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Ⅲ 武蔵大学

大学機構の展開

 草創期の武蔵大学は,経済学部単学部であり,教育,研究に関する事項は,学校教育法に基づいて教授会による運営がなされていた。大学の教学関係の事務組織としては教務部,学生部があり,教授会より選出された教務部長,学生部長のもとで運営されていた。

 1965(昭和40)年に学長・高校長・中学校長に就任した正田建次郎は,翌年から学内の機構整備をはじめた。大学に関しては,学部長のもとに,それまでの教務部,調査室が改組統合された事務部が置かれ,新たに教務委員会が設置された。69年に人文学部が増設されると,各学部の自主性を考慮し,それぞれに教務委員会と事務室を置き,教養課程に関しては,合同教務委員会で協議する方式がとられた。学生部は,経済,人文学部から学生部長または次長が選出され,学生部委員も,学生生活関係と就職関係とを分担することになった。また,複学部になってからの大学全体の問題を協議する機関として大学協議会が設けられた。なお,高校中学を含む学園全体の重要事項を審議する機関として学園協議会が66年に設置されていた。

 学園創立50周年の学園再編事業の一環として人文学部が増設され,複学部となった時期は,同時に「大学紛争」の時期でもあった。正田学長・校長の仕事は,学長としてのものが大半を占めるようになっていた。このため,原則として大学専任教員から選出する学長に大学運営を委ね,他方新しく設ける学園長が学園全体の運営を行うように体制を変更し,75年4月,正田学長・校長が初代の学園長に,鈴木武雄が初の公選学長に就任した。

 学園長,学長,校長制度のもとでは,法人事務局と大学事務局とを機構として区別することになったので,大学は職員業務を再組織して,大学運営の円滑化を図った。また97年7月には,3学部体制への移行に備えて,大学事務部門の統廃合が行われた。大学庶務部と学部事務室が廃止され,大学事務部・学長室と学務事務部が新設された。その後も,幾たびかの改編が行われ,2012(平成24)年現在の大学機構は,大学事務局のもとに,直属の学長室と企画室の他,5つの部局が置かれている。5つの部局とは,運営部(大学庶務課,入試課,研究支援課,広報室),教務部(教務課,情報・メディア教育センター事務室,国際センター事務室,外国語教育センター事務室),学生支援センター(学生生活課,大学保健室・学生相談室事務室),キャリア支援センター(キャリア支援課,キャリア戦略推進室,キャリア開発室),そして大学図書館である。こうした事務機構の改編は,大学の諸機関(各センター等)の増設や再編と並行して行われたが,それらの内容は,各学部・機関についての節に記述するとおりである。 

 学生定員に関しては,91年に臨時定員増を実施し,1学年の学生定員を経済学部480名,人文学部450名に変更した。それまで,首都圏整備法等により23区内の大学の定員増は厳しく制限されていたが,大学受験者の急増に対応するため,文部省は9年間の期間を付した臨時の定員増を承認するようになっていたからである。92年に経済学部に増設した金融学科の学生定員は,経済学部の臨時定員増分があてられた。

 その後も学部学科のあり方についての検討が続けられ,98年度に,人文学部の改組による比較文化学科の設置および人文学部社会学科を「改組転換」した社会学部の開設が行われた。このときの学生の入学定員は,経済学部480名,人文学部300名,社会学部150名である。その後,臨時定員増は99年に廃止されるが,その半数は恒常化することが認められ,残りの半数を04年までに漸次削減することとなった。恒常化が認められた増員分は,社会学部の新学科を中心に,各学科の性格や将来性を考慮して配分が決定された。こうして,04年に社会学部に定員90名のメディア社会学科が誕生した。また翌05年には,人文学部の改組が行われ,比較文化学科を発展的に継承する形で,英米比較文化学科(入学定員90名),ヨーロッパ比較文化学科(同80名),日本・東アジア比較文化学科(同90名)の3学科体制(学部入学定員260名)となった。

 08年には,〈知と実践の融合〉を教育理念とする武蔵大学として,より充実を図るため,収容定員を840人から930人にする申請を文部科学省に行い認可された。この結果,翌09年から各学部の入学定員は,経済学部400名,人文学部300名,社会学部230名となった。

 この間,第Ⅰ章でも記したように,04年の私学法改正への対応もあって,05年に学園将来構想計画が策定され,そのなかで,大学も中期的な大学のビジョン,教育・研究等の目標と方策等を定めた。この将来構想のもと,06年度から中期計画(後に第一次中期計画と呼ばれる)がスタートし,学長のリーダーシップのもと大学全体の統一的な意思決定が効率的に行えるよう組織が強化された。まず,それまで協議機関であった大学協議会が大学の最高位の審議機関として位置づけられるとともに,特命事項を担当する複数の学長補佐が置かれ,教務上でも大学としての教学の一貫性を高めることを目的として教務部長職が置かれた。また,大学協議会議題の事前調整等を行う会議体として執行部会議が設置された。05年度以後の各センターの改組や定員増もこの中期計画に沿ったものであった。

 大学運営の改革・改善を進めるにあたっては,既に1992(平成4)年につくられた「自己点検・評価検討委員会」が,95年4月に「武蔵大学の現状と課題」と題する報告書をまとめている。その後も自己点検・評価を継続し,大学基準協会の相互評価を求めることとした。基準協会による最初の審査は02年度に行われ,翌03年度に『武蔵大学自己点検・評価報告書』が公表・刊行された。第一次中期計画においても中期計画担当の学長補佐のもとに,自己点検・評価が行われ,07年に大学基準協会の実査を受けて,「大学基準に適合」していることが認証されている。また,翌08年には,「武蔵大学人材養成の目的に関する基本方針」を定め,この方針に従った全学・学部・研究科ごとのアドミッションポリシー(入学者受け入れ方針)・ディプロマポリシー(学位授与の基本方針)・カリキュラムポリシー(教育課程の編成・実施の基本方針)が策定公表された。また09年には,それまで学部別に編成されていたファカルティ・デベロプメント(FD)委員会が全学組織に再編され,授業評価アンケートの他,外部講師を招いての学習会を設けるなどの活動が始まり,12年には学生を交えたFDフォーラムも開催されている。

 第一次中期計画が終わる10年に,第二次中期計画が策定され,翌11年度から実施された。特に,11年度から始まった新カリキュラムにおいては,3学部共通の「総合科目」が設けられ,学部の専門教育だけでなく,4年間にわたって学部をこえた武蔵大生としての基本的なリテラシーや教養を学ぶ教育課程が編成された。このなかには,就職状況が厳しい社会状況にあって入学時から段階的かつ累積的にキャリアについて学ぶための科目群や,講義だけではなく少人数でゼミ的環境で学べる実践科目なども配置されている。また,専門科目においても,全学共通専門科目が設けられた他,既に07年に経済産業省の「産学連携による社会人基礎力の育成・評価事業」に採択され,09年に文科省の教育GPにも採択された「学部横断型課題解決プロジェクト」(経産省採択では「三学部横断型ゼミナール・プロジェクト」)を,より発展的,継続的に実施するために,各学部1名の助教を採用するなどの体制の整備が行われた。

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