戦災
戦災
1945年4月13日から14日にかけての夜間、アメリカ軍による空襲が実施され、着弾した複数の焼夷弾により学園内の諸施設も被害を受けた。
1発目は江古田校地東側、謡曲堂・剣道場・弓道場・慎独寮付近に着弾。
この場所は現在の教授研究棟・大学7号館・大学5号館付近に相当する。
当初慎独寮の火災は寮生が消し止めたが、剣道場「錬心舘」の火災が激しく消火できずに延焼し、慎独寮は北端の二部屋を残して焼失した。
なおこの時の焼夷弾の残骸は当時寮生だった小林賢齋(高校21期卒、武蔵大学名誉教授)氏が保管、現在は武蔵学園記念室で展示されている。
2発目は木工金工室から濯川にかけて着弾、木工金工室は焼失した。
この場所は現在の図書館南側、「せせらぎ広場」に相当する。
3発目は校庭で炎上し、愛日寮・双桂寮にまで燃え広がったが寮生の活動によって消火された。
校舎屋上にも焼夷弾を被弾したが、鉄筋コンクリート製のため延焼することはなく、被害を免れた。
3号館
空襲によって焼失した施設は約800坪に及ぶが、人的被害はなかった。