根津嘉一郎
根津嘉一郎
武蔵学園の創立者である根津嘉一郎は、万延元年6月15日(1860年8月1日)現在の山梨県山梨市に生まれる。
実業家として銀行、金融、鉄道、石油など様々な業界に関わり、東武鉄道、富国生命保険、日清製粉など多数の企業を経営する。
政治家としては1904年には衆議院議員に初当選、1926年には貴族院議員に勅選される。
1909年渡米実業団に加わってアメリカ合衆国の実情を視察し、実業家の社会奉仕活動に感銘を受ける。自らも「社会から得た利益は社会に還元する」という考えのもと、多くの社会貢献活動を手掛ける。
さらに「国家の繁栄は育英の道に淵源する」との信念から、巨額の財産を寄附して財団法人根津育英会を設立し、武蔵高等学校を創立する。
卒業式に際しては「私が設立に関係のある本校を長く思われる記念」として生徒代表に時計を贈り、これは現在でも「根津賞」として武蔵高等学校・武蔵大学で受け継がれている。
記念品を授与する根津理事長
武蔵高等学校創立の他にも、山梨県の学校への土地の寄附をはじめ、ピアノ、理化学機器、標本、顕微鏡、ミシンなど様々な寄附を行った。
1940年1月4日逝去。
美術愛好家として多くの美術品を収集しており、武蔵高等学校の記念祭の際に貸出展示を行ったこともある。
記念祭で展示された「誰が袖屏風」
根津理事長の没後、その遺志により「根津美術館」が設立され、国宝・重要文化財多数を含むコレクションは一般に公開されることになる。
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