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Ⅰ 根津育英会のあゆみ

その後の20年

70周年記念事業

 1990(平成2)年3月,学園長太田博太郎が退任し,後任に植村泰忠(元東京大学理学部長)が就任した。これに先立ち,86年,太田学園長は創立百年を期して武蔵学園の正史を刊行すべきものと定め,史料室の設置,史料の収集・整理に着手する端緒を開いた。植村新学園長はこれを受け継ぎ,91年「武蔵学園史料委員会」を設置して70周年の記念事業につき検討し,学園記念室を作ること,写真資料を中心とする70年史を刊行することを決定し,大学・高校両同窓会の賛同と協力,父兄会有志の後援のもとに募金事業が行われ,93年には『武蔵七十年史―写真でつづる学園のあゆみ―』が刊行された。引き続き,94年には『武蔵七十年のあゆみ』が刊行されて大学・高校同窓生に配布され,「武蔵学園記念室」が大講堂2階に開設された。

大学の拡充

 学問の状況が日々変化してゆくなかで,これに対応する自己革新の動きの一つとして,1992(平成4)年4月,経済学部に金融学科が増設された。日本経済における金融の重要性が増していること,金融経済学の学問的成果を適用して金融現象の総合的解明を図ることが経済学に対する社会のニーズであるとの観点から発した企てである。武蔵大学には,財政金融政策に関して優れた研究の伝統があり,金融学科はその伝統の上に築かれたものでもある。

 次いで,98年度に人文学部社会学科が社会学部として発展独立した。創設時の社会学科は,理論系・産業社会学系・社会人類学系を3本柱とし,これに応用社会学系を加えるという斬新な発想をもって出発した。武蔵大学は発足当初から,文系の大学としていかに充実を図るかについて様々な将来構想があったが,人文学部に収まりきらない社会学分野の発展に対応し,90年代半ばから社会学部案が検討され,その設置が認められたものであった。

施設の整備

 こうした大学の拡充にともなって,1992(平成4)年に金融学科のための大学5号館がつくられたのに引き続き,97年には学部各科の拡充に即応すべく,AV教育,コンピュータ教育,ゼミ・演習等のための設備を豊富に盛った施設としての大学6号館,7号館が建設された。旧制時代に父母たちの醵金でつくられた屋外プールは,60年余りの役割を終えて,7号館地下につくられた屋内温水プールと交代した。

 この他に,時期を多少前後して,旧理科棟(旧制時代の化学教室が,化学・物理・生物の研究室と化学実験室とに模様替えされていたもの)と根津化学研究所とを併せて新設された科学情報センター棟,大学同窓会の寄付でつくられ主に同窓会館として機能していた武蔵クラブの場所に新たに建てられた多目的施設,大学4号館「武蔵倶楽部」も新施設に加わった。これらはいずれも,大学が長期の目標を立てて発展を続ける途中の段階での一環計画に沿った事業である。

 大学と比べ変化の少ない高校中学においても,太田学園長の時代から小規模ながら施設更新が行われ,中学を4学級制とする計画のもとに,新棟(現西棟)建設が行われて97年に竣工した。

80周年記念事業

 70周年記念事業に始まる数々の発展計画の統括にあたった植村泰忠学園長が1998(平成10)年3月に退任し,後任に田中郁三(元東京工業大学学長)が就任した。

 新任の田中学園長のもとでも,大学施設の一環計画は進行した。99年には大学が開学50周年を迎え,また2002年には旧制武蔵高等学校創立80周年となることから,これらを記念しての事業が募金事業と併行で始められた。この事業は,大学8号館を主体に大学朝霞プラザ,高校中学図書館棟の三施設の建設である。いずれも大学,高校中学それぞれの将来の発展に備える多目的な内容が盛られているものであり,大学8号館,大学朝霞プラザは02年度中に,高校中学図書館棟も04年2月にそれぞれ竣工した。

 また,旧制武蔵高等学校創立前史のドラマ,学園関係者による対談等で構成される記念ビデオが製作され,02年10月6日には創立80周年記念式典・祝賀会が盛大に挙行された。

 80周年記念式典に先立つ02年2月15日,根津嘉一郎(二代)が88歳の生涯を終えた。体調を崩したため00年5月に理事長を退任し,理事長は田中学園長が兼ねていた。学園創立者である父初代嘉一郎の後継者として,若くして根津育英会の要職を引き継ぎ,ほぼ60年にわたり法人運営の事実上の中心として学園の維持発展に尽力した功績は大きなものがあった。

 なお,根津嘉一郎はその死の直前に武蔵学園に1億円の寄付を行っており,これを受けて,02年3月根津嘉一郎顕彰教育基金が設けられた。同基金には武蔵学園後援会の寄付,さらに学園からも数年次をかけて資金を組み入れ,05年に基金規模3億円となり現在も学園の発展に寄与している。

90周年に向かって

 2006(平成18)年3月,理事長兼学園長田中郁三が退任し,後任として根津嘉一郎(二代)の長男根津公一が理事長に,また,副理事長兼学園長に有馬朗人(元東京大学総長)が就任した。

 

《将来構想計画》

 2005(平成17)年,根津育英会の将来構想計画が策定された。この計画は,社会から教育機関への情報公開の要請が高まるなかで,武蔵学園としてのビジョンを定め,中期計画としてこれを継続的に実施していく枠組みを広く公に示すもので,具体的には期間をおおむね5年とする中期計画に,大学,高校中学,法人(学園運営)のそれぞれ実施すべき目標と方策・タイムテーブルを明記するものであった。第一次中期計画は06年度を初年度とするもので,これに続いて11年度を初年度とする第二次中期計画が策定され,現在,この計画に基づく目標が学園運営の基本方針をなしている。

 第二次中期計画の基本目標は多岐にわたるが,学園全体について見れば,①学園の質の向上(教育・研究,教員・職員,学生・生徒,教育研究施設の四つの質の向上),②財政安定化,③長期経営安定に資する施策(人材活用,新たな収入探求など),④学園としての共通の取り組み(広報,危機管理,情報発信など),⑤学園内の連携強化(大学,高校中学,法人の連携)である。

 特に⑤については,ひとつの「学園」としての様態を整えるための意識共有を狙いとして,13年度から法人の呼称を「学校法人 根津育英会武蔵学園」に改称した。

《TUJとの連携基本協定》

 2009(平成21)年,武蔵大学,武蔵高等学校中学校は米国フィラデルフィアに本校を置くテンプル大学のジャパンキャンパス(TUJ)との間で教育・学術上の連携に関する基本協定を締結した。協定の主な目的は,日本人学生・生徒が国際化時代に対応できる本格的な英語力とアカデミック・スキルを身につける教育システムを実現し,他方で外国人学生が英語および日本語で日本について深く広く学ぶ場を創出することにあった。さらに,三者の教員による共同研究,その成果を社会に還元するための学術講演会・文化的イベントなどの開催,図書館などの相互利用のほか,将来のダブルディグリー制度導入も視野に入れ,大学学部課程における単位互換制度が12年度後期から実施された。

《施設の整備》

 学園施設の整備は引き続き行われ,2007(平成19)年に高校中学のサッカーグラウンド,野球グラウンドの人工芝化が行われ,10年には朝霞校地も人工芝化工事が完了した。また,07年にはそれまでの学生会館に代わる大学10号館が竣工し,学生課外活動団体の部室,武道場などが整備されたほか,学生支援センター,大学保健室等が開設された。

 また,11年には老朽化により耐震性に問題があった武蔵学園大講堂をそれまでの面影を残してリニューアルし,併せて大講堂2階の武蔵学園記念室も展示内容を含めて全面的に改装した。これに際し,大講堂正面に向かって左に学園創立者初代根津嘉一郎翁の遺徳を偲び,翁の第1回入学式における祝辞を御影石に刻して建碑し,12年4月に除幕式を行った。さらに,1959年の建設で同じく老朽化した大学1号館を全面的に建て替え,地下1階地上4階の新1号館が12年9月に竣工した。同時に,正門を新1号館寄りに新装し,新1号館とともに千川通りに向かう新たな大学の顔となった。

100周年への展望

 武蔵学園創立90年を経て,いよいよ次の大きな節目である創立100周年も視野に入れる時となった。既述のとおり,70周年時において当時の太田学園長は創立100年を期して武蔵学園の正史を刊行すべきものと定め,1994(平成6)年に武蔵学園記念室が設置され,史料の収集・整理に着手していた。これに加え,2009(平成21)年には100周年に向けてのキャンパス整備の基本プランが策定された。その骨子は,・新しい教育・研究ニーズに対応する施設の整備・建設,・大講堂,大学3号館などの歴史的建物・遺産の保存と活用,・キャンパスの特徴である「森」を生かした緑化の推進と濯川の水辺の整備,の三つである。また,こうしたキャンパス整備の費用を捻出するため,「武蔵学園百周年記念事業推進募金委員会」が西室泰三(武蔵高等学校28期)を委員長として09年11月に発足し,現在着々と募金活動が進められている。 

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