和田八重造
和田八重造
武蔵高等学校創立時より理科教育を担当した博物学者。1870年誕生、奈良県出身。
神奈川師範学校、第一高等学校などで教員を務めた後に米国オーベリン大学・コロンビア大学・シカゴ大学に留学する。
かねてから理想とする理科教育実現の場を求めて居たが、一木・山川両先生からの「お前のやりたいようにやれ」の言葉に喜び、1922年の武蔵高等学校創立時に博物・自然科学担当の講師として着任する。
理科教育の導入部では生物・物理・化学などと細分化せずに総合的な教育を行った。
また身近な動植物や天体の観測を導入し、生徒の科学的興味を喚起した。
江古田校地の南西隅には生徒に小区画を割当て、種々の作物を育てさせて観察、実験、記録などを行わせた。
1928年の山上学校
また開校初年から夏期学校の有用性を進言し、1922年から続く山上学校では自ら自然観察の指導を行った。
1950年の山上学校
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