もくじを開く
第2代校長山川健次郎―古武士の魂と科学者の合理性(三澤正男)
旧制生徒の進級・留年と健康問題(井上俊一)
武蔵高等学校同窓会―発足の経緯(武蔵高等学校同窓会)
戦時下の武蔵―空襲を中心として―(庄司潤一郎)
山本良吉「と」武蔵学園(その2)―〈建学の三理想〉の系譜学―:山本没後―戦後の顕彰的語りと大坪秀二の学園史研究(吉川弘晃)
太田博太郎―武蔵出身学園長の事績と「抱負」(畑野勇)
中学校社会科「卒業研究」への展開(柿沼亮介)
高等学校「総合講座」への展開(柿沼亮介)
第二外国語と国外研修制度の展開(柿沼亮介)
田中郁三理事長・学園長(武蔵学園記念室)
多才の人、有馬朗人学園長(三澤正男)
武蔵学園構内で確認された疥癬タヌキと2017~2018 年のタヌキの生息状況 (白井亮久)
卓見異見(根津公一)
あとがき
武蔵学園百年史刊行委員会 委員一覧・作業部会員一覧・『主題編』執筆者一覧
武蔵大学「白雉祭」案内冊子ページ
武蔵高等学校中学校「記念祭」案内冊子ページ
武蔵学園史年報・年史類ページ
付録資料のページ
武蔵学園の正門を入って右に曲がり、旧制武蔵高等学校以来の校舎(現大学3 号館)の前を過ぎていくと、これも旧制以来のどっしとしたたたずまいを残す、大講堂に行きつく。大講堂の前には、石碑があって、1922年4月17日に挙行された、武蔵高等学校開校式における、創立者根津嘉一郎翁の挨拶が刻まれている。
玄関を入ると、中央に根津翁の立像があり、そこを右に折れたところに、1994 年5月10日に行われた武蔵学園記念室の開設式の記念写真が掲げてある。根津嘉一郎(2 代目)理事長、植村泰忠第3 代学園長ほか学園関係者が一堂に会したテープカットの写真である。
武蔵学園記念室は、これより前、太田博太郎第2 代学園長が30 年後の100 周年をめざして、正史編纂を推進する機関として設立する事を提唱し、実現されたものである。武蔵学園記念室は、単に学園の歴史的な遺物を展示するにとどまらず、大学4,000人、高中1,000 ほどの規模の小さい学園には贅沢な体制を整え、毎年何人もの学園関係者(主にOB)を無給に近いボランティアの調査員として抱え、『学園史年報』という紀要を定期刊行し、10 年ごとに「武蔵のあゆみ」という、いわば正史のひな型を編纂発行してきた。
この度、編纂を終えた『武蔵学園百年史』のページを開くと、『通史編』、『主題編』2冊のそれぞれ異なる色合いの史書が、学園記念室を中心とする人々の30 年にわたる営みの成果であることがよくわかる。また、最近のデジタルデータの記録容量向上によって、よく整理された、膨大な量の写真データや本編に収容しきれない記録類が、付属のDVDに収められているのも、学園記念室の30年にわたる努力の成果をよく示すものと言えるだろう。
このような成果は、決してある時代の幾人かの少数の者の努力だけで成し遂げられるものではない。世代から世代へと引き継がれ、多くの学園関係者の手を経て成果としてかたちつくられたものであり、武蔵を愛する気持ちの結晶とも言える。
『武蔵学園百年史』発刊の日を迎え、武蔵学園という、日本の教育史においてもかなりユニークで、他にはない役割を果たしてきた学校の歴史を、自らの手で遺し、さらに言えば必ずしも礼賛するばかりではなく、冷静な目で評価して行こうとした先達の営みに思いを致し、あらためてその志の高さに、頭の下がる思いを禁じ得ない。
読者の方々に望むらくは、本書を、ある学校法人の単なる百年の記録として閲読されるのではなく、「この百年、社会の中で、武蔵という学校がどのように生きてきたか。その営みの意味はなんであったか」という問いをもって、お読みいただきたい。