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Ⅰ 根津育英会のあゆみ

旧制武蔵高等学校時代

旧制武蔵高等学校時代

 1931(昭和6)年,山川健次郎校長の病気による辞任にともない,開校以来教頭職にあり2代の校長を助けて学校運営の中心となってきた山本良吉が校長事務取扱になり,のち,36年第3代校長に就任した。30年代初期から40年代末までの約20年間は,旧制武蔵高校の充実期,および戦中戦後の苦難の時期にあたるが,これらは第・章にゆずり,ここでは,財団法人に直接関わる事柄と人事についてみていきたい。

根津化学研究所

 1936(昭和11)年は,創立者根津嘉一郎が喜寿を迎えることになるので,早くから,父兄会・同窓会の間で祝賀の議が起こっていた。しかし,理事長はこの祝賀行事が個人的なものとなることを好まず,学校の利益となるものであることを望み,その結果根津化学研究所が設立されることになった。祝賀に寄せられた醵金はおよそ2万8千円であったが,理事長はこれとほぼ同額を研究設備の充実と研究所の運営のために醵出した。研究所は化学教室の隣に建設され,理事長誕生日の6月14日に贈呈式が行われた。理事長は直ちにその管理を校長にゆだね,校長は教授玉蟲文一を研究所長に任命した。

旧制高等学校の終焉まで

 1940(昭和15)年1月,根津理事長が死去,元校長一木喜徳郎が後を継いだ。42年7月には,本校の創設・発展に20年余り尽力した山本校長が死去し,教頭山川 黙(24年以来本校教授)が第4代校長に就任,理事長一木喜徳郎を名誉校長として戦時中の困難な学校運営に当たった。44年末には,一木理事長・名誉校長が死去,常務理事河西豊太郎が会務を処理したが,大戦終結後の45年12月には根津嘉一郎(二代)が理事長に就任した。

 46年2月,山川黙校長が退任し,第5代校長に宮本和吉(元京城帝国大学文学部長)が迎えられた。48年,新学制により一部が新制武蔵高等学校に移行し,49年には,新たに武蔵大学,武蔵中学校が創設されて,宮本は学長・校長を兼ねた。翌50年,第22期生徒の卒業とともに,旧制武蔵高等学校の時代は終焉を迎えた。

  • 武藏のあゆみ
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