山川健次郎
山川健次郎
福島県出身の物理学者、武蔵高等学校第2代校長。
安政元年甲寅7月17日(1854年9月9日)、会津藩士の家に生まれる。
幕末には白虎隊の一員として政府軍と戦う。のちに国費留学生としてアメリカ・イェール大学に留学して物理学を修める。
帰国後の1876年、東京開成学校(現東京大学)教授補に就任、1888年には東京大学初の理学博士号を授与される。
1901年東京帝国大学総長、1907年明治専門学校総裁、1911年九州帝国大学総長、1913年東京帝国大学総長、1914年京都帝国大学総長。
平田東助の推挙により、1919年より武蔵高等学校の設立計画に関わる。
1921年9月28日根津育英会創立とともに評議員・顧問に就任。
1926年4月7日、一木喜徳郎初代校長の退任を受けて第2代校長に就任する。
なお、このとき一木校長が後任校長に求められる資質として挙げたのが、「国家社会に認められる人物であること・官立高等学校校長を凌駕する人物であること・教員を円満に統括できる徳性を有する人物であること」の3点だったが、これらすべてを満す人物が山川健次郎であった。
一木校長と山川次期校長
1931年3月10日、高齢のため校長を辞任、山本良吉教頭が校長事務取扱に就任する。
1931年6月26日逝去。
白虎隊の墳墓改修のために多額の寄附をした根津嘉一郎理事長に恩義を感じていたといわれる。
なお「カレーライスを初めて食べた日本人」として挙げられるのは、1929年に生徒を対象とした講演会でアメリカへの船中でカレーライスを食べた旨を話したのがもととされる。
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