青山寮
青山寮
1937年に完成した夏期学校施設で、武蔵高等学校の山上学校などに利用された。
当時の在校生父兄より邸宅の寄贈を受け、これを軽井沢の根津理事長所有地に移転、理事長の雅号に因んで「青山寮」と名付けた。
場所は軽井沢矢ケ崎、信越本線軽井沢駅からもさほど遠くなく、広さは約一万坪であった。
青山寮近くの信越本線
戦争中は尋常科生徒の集団疎開先として利用される。
戦後も引続き山上学校に利用されるほか、校友会活動や武蔵大学のゼミ合宿などに利用された。
青山寮での大学ゼミ
寮の老朽化のため1980年に青山寮は閉鎖される。
これに代わる施設として、根津嘉一郎(二代目)理事長の寄附により赤城山頂に青山の名を継ぐ「赤城青山寮」が完成し、現在に至る。