山本良吉
山本良吉
1871年10月10日生まれ、石川県金沢市出身の哲学者・教育者。
1895年選科生として帝国大学文科大学哲学科を修了、京都、静岡で教員を務める。
以後京都帝国大学学生監、第三高等学校教授、学習院教授を歴任。
1920年4月宮内省令により休職、欧米の学生生活状況調査を嘱託され、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツなどの諸国を約1年半かけて視察する。
視察旅行から帰国して間もない1922年1月1日、武蔵高等学校初代教頭に就任する。
修身の授業
多忙な一木校長に代わって学務を果たすかたわら、みずからも「修身」の授業を担当し生徒に接する。
1931年3月10日、山川健次郎校長の退任に伴い校長事務取扱に就任、のち1936年2月25日に第3代校長に就任する。
1940年の「皇紀2600年」に当っては政府から記念式典の開催が要請されたが、山本校長は植林事業をもってこれに充てた。
この時植樹した山は現在なお武蔵学園の学校山林として管理され、武蔵中学校の学校山林遠足をはじめ、学園の各種行事で親しまれている。
1942年7月12日狭心症のため逝去、後任校長には山川黙教頭が就任する。
著名な哲学者である鈴木大拙・西田幾多郎とは同窓の親友であり、講堂で行われた追悼式典では鈴木大拙が思い出を語った。
高等学校創立から20年にわたって教頭・校長の任にあたり、学校の基礎を築いた人物として肯定的に語られる一方で、「ワンマン」「民族主義・国家主義的」と批判されることもある。
to-top