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第8章 学園創立百年に向けた学園経営の展開
中期計画に基づく学園の経営~中期計画の導入、その背景

 2006(平成18)年度より学園創立百周年にあたる2021 年度末までの学園の経営は、中期計画によるPDCA(Plan, Do, Check,Action)サイクルを基軸として行われるようになった。このような中期計画が制度として導入されるようになった背景には、以下に述べるいくつかの事情が介在した。

【大学認証評価の導入】

 日本における大学評価が制度として始まったのは1991(平成3)年であり、まもなく1998 年の大学審議会答申により評価政策が転換され、2002 年の中央教育審議会答申を経て2004 年から認証評価がすべての大学に義務づけられることになった。他にも国立大学法人評価委員会の評価(公立大学法人は独立行政法人評価委員会の評価)、21 世紀COEなどのプロジェクト評価なども行われている。

 この大学認証評価制度は、大学経営にPDCAサイクルを導入することを前提にしていて、学園法人としてこれに対応していくためには、経営における何らかのPDCAサイクルの構築が必要となったというのが第一の理由である。

 ただし、この認証評価制度は、高校中学に対しては直接求められるものではなかったので、同一の私立学校法人内で大学と併設されている高校中学(武蔵、成蹊、成城、学習院、慶應、早稲田ほか)と、高校中学単独で経営している学校(麻布、開成、双葉、桜蔭、女子学院ほか)では対応が分かれることとなった。

【教員自治による学校経営から、設置者主導の学校経営へ】

 第二の理由として、2003(平成15)年の国立大学法人法制定、2005 年4 月の改正私立学校法施行以降、はじめ国立大学、次いで私立大学において、20 世紀を通じて培われてきた教員自治による学校経営から、設置者主導の学校経営へ法制度の転換が図られたことが挙げられる。

 私立学校に対する、国の管理要求は国立大学法人ほど画一的で厳しいものではなかったが、法制度に基づく基礎的な要求として、(私学の場合)設置者である理事会が経営の責任を負うこと、およびその理事会がマネジメントサイクルを運用する義務を課されたことは、武蔵におけるPDCA導入の直接の契機となったものと考えられる。

【少子化と学校間競争の激化】

 さらに、設置者主導の学校経営とマネジメントサイクルの導入は、国、文部科学省による管理強化という側面ばかりではなく、背景に日本の人口が2004(平成16)年をピークに減少に転落したことが、大きな影を落としていた。わが国の出生数は1971 年からの第2 次ベビーブーム期を境に減少に転じ、その後創立百周年の現在まで緩やかな減少傾向が続いている。2015 年には推計で100 万人を割り、第二次世界大戦後では過去最低の出生数となった

 第二次世界大戦以降、常に拡大基調にあった学校の経営も、公立私立を問わず、出生数、同一世代人口の減少に伴い、一転して供給過剰、競争激化を迎えた。競争環境が緩やかで市場全体が拡大基調にあり、パラダイムの転換を要しないときは、合意形成重視の経営方式は有効に機能する。しかし、マーケットが縮小に転じ、学校間競争が激化すると、新しい経営パラダイムの導入や、個々の学校の存在意義の明確化、目標を定めた経営戦略の策定が求められるようになる。学校経営におけるPDCAサイクルの導入には、このような学校自身の自己変革を求める、外部環境の変化も理由の一つになったものと考えられる。

【理事会内部の声】

 2014(平成26)年頃より、学校法人根津育英会の外部理事の中からも、学校経営の体質改善を求める声があがってきた。個々の意見は様々であったが、概ね大学の知名度、高校中学の進学状況等の現状に甘んじることなく、理事会がイニシアティヴを発揮して、変革を求めるというものが多かった。

 田中郁三理事長・学園長を中心とする学園の経営は、常任理事会を中心に為されてきたが、その実態は大学、高校中学という二つの設置校の均衡の上に立って、日々の校務を円滑に処理するものであった。しかし、理事会内部からのこのような変革を求める声に顧慮して、経営戦略的な取り組みの方向を明らかにする必要に迫られたことで、将来構想・第一次中期計画を策定していくことになった。

将来構想計画・第一次中期計画(2006 年度~2010 年度)

 武蔵学園将来構想計画・中期計画は、概ね2005(平成17)年度中に、田中郁三理事長・学園長、横川尚大学学長、山﨑元男高校中学校長、窪川功専務理事の体制下で全学園規模の将来構想委員会が結成されてこれが策定し、2006 年3 月7 日学校法人根津育英会第229回理事会に提出、承認されたものである。

 田中理事長・学園長はこの計画の策定承認を以て引退、新たに2006 年4 月より根津公一理事長、有馬朗人学園長が就任、中期計画の実施は、根津・有馬体制に委ねられた。

【将来構想計画と中期計画】

 武蔵学園将来構想計画・中期計画の内容を見ると、Ⅰとして、大学、高校中学、学園の「ビジョン」が掲げられ、すぐにⅡとして冒頭に「将来構想計画は、学園のビジョンを定め、中期計画としてこれを継続的に実施していくための枠組みを示す」という文言が掲げられ、Ⅱ以下が中期計画として記述されている。特に将来構想計画と中期計画の二つの計画が別に定められた形跡は見られない。強いて言えば、計画の「ビジョン」部分が将来構想で、Ⅱ以下の部分が中期計画と読めないこともない。

【ビジョン】

 大学のビジョンとしては、まず基本理念として「知と実践の融合」が掲げられ、知的実践の基盤となるリベラルアーツを重視した教育に重点を置く大学としてその社会的使命を持続的に果たしていくことが掲げられている。また、教育の基本目標としては、①自ら調べ、自ら考える(自立)、②心を開いて対話する(対話)、③世界に思いをめぐらし、身近な場所で実践する(実践)ことができる資質・能力を有し、21世紀の社会を支え発展させ得る「自立した活力ある人材」を育成することが掲げられている。特に、①②③は「建学の三理想」「自由闊達な学風」の現代版の読み替えであることが、理解できるように付言されている。

 高校中学のビジョンとしては、「本物教育と自調自考」「世界に目を向けた教育」の二つが掲げられている。特に注目すべきなのは、「『自ら調べ自ら考える』前提として、いわゆる『読み・書き・そろばん』のような基礎的な地道な作業があり、その作業を通して初めて『本物』が自分のものとなる」と述べられていることであろう。実際に、中学入学者にそのまま「自調自考」を課してきた旧制以来の教育がこの頃から変化しつつある様が見て取れる。上記のフレーズは、「自調自考できる生徒が少なくなっている現在、6 年一貫の特色を活かし、生徒に学問とはどういうものかを教え、それをもとに本当の意味での『自ら調べ自ら考える』生徒を育てる」と結ばれている。

 学園運営のビジョンとしては、「消費収支の均衡を第一目標とする(帰属収入から基本金組入額を差し引いたものが消費収入。この消費収入と消費支出とを均衡させること)」と謳われる一方で、「当面すぐに毎年度の消費収支がマイナスにならないようにすることは困難と思われるので、5 年後の中期計画の最終年度までに、消費収支がマイナスにならないようにする」とされている。

【第一次中期計画の内容】

 第一次中期計画の内容についてみると、大学、高校中学の両設置校とも、経常的な教育研究に関する課題が、バランス良くほとんどすべて網羅されている一方で、特段の戦略課題が掲げられている訳ではないことに気づかされる。策定作業当時を知る教職員の証言によると、「経営環境が厳しさを増す中で、中期計画に盛り込まれない課題は学園内で優先度を下げられてしまうのではとの危惧から、教学上のあらゆる課題が、競い合って委員会に申請された」とのことである。そして、将来構想委員会が、それら申請された課題について、あまり踏み込んで優先順位をつけようとしなかったこともうかがえる。

 一方、特筆すべき内容は、中期計画5 年間にわたる収支見込み、施設整備計画、収支改善策等が附表として末尾に掲げられたことであろう。学校法人根津育英会が単年度会計から脱却し、初めて中期的な経営見通しを数字の形で、しかも学園理事会から末端の教職員まで共有することができたという意味で、この計画の策定は画期的なものであったといえる。

【第一次中期計画期間中の出来事】

 また、この第一次中期計画期間中に、2006(平成18)年度から16 年間にわたる武蔵学園創立百周年記念事業の大綱が定まり、その一環として大学新1 号館の建設計画(2012 年8 月竣工)などが進められた。さらに、事業法人として、学校法人根津育英会の100%子会社である株式会社武蔵エンタープライズが設立された。(別項参照)

 人事面では、第一次中期計画期間中、2006 年4 月横倉尚に代わって平林和幸大学学長が就任。2008 年5 月窪川功に代わって小林米三専務理事が就任。2010 年9 月山﨑元男高校中学校長が退職、代行期間を経て2011 年4 月より梶取弘昌が高校中学校長に就任した。

第二次中期計画(2011 年度~2015 年度)

 第二次中期計画は、根津公一理事長、有馬朗人学園長、平林和幸大学学長、山﨑元男高校中学校長(2010年任期中病気退職のため梶取弘昌教頭が校長を代行)、小林米三専務理事の体制で、概ね2010(平成22)年度中に学園内で審議策定され、2011年5 月26日開催の学校法人根津育英会第245 回理事会に提案承認された。この中期計画は、根津・有馬体制となって初めての中期計画の策定であり、両者の学園経営への思いがある程度反映された内容となっている。

【計画の理念と基本目標】

 計画の冒頭では、学園の創設者初代根津嘉一郎の「少数育英」の構想に立ち返り、建学の三理想を永遠の使命としつつ、21 世紀社会の課題に応えるために、「武蔵は知性で社会をリードする人物を育てる」ことを目標とすることが謳われている。あえて三理想と並べて「少数育英」を述べている点が目を惹く。

 第一次、第二次中期計画を通じて、学園内には、将来、その規模を拡大して、経営基盤の安定を図ろうとする考えと、徒に規模の拡大を追わず、量より質の向上を以て競争力を担保しようとする考えが交錯し、中期計画上の表現も、両者に配慮して「学園の適正規模を検討する」といった文言にとどまっていた。その中にあって、冒頭に「少数育英」を掲げたことは、理事長・学園長が「徒に規模拡大を追わない」方向を暗に示したものとして注目される。

 計画の理念から続く基本目標においては、(1)教育・研究の質(2)教員・職員の質( 3)学生・生徒の質( 4)教育研究施設の質の四つの質の向上を図ることを掲げており、ここでも「量より質」の方向が示されていると言うことができる。

 大学の「教育の基本目標」は、「①自ら調べ、自ら考える(自立)、②心を開いて対話する(対話)、③世界に思いをめぐらし、身近な場所で実践する(実践)である。」とされていて、第一次中期計画と大きな差異はない。

 高校中学の教育理念も「本物教育と自調自考」「世界に目を向けた教育」が掲げられ、第一次中期計画を継承している。が、「目標と計画」の項では、この二つに並んで、新たに「社会的責任を果たす」が加えられ、「自分が学んだものを社会に還元し、社会の中で果たすべき役割は何かを考える必要がある」とされている。

【第二次中期計画の内容】

 第二次中期計画の内容で、もっとも注目されるのは、「学園としての共通の取り組み」「学園内の連携強化」が掲げられたことであろう。特に連携強化については、「規模を求めず、質を追求する経営を維持することは容易でない。そのためには、これまでよりも大学、高等学校中学校、事務局の連携を強化し、一つの学園としての様態を整えていく必要がある」と述べる一方で、「同一学校法人内に、大学と高等学校中学校が緩やかに併存してきたこれまでの歴史的な経緯にも配慮し、双方の独自性を十分に尊重」しながらも「一つで済むものは二つ持たない」ことをめざすとしている。

 上記は、正田建次郎学園長の下で行われた50周年記念事業(江古田キャンパスの再編、大学人文学部の設置、学園長制度の導入)以降、太田博太郎、植村泰忠、田中郁三各学園長の下で、根津育英会の二つの設置校(大学と高校中学)両者が、半ば独立した形で「緩やかに併存」することを常態としてきたのに対して、一石を投じようとするものであった。また、「学園としての共通の取り組み」についても、学園長直轄の事務部門の形成を図り、両設置校の連携を促していく意図がうかがえる。

【第二次中期計画中の出来事】

 まず、2011(平成23)年3 月11日に起きた東日本大震災が特筆される。幸い、学園には大きな被害はなかったが、一部登校中の高中生徒を宿泊させ、翌日帰宅させる等の処置を行った。これにより、第一次中期計画前に行った校舎の耐震診断を再度行い、所要の補強も行うことになった。

 次いで、2013 年4 月より、法人名称を学校法人根津育英会武蔵学園に変更した。それまで、根津育英会といえば、法人の呼称であり、その法人とは別に大学、高校中学から成る武蔵学園があるような印象を持たれてきたものを、両者が一体の学校法人であることを示す狙いがあった。これも「学園としての共通の取り組み」「学園内の連携強化」の一環であったといえる。

 人事面では、2011 年4 月平林和幸大学学長に代わり清水敦が、2011 年4 月山﨑元男高校中学校長に代わり梶取弘昌が、2015 年10 月小林米三専務理事に代わり元木隆史が各々新たに就任した。

第三次中期計画(2016 年度~2021 年度)

 第一次中期計画から第二次中期計画の途中までの間、根津公一理事長、有馬朗人学園長ら経営側と両設置校との関係は、一定の緊張感をはらみながらも概ね円滑に推移してきた。しかし、このことは多くの私立学校がそうであったように、2005(平成17)年の私立学校法の改正(教員自治による学校経営から、設置者主導の学校経営への法制度転換)に直ちに対応して学内制度の整備を図るのではなく、従来の学内制度と合意形成の過程を継続しながら、周囲の状況を見極めようとする姿勢が結果的に奏功したものであり、早晩どこかでイニシアティヴの転換がもたらす摩擦に直面せざるを得ない性質のものであった。武蔵において、このことの契機になったのは、小林米三専務理事の主導で2013 年度に行われた寄附行為運用細則の制定であった。ほかに両設置校の制度によらない学園直轄の事業としてREDプログラム(別項参照)が同時期に企画されたことも、これに拍車をかける結果となった。

 寄附行為運用細則の内容は、ほとんど改正私立学校法の趣旨に沿って、在来の寄附行為の不備を埋める性質のものに過ぎなかったが、これを、それまで慣行的に積み重ねられてきた学内制度・合意形成過程への侵害と捉える大学教員の反発もあって、大学学長、学部長が再三理事長を訪問し調整にあたるような事態となった。

 しかしながら、このような摩擦は、結果として第三次中期計画の策定過程に思わぬプラスの影響を及ぼすことになった。すなわち大学教員側が期せずして、根津理事長に学園の経営方針を具体的に明らかにすることを求めたことが、翌2014 年3 月学校法人根津育英会武蔵学園第253回理事会において、理事長より「理事長ドクトリン」が提出され承認されることにつながったからである。大学教員のみならず、すべての教職員が、初めて具体的に理事長の考える学園経営の方途とその理念を共有することになったのである。

 第三次中期計画は、この「理事長ドクトリン」とその教学面での具体化を図る「学園長プラン」(2014 年10 月第261 回理事会に提出了承)を骨子大綱として、2014 年度から2015 年度にかけて根津公一理事長、有馬朗人学園長、清水敦大学学長、梶取弘昌高校中学校長、元木隆史専務理事の体制で審議策定された。構成面では、従来5 年であった中期計画を1 年延長して、創立百周年にあたる2021年度終わりまでとする一方で、この6 年を前期3 年、後期3 年に区分して2 回のPDCAサイクルをまわすことを特徴としている。

【理事長ドクトリンと学園長プラン】

 前項において述べたとおり、理事長ドクトリンと学園長プランは、いずれも第三次中期計画の策定段階で、計画の柱となる基本方針として採択された。それまでの二次の中期計画が、どちらかと言えば学園内の両学校、諸部門の意見を調整し、各々の志向するところを活かしながら全体の平仄を合わせる形で策定されたのに対して、第三次中期計画以降は核となるコンセプトをまず明らかにして、これの実現のために両学校、諸部門が各自の計画を練るという策定の仕方に変わったことの意義は大きい。

 さて、理事長ドクトリンは、「まなざしを世界に向け、21 世紀の課題を担う国際人を育てる学校」を標榜した。このことの謂は、「21 世紀には『国家』という概念を超えた、いわゆるボーダーレス化が、経済、政治、文化の様々な分野で一層進む」「学生・生徒達は、そのグローバル化、ボーダーレス化の進む地球の市民として、21世紀の世界に出て行くことになる」との認識の下に、地球規模の課題を担う国際人を育てることを企図したものであった。

 一方、学園長プランにおいては、「武蔵学園は、学園創立百周年を目標に、大学・高中とも、『世界に開かれたリベラルアーツの学園』となることをめざす。中/ 高/ 大一貫したシームレスな、『世界とつながる』教育コースを創設する」と述べて、理事長ドクトリン実現の方法として、リベラルアーツ教育の推進を掲げた。これに基づいて、大学においては「これまでの専門教育の体系だけにこだわらず、文理の壁を越えた21 世紀の学問の在り方を見据えて、新しい学問の体系を再構築すること」を求めると共に「芯となる新しい層を育てる」仕組みの構築に取り組むことも中期計画の課題とした。高校中学においても、「いわゆるスタンダードな中等教育とは異なる、若年からのリベラルアーツ教育の要素は、今日も「武蔵らしい教育」の中に潜在している。それらを活かし、生徒が志望する大学へ進めるように、支援の仕組みの構築に取り組む」ことを求め、さらに「国内大学はもちろん、海外大学への進学、さらには「海外大学院への進学」につながる教育の仕組みを構築すること」をも中期計画の課題とした。

 これら学園長プランによって投げかけられた諸課題に、両学校、諸部門が取り組む形で、第三次中期計画は策定された。

【第三次中期計画の内容】

 大学においては、「芯となる新しい層を育てる」取り組みとして、経済学部PDP(パラレル・ディグリー・プログラム)、人文学部GSC(グローバル・スタディーズコース)、社会学部GDS(グローバル・データサイエンスコース)のいわゆるグローバル3 コースが創設され運用されたことが、第三次中期計画のもっとも顕著な事績である。(詳細は「Ⅲ 武蔵大学の歴史」第5 章を参照)第三次中期計画の完了と共に、このグローバル3 コースのうち、経済学部PDP、人文学部GSCの両コースを統合して、新たに国際教養学部が発足することとなった。

 高校中学においては、2019(平成31)年度から就任した杉山剛士校長の下で、第三次中期計画の後半に「新生武蔵のグランドデザイン」が策定され、これが実質的に各年度の事業計画を進める上での指針となった。(「Ⅳ 新制武蔵高等学校中学校の歴史」第6 章参照) 「新生武蔵のグランドデザイン」では、「育てたい人物像」として「独創的で柔軟な真のリーダーとして、世界をつなげて活躍できる人物」を掲げて、理事長ドクトリン、学園長プランによって投げかけられた課題に応えようとしている。

【第三次中期計画期間中の出来事】

人事面では、2016(平成28)年4 月清水敦大学学長に代わり山㟢哲哉が、2019年4 月梶取弘昌高校中学校長に代わり杉山剛士が、各々新たに就任した。

第三次中期計画期間中最大のできごとは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延による学事の停滞であろう。(詳細は本章末尾を参照)

この全世界的なパンデミックにより、大学、高校中学とも、オンライン授業での対応等を強いられ、教育の質の確保のための工夫をこらさなければなかった。のみならず、各種の国際交流(武蔵からの留学、武蔵への留学、国外研修等々)が2019 年度末~2021 年度までの間、ほとんど実施できなかったことは、第三次中期計画において掲げた諸事項の実現に甚大な影響を及ぼした。

しかしながら、一方ではオンライン化をかえって好機として、これまでやや遅滞してきた教育の情報化が進む等の側面もあり、また、学園の教職員が連携協力して危機対応にあたる等、危機故に学園内の結束が進むという積極的な側面もあった。また、主に大学生を対象に行われた学園主催のワクチン接種に、高校同窓会の医歯薬部門が協力し、これの円滑な運営に資したことは高大連携の特筆すべき事項として、ここに記しておきたい。

REDプログラム

 理事長ドクトリン・学園長プランに示された方向の一つの具体化として、2015(平成27)年度から学園自体の主催する収益事業として、武蔵テンプルREDプログラムが開始された。このプログラムは高校生、中学生向けに、武蔵学園の主催で、武蔵高校中学だけではなく、他校生にも呼びかけて、英語で科学を学ぶ課外プログラム(リサーチ、エッセイ、ディベート(のちディスカッションへ変更)をまとめて、REDプログラムと呼称している)として実施されることになった。高校中学が学習指導要領に基づいたカリキュラムの中で行う英語教育と並行して、課外でいわゆるイマージョン教育を行い、参加する生徒が、将来いずれかの時点で海外大学の教室に入った時、コミュニケーションに困らず、積極的に授業に参加していけることを目標としている。

 このプログラムは、当初5 年間、テンプル大学ジャパンキャンパスとの協業でプログラムを運営してきたが、2019 年契約を満了して、武蔵学園の単独主催、付随事業として再編された。プログラム発足の当初は参加費が高額だったこともあり、参加者の募集に苦しんだ時期もあったが、次第に教育内容とその成果が評価されるようになり、安定した運営を行えるようになってきた。

 武蔵高校中学では、はじめこのプログラムは、世間の様々な課外プログラムの一つとしての取り扱いであったが、時日の経過とともにプログラムの内容を評価して、生徒に積極的に紹介するようになり、次第に武蔵生の志望者が増加し、他校からの参加者との調整が必要なほどになってきている。

株式会社武蔵エンタープライズ

 株式会社武蔵エンタープライズは、2008(平成20)年6 月、学校法人根津育英会武蔵学園の100%出資会社として発足した。発足にあたっては、いわゆる「学校の子会社」として、他私学の前例を広範に調査し、特に立教学園、明治学院、共立女子大学等の事例を参考にした。

 株式会社武蔵エンタープライズの事業の目的とするところをひとことで言えば、従来学校法人の事業範疇では十分カバーできなかった様々な事業を通じて、教育や研究をサポートし、大学、高校中学の教育研究活動を、下から支えることである。たとえば、学校の清掃や施設管理をこれまで以上に合理的に高品質で行う仕事、物品の調達を効率的に行う仕事、学生生徒のキャンパスライフをより楽しく豊かにする仕事、日曜祭日や休み中使われていない教室を貸し出す仕事などに取り組んでいる。

 同社は事業開始以来、学園法人部門の調達合理化に大いに貢献するとともに、さらに企業としての余剰の益金を日本私立学校振興・共済事業団を通じて学園へ寄付している。同社創立から2021 年度末までの、学園への寄付金は累計で3 億8,000 万円に及んでいる。

新型コロナウィルス感染症(COVID-19)対策

 2019(平成31)年に中華人民共和国の武漢市周辺で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は瞬く間に中国全土に拡がり、2020年3 月には累計患者8 万955名、死亡例3,162名となった。

 感染は中国以外の113 か国・地域にも拡がり、その増加傾向からWHOは2020 年3 月にパンデミックと認定し、各国に対して一層の対策強化を求めた。その時点での累計患者数は11 万8,381名で、死亡例は4,292名であった。日本では、2020年1 月に横浜港を出港したクルーズ船DiamondPrincess 号の乗客が新型コロナウイルスに罹患していたことが確認され、以後全乗客員の健康状態のチェック、有症状者の検査が行われた。船内での感染拡大を防ぐための基本的な感染予防対策、感染者やその濃厚接触者の隔離、乗船者の下船の時期などについて確固とした方針が示されず混乱が続いた。

 その後、国内でも感染者数が増加し始め、2020 年2 月には全国一斉に臨時休校の要請がなされ、4 月7 日には1 回目の緊急事態宣言が発出された。その時の国内新規感染者は500名超、東京では87 名であった。5 月25 日に緊急事態は解除されたが、宣言期間中は感染への恐怖から、街は閑散とし、電車はガラガラという状況であった。

 学園では、元木隆史専務理事を本部長として、学長を始めとする大学部門責任者、校長を始めとする高中責任者、法人部門の部課長などが出席する学園危機対策本部を設置し、ほぼ毎週一回会議を開催し、感染防止対策を協議した。

 このような協議の結果として、武蔵大学では2020 年度の授業は原則オンラインで実施となった(対面授業の本格的な再開は翌2021 年の6 月)。また武蔵高等学校中学校では、2 月の全国学校一斉休校要請に基づき、学年末試験を中止して休校、5 月にオンライン授業を全教科・全学年で開始、6 月に終業ウィーク(学年ごとの週一回の分散登校で終業)と始業ウィーク(学年ごとの週一回の分散登校で始業)を開始して、同月に中1 の入学式を実施した。これ以降、2022 年4 月までに大学・高等学校中学校が直面した状況や対応については、それぞれ第Ⅲ部と第Ⅳ部に記載したが、学園全体としての対処の概要を以下に記す。

 緊急事態宣言により感染は一時沈静化したものの、2020 年末近くから再び増加に転じ、「GoToトラベル」の実施もあって年末には東京都の新規感染者は1,300 名を超え、2 回目の緊急事態宣言が発出された2021年1 月7 日の新規感染者数は2,447名であった。宣言期間中、飲食店の時短営業、テレワークの推奨、外出自粛などが要請されたが、その効果も限定的であった。

 その後、英国に発する変異ウイルス(N501Y)感染がわが国でも拡大し、第4 波の感染拡大に見舞われ、2021年4 月25日には、東京、大阪、兵庫、京都の4 都府県に3 回目の緊急事態宣言が発出され、宣言解除は再三の延長を経て6 月20 日となった。武蔵大学ではその翌日から、順次対面授業を再開したが、7 月12 日の再度の非常事態宣言発出(解除は9 月30日)にともない、同日から再度、オンライン主体の授業を実施することを迫られた。

 また武蔵高等学校中学校では、2020 年度の一斉休校時に行ったオンライン授業については、濃厚接触者など自宅待機を余儀なくされた場合に限り、教室内の授業映像を配信するハイフレックス型のオンライン授業を提供するにとどめた。また、部活動などの校友会活動については、時々で活動時間を制限したり、対外練習試合を中止したりするなどの措置を取りつつ継続した。記念祭、体育祭、強歩大会の学校行事についても、それぞれ感染防止対策を講じながら実施した。

 2021 年8 月末と9 月末には、大学拠点接種の協力を実施し、大学の学生と高校中学の生徒の約1,200 名が2 度のワクチン接種を完了した。そして武蔵大学では10 月15 日からようやく対面授業を開始した。その後2022 年1 月12 日まで対面授業を継続しながら、1 月20 日まではオンライン授業を実施可能という対応を行った。2022 年3 月の卒業式・4 月の入学式はいずれも、感染対策を講じて学部ごとに3 回に分けて挙行した。

有馬朗人学園長
「武蔵学園創立100 周年記念式典」の挙行

 コロナウイルス感染症への対策として、マスク着用、手指消毒、ソーシャルディスタンスの確保などに十分留意した上で、「武蔵学園創立100 周年記念式典」をオークラ東京・平安の間にて挙行した。

 この式典には、伊藤公平慶應義塾大学塾長、江川雅子成蹊学園学園長、油井雄二成城学園理事長、耀英一学習院理事長・学習院長、平秀明麻布中学校・高等学校校長、野水勉開成中学校・高等学校校長をはじめとして多くの来賓をお迎えした。

 式典の開始後は、吉田俊雄氏(日本バイリーン株式会社前代表取締役社長・武蔵大学19 回生)、田中愛治氏(早稲田大学総長・武蔵高等学校44期生)から祝辞を賜り、五神真氏(理化学研究所理事長・武蔵高等学校50期生)による記念講演のほか、100 年の歩みをまとめた記録映像や卒業生からのお祝いメッセージを上映し、約500名が参集、盛況のうちに終了した。

  • 「武蔵学園創立100 周年記念式典」 概要
  • ■日時:2022年4 月17日(日)11:00~12:30
  • ■場所:オークラ東京 オークラプレステージタワー1 階 平安の間
  • プログラム(以下、敬称略)
  • 司会:村松真貴子(元NHKキャスター、武蔵大学28回生)
  1. 開会式辞 根津公一(武蔵学園理事長・武蔵高等学校43期生)
  2. 来賓祝辞 ・吉田俊雄(日本バイリーン株式会社前代表取締役社長、武蔵大学同窓会長・武蔵大学19回生) ・田中愛治(一般社団法人日本私立大学連盟会長、学校法人早稲田大学総長・武蔵高等学校44期生)
  3. 記念講演 『武蔵学園、次の100年への期待』:五神 真(国立研究開発法人理化学研究所理事長、国立大学法人東京大学前総長・大学院理学系研究科教授・武蔵高等学校50期生)
  4. 記念映像上映『武蔵100年の歩み』*
  5. お祝いメッセージ映像上映 ・六代目 神田伯山(講談師・武蔵大学55回生) ・馬渕俊介(ビル&メリンダ・ゲイツ財団 シニアアドバイザー・武蔵高等学校70期生) 田口彩夏(北海道テレビ放送株式会社アナウンサー・武蔵大学69回生) 三島良直(国立研究開発法人日本医療研究開発機構理事長・武蔵高等学校42期生)

武蔵学園創立百周年記念式典

根津公一理事長開会式辞

 本日は武蔵学園百周年記念式典に、このコロナ禍の下、ご出席賜りまして誠にありがとうございます。厚く御礼申し上げます。

 さて、今から百年前の1922 年、大正11 年の今日、4 月17日月曜日、武蔵高等学校は第1 回の入学式を挙行しました。この日は、創立者であった私の祖父初代根津嘉一郎にとって、かねての宿願が達成された、きわめて晴れがましい日であったことと思います。

 話はそのときからさらに13 年余り遡ります。1909(明治42)年、アメリカ国内の四つの商業会議所の招きにより、当時、第一銀行頭取であった渋沢栄一が団長となり、東京・大阪など6 大都市の商業会議所を中心とした人々50名余りが、3 か月にわたって、アメリカの主要都市を訪問しました。

 根津嘉一郎は、当時40代の働き盛り。この「渡米実業団」の参加者としては、まだ若輩の一人でありました。

 その旅の中で、嘉一郎がもっとも強く感銘を受けたのは、「今は故人となられた初代ロックフェラー氏に会った時、同氏が多額の金を儲けて、その多くを世の中のために散ずる主義を知って、大いに啓発された」ことであった、と後に述べています。嘉一郎が訪米によって得た最大の成果は、「社会から得た利益は社会に還元する」という信念を強固にしたことであったといえます。

 帰国後、嘉一郎はすでに1915(大正4)年頃から、「現在社会の為に尽す事としては、教育事業に奉仕するよりほかに道がない」と決心して、そのことを友人の宮島清次郎氏に相談しました。はじめは、職業訓練学校的なものなど、いろいろなアイディアがあったようですが、まず英国のパブリックスクールやドイツのギムナジウムに範をとった少数のエリート少年を教育する、本当の意味での「育英事業」を嘉一郎に提案したのは、本間則忠という人でした。そして、この提案を受けた嘉一郎は、すぐにそれを実行に移すのではなく、当時日本の教育をリードする人々に諮問委員を委嘱して、本間の提案をどう実現していくかを諮ったのです。最初の相談相手は、臨時教育会議総裁、農商務大臣・内大臣を歴任した平田東助。この平田の推薦で、京都帝国大学総長と文部大臣を歴任した岡田良平、内務大臣、文部大臣さらに枢密顧問官の一木喜徳郎、東京帝国大学総長山川健次郎、東北帝国大学総長と学習院院長を務めた北條時敬、東京高等師範学校教授佐々木吉三郎などが、嘉一郎の学校設立計画に参画しました。彼ら根津嘉一郎のブレーンたちが考えた「理想の学校」こそが、日本で初めての私立七年制高等学校として生まれた武蔵高等学校なのです。

 時は、第一次世界大戦が終わり、ヴェルサイユ講和条約の下で、明治維新以来アジアの一隅の小国であった日本は、五大国の一員として、世界の舞台に躍り出たかに見えました。しかし、実際の日本は、語学力だけではなく、人格、識見、教養から見ても、講和会議などの場で世界の列強を向こうに発言できる人材が不足し、その内実はきわめて寒寒しいものであったのです。根津嘉一郎から諮問を受けた当時のブレーンたちはこのことをよく知っていました。

 それ故、「理想の学校」武蔵高等学校に込められた根津嘉一郎とそのブレーンたちの思いは、真に世界の舞台で活躍できる、ひいでた日本人を育てたいというところにあったのです。その思いは、後に初代校長となった一木喜徳郎の下で、いわゆる「武蔵の三理想」として結実しました。

 育英という言葉には、「ひいでたものを育てる」という意味があります。旧制七年制の武蔵高等学校開校以来今年で百年、大学、そして新制の高等学校・中学校と学制は変わりましたが、武蔵は一貫して、「ひいでたものを育てる」という課題を追い続け、その時々の日本に、そして世界に、きわめてユニークで、知性と教養にあふれた人々を送り出してきました。今卒業生の誰彼を思い、指折り数えても、この百年の武蔵が社会に送り出してきた数多くの者が、武蔵高等学校創立者とそのブレーンたちの思いに適う「ひいでた人」であったことを、私は胸を張って申し上げることが出来ると思います。

 これからの百年も、武蔵は、きわめてユニークで、知性と教養にあふれた人々を社会に送り出し続けます。その方向を示す言葉として、今年4 月から始まった学校法人根津育英会武蔵学園の第四次中期計画の冒頭に、私は、「世界の多様な人々と共に、人類の課題解決にリーダーシップを発揮する、知性と教養ある人物を育てる学校」を目標に掲げました。この目標には、「これからの世界は、地球人類規模の課題に、国家の単位を超えて、多くの人々が協力し合わなければならない。その課題解決のためにリーダーシップを発揮することが出来る人として、武蔵の学生・生徒を育てて行きたい」との願いが込められています。

 最後に一言、この晴れの日を共に迎えるはずであった前学園長有馬朗人先生のことについて申し述べたいと存じます。2008 年私が武蔵学園理事長就任に際して、同時に学園長に就任された有馬先生は、武蔵高等学校を1950年に卒業され、東京大学理学部教授を経て、東京大学総長、理化学研究所理事長、中央教育審議会会長、参議院議員、文部大臣、文化勲章受賞、そして俳人など一人でいくつもの顔を持たれる多才な方でした。本日私は、創立者根津嘉一郎のブレーンたちについて申し述べましたが、有馬先生はお一人で、これらの4人分、5 人分の役割を果たされ、武蔵学園の新しい百年に向けた様々の計画の立案にお力添えをいただきました。その有馬先生が百周年を目前に2020 年12 月急逝されたことはまさに惜しんでも余りあることと存じます。幸い、池田康夫新学園長の下、有馬先生の立てられた様々の計画は引き継がれ、まもなく実現しようとしております。

 本日は、武蔵学園の創立百周年のお祝いの場でございますが、同時にこれからの武蔵百年の門出の場でもあります。本日お運びいただいたご来賓各位とともに、武蔵のこれまでの過ぎ越しと新たな門出に思いをいたし、明日からの教育研究に決意を持って臨んで参ることを申し上げて、私の挨拶といたしたいと存じます。

 本日は誠にありがとうございました。

 また、式典翌日(4 月18日)の朝日新聞・読売新聞の朝刊には「次の100 年も世界へ」、日本経済新聞には「100 年の歴史が育む、自ら調べ自ら考え世界をつなげる人材」という一面広告で、武蔵学園創立100周年を迎えた決意を示した。

武蔵学園創立100 周年記念式典の様子。
根津理事長による開会式辞

(注)この記念映像『武蔵100年の歩み』は、本百年史の『資料編』に収録されている。

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