鵜原寮
鵜原寮
1928年に建設された武蔵学園の海浜学校施設。
当初海浜学校は千葉県岩井海岸で行われていたが、父兄の発起により地所の選定・購入が行われ、水泳に適し過度に煩瑣でない千葉県鵜原に鵜原寮が建築された。
鵜原の海岸から国道128号をくぐるトンネルを抜けた奥にあり、西寮・東寮・南寮・余志寮の4棟の建物から成っていた。
トンネル内から見た鵜原寮
鵜原寮の奥の土地は資金不足のため購入できなかったが、ここが他人の手に渡ることを危惧した山川黙教授は自らこの土地を購入して別荘を建て、学校に寄贈した。山本良吉校長はたいへん喜んでこれを賓寮とし、名を「笑而軒」とした。
鵜原寮賓寮
海浜学校や水泳部の合宿などに利用され、また父兄など関係者の宿泊も受け入れていた。
戦後は鵜原町大火(1945年12月)の被災者収容に協力して鵜原寮の一部を貸与した。
鵜原寮全景
被災者の退去問題が解決した後に改修が行われ、1954年より鵜原寮での海浜学校は再開した。
鵜原寮の老朽化が目立ってきた1988年6月に大規模改築工事が行われたが、この際には学校山林の間伐材が利用された。
1988年鵜原寮
2015年、鵜原寮近辺は土砂災害危険区域に指定されたために寮は閉鎖される。
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