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大学図書館
初代根津嘉一郎は,図書館について武蔵の名に恥じない内容の充実したものをつくり,ひとり内部にとどまらず広く一般の人々も,これを有効に利用できるようにしようという抱負を持っていた。しかし,設計上の問題で思わぬ時を経ている間に鉄材統制が行われ,図書館棟建設計画の実現を見るに至らぬまま他界した。その後,学園の発展とともに図書館は,蔵書の収集や利用の面でも,施設面でも大きく拡充され,図書管理の方式なども変化してきた。以下,これを蔵書とその利用,施設,図書管理の順で見ていく。
まず蔵書の拡充について見ると,旧制武蔵高等学校設立の当初から図書を充実させる方針が採られた。「東西文化融合」の理想に応じて,宋版や古活字版を含む漢籍類やその他各種の書籍が洋の東西を問わず集められた。蔵書数は,学校設立間もない1926(大正末)年でも2万8千冊,新制武蔵高等学校が設立された1948(昭和23)年には約5万冊を数えた。49年,武蔵大学経済学部が発足したが,経済学関係の図書は少なかったため,その充実が図られた。新たな学部や学科の設置にともなう関連図書の拡充がなされたこともあって,その後も蔵書数は増加し,経営学科設置申請時(58年)には6万7千冊,人文学部設置申請時(68年)には9万6千冊,金融学科設置申請時(91年)には44万冊,社会学部設置申請時(97年)には55万冊となり,2000(平成12)年には60万冊,10年には72万冊に達している。
蔵書のうちには,平井卓郎名誉教授より寄贈を受けた『六家集』やラフカディオ・ハーンの自筆原稿等の貴重資料も含まれている。また文献コレクションとしては,金融学科開設にともなって購入した書籍・資料を中心とするイギリス通貨・銀行史コレクション,バルザック研究者の水野亮氏の旧蔵書で研究に不可欠な書籍を集めたバルザック(水野)文庫,19世紀イギリスの芸術運動を担ったラファエル前派に関するコレクション等がある。
蔵書が増加する一方でその利用も拡大していった。貸出冊数によってこれをみると,1990年度は2万1千冊,2000年度は4万7千冊,2010年度は6万5千冊と着実に増えている。近年の増加が特に顕著であるが,これは,後に述べる電算化によって図書検索の便宜等が向上したことによるところが大であると考えられる。
図書利用に関しては,学外への図書館開放も進められ,代表的なものは学習院,成蹊,成城,武蔵の各大学間で1998年から始められた四大学相互利用である。この相互利用協定は,2002年度から個人貸出の制度が成立し,それぞれの図書館の利用登録を行えば,館外貸出を受けられるようになった。武蔵大学が他の三大学から受け入れている利用者の貸出冊数は,毎年一定程度あり,他の三大学でもそれぞれある程度の利用がある。また,テンプル大学ジャパンキャンパスとは,学園が基本協定を締結したことから,図書館でも相互利用協定を締結して11年10月から相互利用が開始された。
また,社会貢献の一環として,05年度から練馬区立図書館と利用協定を締結し,練馬区民が武蔵大学図書館を利用できるようになった。練馬区立図書館に登録している利用者は,条件(18歳以上。有料等)はあるが館外貸出を含めた図書館利用ができる。その後利用対象者の範囲を広げ,練馬区立図書館に登録していれば近隣の中野区民等でも利用できるようになった。その結果,利用登録者は年々増加し,08年度以降11年度までは年間150名を超えている。
この他に,11年度から地域住民が参加できる講演会を,蔵書やコレクションをテーマにして企画・実施している。講演会を通じて,蔵書やコレクションだけではなく,武蔵大学の活動全般への理解を深めてもらうことを目的としている。今後も定期的に開催していく予定である。
次に施設の拡充について見てみよう。前述のような事情があって,旧制高等学校時代の図書館は校舎内の一部を利用する小規模なものであった。大学が発足して3年目の1951(昭和26)年に旧制高校の尋常科寮の焼け跡敷地の一角に閲覧室と書庫が新築され,次いで63年には現在8号館がある場所に新たな図書館が建設された。しかし,蔵書数の増大により収容能力を完全に超えるに至ったため,81年に大学の施設拡充計画にそって現在の3号館中庭と濯川の間に現在の図書館が新築された。この図書館棟は当初はゆとりをもたせた設計と考えられていたが,蔵書数が60万冊に近くなって収容能力を超え始めた。そのため,一部の資料を外部倉庫に預ける等の対策を採っていたが,2002年7月に新しく8号館が建設された際に,その地下に「洋書プラザ」を設置した。洋書プラザは03年4月にオープンし,それに合わせて図書館棟のリフォームを行い,経済資料室が雑誌閲覧室となった。
なお,後述のように学園80周年記念事業の一つとして高中の図書館棟の建設が始まり,04年4月から収容可能蔵書数8万冊の高中図書館の利用が開始された
図書管理の仕組みや図書館組織のあり方にも様々な変化があったが,ここでは図書管理の統一化と電算化について見ていく。現在の図書館棟が建設される以前から,すべての図書類が図書館によって直接管理されていたわけではなかった。経済学部単学部時代から分室として資料室があった。そして人文学部が創設されると,同学部の2学科と学科3専攻の研究室に関係図書が備え付けられ,続いて資料室も経済学部経済資料室となった。書庫不足や学習・研究機能上の理由などからこうした措置がとられていたのだが,人文学部の研究室図書は整理・請求番号が図書館で使用しているNDC(日本図書十進分類法)と異なるなど,管理上の問題もあった。1981年に現在の図書館棟が建設されると,経済資料室や人文学部の五つの研究室に分散していた図書類はここに納められることになったが,従来の体制は形を変えて一部残った。
しかし,こうした分散的な体制はその後次第に解消されていった。まず1980年代には人文学部の購入図書がNDC化され,整理番号が統一された。また,図書館棟ができた当初,1階は図書館,2階の経済資料室は経済学部,3階の人文学部総合研究室は人文学部がそれぞれ所管し,職員の所属も分かれていたが,86年に図書館,経済資料室,人文学部総合研究室を合わせて研究情報センターと称するようになった。そして91年には予算・職員に関して1~3階を統一できるように図書館・研究情報センターが設置され,94年にこれが図書館研究情報センターと改められた。さらに,2003年4月からは図書の配架に関しても統一された。すなわち,洋書・洋雑誌は分野を問わず新たに開設された「洋書プラザ」に配置する一方,図書館棟は全体がNDCによる配架に統一されたのである。
なお,「図書館研究情報センター」という名称は06年度に大学の機構改革にともない「大学図書館」に変更され,現在に至っている。
業務の電算処理について見ると,94年に導入するシステムが決定されてその構築が始まり,97年度末までに全システムが稼働することとなった。電算処理システムは,蔵書管理,発注・受入・整理,予算管理などのシステムによって図書館の事務処理の迅速化・合理化を実現しただけでなく,図書館利用者サービスも向上させた。
また,インターネットの利用が急速に進んだため,オンラインによるデータベース,電子ジャーナルの契約もここ10年で増えている。これらのデータには学内だけではなく学外からアクセスすることも可能になり,研究支援体制も充実してきた。その他,資料の蔵書データの入力を自館での入力だけではなく大幅な外注も行ったうえで計画的に進めた結果,視聴覚資料を含めてシステムでの蔵書検索が可能になった。2007年度からは携帯電話での蔵書検索もできるようになっている。また,11年度の図書館システムリプレイスにあたっては,これまで図書館事務室が独自でシステム業務にあたってきた方式を変え,総務部情報システム課および情報・メディア教育センターと連携した。図書館事務室は図書館システムのソフトウェアの管理・メンテナンスを行い,ハードウェアの調達・管理・メンテナンス等については情報システム部門で対応することにより,図書館職員が,コア業務に専念できる体制を取れるようになった。
様々な情報がデジタル化される時代になってきたが,所蔵資料のデジタル化や電子書籍の導入には至っていない。
《高中図書館の建設》
新制武蔵高等学校中学校に独自の図書館が長く存在しなかったのは,学園の中央図書館が旧制高校開学以来,高校中学の図書館であり,戦後,大学図書館の名前となったが,何ら内容に変わりはないという認識で来たからである。したがって,様々な経緯により高中図書館建設が決定したが,その時高中側が強く希望したのは,あくまでも大学図書館は学園の中央図書館であり,高中図書館はその分館という位置づけである,という考え方を基本に置いて欲しいということであった。
この要望を受けて高中,大学の話し合いが行われ,2002(平成14)年3月15日「武蔵大学図書館研究情報センター高中分館(仮称)」建設についての覚書が,武蔵大学図書館研究情報センター長と,武蔵高等学校中学校図書館情報センター委員との間で取りかわされた。
この覚書のなかで高中教職員,生徒は従来通り図書館研究情報センター(大学図書館)を利用する権利を有する,と明記された。さらに,高中図書館職員として大学図書館から専任職員を1名配置することも明記された。
高中図書館の建設場所は集会所を取り壊した跡地に決定した。そこに1階を集会所と200人規模の大教室,2階に国語科と分割教室,3,4階に図書館という構想で設計が開始された。図書館の広さは当初10万冊収蔵可能な規模という予定でいたが,設計の最終段階で8万冊程度の規模に縮小された。このため,図書館内に20人程度の教室を設置し,図書を利用しながら授業を行うという構想も実現には至らなかった。
建設資金不足によるやむを得ない判断であったかもしれないが,開館時に6万冊近い蔵書数の図書館として収蔵規模に問題があったと言わざるを得ない。
新図書館開館にあたり,高中各科の研究室にある図書はできるだけ新図書館に収蔵することが決定された。各科研究室の図書は旧制高校以来の旧分類図書,戦後のNDC分類図書,さらに90年代大学図書館電算化によって高中にだけ導入された丸善発注システムによるバーコードが装備された図書,以上の3種類が混在していた。新図書館への移行にあたり03年4月高中図書館ワーキンググループが発足し,新図書館の分類は丸善システムで統一することが決定した。そこで,旧分類,NDC分類図書にバーコードを装備し,遡及入力することが必要になった。さらに大学図書館にも高中予算購入図書が2万数千冊あり,これにも同様の処理をして高中図書館に移管することとなった。以上の作業が03年秋に行われた。04年2月図書館棟竣工後,各科の研究室,大学図書館より図書の搬入,ラベル等の装備,蔵書点検が行われ4月開館となった。わずか1年で各研究室の複数の分類の図書を蔵書点検しながら新システムに統一して装備遡及入力するというのは他の図書館にもあまり例がないようである。スムーズに高中図書館が開館できたのは,ワーキンググループ構成員である大学図書館事務職員の尽力によるものである。
高中図書館開館後の様子については,05年7月発行の「大欅」(学校と家庭の連絡のための冊子)に山本誠司図書館長(当時)の「高中図書館この一年」 という文章があり,すでにそこに「・・この一年高中図書館は順調に運営され,利用されてきた。現在課題があるとすれば,実はフロアの狭さである。開館一年でいきなりこれは情けない話ではあるが,現在の蔵書数は6万2千冊余で,書架の空きを考えるとあと1~2年で満杯になりそうである。・・」という一節がある。
開館後9年が経過したが高中図書館の現状は開館後1年に書かれたこの文章の内容と変わりはない。2012年現在蔵書数は約8万冊に達しており,増加する図書の配架場所をどうするかという問題が現実のものとなっている。