一木喜徳郎初代校長と山本良吉初代教頭
一木校長と山本教頭
校舎入口に立つ一木喜徳郎初代校長(左)と山本良吉初代教頭(右)。
一木喜徳郎(1867-1944)は、帝国大学法科大学教授・法制局長官・文部大臣・内務大臣を経て、枢密顧問官在任中の1921年12月15日、武蔵高等学校初代校長に就任する。
一木校長は自らの経験から、世界と対等に議論を交せる人材の必要性を痛感し、「世界に雄飛する」を理想の一つとして掲げる。
1925年宮内大臣に就任したため1926年に校長を辞し、後継校長として山川健次郎が就任した。
一木校長と山川次期校長
一木校長は天皇の相談役として多忙であったことから、教頭として学校の実務を担当したのが山本良吉である。
東洋哲学を修めた哲学者で、京都帝国大学・第三高等学校・学習院で教鞭をとったのち、第一次大戦直後の欧州へ1年間の視察旅行に赴き、帰国直後に武蔵高等学校初代教頭に就任する。
一木校長、山本教頭の両名の協議によって学校の教育方針の根幹をなす「三理想」が制定され、現在に至るまでその思想は受け継がれている。