旧制校友会
旧制文化部
1924年に校友会が組織され、文芸部・科学部・運動部が設置された。
文芸部は文章や創作の発表を行い、校友会誌を発行する。第1号は1925年7月に刊行された。
科学部は自然科学全てを対象とし、生物採集・気象天体観測・実験・理化学研究所見学・気象台見学など理学関係の活動、工場見学・軍艦及び工廠見学などの工学関係の活動を行った。
現在では武蔵高等学校中学校の物理部・化学部・生物部などがこの後継となっている。
1925年「武蔵フィルハーモニック協会」が数人で結成され、1927年に文芸部音楽部門となる。
1927年音楽部門
1926年、観測員の募集を行って気象観測を開始、科学部気象観測所となり、現在の気象部に至る。
気象観測
1927年3月に図書部が設置される。図書の収集・貸出・貴重書籍の展示会を担当した。
図書部
1927年11月に文化学部が設置される。人類学や歴史方面の研究を主として人文科学のすべての分野を対象とし、講演会や寺社見学、見学旅行、貝塚発掘などのフィールドワークも行った。
現在では武蔵高等学校中学校の民族文化部となっている。
民族文化部
またこの年、文芸部を編成し雑誌・趣味・弁論・形象・音楽の5部門とした。
雑誌部門は校友会誌の発行を担当し、会員の文章、研究、創作の発表を担当した。
弁論部門は弁論大会・弁論練習会を担当した。
趣味部門は短歌・俳句・漢詩・漢作文などを担当し、俳句会などを主催した。
音楽部門はコーラス・室内楽・オーケストラを組織し、演奏会やレコードコンサートを主催した。
形象部門は絵画・彫刻・写真など「形ある美術」を対象とし、展覧会・写生会などを主催した。
形象部門
1930年、文芸部の雑誌部門が独立し、雑誌部となる。
同じく1930年7月科学部が太陽観測を開始、現在の太陽観測部に至る。
1930年太陽観測
1933年に乗馬会が発足する。配属将校の指導により陸軍あるいは他校の施設を借りて練習を行った。
1940年、科学部気象観測所は中央気象台管内観測所と認定され、全国の気象観測網に組み込まれた。
1940年、文化学部は千川上水の研究に着手する。その成果は「千川上水調査アルバム」にまとられた。練馬区文化財に認定され、現在は武蔵学園記念室で展示されている。
正門前での千川調査
1941年1月、校友会は「報国団」と改められる。以後は戦争に関連した様々な制約から校友会活動は困難となる。
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