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Ⅲ 武蔵大学

創立期の理念と制度

 戦後の学制改革に対応し,旧制武蔵高等学校を母体として,1948(昭和23)年に新制武蔵高等学校,49年に新制武蔵中学校,新制武蔵大学が設立されたことは第Ⅰ章で述べた。新学制への移行に際しては,大学を設置せず,新制の中学,高校に再編成する案,大学に文理学部を設置する案,同じく経済学部経営科学科を設置する案,他に,学習院,成蹊学園,成城学園,武蔵高等学校がそれぞれの伝統,自主性を保持しつつ大学部門で協力しあう東京連合大学の構想なども検討された後,最終的に,新制の中学,高校,大学(経済学部経済学科)が設置されることになった。新制の大学長・高校長・中学校長には旧制武蔵高等学校長の宮本和吉が就任し,経済学部長には前年秋以来,学部開設の準備にあたっていた鈴木武雄が就任した。大学の教養課程の教育は旧制高校以来のスタッフが担当し,専門課程の教育は新しく学外から招くスタッフが主として担当することになった。また,校舎・設備・校地は旧制高校以来のものを新制の大学・高校・中学が共用することになった。

 49年4月23日に行われた第1回入学式において,宮本学長は,新制大学においては専門教育とともに一般教養教育が重視されており,武蔵大学は新しい伝統と校風とを築き上げていくが,旧制武蔵高校の三理想を「視野の広い世界人としての日本人,自ら調べ自ら考え,批判的精神を失わない日本人をつくり上げる」と理解すれば,新制大学の理想とも合致するとし,このモットーを大切にしたいと述べている。武蔵大学は,旧制高校共通の特質であった人格主義・教養主義の理念を教養課程の教育に生かし,専門教育課程において高度な研究に基づいた専門知識を与え,同時に研究能力を発展させることによって,旧制高校以来の「三理想」を具現するにふさわしい人物を育てることを目指した。

 その後の武蔵大学においては,教育と研究をどのように位置づけ,成果をあげるかが大きな課題となった。以下では,大学のたどった道を主として教育面について,どのように人格・教養主義的教育と専門的教育を行おうとしたか,その追究の過程を示していきたい。まず創立期の理念を具体化した制度とその継承について述べる。

少数精鋭主義

 武蔵大学の特色は,第1に「少数精鋭主義」の教育を追究してきたことである。これは,旧制武蔵高等学校の少数教育の伝統を継ぐもので,「少数精鋭主義」は武蔵大学のスローガンであった。すなわち,「比較的少数の学生に徹底した教育を施し,真の実力を養い正しい人格を培い,現実社会に正しく強く生きぬくことのできる人物を養成することを特色とする」(1951(昭和26)年度『武蔵大学入学案内』)ものである。この「少数精鋭主義」を武蔵大学のあるべき姿として考え,大規模大学とは違う大学であることに独自の特色を打ち出そうとしたのである。その後,学部学科を増設する過程で学生数は増加したが,次に述べるゼミナール,演習などにおいて現在も少人数教育の特色は失われていない。

ゼミナール・演習制と指導教授制

 「少数精鋭主義」の方針は,教育制度としては,主としてゼミナール・演習制と指導教授制に具体化されている。ゼミナール・演習制は「自ら調べ,自ら考える力ある人物」の育成にもっともふさわしい制度として位置づけられた。学生は,ゼミ・演習にそなえて調査・研究を行い,ゼミ・演習の場で発表・討論し,教員のコメントをうけ,それらを踏まえてさらに研究を続け,成果を論文・レポートにまとめなければならない。この過程で,教授と学生との学問的・人間的交流はさらに深まっていくことが期待された。

 経済学部においては当初,1~2年対象の教養ゼミナール,3~4年対象の専門ゼミナールが置かれた。その後,数度のカリキュラム改訂を経て,現在では,1年対象の教養ゼミナール(前期)とプレ専門ゼミナール(後期),2~4年対象の専門ゼミナール第1部・第2部・第3部に再編され,4年聞を通じてゼミナールが必修となっている。

 経済学部のゼミナールに相当するのが人文学部の演習である。1969(昭和44)年度の人文学部創設以来,演習制度は基礎演習・演習として開設され,経済学部と同様,カリキュラム上でつねに重要な意義を付されてきた。人文学部社会学科から,新カリキュラムのもとで98年度に独立した社会学部もまた,ゼミナールを重視していることはいうまでもない。

なお,社会学部は,2004(平成16)年度のメディア社会学科設置にともなうカリキュラム改訂において,演習を「ゼミ」と改めた。また,2011年度の全学的なカリキュラム改訂において,人文学部は旧来の「演習」の多くについて,名称を「ゼミナール」に変更している。

 「少数精鋭主義」の第2の制度的具現は指導教授制である。この制度は旧制武蔵高等学校の人格主義教育を受け継いだものとみられるが,指導教授と学生との人格的接触によって学生生活上の様々な問題について考える緊密な人間関係の場として設けられている。かつて就職にあたって学校推薦が重要であった時代には,指導教授の役割が大きかった。指導教授はゼミナール・演習の担当者と多くの場合一致しており,ゼミナール・演習制と指導教授制との関係が深まることによって,学問上も生活指導上も有効な教育の行われることが期待された。この精神は現在も継承されている。

教授と学生の相互理解

 このように,ゼミナール・演習制と指導教授制は,「少数精鋭教育」の制度的具現として,武蔵大学の学風を築き上げるための基盤となったものであり,教員と学生の緊密な関係の形成に大いに寄付した。教員と学生との緊密な関係は,草創期における大学・高中が一緒に行う運動会や記念祭(学園祭),武蔵大学讃歌の制定,『武蔵大学新聞』・『武蔵評論』の発刊,学生と教職員が一緒になって行う大学祭での演劇などにみられ,両者の交流は,教室や研究室のみならず,コンパや旅行,さらに教員の家庭においても展開された。このような人間的交流があったからこそ,卒業式後の壮行会および謝恩会における珍賞(指導教授が指導学生であった卒業生にその性格やエピソードによって奇想天外な賞品をユーモラスな賞状の朗読とともに授与する)や逆珍賞(卒業生が指導教授に対しユーモラスな賞状を朗読し,賞品を「授与」するもの)が行われたのであった。

 その後,教員と学生との関係は次第に変化してきた。珍賞,逆珍賞を出し合うことも1970(昭和45)年代後半には行われなくなった。しかし,教員と学生との教室の内外における交流,ゼミ・演習の合宿や旅行,クラブ・サークルにおける顧間とそのメンバー間の交流などは現在も維持されている。

全学特別講義・土曜講座

 全学特別講義は1953(昭和28)年度に設けられた武蔵大学独自の制度で,学生の一般的知識や教養を高め,広い視野を持った有為な人物を育成するため,社会の各方面から一流の権威者を招き,月1回,全学生に必修科目として聴講させる制度であった。62年までに46回行われた。

 土曜講座は,全学特別講義を受け継いだもので,62年度から毎月1回,土曜の午後に開催された。必修でなく学生の任意聴講とし,かつ一般市民も聴講できる公開講座とした。土曜講座の運営には,教員と学生からなる土曜講座委員会があたり,テーマや講師の候補を決めていた。この土曜講座も学外,学内の講師による充実した内容であるとして好評で,82年度をもって終えることになったが,その理念はその後のエクステンション活動に受け継がれている。

大学父兄会(大学父母の会)

 (旧制)武蔵高等学校父兄会・新制高校中学父兄会は,1949(昭和24)年度に武蔵大学父兄会(大学部会・高校中学部会)となり,武蔵大学設立の過程で大きな役割を果たした。大学設立認可に際して,父兄会による財政的支援が要件とされたことによるものである。その後も,新制の大学・高校中学に対する支援体制を継続し,56年度頃まで法人の財政および経営において寄与が大きかった。また,52年度以降,学生の求職活動にあたっては,父兄会や同窓会の協力が大きな意味を持った。

 その後父兄会は,57~59年度は武蔵学園父兄会(大学部会,高校中学部会),60年度からはそれぞれ独立して武蔵学園大学父兄会,武蔵学園高校中学父兄会となった。大学父兄会の名称は,より実態に近いものに変更することとなり,96年度に武蔵大学父母の会となった。

 現在の父母の会も,在学生の父母が自動的に会員になる制度である。東京での部会や委員長会の他に地方での父母懇談会も随時開催されている。父母の会は大学と父母との連絡をより緊密にするために,会報『WHITE PHEASANTS』を刊行し,全会員に郵送している。父母は教育に関して,指導教授と連絡を取るなどの方法でいつでも大学に相談し,意見を求めることが可能である。

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