根津嘉一郎(二代目)
根津嘉一郎(二代目)
初代根津嘉一郎の長男として1913年に誕生、当時の名前は根津藤太郎であった。
1926年の第1回尋常科修了式には当時小学生生だった根津藤太郎の姿が見える。
1926年修了式での根津藤太郎
翌1927年4月、第5回生として武蔵高等学校尋常科に入学する。在学中は剣道部に所属した。
1931年7月、成績最優秀であったことから第5回外遊生に選ばれ、米国カリフォルニアに派遣される。
1933年3月、第5期生として武蔵高等学校を卒業、以後東京帝国大学経済学部に進み、帝大卒業後は実業家として東武鉄道社長などを務める。
初代根津嘉一郎の没後、1940年に根津育英会理事長となり、以後3回にわたって理事長を務める。
1972年に藍綬褒章を受章、1984年には鉄道事業功労者として勲一等瑞宝章を授けられる。
1987年の国外研修制度発足に当たっては、自らも旧制外遊生であったことから積極的に支援し、制度は「根津・平田プロジェクト」と名付けられた。
2002年に逝去。
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