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武蔵学園構内で確認された疥癬タヌキと2017~2018 年のタヌキの生息状況 (白井亮久)
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【この文章は、『武蔵高等学校中学校紀要』第3 号(2018年12月刊)に掲載されたものである。近年の武蔵学園のキャンパス敷地の動向を、多くの人に知っていただく好適な文章として今回、本別冊に掲載させていただいた(掲載にあたって、一部の図版と表記、引用文献の位置を変更している)。今回、転載を快く認めていただいた武蔵高等学校中学校紀要編集委員会と、著者の白井亮久先生に、記して御礼申し上げる。】
2018年3 月に武蔵学園構内(東京都練馬区)でハクビシン捕獲用の箱罠に疥癬とみられるタヌキが錯誤捕獲された。この個体は構内に生息するタヌキとは明らかに別個体で学外から迷い込んだものと考えられる。 2017 年秋から2018 年秋までの構内のタヌキの生息状況は,1 頭での目撃情報が続き,ため糞場の利用も僅かだった。2018 年8 月上旬にため糞場を利用するタヌキがセンサーカメラにより撮影されたものの,下旬に構内で1 頭の死体がみつかった後,現在まで目撃情報はない。また構内の大規模工事に伴うタヌキの生息場の環境変化について記録した。
Keywords: 練馬区,ホンドタヌキ,疥癬,箱罠,目撃情報,センサーカメラ,たぬきマップ
タヌキNyctereutes procyonoides は世界に1 属1 種しかいない東アジアに自然分布するイヌ科で(佐伯,2008),東京都区内に生息する唯一の在来中型哺乳類である。近年,都心にすむタヌキの食性や行動様式などの研究がされているが,捕獲された個体についての情報はそれほど多くない(Endo et al. 2005;小泉ほか,2017)。東京都練馬区に位置する武蔵学園構内には20 年近く前からタヌキが生息しているとされており(白井,2017),2018年3 月に疥癬とみられるタヌキが確認されたため,記録として報告する。
加えて,白井(2017)による2016年4 月~2017 年9 月までの武蔵学園構内のタヌキの生息状況の続報として,それ以降の2017 年10 月~2018 年9 月までの生息状況と,センサーカメラを用いたため糞場での行動観察,構内の改修工事に伴うタヌキの生息場所の環境の変化も合わせて記す。
2018 年3 月14 日深夜1 時半ごろ,武蔵学園構内の9 号館裏(地点A)のハクビシン捕獲用の箱罠に疥癬のタヌキが錯誤捕獲された(前掲の図版1,文末の図版2 A–B)。巻尺と上皿自動秤により計測したところ,およそ34cm程度の大きさで体重は3.25kg の若い個体だった(腹部に陰嚢のような膨らみが確認できたが性別は不明)。頭部と尾部,四肢に毛はあるが首部から胴部にかけ完全に脱毛していることから疥癬に罹患していると考えられた。ライトで照らしても暴れることなくじっとしていた(文末の図版2 C)。巡回中の警備員によると0 時前後には入っていなかったため,箱罠に入って間もないと考えられる。
今回疥癬のタヌキが錯誤捕獲された箱罠は,本学園の施設課により建物内に侵入するハクビシンの糞尿被害の対策のために業者に依頼して設置されたものである。2015 年12月頃からハクビシン駆除を目的として構内に複数個所設置され,踏み板式の片側扉の箱罠(W260×H300×D820mm)で,誘引餌はリンゴやオレンジなどが用いられる(文末の図版2 A–C)。
ハクビシンが捕獲された場合(文末の図版4 B)は業者に引き渡されるが,ハクビシン以外の動物(鳥類やネコ,タヌキなど)が錯誤捕獲された場合は,仕掛けを外し逃がすことになっている。疥癬のタヌキの計測と観察ののち,2 時半ごろ箱罠から逃がしたところ大学正門方向に駆けていった。その僅か約15 分後の2 時45 分に大学図書館脇の側溝付近(地点B)で再び1 頭のタヌキが目撃されたが,その個体は全身に毛が生え(文末の図版2 D),逃がした疥癬のタヌキとは明らかに別個体と確認できた。地点Bはこれまで高頻度でタヌキが目撃されることから寝床に近いと考えられており,疥癬,あるいは脱毛の個体は2016 年春から現在まで構内の100 件近い目撃情報やセンサーカメラで確認されたことはない(白井,2017)。このことから今回みつかった疥癬のタヌキは偶発的に学外から入り迷い込んだものと考えられる。
疥癬はセンコウヒゼンダニSarcoptes scabiei の寄生によるイヌとの共通の疾病で,宿主の皮膚内に穿孔して脱毛を引き起こし,皮膚が肥厚・象皮様化して衰弱させる(鈴木ほか,1981;落合ほか,1995)。罹患した個体は二次感染などにより死亡し小さな個体群では絶滅に追い込まれることもある(谷地森・山本,1992)。野生のタヌキの疥癬の拡大には人間による餌付けとの関連が指摘されており(金子,2002;松尾ほか,2015),安易な給餌は禁物である。疥癬は主に接触感染で広がることから,野外で飼育されるペットと双方向での感染が起こりうるが,ペットからタヌキへの伝染が多いともいわれ(山本,1998;松山ほか, 2006),武蔵学園構内に生息するタヌキへの感染も懸念される。増井(1984)はタヌキの体重は冬に増え春先に減るというデータを示しており,今回捕獲された個体の3 月に3.25kg という体重は生まれて一年に満たないとしても栄養状態が悪く,疥癬の影響もあるかもしれない。
・生息状況(目撃情報,フィールドサイン)
前報【編者注:『武蔵高等学校中学校紀要』第2 号(2017 年12 月刊)に掲載された、白井教諭の文章を指す。表題は文末の「引用文献」を参照】の2017年3 月から現在まで,断続的に1 頭での目撃が続いている(目撃31件:2017年10月3 件,11月2 件,12月3 件,2018 年1 月1 件,2 月1 件,3 月6 件,4 月2 件,5 月3 件,6 月6 件,7 月3 件,8 月1 件)。目撃場所の多くは大学図書館脇の側溝で(文末の図版2 E,地点B),今回新しく目撃された場所は高中旧理科棟裏の標本庫前である(文末の図版2 F.ただしそれらの建物は2018 年8 月に解体され,現在はない)。2018年4 月と5 月に濯川の玉の橋下の排水路でもタヌキの足跡が確認されたものの,その後はみつかっていない(前掲の図版1)。1 頭での目撃は2017年3 月から1 年以上続いているが,つがいや親子での目撃情報はなく,2016年夏に幼獣が確認された以降,2 年間幼獣がみつかっていないことから,この2 年間は構内では繁殖していない可能性が高い。
・ため糞場の利用とセンサーカメラで撮影されたタヌキ
2016 年11 月以降(白井,2017),現在までため糞場3 地点の使用はまれで,本報告の調査期間中ため糞場MG-1でのみ(前掲の図版1),少なくとも11 日間のため糞場の利用が確認された(2017年10月1 回,2018年6 月1 回,7 月6 回,8 月3 回)。
2018 年8 月初旬にため糞場MG-1において一晩で2 回のため糞場の利用があり,その様子をセンサーカメラで動画撮影した(文末の図版3)。8 月9 日20 時頃,1 回目となる1 匹のタヌキが現われ,排糞をして立ち去った。その約30 分後に再び別個体と思われる1 匹のタヌキが現れ,排糞をした。山本(1984)は,ため糞の交換や移動などの操作をした後の飼育個体の行動観察から,自分の糞,血縁関係のある個体の糞,見知らぬ個体の糞と遭遇した際に,「糞の臭いを嗅ぐ時間」が順に長くなることを報告している。今回,残念ながらセンサーカメラでは,臭いをかぐ行動の途中からしか撮影されておらず定量的なデータは得られなかったものの,短時間の内に同一個体がしっかりとした排便をすることは考え難いことや,体毛の模様が異なるように見えることから,別個体の可能性が高い。そうであるならば,目撃は1 頭であるがその期間は構内には単独で行動する2 頭がいたことになる。同様に翌10 日20 時頃にも短時間のうちに2 回の別個体と思われるタヌキの訪問と排糞が撮影された。今回撮影されたため糞場での行動はおおよそ田中ほか(2012)で報告されている里山のタヌキの例と類似していた。そのほか排糞中とその前後に鳴き声を発し,何らかのコミュニケーションとみられる行動も確認できた。
なお,今回センサーカメラでの排糞時刻とその後の目視での観察から,夏場にされた糞は糞虫等により分解が非常に早く1–2 日程度で形を留めず失われてしまうことが分かった。平沢(2006)で指摘されている通り,夏場でのサンプリングは迅速に行うべきだといえる。
・ハクビシン用の箱罠に錯誤捕獲されたタヌキ(2017 年12月)2017 年12月10日
2017 年12月10日に大学2 号館裏(地点C)でハクビシン捕獲用の箱罠にタヌキが錯誤捕獲された(前掲の図版1,文末の図版4 A)。この個体は疥癬ではなかった。この場所は警備員の巡回ルートではあるが,これまで目撃情報がなく(白井,2017),タヌキは決まったルートを通ることが多いとすると,この個体も偶発的に学外から入ってきた可能性がある。その後,警備員により箱罠の仕掛けが外され逃げていった。
構内の箱罠は前述のようにハクビシン駆除のために2015 年頃から業者により設置されたものである。構内でタヌキの目撃情報が100 回近くあり頻繁に活動していたとされる2016 年度であっても箱罠に捕獲されることはなかった。これらの事をあわせて考えると,武蔵学園構内に生息しているタヌキは箱罠に入りにくく,偶発的に学外から入り込んできたタヌキが箱罠で入るということがあるのかもしれない。
・9 号館裏のU字溝で見つかったフィールドサイン
2017年12月28日に9 号館裏(地点A)のU字溝付近を探索した(前掲の図版1,文末の図版5 A)。この場所はため糞場MG-1に近く,センサーカメラでもタヌキとハクビシンが良く撮影されている(白井,2017)。U字溝のコンクリート蓋を外したところ,動物の骨や噛み跡の付いたマヨネーズ容器や硬式テニスボールが確認された(文末の図版5B–F)。タヌキは寝床付近で遊ぶことから(盛口,1997),通り道(パス)としてだけなく寝床としてこの付近を利用している可能性もある。
・高中グラウンド脇でみつかったタヌキの死体(2018年8 月)
2018 年8 月27 日に高中野球グラウンド脇の側溝でタヌキの死体が見つかった(地点D,前掲の図版1)。集水桝からU字溝に体を半分出した状態でみつかり,異臭が強く全体に蛆が付着し,既に頭部の大部分が白骨化していた(文末の図版4 C–D)。発見場所付近で普段活動している複数の野球部員への異臭の発生時期の聞き取りから,少なくとも死後1 週間近く経っているとみられた。腹部の内臓もほとんど失われ四肢の一部が欠損していた。頭胴長45cm程度の比較的若齢個体で,全身に毛があり疥癬ではなかった。今回死体が発見された地点Dの集水桝は2016 年7 月に幼獣が見つかった場所でもある(白井,2017:図版2)。しかし,それ以降その場所で成獣も幼獣も見かけることはなかった。U字溝はグレーチング(溝蓋)があり,集水桝に繋がる排水溝などを行き来していた結果,何らかの理由で死んでしまったと思われる(文末の図版4 D)。なお,死体は後日骨格標本として登録番号を付して武蔵高等学校中学校標本庫に収蔵される予定である。
・工事に伴う環境の改変(2018年4 月~)
これまでタヌキが確認されている場所は,現在進行中の高中エントランス部の工事や学園の改修等の工事に伴い環境が比較的大きく変化している(前掲の図版1)。通り道,あるいは寝床に近いとみられる9 号館裏の喫煙小屋付近(地点A)は,2018 年4 月に喫煙所が撤去され,タヌキが通ることもある冷却塔がみえる開放空間になった。2018 年7 月より東門~高中エントランス部と軟式テニスコートなど整備のために,旧理科棟の裏の雑木林が消失し,濯川の玉の橋下流の排水路の暗渠化が進んでいる(エントランス部工事エリア)。それらの場所は目撃情報やセンサーカメラでの撮影,足跡などのフィールドサインが確認され(文末の図版3 E–F),冬季の餌資源となりうる果実の樹木も含んでいる場所である(白井,2017;飯島ほか,2018)。さらに2018 年8 月に大学図書館の空調整備のために3 号館中庭の一角に室外機の集中的な設置場が設けられ,ため糞場のひとつMG-3と獣道が消失した(室外機設置エリア)。
このように構内のタヌキを取り巻く環境は急変しつつあり,今後タヌキの生活は変化すると思われる。岩本ほか(2012)は河川改修工事に伴うタヌキの行動変化を調べ,元の生息地への高い固執性や順応性を示しているタヌキは環境変化に柔軟に対応し都市に生息する唯一の在来食肉目といわれており,今後の構内での行動の変化から都市に生きるタヌキがどのように開発や環境改変に対応するのかに注目したい。
2018 年9 月以降,目撃情報やフィールドサインで構内のタヌキの確実な生息情報はないものの,今後の研究課題を記しておく。タヌキの個体識別やそれに基づくため糞場での行動観察,武蔵学園という都市の小さな孤立林にすむタヌキの食性の長期的な経年変化や,構内に同所的に生息する同じ食肉目のハクビシンとの食性や行動の比較,ノネコとの種間関係,タヌキの糞に集まる糞虫やハネカクシなどの訪糞昆虫調べなどがある。武蔵学園には食物連鎖の高次消費者であるタヌキを育めるだけの自然があり,タヌキを通してそこに生息する生き物たちの営みをみつめていきたい。
前報(白井,2017)に引き続き目撃や箱罠に入ったタヌキの情報の提供は,内海幸哉さん,池原 満さん,蛭間一也さん,亀井哲夫さん(当時含む)はじめ武蔵学園守衛所の警備員の皆さんにお世話になった。本校生物部の部員には実地調査にご協力頂いた。本校英語科の楠部与誠さんとK. Bergmanさんには英語表現について校閲頂いた。武蔵学園施設課にはハクビシン駆除用の箱罠の設置について教えて頂き,武蔵大学図書館の閲覧係の方々には文献の取り寄せで大変お世話になった。記してお礼申し上げる。本研究には,本校の個人研究費(2017–2018年度「使える標本庫を作りつつ,研究する」)の一部を使用した。
説明:センサーカメラで撮影された2018 年8 月9 日夜の2 回のため糞場の利用。排糞前にその場の臭いを嗅ぎ,既に糞がある時には少し離れたところにする(A とB)。1度の排糞は2~4 回に分けられ,結果的に数個にみえることもある。糞便前後で高い鳴き声を発し,排糞中は体を反らせ遠吠えのようなしぐさをしていた。排糞後は速やかにその場から離れる。体毛の模様が異なる別個体に見えるが判定は難しい。増井(1980)の野外観察による,個体により毛色の濃淡の違いがあることや,雌雄の区別として排尿時にオスは片足を上げ,メスは跨ぐように行うことは,今後の個体識別の参考になるかもしれない。
本稿の入稿直前に構内でタヌキが錯誤捕獲されたため,その記録を付しておく。武蔵大学の白雉祭期間中の2018 年11 月4 日深夜1時15 分頃,大学2 号館裏(地点C)のハクビシン用の箱罠に冬毛のタヌキが錯誤捕獲された。体重4.40kg,50cm 程度の大きさで疥癬個体ではなかった(写真A)。箱罠に誘引餌はなかった。計測中,断続的に排尿と少量の排糞もみられた。排尿はしゃがんで行っていた。2 時30 分頃,箱罠設置場所付近で逃がしたところ構内を駆けていき,約95cm の壁をジャンプし辛うじてよじ登り(写真B,赤丸がジャンプしたタヌキ),姿を消した。今年の8 月下旬以降2 ヶ月間構内で目撃情報がなかったことや誘引餌のない箱罠に入り込んでいることから,今回捕獲された個体は学園構外から入ってきたものと考えられる。その後,4 時45 分頃にも大学9 号館の下で同一個体とみられるタヌキが徘徊していた。今後,この個体が構内で定着するか等を注視していきたい。
加えて,箱罠に入った前日の11 月3 日4時35 分に,ため糞場MG-1 に設置したセンサーカメラで約3 ヶ月ぶりにタヌキが撮影され,排糞が確認された(写真C はその翌日に撮影された画像,写真D はその時の糞)。センサーカメラの撮影画像で同年8 月の個体(図版2)と比較すると,夏毛と冬毛という点で異なるものの一回り近く大きな個体であることが分かる(写真C)。訪問したタヌキは1 分30 秒以上ため糞場の臭いを嗅いだ後に糞をしたことが撮影動画で確認できた。その日以降ため糞場の利用が始まり,しばらくの間は一晩に3 回の利用が続いた(写真D)。目撃情報やセンサーカメラで撮影された画像から判断すると,ため糞場の利用個体はいずれも同一個体で,箱罠に入った個体と思われる。センサーカメラの記録と翌朝の糞の観察から,一晩にされた3 個の糞の形状の違いがみつかった。
3 回の利用時には,いずれも1 回目の糞は棒状の硬いもの,2 回目の糞は形があるものの小ぶりのもの,3 回目の糞は形がなく液体状のどろっとしたものである傾向がみられた(写真D)。このように回数毎,糞の量は少なく質感も軟らかいものになった。また日に日に,ため糞場での臭い嗅ぎ行動の時間が短くなった。今後,ため糞場での行動も観察していきたい。