正田建次郎像と八角井戸
正田建次郎像と八角井戸
学園の発展に大きく寄与した第3代武蔵大学長・第7代武蔵高等学校長・初代学園長、正田建次郎のレリーフ像。
正田建次郎学長は武蔵大学人文学部を創設し、江古田校地を再整備し、濯川を境とした大学と高校中学の棲み分けを実現した。
像の建立当時大学10号館はまだ建てられておらず、大学3号館から濯川までの一帯は「西庭」と呼ばれ、学生・生徒の憩いの場となっていた。
濯川を背に立つ正田建次郎像は、その西庭を見渡す位置にあった。
西庭と正田建次郎像
当時の濯川は千川上水から流れ込む水量も減って水質も悪化し、周辺の環境も往時に比して悪化していた。
1980年代に入り、濯川とその周辺の大規模な改修が行われる。
濯川は暗渠となった千川上水とは切りはなされ、下流に達した水をポンプで浄化・循環し、井戸からの湧水とあわせて上流から湧出させる。
正田建次郎像の後ろに木材を八角形に組んだ「八角井戸」が設置され、ここが濯川の新たな起点となる。
八角井戸の内側には濯川の名の由来となった屈原の「漁夫の辞」が墨書されている。
八角井戸
現在でも水面上からその形を見ることが出来る。
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