江古田校地の変遷
江古田校地の変遷
学校創立に先立って根津育英会が取得した東京府北豊島郡中新井村の土地21,270坪が現在の江古田校地となる。
1921年校地買収前
土地の大部分は畑(図中黄色)、のちに濯川と命名される小川に沿って水田(緑)、一部が山林(薄緑)・人家(紫)・墓地(赤)となっていた。
1922年学校創立直後
1922年の学校創立時に完成していたのは校地東側の仮校舎(慎独寮)のみで、校舎本館(現3号館)の北翼が建築中であった。
1925年校舎完成時
1925年、校舎本館の東西両翼が完成、また濯川南岸のグラウンドが整備され、校舎本館南側に木工金工室が完成する。さらに校地西端に外国人教師住宅が完成する。
1928年
1927年に高等科の寮である愛日寮・双桂寮が校地西側に、剣道場「錬心舘」が慎独寮の南となりに完成。また生徒集会場が高等科寮の北側に建設される。さらに化学教室棟が校舎の南側に建設される。
1928年には大講堂が千川通り沿いに、体育館が高等科寮と生徒集会場の間に建設される。
旧体育館
1932年
1931年には校地東端にプールが建設される。
1932年には校舎本館と大講堂の間に購買部棟が建設される。
1932年
1936年には根津理事長喜寿を記念した根津化学研究所が、化学教室棟に隣接して建設される。
1941年
環状七号線計画のため、校地の一部が交換された。北西部分を譲渡した代償に南西部分・東部に隣接した土地を取得。ただし外国人教師住宅は飛び地となった。
1945年
戦災により慎独寮・木工金工室・錬心舘が焼失した。
1953年
1951年に図書館が完成、1953年には後に2号館と呼ばれることになる「大学新棟」が完成する。
1959年
1959年に1号館が完成、これに伴い大学新棟を「2号館」、旧制時代からの校舎本館を「3号館」と呼称した。
1963年
1969年
1969年、高校中学は濯川の南側に専用の校舎を建築し移転、それまで大学と共用していた3号館は大学専用となる。高中校舎は教室棟・事務棟・理科棟と、近くの集会所からなる。これにともなって古くからの高等科寮・旧体育館・旧集会所は取り壊された。
1970年
1970年、校地西端の環状七号線に沿って、大学体育館・高中体育館・プールが完成する。3号館西隣に学生会館棟が完成する。また環状七号線をはさんだ飛び地にあった大学寮(旧外国人教師住宅)敷地は売却された。
1982年
1980年、校地東端に中講堂棟が建設される。この場所にあった学生ホール(1963年完成)は撤去される。
1982年に教授研究棟および図書館棟が完成する。
1988年
1988年、化学教室棟を撤去し科学情報センター建設、講堂南側に「パスタ倶楽部二番館」建設
1997年
1992年、金融学科の開設に伴い5号館完成。1995年にはプール(1931年完成)取り壊し。
1996年、校地東北隅に4号館完成。
4号館
1997年、高中校舎西棟完成。6号館、7号館完成。
2004年
2002年、旧2号館と研究棟が取り壊され、8号館が建築される。
2004年、高中図書館棟竣工。この場所にあった集会所は取り壊された。
2012年
2007年、学生会館棟とパスタ倶楽部二番館は取り壊され、10号館が完成する。
2012年、旧1号館を建て替える形で新1号館完成。これに伴い4号館は撤去された。
2021年
2017年、高中校舎理科・特別教室棟が竣工。これに伴い事務棟・理科棟は取り壊された。
2021年、国際教養学部開設に伴い11号館が竣工。