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武蔵大学同窓会の黎明期余談(武蔵大学同窓会)

 執筆:松山孝 氏(大学8 回・元武蔵大学同窓会副会長)

 私は、1954(昭和29)年に武蔵大学プレメディカルコースに入学、秋に胸の病気が発覚、その後2 年間休学を余儀なくされ、1956(昭和31)年に復学した際に経済学部1 年次へ転籍。かつて、大学新聞会再編に関り教授ともども大学知名度アップに奔走したこともあって、この度、学園百年史刊行作業部会の大学側委員である大久保武氏(大学20 回生、事務局長、常務理事を経て、現在学園の常勤監事)から、大学同窓会や新聞会の発足当時のこと、加えて学園ゴルフ会発足の経緯などを記録に残して欲しいとの依頼を頂いた。折よく木村重紀(大学12回生・元同窓会副会長)氏から大学同窓会60 周年史などの資料提供も頂けたので、記憶をたどりつつ当時を振り返りたい。

 「武蔵大学新聞縮刷版」61 ページ、大学新聞第32 号をご覧いただきたい。この号から、題字も元気なものに変えたいと思い、当時学園の庶務課長であり書道家としても有名であった大竹正美氏に依頼、紙面もタブロイド判から朝日や読売新聞並みのブランケット版に一変、6 ページ建てにした。加えて、6 面に「同窓会便り」のコーナーをつくり、向山巌先生(大学1 回生。大学同窓会設立者で初代同窓会長。当時は大学助手)に寄稿をお願いした。

 1957(昭和32)年4 月号からその寄稿文を紹介する:「本年3 月ほとんど100%の就職率をおさめた第5 回卒業生を迎えて、わが同窓会会員も250 名から一躍370 名に増加し、小規模ながら団体にふさわしい世帯を張ることが出来るようになったことは大変うれしいことです。(中略)会員諸兄が同窓会の存在意義を十分認識し、同窓会を媒介として同窓生が学窓時代に受けた他校に見られないうるわしい師弟、友情関係を社会生活を通じて緊密に維持し母校の発展に寄与したいものと考えます。なお、今後新聞会が同窓会のためにこの欄を毎号設けてくれることになりました。新聞会の好意に感謝するとともに、この欄を通じて同窓生の動向や消息、トピックなどを載せていきたいと思いますので同窓会本部まで資料を提供して下さる様お願いします。  同窓会会長 向山 巌」

 手前味噌になるが、この大学新聞の「同窓会便り」コーナーへの向山先生の寄稿が大学同窓会誕生の学園全体に向けた産声だったと思っている。実際には、大学新聞第27 号によると「1955(昭和30)年10月の総会で会則並びに会長が承認され正式に武蔵大学同窓会が発足した」とある。私が復学し経済学部1年に転籍したのがその翌年の1956(昭和31)年、秋に「新聞会」に入会。当時、旧制武蔵高校は天下に鳴り響いていたものの新制武蔵大学なんて誰も知らない。したがって鈴木武雄学部長以下全学一丸となって「知名度アップ」に奔走していた。生まれて間もないにもかかわらず、今の「地方創生」の先を行く企画といえる日本経済新聞社と組んだ各主要都市での「武蔵大学時事経済講演会」を開催。併せて各地方で大学父兄会を開く、など。なにしろ大学に父兄会なんてあるはずもない時代(東海大学にもあったそうだが)に確かに各地方に父兄会役員が居られた。その効果か、地方からの新入生が多かったが、「ゼミ」なんて聞きなれない言葉にあたふたし、「そうか、夜教授の家で勉強会をするのがゼミなのだ」と錯覚。先生たちはそのため家、土地を西武沿線に買う場合、ゼミ用のため少し広めを購入しなければならないので頭が痛い、などとまるでウソのような本当の話。一方、学生たちは武蔵三理想を唱え、ゼミ選びで大騒ぎし、学生生活を謳歌していた。大学と言うよりは向山先生が言われたように麗しい師弟、友情関係に満ち溢れていて、あたかも家庭のような気がした。

 旧制高校の雰囲気を色濃く残す中、鈴木武雄学部長を兄貴と慕い、4 年で卒業するのが勿体ないくらいの大学生活であったが、やがて私も卒業し「東レ」に入社。

 実習を終え東京本社販売部に着任するや否や向山先生から電話。「少数団体の同窓会とはいえ土台固めが一番の難題。会員との絆には同窓会新聞が必要。副会長を命じるから広報担当として走りまわって欲しい」と言われた。引き受けてみればどなたでも気づくことだが、何故土台が固まらないのか、すぐわかる。向山先生は別格だが、その後選ばれる歴代の会長は前会長の指名制であったため学生時代の超やり手が指名される。彼等が、会社で忙しくない筈がない。同窓会の仕事なんて出来る余裕のない人たちばかりを指名していたのだ。そこで浅野徹(大学2 回生)副会長の時、次回は自営業の人で武蔵バカを選んでほしい、2~3 年の任期制も破棄してもらいたい。長期にわたらなければ本当の土台作りなんかできる筈がない、とお願いした。結果、選ばれたのが、その後32 年間に亘り会長を務めることになるあの「石田久」(大学1回生、高校24期生)氏である。銀行勤めをやめ、実家(用賀、駒沢学園駅近)を継ぐ、という時だ。向山、浅野攻撃に耐えられず引き受けてくださった。石田さんに「あなたは旧制武蔵高校から大学へ来られた得難い逸材。ぜひとも死ぬまでやって武蔵大学を世界に雄飛させるための唯一の応援団の土台をしっかり作っていただけませんか」、武蔵を愛して止まない一番手の方にはこの言葉が一番効きにきいた。石田体制の土台作りがすぐに始まった。広報活動の充実をはじめ、全国規模で展開した地方支部発足の呼びかけ(と言っても卒業生はごくわずか)、各企業内或いは業種別業界の交流会の発足呼びかけ、そして各部会の組織運営にふさわしい人材探し、目が回るほどの忙しさだった。長期基本方針がはっきりしていただけに素晴らしい人材たちが同窓会役員に入ってきて石田体制をしっかりサポートしてくれ、こんにちの素晴らしい同窓会が芽を出し始めて行った。同窓会新聞の発行については、当時現役の大学新聞会の各編集委員、特に戸塚章(大学16回生)氏が活躍、名だたる優秀メンバーが揃い充実していった。途中、新聞では字数が少ないと言うことになり、週刊誌タイプに切り替えたがビックリするくらいの上出来ぶり。後に「講談社」に入り夕刊・日刊ゲンダイ初代編集長に抜擢された浦上脩二(大学14 回生)氏並びにそのグループなど、枚挙にいとまがない。ご協力いただいた皆様に感謝、感謝の毎日だ。

 話が移るが、武蔵大学の母体は旧制武蔵高等学校である。大学発足時から、武蔵学園の中には、戦後の「学制改革」により誕生した新制武蔵高等学校(中高一貫男子校)と旧制高校を母体とした新制武蔵大学の二つが併存しており、現在もそうである。普通に考えれば同窓会が3 つになるはずだ。つまり、旧制武蔵高等学校同窓会、新制武蔵高等学校同窓会、新制武蔵大学同窓会。これを学園全体で一つにまとめる?至難の業が必要となる。しかし、正田建次郎学園長時代にこの無理を無理でないものにしようと学園長が自ら立ち上がられ、その手始めにと発案されたのが、互いの親睦を深めるためのゴルフ会である。1974(昭和49)年11月9 日(これらの資料は木村重紀氏・元同窓会副会長から入手)のことである。これに「はーい」と合流したのが、なんと旧制武蔵高等学校出身の石田大学同窓会長。彼、ゴルフが出来ないのに、会場の東武カントリーに朝から駆け付け懇親会終了まで出席。結果は旧制組が上位を独占、大学側は惨敗。大学同窓会新聞によれば「新旧同窓生交流に大きな成果」とありその後この「オール武蔵ゴルフ大会」は毎年開催と決定され、「武蔵学園ゴルフ会」と改名はされたが2019(令和元)年で通算なんと78 回。3 者(いや2 者か)が和気藹藹となって力を合わせて学園長杯を競う、なんと素晴らしいことだ。学園が一つになった。

 大学同窓会報の中に「武蔵なひと」と言う秀逸なコーナーがある。若い素敵な女性たちが作ってくれた作品らしい。プレメディカルコース出身の宮崎秀樹先輩(プレメ2 回生。現在・参議院協会会長、元日本医師会副会長、現中国・国家発展と改革委員会の日本でただ一人の名誉顧問)、小林隆幸先輩(大学1 回生。元ホンダ常務)など、90歳代にして、目を細めてこのコーナーを楽しみにしている。こうしたコーナーこそが絆を強めるパイプ役だ。先人たちの土台作りに込めた思いがこうした形で強まっていく。同窓会をはじめ武蔵大学、武蔵学園全体がより強い絆で発展を遂げて行く。先人たちに心からの謝意を捧げたい。

 最後に「武蔵大学新聞」が長期休刊に入った際、暖かな目で支援の手を差し伸べてくれたのは武蔵大学本体であり同窓会であり新聞会にたずさわった諸先輩たちだった。特に、当時学長でおられた櫻井毅先生(大学3 回生・高校24期)の強力な支援の下で「武蔵大学新聞縮刷版1~2 号」が完成したことは画期的なことである。今、その新聞会は見事復活しヨチヨチながらも歩み始めている。武蔵学園全体のあふれんばかりの暖かさが身に染みる。武蔵学園万歳!

武蔵大学新聞・第32 号・6 面掲載の向山先生の文章
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