愛日寮・双桂寮
愛日寮・双桂寮
高等科生徒のために建設された寮。江古田校地の西端に位置していた。
当時の山本良吉教頭は、高等科に進学した生徒が寮生活を行うことは既存高等学校の亜流に陥ると危惧し、高等科寮には消極的であった。
しかし高等科でも寮生活を望む生徒の熱意が教頭を動かして1927年に二寮が完成、「愛日寮」「双桂寮」と命名された。
寮と寮生
愛日は、曹子立事篇の「君子日を愛(おしみ)以て学び、時に及びて以て行う」より取ったもの。
双桂は、法学の一木喜徳郎初代校長および理学の山川健次郎第二代校長を2本の桂樹と見立てたこと、また北宋の枢密使銭文僖が双桂楼を起こして多くの学者を育成したことに因る。
どちらも8室16名収容で、2棟の間に共通の食堂が作られた。
寮での食事風景
1945年空襲時には焼夷弾による火災が延焼するが、寮生の消火活動により焼失を免れる。
戦後は高校生のための寮として運営されるが、1969年の高中校舎建設に伴い取り壊された。
跡地には高中プールおよびテニスコートが位置している。