慎独寮
慎独寮
旧制武蔵高等学校尋常科生徒のために建築された「慎独寮」。
1922年4月17日の第一回入学式までに完成していた唯一の建物で、当初は仮校舎として利用された。
「慎独寮」と命名したのは山川健次郎第2代校長で、「礼記」大学の「君子は必ず其の独りを慎むなり」から採ったもの。
木造二階建で、一階には食堂・賄場・舎監室・仮道場と12の学習室があり、2階には12の寝室があった。
慎独寮の内部
1945年4月13日の空襲により、最北端の二部屋を除いて焼失した。
空襲時に被弾した焼夷弾の残骸は、当時寮生だった小林賢齋(高校21期、武蔵大学名誉教授)氏によって保管され、現在は武蔵学園記念室で展示されている。
慎独寮跡地はその後は武蔵大学用地として利用される。1950年代には旧1号館、旧2号館、旧研究棟、旧図書館棟などが建てられ、現在は1号館、8号館、5号館、教授研究棟が建てられている。
慎独寮二十年史