武蔵高等学校の理科教育
武蔵高等学校の理科教育
武蔵高等学校において、創立時より理科教育を担当したのは和田八重造講師である。
和田講師は、理科教育の導入部では生物・物理・化学などを細分化して教えるのではなく、相互に関連付けて総合的に教えるべきだという考えであった。
そのために身近な動植物や鉱物の観察・気象観測はもとより、農園作業・凧あげ・模型飛行機の制作も実物教育として行われた。
生物実験室での観察
凧あげ
農園作業
理科担当として順次加わった玉蟲文一、藤村信次、山川黙ら教授陣も和田講師の考え方に共感し、実験・観察を重視した、分野横断的な授業が行われた。
玉蟲文一教授、鈴木桃太郎教授は物理と化学を合理的に統合した「理化」を学科目として採用し、担当した。
藤村信次教授の物理学実験
玉蟲文一教授の化学実験
理科教育のための設備として校舎本館に生物・物理教室が設けられ、1927年に別棟の化学教室棟が竣工する。
実験器具も充実しており、当時非常に高価だった顕微鏡が数十台導入されたほか、開発されてまだ日の浅いエックス線装置も導入された。
顕微鏡をもちいた観察
武蔵高等学校での教育は、教科書を暗記させることが主流だった当時の理科教育界では特異な教育方針だったが、次第にその有効性が知られるようになり、1931年には中等教育担当教員を集めた「理科教育講習会」が武蔵高等学校内で開催されることになる。
理科教育講習会