濯川と自然観察
濯川と自然観察
武蔵学園を東西に流れる濯川は千川上水の分水であり、当時は農業用水として利用されていた無名の小川であったが、山本良吉初代教頭により「濯川」と命名された。
周辺は動植物が豊富であったため、博物を担当した和田八重造講師はこの場所を中心とした地域の自然観察を企図し、当時の生徒たちとともに現地調査を行った。
半径4km内の植物を調査した目録は "Florula Musashinoensis" として1926年に出版された。
また、おなじく半径2.5哩内の動物を調査した写真つきの目録は "Fauna Musashinensis" として1929年に出版された。
Florula Musashinoensis
Fauna Musashinensis
上記二つとも出版費用を根津嘉一郎理事長が援助している。
写真は調査を担当した教員と生徒たち。中央前列に和田八重造講師、その背後に山川黙教授、右の和服姿が柳田友輔講師。写真に写る生徒には後に生物学者となる高宮篤(1期、前列右から二人目)や桑原萬寿太郎(2期)らがいる。