする国際交流検討委員会が臨時の委員会として設置された。同委員会は5回にわたる検討の後「学生海外研修制度」をまず実現すべき制度として提案し,80年,大学協議会でこの制度の発足が正式に決定された。制度運用の初年度にあたる82年は,学長,学部長,学部教務委員長,学生部長,学生部次長を構成員とする学生海外研修生選考委員会が選考にあたり,大学調査課を事務担当として実施された。翌83年,同委員会を改組して新設された学生海外研修委員会が制度の運営にあたることとなり,92年には学生海外研修業務を学生部へ移管,学生生活課が事務担当となった。2002年以降は国際センター(後述)が運営を担当している。

(2)学内制度の整備と派遣留学の開始(1990年代)

 1989(平成元)年,「国際的視野に立ち,社会・文化に関する問題を総合的に調査・研究することにより学術の振興に寄与することを目的」として総合研究所が設立され,「学術文化の国際交流」を大学として推進する仕組みが整えられた。次いで90年,「国際交流に係る基本方針の策定と重要事項についての審議」を目的として学長のもとに国際交流会議が置かれ,国際交流委員会をその決定の執行組織と定めたうえで,派遣留学制度が発足した。それ以降,武蔵大学では,研究に係る,教員を中心とする国際交流は総合研究所,学生の教育に係る国際交流は国際交流委員会が主管することとなった。同委員会の事務担当は,当初,学校法人の企画室であったが,その後,大学庶務部庶務課に移管された。

 新設された留学制度の眼目は,留学期間を在学期間に算入することにより,4年間で卒業することを可能にしたこと,留学先大学で修得した単位のうち,一定単位(制度開始当時は30単位)を限度として武蔵大学の単位に認定されるようにしたことと,武蔵大学年間授業料相当額を限度として学生国外留学奨学金を与えるようにしたことである。協定留学と認定留学という2種類のカテゴリーが設けられたが,協定留学は海外大学との協定に基づき協定校に派遣する制度であり,認定留学は学生本人が留学する大学を確保したうえで申請し,留学先として適切と認定した場合に留学を許可する制度である。

 この制度のもとで武蔵大学が基本協定あるいは学生派遣協定を結んだ大学は,ケント大学(イギリス,90年),ウーロンゴン大学(オーストラリア,94年),南開大学(中国,97年),マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(ドイツ,99年),セント・マイケルズ大学(アメリカ,01年),オハイオ大学(アメリカ,00年),カリフォルニア大学リバーサイド校エクステンション(アメリカ,01年),リヨン第三大学(フランス,03年)である。この制度の利用が始まった91年から交換留学制度(後述)開始の前年(01年)までの11年間に,合計66名の学生が協定校への留学を実現した。また,この間,94年の2名から始まって合計7名の学生が認定留学制度により留学した。

 この時期,90年から99年まで,ドイツのミュンヘン大学と武蔵大学の学生が休暇中に合宿を行う形で日独国際交流セミナーが実施された。共同生活を通して互の言語と文化についての理解を深める意義深い試みであった。

(3)大学国際センターの設置と交換留学協定による留学生受け入れの開始(2000年代)

 上述したように世界の各地域に協定校を配置し,武蔵大学に在籍したままの留学が可能となったが,派遣者数は1990年代を通して1年に10名を超えることはなかった。そのため,加速度的に進むグローバリゼーションを社会的背景として,量的拡大を図り,同時に制度運営の質を高めることの必要が強く認識されるようになり,学長のもとに検討委員会を置き,具体的な方策についての議論が行われた。その結果,国際交流の基軸を派遣型から双方向的な交換留学型へと転換することとなり,新しい方針のもとで,2001(平成13)年に高麗大学(韓国),セント・マイケルズ大学(アメリカ),02年にケント大学(イギリス)と学生交換協定が締結された。また,そのような状況に対応するため,同年4月には「本学における国際交流の推進と充実を図ることにより,教育及び研究の振興に寄与することを目的として」武蔵大学国際センター(以下,国際センターと略記)が開設され,交換,派遣の2種が存在することとなった協定留学制度および認定留学制度を一元的に管理するとともに,従来学生部所管であった学生海外研修制度も併せて担当することとなった。国際交流を統括する国際交流会議およびその下部組織である国際交流委員会は国際センターの発足後05年度末に廃止され,それ以後は「国際交流に係る基本的事項については,大学協議会に付議」されることとなった。

 国際センターは,センター長(学長が専任教員のなかから任命),センター員(各学部1名の専任教員を学長が委嘱)およびセンター事務長を常任構成員とする「国際センター会議」で決定された方針に従って運営されるが,同会議には必要に応じて各地域あるいはEASプログラム(後述)等,特定の任務を担当する専門員(専任教員を学長が委嘱)も参加することとなっている。発足時の国際センターは,センター長,センター員,専門員を,専任職員(1名),事務嘱託員(1名),臨時職員(1名)が事務担当として支えるという態勢で,EASプログラムについては,プログラム・アカデミック・コーディネーター(1名,外国人,非常勤)の支援を得ながら,専門員1名がプログラム・ディレクターの役割を担った。

 現在のセンター事務室の構成は,専任職員(2名),事務嘱託員(1名,外国人,EASプログラム・ディレクター),業務委託(3名)である。

 協定校は,地域分布および学生のニーズに対応するかたちで選定されたが,国際交流に特化した実務組織である国際センターの設置後,交換協定締結交渉は着実に前進し,上述の高麗大学,セント・マイケルズ大学,ケント大学に加え,リヨン第三大学(フランス,03年),マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(ドイツ,05年),西安外国語大学(中国,07年),ハワイ・パシフィック大学(アメリカ,08年),オハイオ大学(アメリカ,08年),ディーキン大学(オーストラリア,08年),パリ第七大学(フランス,09年),パッサウ大学(ドイツ,09年),国立政治大学(台湾,12年),フォンティス・インターナショナル・ビジネス・スクール(オランダ,12年)との間で交換協定が締結された。その結果,派遣数,受け入れ数ともに年を追って順調に増加し,直近の12年度の場合,派遣が27名,受け入れが25名となっている。12年には,この状況を踏まえて,交換の枠組みをそれまでの年あたり20名から30名へと変更することが大学協議会で確認された。

 交換協定を結んだセント・マイケルズ(アメリカ),ケント(イギリス)両大学の学生を迎え入れ,また,将来,双方向的な国際交流制度を本格的に推進することを視野に入れて,武蔵大学は,03年度後期から,留学生を主たる対象として,英語ですべての授業を行う「EAS(東アジア研究)プログラム」を開設し,それと並行して外国人学生のための日本語授業を開講した(ケント大学国際関係学部は,その措置に対応して,EASプログラムを“Politics and International Relations with a Year in Japan”コースの指定派遣先プログラムとして認定した)。留学生を迎え入れるためには,教育プログラムの開設に加え,宿舎確保の必要もあった。そのため,受け入れ初年度である02年は民間宿舎を借り上げて高麗大学からの留学生に提供したが,03年度からは,竣工なった新学生寮(朝霞プラザ)の寮部分を日本人学生と留学生が共に暮らす国際宿舎として用いることとなり,寮内に留学生の居室を確保できるようになった。この段階では,武蔵からの派遣留学生,協定校からの留学生,ともに原籍校に学費,寮費を支払い,留学先にはそれらを支払わないという制度が採用された。

 05年,できるだけ多くの学生が交換留学制度を活用できるようにするために,海外協定校で学ぶ際に必要な知識と語学力を獲得するよう支援する「留学準備講座」が開設された。EAS,日本語,および留学準備講座の授業は各学部が分担して提供する形を取るが,授業編成と実施の実務は国際センターが担うこととなり,国際センターは,事務的業務に加え,それらの授業の運営を担当する組織となった(国際センターは11年の事務機構改革以後は外国語教育の運営にあたる外国語教育センターと並んで教務部に属する組織となっている)。交換留学制度と組み合わせて実施される点が評価されて,EASプログラムおよび留学準備講座は,04年から07年までの間,文部科学省私立大学教育研究高度化推進特別補助の助成対象となった。留学準備講座に加え,学生海外研修に参加する学生の渡航準備となる放課後課外授業「英語インタビュー入門」も05年に始められた。

 交換留学制度は組織のあり方も運営の実態も異なる海外大学との教育連携であり,円滑な運営および迅速な危機管理のためには緊密な情報交換を通じて相互の信頼を確立することが必須である。そのため,国際センターの設立以来,日常の絶え間ない連絡にとどまらず,センター所属教職員と協定校担当者間の相互訪問が定期的に行われるようになり,04年にはケント大学学長,09年には西安外国語大学学長による武蔵大学公式訪問も行われた。

 武蔵大学は,02年に国際交流に積極的に取り組む日本国内の大学・教育機関等を会員とする特定非営利活動法人JAFSA(国際教育交流協議会)に加盟し,12年には武蔵大学学長が理事に選出された。07年からは,JAFSAと関係の深い米国を拠点とする国際教育交流団体,NAFSA: Association of International Educatorsにも参加して,その年次大会に教職員を派遣している。NAFSAの大会は世界最大の教育交流フェアであり,武蔵大学の国際交流について広報し,教育のグローバル・ネットワークに連なるうえで不可欠の情報を得るための貴重な場となっている。さらに,08年からはアジアを拠点とするAPAIE: Asia-Pacific Association for International Education,欧州を拠点とするEAIE: European Association for International Educationの年次大会にも教職員を派遣し,教育交流をめぐる世界の趨勢を把握するとともに,総会の場で得た情報や人脈を活用して新しい協定の締結に至るなどの成果を挙げている。

 受け入れ留学生に対して授業料等の相互免除を行う交換留学制度を持続的に運営するうえでもっとも重要な点は,送り出しと受け入れの人数を可能な限り同数にそろえることである。しかし,教育の質と効果を維持するために,健康,学業成績,語学力などについて,それぞれの学校が求める様々な条件があり,制度の開始当初は,一定の語学基準を充たす留学希望者数を確保するのに困難がともなうこともあった。そこで06年,協定校のなかでも制度開始以来中軸的な位置を占めているケント大学と交渉を行い,正規学生が履修する正課授業に加え,同大学が持つ留学生受け入れ準備課程の授業を武蔵・ケント間の交換留学プログラムに組み込むことによって,一定水準[IELTS 4.0またはTOEFL 45(iBT)/133(CBT)/450(PBT)]まで最低語学基準を引き下げることとした。またそれと合わせて,学生の語学力に応じて3つの選択コース(Pathway)を設け,それぞれのコースに適合した授業群をあらかじめ指定して,そのなかから学生が授業を選択する仕組みを用意することとした。その措置を講じたことにより,制度利用が可能な学生数が増加して交換留学制度の維持が可能になったばかりでなく,学生にとっては,留学先での無理がなく,より効果の高い学習が可能になった。4月に出発し1年間留学する通常のプログラムに加え,就職活動期間の早まりを懸念して留学を躊躇する学生のために12月に帰国できるプログラムを用意したことも学生に歓迎された。

 一方で,このような措置を講じて送り出し,受け入れの留学生数が増勢に転じた場合,大学がその用地内に十分な量の宿舎を用意できず,様々な家賃,様々な条件の学外の宿舎も利用せざるを得なくなることは明らかであった。そのため,学内外の多様な宿舎の利用を促しつつ,宿舎に対する支払額が同一である場合に生じる不公平感をあらかじめ避けるため,08年の協定改定では,寮費分離方式,すなわち,学費は原籍校に支払うことにより留学先で免除になるが,宿舎費・家賃は学生が現地で自ら支払う,という方式に改定された。ヨーロッパ単位互換制度(ECTS)を本格的に導入している同大学との緊密な交渉を通じて,教育の質の保証,単位互換基準など,教育の国際交流の中核にある原理的な枠組みについての理解を深めることができた意義も大きい。武蔵大学は,その後,ケント大学との協定の枠組みを参照枠として協定各校との協議を定期的に行い,必要な場合には協定の改定を行っている。イギリス政府が入国管理政策厳格化の一部としてビザ給付要件としての語学基準の引き上げを行ったため,12年,前述の改定語学基準は廃止することとなった。そのため,ケント大学は政府の方針にそって新しい受け入れ規準を発表したが,強い留学意欲をもち,英語習得に熱心な学生が育ってきているため,ケント大学との間で年あたり5名程度の規模で1対1交換留学制度を維持することは今後も十分可能だと考えることができる。 

 制度を開始して10年以上が経過し,国際センター,外国語教育センター,経済学部国際コースなど,全学をあげての努力が実りつつある。もっとも早く交換協定を締結した高麗大学の場合,当初6年間(02~07年)は派遣人数の平均が1人,受け入れ人数の平均が4.6人と,派遣と受け入れの間に不均衡がみられたが,その後現在に至る6年間(08~13年)の派遣人数の平均は3.5人,受け入れ人数の平均は3.4人であり,派遣人数を増加させたうえでほぼ1対1の比率が実現している。すべての協定校に対する派遣および受け入れの総数についても,04年から09年にかけては受け入れ人数が派遣人数を上回る年が多かったが,国際センターが設置された02年度から12年度まで11年間の平均値でみると,派遣15.3人に対して受け入れが17.5人であり,過去3年間(10~12年)の平均値は派遣24.3人に対して受け入れが25人である。1対1交換の原則は,交流の規模を拡大しつつ,持続可能な形でおおむね貫かれていると言うことができる。双方向的な交換留学制度の定着に伴い,それ以外の留学制度による留学を希望する者の数は減少し,国際センターが開設された02年以後12年まで11年間の派遣実績は,交換留学による派遣が141名であるのに対し,(武蔵への受け入れをともなわない)協定留学の実績は30名,認定留学の実績は1名にとどまっている。

 2000年代にはまた,夏季休暇,春季休暇中の数週間を利用して海外の協定校に付属する語学教育機関や定評ある語学学校で英独仏中韓諸語を集中的に学ぶ「海外現地実習」(2単位科目。11年のカリキュラム改訂後の名称は「外国語現地実習」)が始まった。実践的な語学学習に加え外国の生活と文化を現地で体験できることから,この集中授業に対する学生の関心は高く,00年度から12年度までの13年間で年平均68名,総数883名を送り出している。

 武蔵大学が短期語学研修を実施した学校は,リヨン第二大学(フランス,95~02年),カリフォルニア大学サンディエゴ校(アメリカ,00~05年),マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(ドイツ,97~10年),トゥーレーヌ学院(フランス,03年~),オハイオ大学(アメリカ,01~11年),セント・マイケルズ大学(アメリカ,01~10年),高麗大学(韓国,02年~),西安外国語大学(中国,06年~),ディーキン大学(オーストラリア,08年~),カール・デュイスベルク・ツェントレン(CDC)(ドイツ,09年~),ケント大学(新規。イギリス,13年~),国立政治大学(新規。台湾,13年~)である。

 2000年代は,国際センターが設立され,交換留学,外国語現地実習,学生海外研修の3事業を主要な柱とする国際交流制度の輪郭が形成された時期であると言えるが,留学生の受け入れは,一般の学生の場合と同様,学業,宿舎,健康など,多岐にわたる分野に関わるので,その影響は純粋に国際センターの所管する分野にとどまるものではなく,教務部,学生支援センター,同センター大学保健室等,大学のすべての部局に何らかの対応を迫るものであった。また,留学生に充実した日本生活を提供するためには,学部学生・大学院生の協力が必要であり,留学生をサポートするボランティア組織である「キャンパス・メイト」が誕生し,留学生と交流しながら韓国を研究する「チング」のような学生サークルが作られたのもこの時期である。国際センターも春秋に新着留学生の歓迎会を開催するだけでなく,外国人スタッフの案内で日本人学生とともに都内見学をするフィールドトリップを毎月実施し,地元である江古田商店街との交流を企画したり,国際理解教育をサポートするため練馬区立小中学校に派遣して日本の子供たちとの交流の機会を設けたりしている。こういった留学生を温かく迎え入れる姿勢は,初めての受け入れから今に至るまで全学的レベルで保たれており,大学と大学同窓会が各地の同窓会支部と連携して彼らを地方旅行に招待する有意義な試みも,12年度の新潟旅行で10回目となった。この地方旅行には日本人学生の参加も認められており,留学生と武蔵大学の学生が交流する絶好の機会となっている。このような,それぞれに工夫をこらしての対応が新鮮な刺激となり,交換留学生の受け入れを契機として大学全体が自らとの関わりで国際化を意識し始めた。このことが双方向的な留学制度に転換した最大の成果であろう。

 07年夏,教員が海外に学生を引率して教育活動を行う「国外フィールドトリップ」が始まった。この年の試行を経て08年から制度化されたこの制度は,「本学正規科目での教育活動の一環として海外での学習活動について具体的な計画を有する」専任教員に対して,1企画30万円(機中泊を含め7日6夜)を上限として助成を行う制度である。

(4)学校法人根津育英会国際交流委員会の設置と武蔵高等学校中学校およびテンプル大学ジャパンキャンパスとの連携(2008年以降)

 2008(平成20)年,「武蔵学園における各種国際交流活動を推進し,併せてそれにともなう危機発生時に学園として対処することを目的として」,学園長を委員長とする学校法人根津育英会国際交流委員会(以下,国際交流委員会と略記)が設置された。大学,高等学校中学校,それぞれが独自に国際交流を運営し実績をあげてきたが,国際交流の規模が大きくなり,テロ,感染症等の脅威も存在する以上,派遣学生に事故が発生する可能性を完全に排除することはできない。したがって危機管理体制の整備は喫緊の課題であるという認識が学園内で共有された結果であった。

 国際交流委員会での検討を踏まえ,派遣学生の安否確認を代行する危機管理支援業者と契約をしたり,事故発生時に国際センター以外の部局からの支援が可能となるようタスクフォース要員を指定したりしたうえで,大学,高等学校中学校,法人役員職員,それぞれの場合に分けて事故発生時の対応フローチャートが作成され,海外派遣者に対する出発前教育も強化された。しかし,11年3月11日の東日本大震災と深刻な原発事故を受けて学園の危機管理関連諸規程が抜本的に改定されたため,国際センター規程等,国際交流関連の諸規程もそれと連動して改定することとなった。しかし,国際交流については,大学,高等学校中学校の枠組みを超えた事務組織再編が必要となる可能性もあり,慎重な検討が現在(13年2月)も続けられている。他大学,他教育機関の場合と同様,あの未曾有の事故の発生後,受け入れ留学生の大半が母国政府または原籍校からの指示や示唆に基づき一斉に帰国したという事実は記録としてここに書きとどめておきたい。時を経て状況は正常に復したが,それは想定を超える事態であった。

 国際交流委員会では,武蔵大学と武蔵高等学校中学校の教育連携についても協議が行われた。その最初の実りが,08年3月に締結された「武蔵大学と武蔵高等学校との国際交流にかかわる高大連携事業に関する協定書」である。この協定書は,危機管理体制の共有,教育・研究両面での国際交流に関わる共同事業の実施,「留学準備講座」への武蔵高等学校生徒の受け入れ,を事業内容として掲げており,同年の4月から,留学準備講座中の「アカデミック・イングリッシュ」,「TOEFL」の2授業が時間割を調整したうえで武蔵高校生に開放されている。08年以降,武蔵大学は武蔵高等学校中学校の英語科専任教員に,留学準備講座,英語正課授業への非常勤講師としての出講を委嘱している。

 同協定による大学と高等学校中学校の共同事業の主たるものは,09年4月に調印された「武蔵大学,武蔵高等学校中学校とテンプル大学ジャパンキャンパスとの基本協定書」に基づくテンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)との連携である。フィラデルフィア(アメリカ)に主キャンパスを置くテンプル大学の日本校であるTUJは,文部科学省により「外国大学の日本校」として正式に認定されており,東京都心に立地して距離的にも近く,異なる校風ながら共にリベラル・アーツ教育を志向する大学であることから,相互補完関係を創出することが可能な大学との判断に立ち,この連携が実現した。

 調印を記念して09年10月にシンポジウム「日米リベラル・アーツ教育考~いま『教養教育』の意義を問う」を武蔵大学8号館で開催して連携の様々な可能性を探ったあと,まず実現した教育プロジェクトは,10年の夏から開催されている5日間の集中授業,English Summer Schoolである。同プログラムには「アメリカの大学授業体験プログラム」という副題が添えられており,毎年扱うテーマを変えながら,アメリカの大学教育の基礎にあるcritical thinkingの力を養う「アカデミック・イングリッシュ」の授業をTUJの外国人講師が行っている。武蔵学園の学生・生徒を対象として江古田キャンパスで夏季休暇を利用して行われる授業であり,大学生コースと高校生コースに分けられた小人数のクラスにTUJの外国人学生もアシスタントとして参加するので,プログラム終了後に行われる授業評価によれば,過去3回とも受講者の満足度はきわめて高い。これまでの参加者数は,第1回(10年)が大学生4名,高校生22名,第2回(11年)が大学生21名,高校生6名,第3回(12年)が大学生26名,高校生9名で,各年3クラスを編成して実施された。11年度より,このプログラムは大学の認定科目となり,大学生の修了者には申請により1単位が認定されるようになった。

 包括的な協定であるTUJとの「基本協定書」が掲げる連携の目的は,教育・学術上の連携,共同研究,文化交流など多岐にわたるが,10年には,武蔵大学とTUJが力をあわせ,5カ国の研究者が参加する国際シンポジウム「東アジアのグローバリゼーションと大学教育の将来」(共催:武蔵大学,独立行政法人日本学生支援機構,協力:TUJ,後援:文部科学省,外務省)が,同機構が運営する東京国際交流館プラザ平成を会場として開催され,11年10月からは,TUJ図書館と武蔵大学図書館との協定に基づき,両大学所属の学部学生,大学院生,専任教職員,非常勤講師は,紹介状無しで相互に大学図書館を利用することができるようになった。12年からは,さらに連携が進み,両校教務部間の協議に基づき「単位互換に関する覚書」が交わされ,基本協定締結時からの懸案であった「単位互換プログラム」が実現した。図書館相互利用の場合も,単位互換プログラムの場合も,より充実した学習環境や学習機会の提供という本来の意義に加えて,直接に運営を担う両校の担当部局同士の交渉を通じて協定(覚書)が成立するレベルにまで両校関係が成熟したことにも深い意義がある。学内運動競技大会,サマーキャンプ等の学内行事に互いの学生を招待するなど,両校学生部間の交流も既に始まっており,日本に立地する米国の大学であるTUJとの連携を通じて,武蔵大学は大学の国際化について多くのことを学びつつある。10年以降,武蔵大学はTUJの専任教員にEASプログラム,留学準備講座,英語正課授業への非常勤講師としての出講を委嘱しているが,今後,様々な形で教職員間の交流をさらに密にするとともに,テンプル大学本校との連携も視野に入れながら,教育交流,学生交流の拡大と深化を図り,教員,大学院生レベルでは,共同研究,共同教材開発等,学術研究および教育改善のための交流にまで関係を深化させることが望ましい。

 12年には,協定校以外の外国大学に所属する学生をEASプログラムに受け入れる「EAS(東アジア研究)インデペンデント・ステューデント履修プログラム」が始まった。同プログラムは授業数に比して所属学生が少なく,学生数の増加は,経営面でのメリットにとどまらず,1クラスあたりの人数を上積みすることによって授業運営の円滑化につながると考えられるうえ,様々な大学,様々な分野の学生を受け入れることが大学構成員の多様化にも寄与するとの判断に立っての決定である。

 この年にはまた,これまでの諸活動の点検を行い,それを踏まえた検討の結論として,翌13年度から「海外フィールド実習」(1単位),「海外調査方法論」(2単位)の2科目の新設が決定された。「海外フィールド実習」は,「国外フィールドトリップ」制度の利用率が低い(制度開始の08年以来で申請件数5件,申請者2名)ことに対応する措置で,今後ますます重要性が高まるはずの教員引率の海外調査を正規科目化することにより,教員・学生双方の参加インセンティブを高めるべきとの判断に基づくものである。また,「海外調査方法論」は,海外調査の方法論を体系的に教育する科目を新設し,その履修を学生海外研修の応募条件に加えることによって,学生海外研修をより効果的にするための方策として立案された。この科目では,海外において調査を行うために必要な基礎知識の習得および調査方法の体系的な学習,さらには調査研究の事前調査方法,立案の仕方,申請書の書き方,報告書の書き方までを学ぶことが授業内容として予定されている。武蔵大学は,「知と実践の融合」を教育の理念とし,自ら調べ自ら考える,心を開いて対話する,世界に思いをめぐらし身近な場所で実践する,を3つの教育目標として掲げているが,今回の科目新設を含め,これまでの国際センターの努力は,すべて大学全体のそのような教育方針の実践であった。今後もこの姿勢を持続し,中長期計画に基づく的確な立案と定期的な検証をくり返しながら,堅実,着実に成果を収めていくことにより,武蔵大学の学生国際交流はさらに発展していくものと考えられる。

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