平田東助
平田東助
山形県出身の政治家。
嘉永2年3月3日(1849年3月26日)に米沢藩の医官・伊東昇廸の次男として出生。安政3年平田家の養子となる。
大学南校(現東京大学)に入学、ヨーロッパ使節団の一員として随行し、ベルリン大学、ハイデルベルク大学、ライプツィヒ大学で学び、博士号を受ける。
帰国後は官僚、政治家として内閣法制局長官、農商務大臣、内務大臣、内大臣を歴任する。
1917年には臨時教育会議総裁に就任して学制改革に取り組み、この会議で七年制高等学校制度が制定される。
本間則忠の紹介により武蔵高等学校設立に参画し、一木喜徳郎、山川健次郎、岡田良平、北條時敬を根津嘉一郎に紹介する。
根津育英会創立時より評議員・顧問として学校の運営に参与する。
1925年4月14日逝去
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