錬心舘
錬心舘
錬心舘は旧制武蔵高等学校の剣道場であり、現在の大学7号館付近に建てられていた。
1927年に完成、6月18日に開場式が行われ、前東京市長の西久保弘道氏が参列し、剣道についての講話を行った。
当時は剣道が正課としてカリキュラムに組み込まれており、創立当初から剣道を専門に担当する講師が在職していた。
錬心舘での剣道
錬心舘落成以前から活動していた同好会は1928年に剣道部に発展、1940年インターハイでは富山、浪速、八高を撃破し、決勝戦で七高を破って優勝を果たした。
1945年4月13日から14日にかけての夜間、アメリカ軍の空襲により焼夷弾を被弾、錬心舘は全焼した。
錬心舘の完成から50年目となる1972年、錬心舘を偲んで「錬心舘跡」の石碑が建碑される。
当初石碑は跡地である大学7号館から11号館付近にあったが、11号館建設工事に伴い現在の場所に移設された。