外人住宅
外人住宅
武蔵高等学校では1922年の創立当初から外国語担当の外国人教師が在職していたが、そのための宿舎として1925年に建築された。
江古田校地の西端に位置し、1941年の環状七号線計画による校地交換の際に飛び地となった。現在の高中体育館から環状七号線を隔てた反対側にあたる。
この住宅に住んだ先生は、ケイト・バグリー専任講師(1923-1930)、ジョージ・ケイジャー専任講師夫妻(1930-1939)、ハロルド・ウェイクフィールド講師(1940-1941)である。
ケイト・バグリー専任講師
ジョージ・ケイジャー専任講師夫妻
ハロルド・ウェイクフィールド講師
戦後しばらくの間は教員宿舎として用いられた。
武蔵大学の開学後、この建物は「武蔵大学第一学寮」として利用される。
第一学寮の学生居室
1968年に朝霞キャンパスが整備されると寮は朝霞に移転して老朽化した第一学寮は取り壊され、1970年に敷地は売却される。
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