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通史編

本扉

I 根津育英会武蔵学園

II 旧制武蔵高等学校の歴史

III 武蔵大学の歴史

IV 新制武蔵高等学校中学校の歴史

V 根津化学研究所

VI 武蔵学園データサイエンス研究所

年表

奥付

主題編

本扉

旧制高等学校のころ

大学・新制高等学校中学校開設のころ

創立50 周年・60周年のころ

創立70 周年・80周年のころ

創立100周年を迎えた武蔵

あとがき

  • あとがき

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第5章 21世紀における高等学校中学校の発展と現況

1997(平成9)年以降、21世紀に入って、学園創立百周年を迎えるまでに就任した校長は、下記の通りである。

福田泰二 : 1997年4 月~2005年3 月

山﨑元男 : 2005年4 月~2010年9 月

梶取弘昌 : 2011 年3 月~2019 年3 月(2010 年9月から2011年3 月まで校長代行)

杉山剛士 : 2019年4 月~現在

この間の出来事を概観すると、まず中学入試のあり方が少し変わり、従来、「国語」「算数」「社会・理科」の3 科目で行っていたものを、2009年からは、「社会」と「理科」を分離独立させ4 科目とし、能力判定をより緻密に行うことを目指した。

 また2010 年代に入ると、広報活動やグローバル教育、さらには私学法の改正による学内ガバナンスの強化など、高校中学単独ではなく学園組織と協力して取り組む業務が増大したため、2015年、教頭に加えて副校長職が置かれた。

 この間も、西棟、図書館棟および理科・特別教室棟の建設、各教室へのエアコンとプロジェクターの設置、グラウンドの人工芝敷設、体育館のエアコン設置、各種奨学金・奨励金制度の充実、生徒相談室の設置など、教育環境の整備に多大な努力が払われた。

 学校を取り巻く状況が大衆化・多様化する中で、武蔵は「三理想」を実現すべく様々な取り組みを行うことで、狭義の受験信仰に囚われることなく、教育の独自性を追い求め続けてきた。

社会環境の変化

 ここ20 年ほどで、社会は大きく変化した。インターネットの発達と携帯電話やスマートフォンの普及、ソーシャルメディアの浸透などに伴って社会も大きく変化し、生徒たちにも大きな影響が及んでいる。このような道具は便利である反面、大きな弊害も生んでいる。ネット依存により、勉学に身が入らない生徒が出てきたことも大きな問題である。当初は学校への持ち込みや使用は生徒の自主性に任せていたが、様々な危険を避けるために、学校としても指導を行わざるをえなくなった。2010 年代前半には、特に中学生について校内での使用を制限するルール作りも進められた。しかし、ルールに縛られたり、道具に使われたりするのではなく、節度を持って道具を使いこなし、自らの成長のために役立てられるのが本来あるべき姿である。教師には当面の対応だけでなく、自分の言葉で語りつつ粘り強く生徒に自覚を促す指導が求められている。

 かつては学力低下が問題であったが、現在は学ぶ意欲の低下が大きな問題となっている。この原因は複合的で一言では言い表せない。小学校低学年からの塾通い、少子化など家庭環境の変化、生徒のメンタルの問題など考えなければならない要因がいくつもあり、教師だけでは手に負えないのが現状である。スクールカウンセラーや児童精神科医などを校内に配する一方、教育相談委員会と組主任が協力することで問題を抱える生徒への対応を行っている。

 生徒たちにとって学校が安心できる場所であり、自らの能力を存分に発揮できる場所となるようにするには何をすべきか。学ぶ意欲を高め、潜在能力を引き出す教育の新しい仕組み作りが急がれる。

教師集団のあり方

 中等教育は、精神的・肉体的に未熟な生徒たちを、教科教育のみならず校外活動や部活動、学級活動などを通して育てる営為である。教師には、効率よく教科内容を教えるだけの存在ではなく、学問の楽しさや厳しさを教えるとともに、生徒との全人格的な交わりを通して生徒を導いていくことが求められる。そのためにも教師自身が専門の研究に取り組み、生徒に学問をする背中を見せ続けなければならない。きめ細かな生徒指導や保護者対応が必要になってきていることで教師の業務量は増大しているが、こうした中で研究に割く時間をいかにして保障していくかということは、極めて重要な課題である。

 また武蔵では、新任教員に対しても画一的な研修は行われてこなかった。教師も「自ら調べ自ら考える」ことが基本である。先輩教師の技を盗みつつも自ら創意工夫を重ね、失敗も貴重な経験に変えて、教師としての実力を磨く姿勢が求められる。そのためにもマニュアル通りの仕事をするのではなく、回り道をしてでもやるべきことを自ら見つけることが重要である。武蔵の教師集団は、長年そのようなスタイルで行動してきたが、社会環境の変化にともなって、組織的な対応が求められるようになってきていることも事実である。21 世紀に入って以来、時代の要請を受けて、校内には人権委員会、広報委員会、グローバル委員会(学園組織としての呼称はグローバル教育センター)、進路指導委員会(以前は進路情報部)など多くの委員会が設けられ、その活動内容も年々深化している。スマートフォンの普及が進む中、生徒指導の現場においても、「インターネット利用基本方針」「端末利用ルール」「いじめ防止基本方針」などの校内規則を拠り所とした指導が必要となっている。このような変化に対応するため、本校勤務の基礎知識を学ぶ場としての新人研修が2020 年ごろから開始された。2021 年度からは授業でのタブレット利用も段階的に開始し、校内でのインターネット利用環境の整備も進んだことから、改めて情報モラルや端末利用についての指導方針が確認された。

 一方で、社会全体を覆う「面倒見の良さ」が教育にマイナスの効果として出ている面も否定できない。旧制以来、武蔵を支えてきた教師集団のあり方も、そのような流れに飲み込まれないように気をつけなければならない。武蔵では、校長および副校長が理事の側面を持つ以外は、全員が基本的に平等な立場であることを

原則としてきた。今でもお互いにさんづけで呼び合い、役職名で呼ぶことはない。互いに「先生」と呼ぶこともない。各教員はそれぞれの分野でプロフェッショナルであり、校務分掌の役職は上下関係ではない。教師会、学年会、各種委員会などでは出席者の意見は同等の重みを持ち、合意の形成が重んじられている。そうした関係の中で、一人ひとりの教師が学校運営に責任を持って考え、教師同士が互いに学び、成長し合う態度が生まれてくる。こういう仲間によって個性豊かな武蔵の校風が形成されているのである。教師が授業の創造を軸に生徒と向き合い、個々の専門性と力量との向上に努力することのできる環境づくりが旧制末期から新制初期に行われた。これは山川黙、宮本和吉両校長の配慮があったことは間違いないであろうし、その定着には教頭在任中を含めて長く高等学校中学校の責任者の立場にあった大坪秀二校長をはじめとする歴代校長のリーダーシップと、教員への信頼と理解によるところが大きい。

福田泰二校長(在任:1997―2005)
山﨑元男校長(在任:2005―2010)
梶取弘昌校長(在任:2011―2019)
杉山剛士校長(在任:2019―2022現在)
教育課程の編成
【カリキュラムの変遷】

 新制度発足に当たり、高校の課程では単位制ではなく学年制をとったが、科目選択については、いくつかの試みがなされた後、31 期生(1951〈昭和26〉年入学者)以降は、中学高校一貫の学年制を取りながら、高校2、3 年の段階で選択制を導入した。

 いわゆる進学校にありがちな文系理系のクラス編成、能力別授業といった形態を取らず、すべての生徒が自由に自分の関心と必要に応じて科目を選び、真の教養が身につくよう企図されてきたのが武蔵の教育課程の大きな特徴であるといえる。

 戦後の教育改革の変転の中で、武蔵は建学の「三理想」、中でも「自ら調べ自ら考える力ある人物」を育てるという理念を頑なに堅持し、独自の校風を培ってきた。中学の山上・海浜学校や第2 外国語、高校家庭科のユニークな少人数講座は、ゆとり教育をうたった学習指導要領の施行に際し、そのまま「総合的な学習」として継続・発展してきた。

 2000 年に高校入試を廃止して以降は、文字通りの6 年一貫となり、各科ともより系統だった学習内容の学年配当が工夫されてきたが、2012 年度から理数が先行する形で実施された新学習指導要領改訂を機に、高校理科の学年配当時間を中心に編成の変更がなされた。

 学力も関心の所在も多様化していく生徒たちに対して、これまでの授業の高い学問性と自由な選択をどのような形で保障していけるのか。今後も大きな課題である。

【分割授業、選択制度】

 旧制武蔵高校の時代には、語学の分割授業が一つの特色となっていたが、新制に移行してしばらくは、諸種の組織替えなどにともなって中止されたままになっていた。1951(昭和26)年、52年に、これを試験的に中学3 年の英語の時間に復活させてみたところ、時間割上も無理のないことがわかり、1953 年から英語、数学の一部で分割授業を実施することとなった。演習を主とするこれらの分割授業の成果を踏まえ、その後、分割授業を導入する科目は増加した。

 現在、以下の教科・学年で分割授業が行われており、クラスサイズを半分にした少人数での授業により、きめ細かい実験・実習の指導、活発な発表・討論などが可能となっている。

 英語:中1~高2 で全体の授業の63%

 数学:中3、高2 で全体の授業の48%

 理科:中1~中3 で全体の授業の46%

 国語:高2 の現代国語、古典のすべての授業

 社会:中3 の授業の50%

 技術・家庭:中2 のすべての授業

 社会の分割は2010 年度より導入されたもので、一年をかけて資料収集、プレゼンテーション、討論、論文執筆の方法を学ぶもので、武蔵の新しい目玉として成果を上げている。

2010 年代前半の在校生の場合、選択科目の実施状況はおおよそ次の通りである。

 中3: 「第2 外国語」(ドイツ語、フランス語、中国語、韓国朝鮮語)から選択。

 高1: 「芸術」(音楽、美術、書道)から選択。自由選択としての「第2 外国語」。

 高2: 「地歴」(日本史、地理)から選択。「理科」(物理、化学、生物、地学)から選択。自由選択としての「第2 外国語」。

 高3: 「国語」(現代国語、古典、漢文)から選択。「地歴」(世界史、日本史、地理)から選択。「数学」(数2、数3)から選択。「理科」(物理、化学、生物、地学)から選択。「英語」(英語2、英語3A、英語3B)から選択。英語3A・Bはどちらか一方のみ。

 自由選択科目としての「第2 外国語」。

 特別自由選択科目としての「数2 演習」「数3 演習」「英語演習」「英語劇」。

高3 の特別自由選択科目は2009 年度から導入されたもので、生徒の実情に応じて年度ごとに検討を加えながら、柔軟な発想で開設されている。

 2022 年度より高校カリキュラムは年次進行で改変されている。指導要領改訂において公共、歴史総合、地理総合の科目新設や世界史の必修解除など社会科(公民・地歴)に大きな変更が生じる影響で、高2 の「地歴」は日本史、世界史、地理のうちから1~2 科目選択となった。

【第2 外国語*】

 武蔵の第2 外国語は、旧制高校以来その時々の教育の理念に従って、あるいは、時に生徒の要望にも応じつつその歩みを重ねてきた。その変遷には大きないくつかの節目があった。旧制以来のドイツ語はもとより、フランス語・中国語にも50 年に及ぶ長い歴史があり、特に1980年代からの国外研修制度の充実と相まったネイティブ講師における授業の拡充と、1990(平成2)年に行われた韓国朝鮮語の講座新設、中学3 年の初級コースの5・6 限への組み入れ、第2 外国語主任制度を新設して、専任教諭が講師を支援する体制といった制度改革が目を引く。この年7 月に『第二外国語のすすめ』を発行し、以後1995 年に第2 版、1999 年に第3 版と続き、生徒の自主的学習意欲の喚起を目指している。

 2002年より、従来の初級コースを「総合的な学習」として中3で必修とした。これは、英語だけでなく、もう一つ新しい「外国のことば」に触れてほしいという武蔵の理想が反映している。また、この年に『第二外国語のすすめ』第4 版を発行。2004年、図書館棟ができたことで、AV設備のある「分割教室」が増え、いっそう学びやすくなった。2005 年には、手狭だった第2 外国語研究室が旧国語科研究室跡地に移転し広くなり、授業の後も質問に来室して熱心に勉強する生徒にとって、より良い環境になった。同年、『第二外国語のすすめ』第5 版を発行。2011 年には第6 版を発行した。

 21 世紀に入り、通常授業に加えて、特別授業や各国からの留学生が来ているときの交流会なども恒例化した。講師の指導で、フランス語やドイツ語のクレープ作り、中国語の水餃子作り、韓国朝鮮語のチヂミ作りなどが行われている。このような言葉を習得することだけでなく、食を含めてその国の文化に触れ、直接留学生とも触れ合う機会は、生徒に対しても良い影響を与えていると言えよう。

【高1 総合講座**】

高等学校の学習指導要領で新設された「総合的な学習の時間」を2003(平成15)年度より実施するにあたり、高校1 年で講座制の授業を「総合講座」として行うこととした。教員が開講可能な「講座」を予め募って設定し、生徒を希望の講座に割り当てる講座制の授業は、それまで教科「家庭科」で家庭科科目「生活一般」に含まれる内容として行われていた。教師会では、「家庭科」として必要な内容を授業時間内に取り込むべきだとの意見や、それまでの講座制の授業が、むしろ「総合的な学習の時間」の趣旨に適合するとの考えが検討され、講座制の授業は家庭科から総合講座へと引き継がれることとなった。

近年の例として、2019 年度に開講された講座名は以下の通りである。

「株式入門」「水田稲作実習」「酪農体験」「食料の起源」「国境の島『対馬』を体験する」「ドイツ、フランス、ロシアの音」「算額」「世界の映画を見る」「標本庫学」「幼稚園で学ぶ」「卓上遊戯研究」「地震の科学」「働くOBの話を聞く」「古文書解読入門」「植栽管理と外構整備」「フィールドワーク研究会」「やぎの研究」「沖縄にいらっしゃい!」「情報化社会における新しいビジネスプラン」「博物館・資料館見学と現場体験を通したESD」「修繕部」「筋力トレーニング」「ファンタジー入門」「保育園ボランティア」「スポーツ分析」「太極拳」「打楽器を作る、たたく」

かつての家庭科で行われていた時よりも、広範で多岐にわたる講座が開設されている。生徒はこれらの講座を履修するにあたり、然るべき実習・体験・研究・観察を通して、現在および将来にわたって人間としてより良く生きる方法を探り、年度末にはレポートの形で総括し、報告・発表などを行っている。

2022年度からの高等学校新学習指導要領では「総合的な学習の時間」が「総合的な探究の時間」に改められ、武蔵では高1「数理探究」および高2「哲学探究」を全員対象に開講することとなった。これに伴い総合講座は自由選択科目に変更され、対象学年は高1と高2 の2 学年に拡げられた。

【コンピュータ教室の活用】

 1998(平成10)年度に、文部省(当時)からの補助金を受けコンピュータ教室を設置し、1999 年度からコンピュータを利用した授業を開始した。

 2002 年度からの情報教育必修化を念頭に置き、設置当初は、道具としてのコンピュータを意識し、コンピュータ・リテラシーを高めることを授業目標とし、主に中学校3 年生の英語の授業で利用してきた。年度が進むにつれ、家庭でコンピュータを使っている生徒の割合が増えてきた。それに伴い、当初のコンピュータ・リテラシーを高めるという目標の重要性が低くなってきた。そこで、学習の個別化というコンピュータを利用した学習の利点を活かし、リスニング力を養成する授業で利用されるようになった。

 コンピュータ教室設置から6 年後の2004 年、武蔵高等学校同窓会からコンピュータの寄贈を受け、同年2 学期より、新しいコンピュータ教室に生まれ変わった。ノート型のPCに入れ替え、生徒の顔がよく見える教室になった。英語という、コミュニケーションを重視した教科の特性上、この改善は価値あるものであった。内容的にはリスニングに特化した授業を展開したところ、生徒は自分が納得いくまで聴き直すことができ、学習の個別化が十二分に達成された。リスニング力の向上に大きく寄与してきていると思われる。2010 年度から実施している英語コミュニケーション能力試験(GTEC)でのリスニング力の高さにも、その成果はあらわれている。

 情報科の授業については大学のコンピュータ教室を借りていた時期もあるが、コンピュータ・リテラシーにとどまらず調べ学習や討論・発表など情報科の内容が多様化するにつれて、それに対応した設備が必要となってきた。2019 年度からの中学校2 年生の技術の授業における情報教育開始にあわせて設備が整えられたマルチメディア教室は、かつてのコンピュータ教室の役割を含む多目的情報教室の性格を持つこととなった。

【国際交流に関わる高大連携】

2008(平成20)年から国際交流関連を中心に高大連携を推進する試みが始められた。以前から高校中学の教員が武蔵大学に出講し、また第2 外国語の授業を中心に武蔵大学からも講師を招くことはあったが、この高大連携は学園の財源と人的資源の両面をより効果的に運用することで、とりわけ国際交流の面での活性化を図ろうというものである。

まずは危機管理対応の検討を発端として2008 年に学園内に国際交流委員会(発足当時は小委員会)が設置され、高校中学からは校長と国外研修委員幹事1 名(のちに事務長も加わる)が委員となって、学園内の国際交流に関係した企画や提案が検討されることとなった。

国際交流委員会の設置に続き、2009 年には高校中学と武蔵大学がテンプル大学ジャパンキャンパス(以下、TUJ)と連携協定を締結し、同年10 月には記念シンポジウムや講演会が開催された。翌2010 年からは希望する高校生・大学生を対象に、TUJとの共同企画English Summer School(8 月に5 日間)が開催され、すべて英語で進められる授業を通じて、米国大学の授業形式を体験したり、留学に備えた学習法を学ぶ機会となった。

人的交流としては、これまでの出講に加えて高校中学の英語科から2 名(現在は1 名)が新たに武蔵大学の授業を週1 コマ担当することとなった。また、希望する高校生10 名ほどを大学の国際センターが開講する留学準備講座(月、水の2 講座)に受け入れてもらい、大学生とともに将来の海外留学に備えた授業を受けることが可能となった。上述のSummer School は有料だが、留学準備講座は無料で受講できるようになっている。

高校の生徒国外研修制度においても、武蔵大学の国際センターと連携して研修生の緊急時対応サービスに加入するなど、危機管理の面でも協力関係を構築しつつある。

国際交流や海外進学といった分野では高校中学の生徒が武蔵大学から享受できるサービスも潜在的には多く、大学の国際センターを学園の機関として共有する案も検討された。そして2018年、学園グローバル教育センターおよび大学グローバル教育センター、高校中学グローバル教育センターが設立され、国際的教育に関するプロジェクトを計画立案し、学園全体が協力して計画を実行に移す体制が整えられた。

現在も高大連携の動きは進行中であり、高校生が受講可能な授業が、留学準備講座などの国際的な分野以外にも広がりつつある。

生徒指導上の諸問題
【成績評価と進級制度】

新制高等学校中学校の成績評価は、当初戦後アメリカからもたらされ、高校以下に画一的に採用された相対評価の5 点法であった。その後、評価についての自主的検討が行われ、1952(昭和27)年度からは、学期ごとに絶対評価の10 点法によって行われ、進級は個別の教科毎の単位制ではなく、学年成績と出欠によって、学年毎に判定されてきた。1952年度末の教授会(現教師会)において、現行の判定会議提出資料の原型が決められている。その後、教育制度が整う一方で受験競争が激化すると、履修科目の多様化や生徒数の増加もあって進級基準のいっそうの明確化が必要となった。また、かつてのように一時期の成績不振がそのまま1年間の遅れとならないよう、仮進級の制度を設けて生徒の自主的な発奮を促す指導がなされた。こうして、1965年よりいくつかの改訂を経て、現在では以下のような進級制度が設けられている。

  1. 成績・出欠両面で基準となる数値を設け、合格・不合格の判定をする。成績は学年ごとに設定された全教科の合格平均点に達しているかどうか、また、どのような不合格点がいくつあるかによって合否を判定する。出欠については、正当な理由のない欠席・遅刻・欠課の回数により、成績とは関係なく合否を判定する。
  2. 成績・出欠いずれかで不合格の判定を受けたものは、仮進級して努力するか、同じ学年を再履修するかを選ぶ。
  3. 2 年連続して不合格の判定を受けたものは再修または退学とする。

ただし、義務教育である中学においては、どの学年においても再修はなく、中3 で2 年連続の不合格者は武蔵中学を卒業した後、武蔵高等学校へは進学できない。

この結果、毎年不合格者は出るものの、ほとんどが仮進級して次学年に頑張りを見せ、前年度の不合格を挽回している。しかし、一部に再修または退学となる生徒がいるのも事実である。

1990 年代に入った頃から、社会環境の変化や家庭のあり方の変化に起因する精神的事由により学習意欲を失くした、いわゆる「不登校生」が次第に増え、進級の面での特別な配慮が必要となった。それまでの経験を踏まえ、1998 年度に、こうした生徒に対しては、児童精神科医やスクールカウンセラーの意見を参考にして個別に対処していくことが決定された。不登校状態が長期に及ぶ場合、一定の基準を設けつつ、柔軟に対処することなどの申し

合わせもなされた。

総じて、中学4 クラス化以降、多様化した生徒に対し従来の進級基準を下げることなくきめ細かな指導が続けられている。

【生活指導】

基本的な生活習慣は各家庭で身につけるものであるが、社会の縮図としての学校の立場での生活指導は行われている。中学1 年の赤城における山上学校は自然と対峙する場であるが、多くの仲間や教員と寝起きを共にする中で、一人ひとりが自分勝手に行動するのではなく、他者のために何をなすべきかを考えながら生活するよう指導している。

日常の学校生活においても、必要に応じて今日的な問題を考えさせている。スマートフォン等の情報端末の普及がめざましい昨今、その扱い方も一つ間違えば陰湿ないじめにもつながりかねないことを考慮し、中学生を対象にして「情報モラル講習」を開いている。また中学・高校の「情報」の授業を通じて、インターネットや情報端末の適切な使い方やプログラミングを学ぶなど、今の時代において必要とされるモラルを身につけさせるよう心掛けている。

また、この錯綜した時代、スクールカウンセラーの協力の下、相談室主催の保護者向けワークショップを年に数回開き、円滑な親子関係の構築や生徒の環境としてのより良い家庭のあり方について助言している。

生徒の学校生活は15 時まで(学年・曜日によっては16 時まで)の授業とそれ以後の校友会(各種委員会・部同好会)活動に支えられている。旧制発足当時、下校時刻は夏冬を通じて16 時30 分であったが、時代の趨勢とともに幾つかの変遷を経て、2001 年からは、一般生徒の下校時刻は17 時30 分、校友会活動をしている生徒は中学生が18 時、高校生は19 時と決められ、教員による日直制度によって、下校時刻の徹底がはかられている。

【進路指導と特別授業】

 進路・進学指導については、組主任を中心に各教科の担当教師が生徒との話し合いにあたり、情報の提供とアドバイスをしているが、最終的な判断は生徒と家庭での話し合いに任せている。2001(平成13)年度より、7 月の特別授業期間中に卒業生等に講師を依頼し、高校2 年生を対象に進学選択のためのガイダンスを実施している。講師の職種は医師、福祉関係、コンピュータ、外交官、出版社、法曹関係など多岐にわたっている。

 2012 年度からは12 月と3 月にも特別授業期間を設け、高2 だけでなく中3 以上の学年でキャリアガイダンス、進学ガイダンスを行うようになった。「生徒の自主性に任せる」のが武蔵流であったが、価値観が多様化し、職業選択の幅が広がっている昨今の社会状況の中で、これらのガイダンスは生徒に人生の様々な可能性を示し、日々の学習のモチベーションを高める役割を果たしている。また、高校生を対象とする校内での大学受験模擬試験実施は2011 年度から始められた。進路情報部では、各大学のオープンキャンパス情報の紹介や模擬試験の案内、各予備校からの情報収集、キャリアガイダンスの企画などを行うようになった。大学進学は本来、生徒自身が考えるべきもので、学校は受験指導の場ではない、というのが従来からの武蔵の方針であり、生徒からも、「ただの進学校であれば武蔵に来ていない」との声も多く、2011年度模擬試験導入に反対する署名運動も行われた。学校としては、生徒自身の現在の状況を正確に掴んでもらい、教師陣もその結果を受け止め、指導に生かすために模擬試験の導入を決断した。世間の風潮に迎合することなく、旧制以来の「学び」を追求し、なおかつ生徒の望む進路を実現することが昨今の課題となっている。

 夏休み前に行われる特別授業は、時間を自由に設定できる利点を活かし、毎年中学3 年の歌舞伎教室や野外研究奨励のための講演や進路選択に関する講義、国外研修生の報告会、人権講習、コミュニケーションスキルアップのためのワークショップなどが実施されている。また生徒からの希望を受け入れ、普段の授業では味わえない特別講演なども実施している。特別授業は、生徒の自主的な企画を軸に運営するのが本来の趣旨であった。しかしながら近年、生徒の自主的企画が減少し、クラスや学年単位で提案される企画が球技大会や映画鑑賞に偏るなど、その実施や運営について問題が生じているのも事実である。

 進路情報部は2020 年度より進路指導委員会へ名称を変更し、委員を務める教員の人数も増え、大学受験に関する情報提供や諸手続きの他に、大学進学ガイダンス、キャリアガイダンス、模擬試験の運営とデータ分析、校内の講習企画運営等々、「進路希望の実現」を目的とする取り組みを幅広く行っている。近年増えつつある海外大学志望の生徒には、組主任と英語科教員を中心とするグローバル委員会が協力して対応する体制となっている。

高2 キャリアガイダンス
学習環境の整備
【奨学金】

 在校中に諸般の事情で経済的困難に陥る生徒もある。こうした場合、高校生に対する日本学生支援機構等公的機関の奨学金では十分でないこともある。武蔵では1959(昭和34)年以来、学校関係者の寄付などを原資に高校中学奨学基金団を設け、必要とする生徒・家庭に援助を行ってきたが、1974 年には学校法人としても奨学貸与規定が設けられ、従来の基金団との二本立てとなった。1999 年からは会計上学校の奨学制度に一本化し、より充実を図ることになった。

 日本社会の経済情勢の悪化に伴い、奨学金申請の数は増えている。経済的困難が理由による退学は極力避けなければいけない。就学支援金など公的な援助制度では不十分である実情をうけて、校内では給付型奨学金枠の拡大など制度の充実へ向けた具体的検討が進んでいる。

【保健室】

 保健室は1948 年より保健婦1 名で運営されていた。1956 年より専任の養護教諭1 名となり、1960 年より養護教諭1 名に保健婦1 名が加わった。1993(平成5)年から専任養護職員2 名体制となっていたが、2004 年に養護教諭体制が復活し、専任養護教諭1 名を採用した。複数体制への準備期間を経て2007 年専任養護教諭2 名体制となり、現在は非常勤者を含め常時複数体制で勤務し、多様なニーズに対応している。

 学校医は、内科校医(産業医兼務)が月4 回、精神衛生校医が月2 回来校し、生徒・教職員ならびに保護者の相談に対応している。歯科校医や学校薬剤師からも適宜助言を受けている。また、相談室との連携も日々の重要な仕事となっている。

 定期健康診断は、2005年から完全業者委託とし、健診後のフォローに力を入れている。

 日々の業務では、けがや体調不良、アレルギー疾患等の救急対応や、成長期の身体面・精神面の相談も多くなっている。

 OA機器の発達でPCが生活に溶け込み、スマートフォンやタブレットも生活に不可欠となった。この急激な電子機器の普及は、ゲームや幅広い情報で子どもたちの関心を集め、便利な半面、生活に影響を与え様々な変化を起こし、運動不足や睡眠不足の原因となり学校生活にも少なからず影響を及ぼしている。また、生徒の昼食は弁当持参か、食堂や売店を利用しているが、弁当持参割合は学年が上がると減っている。ファーストフードやコンビニを手軽に利用できる環境にあるが、生徒の栄養のバランスも課題である。

 学校と家庭との協力、また地域との連携も今後ますます重要になると思われる。

 2017 年12 月の理科・特別教室棟竣工と同時に、保健室は北棟1 階から理科・特別教室棟1 階へと移設された。新しい設備の下で、生徒たちの健康面の課題解決の拠点となっている。

【相談室】

 1960 年代の高度経済成長期を迎える頃から、わが国の中学・高校生の中にも、精神面での問題を抱える生徒の数が増え始めた。武蔵においても、ごく少数の生徒にではあるが、従来のような教師による教師の立場からの対応では、適切に処理し得ぬ事例が現れ始めた。この文明病の微かな兆候が見えたと思われる時期に素早く対応できるよう、1962(昭和37)年から臨床心理学の専門家をカウンセラーとして迎えた。これは予防ないし早期治療の効果をかなりの程度まで果たし得たようであった。その後、一時中断したが、現在では保健室に中学・高校生を対象とする精神衛生相談担当医師(学校精神衛生医)を校医の一人として委託し、

生徒・保護者のカウンセリングを行っている。

 近年、小児喘息やアトピー性皮膚炎患者の増加等により、保健室を利用する生徒の数も年々増え、1996 年に保健室を拡大整備して対応してきた。その後、保健室を訪れ、気軽にカウンセリングを受ける生徒・保護者の数も増加の傾向にあった。その状況に対応すべく、2005 年10 月、2 年近くに及ぶ議論の末、当時の事務棟2 階に、相談室を設置した。週3 日、昼休みに開室、部屋には教員が最低1 名待機し、生徒との雑談に、あるときは生徒からの相談に対応した。

 翌2006年9 月、さらに増えていくであろう相談に対応すべく、旧分割教室1・2 を改装し、新たな相談室を設置した。この頃になると、月曜から金曜の昼休みおよび週2 回放課後に開室し、担当教員が生徒の相談に対応した。相談室が生徒を受け入れていることに伴い、昼休みに保健室を訪ねる生徒は少なくなった。保健室と相談室を生徒は使い分けているようであった。

 2007 年4 月からはスクールカウンセラーを迎えた。週2 日のみの来校であったが、生徒・保護者の相談、生徒・保護者へのワークショップ、教員へのコンサルテーション、研修に当たってもらった。2009 年度からは週3 日の来校となり、より細やかに生徒や保護者、教員の相談に対応できるようになった。

 2014 年、相談室は、相談室担当の教師とカウンセラーの他、新たに教頭、養護教諭、生徒指導委員長を加えた教育相談委員会に改組された。個別案件について情報共有を図りつつ解決へ向けて積極的に働きかけるなど、組主任と教育相談委員会が協力して行う体制作りが進められている。解決の手段としては、外部の専門機関の助けを借りることも視野に入れている。

 2017 年12 月の理科・特別教室棟竣工と同時に、相談室は同棟の1 階、保健室に隣接する位置へ移設され、保健室と相談室の連携が一層円滑になった。

 生徒個々への合理的配慮や不登校問題への対応などの課題に対して、組主任が一人で抱え込むのではなく、専門家の意見を聞きながらチームで解決を図っている。今後も関係スタッフのより一層密な連携によって、生徒全員が安心して学校生活を送ることができる学校環境の整備を目指している。

【施設の拡充】
理科・特別教室棟、西棟

○「西棟」の建設

学校教育の必要から施設の充実を図るのは当然のことであるが、具体的な方策となると難しいところがある。近年も運動施設、校外施設などの拡充が検討され実際に改築されたりしたが、校舎となると1969(昭和44)年の高中校舎移転以来約30 年間、本格的な建設が行われたことはなかった。それが具体的になったのは中学4 クラス制と高校編入の廃止のためといえる。中学の各学年に一つずつ教室を増やすために、社会科研究室を移転するための施設が必要になり、従来の懸案事項を含めて校舎を増築することになった。

建物は、地下には専用の音楽教室、各階には、体育・芸術(1階)・英語(3 階)・社会(4 階)の研究室のほか、多目的教室(1階)、コンピュータ教室(2 階)、演習室・講義室(3・4 階)を配置して1996 年末に完成し、翌年4 月には4 クラスの中学新入生を迎えた。この西棟(図書館棟建設までは「新棟」とよばれた)には歩行困難な生徒を想定してエレベータも設置された。また建物が西向きで校庭に面していることから、窓を開けないで生活することを想定して各部屋にエアコンが設置された。その後、エアコンは2001 年から翌年にかけて中1 から高3 のすべての教室にも設置された。さらに2017 年に理科・特別教室棟が竣工すると、芸術科研究室は同棟の1 階に、英語科研究室は2 階に移転した。

○図書館棟の建設

図書館は生徒・教師の研究・教育のために欠くことのできないものである。旧制武蔵高等学校時代の図書室は、大学設置とともに「武蔵大学図書館」と名称を変えた。しかしその歴史的経緯から、図書館は学園全体の共有する設備として、大学生ばかりでなく高中生も利用してきた。

一方、次第に学生数および蔵書数が増加して図書館が手狭になるとともに、大学と高中が図書館に求める機能の相違などの問題が生じてきた。そこで大学では新たに建設された8 号館の地下に図書館機能の一部を移転する方策が採られ、高中でも自分たちの使いやすい図書館を建設することになった。しかしこの高中図書館は、大学から独立した図書館を作ろうというものではなく、学園全体の図書館機構の中で「高中分館」を建設するというものである。図書館棟は西棟の南側、集会所を含む場所に建設され、2004(平成16)年春に完成した。

蔵書に関しては、すでに高中には7 万冊を超える図書があり、各科の研究室など校内各所に分散して設置されていた。それらをできるだけ図書館に集め、生徒・教師が利用しやすいようにした。以上から規模・運営管理組織などの点で、中学・高校の図書館としては全国でも有数の規模となった。

○理科・特別教室棟の建設

図書館棟建設以後、高中に関して、新たな建築は遠い将来と考えられていたが、2009(平成21)年2 月に耐震診断を行ったところ、理科棟、管理棟に耐震上大きな問題があることがわかった。急遽、その夏に仮の耐震工事を行ったが、震度6 以上の地震に対して、充分なレベルではない状態であった。

そのような中、理科棟、管理棟の移転が検討され、候補地として当時の軟式テニスコート上に建設する案が浮上した。環七沿いの高中プールも老朽化が進み、数年後には使用不可能な状態になると分かり、新棟建築と共にプールもつくることが検討された。学園内に大学プールと高中プールの二つものプールが必要かとの

議論もあったが、中1、中2 が同時並行でプールを使った水泳授業を行うため、高中としては必要との判断となった。新棟建築に関しては様々な案が検討されたが、プールを別につくること、新棟は軟式テニスコート上につくることで、高中としては合意形成がなされた。

しかし、2011 年になり、練馬区条例により高さ20m以上の建物が建てられないことが判明し、建築計画を根本から見直さなければならなくなった。そこでこの問題は一応棚上げとし、2013年度夏に理科棟、管理棟の耐震工事を実施した。その後新棟の建設計画を改めて検討し直し、基本設計が2016 年3 月に完成した。

同年7 月に着工、2017年12月に竣工し、新棟は「理科・特別教室棟」と命名された。

旧理科棟にあった諸施設はすべて新棟の3 階以上へ移設された一方、校長室や教務委員室は南棟1 階へ、事務室と教師控室は北棟1 階へなど、東棟にあった部屋のいくつかは既存棟へ移設された。また、耐震基準を満たさない管理棟と理科棟は取り壊される運びとなった。新棟建設の他に既存棟改修、管理棟と理科棟の跡地整備を含めた大工事は、2018 年3 月に完了した。

2004 年に完成した図書館棟
高中図書館の内部

(注)本百年史の『主題編』に収録の「第二外国語と国外研修制度の展開」も参照されたい。

1990 年に第一版が発行された『第二外国語のすすめ』表紙と目次。
ミュンヘンでの研修

(注2)本百年史の『主題編』に収録の「武蔵高等学校中学校『総合講座』への展開」も参照されたい。

宮城県の林業と地域循環型エネルギーに関する研修の様子。
コンピュータ教室
生徒国外研修制度の展開*

 武蔵の「三理想」を形に表す方策の一つとして、旧制時代には外遊制度があった(1927〈昭和2〉~43年)。しかし戦時中に実行不可能になり、新学制に移行後も復活のないまま自然消滅していた。やがて国際交流も次第に活発となり、他方では受験競争が激化する風潮の中で、武蔵独自の教育姿勢を明確にする方向が検討された。そこで外遊生の一人であった大坪秀二元校長を中心に国外研修制度が企画された。また平田篤信(17 期理科)の寄付を基に募金活動が推進され、根津嘉一郎( 2 代)理事長を含む旧外遊生その他同窓生有志の後援を得た。現在は同窓生などの定期的な寄付ばかりでなく、高等学校同窓会の毎年の寄付も得て、生徒の国外研修が支えられている。

 「生徒国外研修制度」は、1987 年の理事会承認を経て、翌1988年春には3 か国(中国、西ドイツ[当時]、フランス)への派遣生5 名をもって開始された。以後、毎年各国へ2~4 名ずつがそれぞれの提携校へ留学し、先方からも留学生が派遣されてくる形を原則とする制度が定着していった。提携校の選択は、お互いの文化を学ぶという趣旨から、日本語コースを持っている学校を探し、履修生を武蔵に受け入れるように努めている。その上で、武蔵生の希望者が相当数に上ること、海外における日本語熱の高まりとともに年々制度の拡充が図られてきた。

【ドイツ、オーストリア】

 ドイツ派遣は、2 年目からミュンヘン・マクシミリアン校を中心に交換が行われたが、1992(平成4)年にはオーストリア・ウィーンのテレジアヌム校が加わった。両校とは、ほぼ毎年生徒の交換が実施されている。そして1998 年から2008 年までハンブルグのヘレーネ・ラング校と交換し、2001 年から現在までベルリンの学校(カミーユ・クローデル校、ヒルデガルド・ヴェーグシャイダー校、フェリックス・メンデルスゾーン・バーソロミュー校、カニジウス・コレグなど)との提携も行われている。

【フランス】

 フランスの提携校は初めのうちはポアチェのヴィクトル・ユゴー校、パリのジャン・ドゥ・ラ・フォンテーヌ校、ボルドーのマジャンディと提携していたが、現在はラ・ロシェルのサンテグジュペリ、リヨンのオンブローザと生徒を交換している。

【イギリス】

 1989(平成元)年からイギリス・イートン校と1 名ずつの交換が始まり、1990年から3 年間は、イートン開校550周年記念事業により武蔵生の1 年間の受け入れが実現した。その後、交換生は2 名が原則となり、イートン校のサッカーチームとの交流試合が行われるなど順調に進んでいたが、イートンの経営事情から2010年の派遣をもって交換は終了した。その後英語圏の学校との交換を模索し、 2012年には試験的に1 名生徒を交換したのを契機としてモーヴァン校(Malvern college)との交換が継続されている。

 なお、1990 年から10 年間、5 名の教員をイートンに派遣し、日本語授業を行った。

【中国】

 中国は、国家体制の違いから提携校を見つけることが困難で、当座のうちは北京大学などの中国語コースに参加してきたが、ようやく1993(平成5)年から北京の中国人民大学附属中学へ、1999 年からは天津の南開大学附属中学への派遣が実現した。現在は人民大学附属中学に2 名から4 名の生徒を派遣し、1 月には先方の生徒を武蔵に受け入れている。

【韓国】

 韓国朝鮮語コースの新設に伴い、韓国への派遣も1994(平成6)年に始まった。しばらくソウルの高麗大学校の韓国語コースに参加する形態が続いたが、2002 年春にソウルの漢ハニョン栄外国語高等学校との相互交換が始まり現在に続いている。

 制度が発足した当初、学年の1 割派遣を目標にしてきたが、その見込みをほぼ達成した。2022年現在、442名の生徒を派遣している(他に33名が派遣延期中)。

 2011 年3 月11 日の東日本大震災発生時、中国にはすでに派遣済みだったが、その他の国へは翌日から数日後に控えている状況であった。学校では、部活などで残っている生徒を校庭に避難させ対応を図りつつ、今回の派遣をどうするか校長、国外研修委員の間で相談した。とりあえず予定の出発をキャンセルし、派遣生とその保護者や相手先、旅行代理店と連絡をとりながら実施の可能性を探った。数日後には派遣を1 週間遅らせて実行することを決定し、関空発に変更になった便は家族が飛行場まで付き添うことになった。また旅行代理店の迅速な対応もあって、生徒を無事送ることができた。

 当時送り出す方としては、派遣生が帰国したくても帰る国がなくなっているかもしれない、というくらいの気持ちだった。一方で震災後の受け入れは、放射能の影響を心配してか、10 月にベルリンの高校生が1 名来校したのみであった。しかし翌2012 年には、ほぼ例年通りアジア、ヨーロッパから高校生が来校した。2013 年以降は、以前と変わらない人数の受け入れを維持している。

教師のための長期研修制度

 生徒だけでなく、教師にも1965(昭和40)年以来の短期研修制度(海外出張内規)に加えて、長期の研修を受けられる制度が求められてきた。大坪秀二校長時代に、その可能性が模索されたことがあったが、諸般の事情で実現に至らなかった。1990 年にイギリスのイートン校との生徒交換の協議の中で大坪校長から教師の交換が提案されたが、先方の事情もあって本校からの教師派遣だけが実現した。1990 年から10 年間、イートン校の日本語教育援助と教師の海外研修を兼ねて一人2 年間、 5 名の教師が派遣された。イートン校の日本語授業を軌道に乗せ、派遣教師の研修が

それなりにできたことで成果を認めうる制度であった。

 しかしながらこの派遣制度は、ある程度英語科や国語科の教師に限られること、日本語を教授するという研修に限定されるという限界もあったことから、より広い目的を可能にする新たな制度が求められてきた。1993 年6 月には教師会で規約を含めた話し合いがもたれ、矢崎三夫校長(当時)も実現へ向けての意欲を表明したが、諸般の事情でなかなか導入することが叶わなかった。そうした流れの中で、個人的な願い出による1 年間の海外研修が2 件認められ、大きな成果を収めていた。ようやく2000 年9 月、長期研修制度に関する規程が制定され、翌年9 月から1 年間、伊藤義器教諭(国語科)がオックスフォード大学に近代文学の研究のために行って以来、以下の教員がこの制度を利用して研修を行った。海外での生活体験が持て、国際的視野が拡がり、国内ではできない研究ができること等、得られるものが多い制度であり、多くの活用が期待される。

  • 2001年 伊藤義器 [英国、オックスフォード]近代日本文学と比較文学的研究「ポストモダン」以後の批判理論研究
  • 2002年 酒井良介 [英国、ノッティンガム大学]英語語彙教授法の研究
  • 2003年 大西正幸 [筑波大学、オランダ他]日本サッカー協会公認S 級コーチ養成及び海外プロクラブ、Jリーグクラブでの実地研修
  • 2005年 豊住伸治 [韓国、ソウル]韓国文化の総合的研究
  • 2008年 島﨑亮浩 [東京学芸大学大学院]レーザースペックルによる個体の複雑構造の研究
  • 2009年 佐藤郁子 [筑波大学大学院]中高生男子生徒の健康状態と食生活を中心とした生活調査からの考察
  • 2010年 手島 良 [英国、ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)]日本語を母語とする英語学習者に対する発音指導法の研究
  • 2012年 加藤修治 [英国、バーミンガム大学]西ヨーロッパにおける近代都市の形成過程に関する研究
  • 2014年 菱沼美里 [イタリア、食科学大学]イタリアおよび日本の食文化の研究
  • 2015年 亀岡岳志 [新潟県、長野県、東京都]新潟および長野農村の文化地理学的研究/日本山岳ガイド資格スキーガイドステージⅡ取得
保護者・同窓生の寄与

 保護者と同窓生は、学校とりわけ私学にとって最大の理解者であり、学園は保護者会や同窓会の支持と物心両面にわたる支援なしには今日の発展は覚束なかった。保護者・同窓生には特別授業のキャリアガイダンス講義、山上・海浜学校での付添医師として、さらに部活動の指導補佐等、日常の教育活動にご協力いただいてきた。

 特に施設をはじめとする学習環境の整備の面で、温かいご支援は終始変わることなく現在にまで及んでいる。それら諸施設のうち、青山寮・鵜原寮は旧制時代から今日に至るまで、中学1・2年生の体験学習の場として大きな役割を果たしてきた。学校山林も毎年5 月の中学1 年生の親睦遠足の目的地になっている。1992(平成4)年3 月には高校生・中学生を中心に大学生・教職員を加えた有志によって学園創立70周年の記念植樹が行われた。

 また1968 年以降の学園創立50 周年記念事業募金ならびに高校中学の諸施設の完成、あるいは1985~86年の濯川蘇生事業、1995~96年の西棟建設による学習環境の整備・改善の陰には常に保護者会・同窓会の支援と協力があった。また国外研修制度においては、現地在任の同窓生に派遣生のサポートをお願いしている。

 学園の100 周年記念事業に関しても多大なご支援をいただき、旧軟式テニスコート跡地に建設された理科特別教室棟が2017 年12 月に竣工した。個人による多額の寄付もあり、それらを原資として海外大学直接進学を対象とする奨学金制度が100 周年まで時限的に施行されている。

 一方、グラウンドの人工芝化や新テニスコートの設営など運動施設の充実に関しては、各運動部OB会からの寄付が大きく寄与している。

 最近は同窓会からの継続的な支援体制確立へ向けての動きが盛んである。生徒が国外または国内へ出かけて学ぶ機会を増やそうという学校側の指導方針に呼応した形で、これらの活動に対する金銭的支援の制度が施行されようとしているのは、その好例である。

 以上はすべて本校の教育活動に対する保護者・同窓生の共感と理解によるものである。深く感謝したい。

(注)本百年史の『主題編』に収録の「第二外国語と国外研修制度の展開」も参照されたい。

国外研修 赤城合宿
国外研修 韓国の教室で
アメダス練馬観測所移転の経緯

 2012(平成24)年末をもって、高中東門横に設置されていたアメダス練馬観測所が石神井公園北側に移転した。

 1942 年1 月1 日、旧制武蔵高等学校気象部は東京管区気象台中新井観測所(甲種)の名称で、公的な報告任務をもった定時観測を屋上観測塔ならびに露場で開始した。それに先立つ1940 年4 月に中央気象台管区の観測所として認知はされており、月表も気象庁に送っていたが、「武蔵気象部50年の歩み」の年表によれば、冒頭の日付が同観測所名での観測資料が気象庁に保管され始めた正式な観測開始日となっている。

 以来、部員による定時観測は、休日はもちろん、夏期休暇、年末年始もたゆまず行われてきた。第二次世界大戦末期の一時期と、2011 年3 月の東日本大震災から新学期までの生徒の登校禁止期間や、2020 年2 月末からの新型コロナ感染症流行による休校期間を除いて、欠測がほとんどないことは気象部の誇れる歴史といえる。

 しかし、科学技術、特にロボット、コンピュータ技術が飛躍的かつ加速度的に発達していく中、1977 年には中新井観測所は気象庁の地域気象観測システムに編入されることになり、アメダス練馬観測所として観測と通報を自動的に行うようになった。積雪報告を除き「中新井観測所」としての気象部の業務はなくなったのである。そのリアルタイムのデータは気象庁のホームページから、今日、誰もが閲覧できるようになっている。その一方、部員による観測も大切な活動の一つとして現在も続けられている。

 このアメダス練馬観測所が自動計器による観測を開始して、30年の歳月が流れる間に観測設備のある露場の周辺環境は大きく変化し、測定値に影響を与えるようになった。なかでも近隣住宅の密集度の増加、大学8 号館の建設などは、気温、風向、風速、雨量などの計測において、次第に信頼できるデータが捕捉しにくい傾向が現れるようになった。

 東京管区気象台では、2007 年より校内での新たな観測機器の設置場所の検討を開始し、学校とも共同して校内別場所で候補地を探したが、条件に適う場所は見つからなかった。練馬区と東京管区気象台が「アメダス網の同一メッシュ内」で新たな観測所候補地を探すこととなり、できる限り速やかに石神井公園北側の日本銀行グラウンド跡地にアメダス練馬観測所を移転する旨の通告が東京管区気象台よりあった。

 アメダス観測所の移転は他府県で過去にも例があるが、その理由は、ほとんどが地権者との関係によるもので、今回のような周辺環境の変化を主因とする移転は極めて珍しい。移転時の方針は以下の通りである。

  • 露場、ならびに気象部使用の百葉箱は学校の施設であるため残る。
  • アメダスの観測機器のうち新観測所で使用するものは撤去される。
  • 観測用のポールや雨量計土台など、新観測所で使用しないものは東京管区気象台の所有であるが、学校に払い下げてもらう方向である。
  • 新たに自動計測器を学校が補充・設置し、百葉箱ともども気象部の活動のみならず授業にも積極的に活用していく。

 方針の最後に掲げた自動計測器については、当初、この露場に新たに設置して継続的な自動計測を目指したものであった。しかし学園の建築計画について制約条件となることから方針を転換し、観測用ポール(パンザマスト)や雨量計土台などの払い下げは行わずに、2013 年1 月に撤去することとなった。このことにより、本校独自で地上に設置する自動計測器の計画は困難となり、東京管区気象台の助言を得ながら翌2013 年3 月、理科棟屋上に気象業務法に準拠したアメダス同等の気象観測ロボットを設置することとなった。この装置は2017 年3 月、理科・特別教室棟の屋上に移設して、現在も計測を続けている。

 また、方針の第1 に掲げた露場については、2020 年に始まった大学11 号館の建設にあわせて、2 基の百葉箱とともに新テニスコート脇へと移転された。学園内の建築計画も一段落した現在、露場の移転を心配する必要がなくなったことにより、授業でも安心して利用できるようになったほか、さらなる観測環境の充実も期待される。

アメダス練馬観測所
『武蔵高等学校中学校紀要』の発刊

 2016(平成28)年度から、高等学校中学校の教員による研究成果を発表する媒体として、紀要を刊行することになった*。第1号(創刊号)は2016 年10 月に発行され、2022 年5 月現在で第6号を数えている。

(注)有馬郎人学園長(当時)による発刊の辞には、以下のように記されている。「武蔵高等学校・中学校の教員には旧制武蔵高等学校以来の伝統がある。即ち常に自ら研究しつつ教育に励むということである。また武蔵学園では三つの教育理念で教育を行っているが、その一つに『自ら調べ自ら考える力』の育成がある。教員は教育に全力を集中しつつ、先ずこの理念を自らにも適用している。教員にとって自調自考を行う場の一つは研究であり、調査、観測観察等である。今般『武蔵高等学校中学校紀要』を刊行し、そのような貴重な研究の成果を発表し記録することになった。この紀要に依り、武蔵高等学校中学校の教員がどのようなことに関心を持ち、生徒指導と同様に自身の専門分野の研究を大切にしているかを知っていただきたい。また教員諸氏も、お互いに何に関心を持ちどのような考えを持っているかについて相互理解を深めつつ、更に活力を高め、教育の質を向上されんことを祈念している。」

『武蔵高等学校中学校紀要』第1 号(2016 年刊)の表紙
災害の教育活動への影響
【東日本大震災】

 2011(平成23)年3 月11日に発生した東日本大震災は、本校の教育活動にも影響を及ぼした。当日は3 学期期末試験後の授業がない日で、登校している生徒は部活動等に参加の約130 名で、専任教員50 名余りは業務のために全員が出勤していた。地震発生直後の午後3 時頃には生徒と教職員全員が上グラウンド(サッカー場)へ避難したが、揺れが何度も続き、そのたびにグラウンド横のマンションに組まれた作業用の足場がガタガタと音を響かせた。室内では本棚の書籍や机上の物品が床に散乱した。校内のすべての活動を中止して速やかに全員帰宅させようとしたものの、首都圏の鉄道路線はほぼ全線がストップし、道路も大渋滞が発生していた。武蔵の前の千川通りは、都心から徒歩で帰宅する人々で大混雑であった。生徒指導委員長である豊住伸治教諭(当時)の指示の下、生徒は普段の訓練通り「災害時帰宅グループ」に分かれて帰宅の時期を待つこととなった。学校に比較的近い地域の生徒および教員が同行できる地域の生徒は一緒に徒歩で帰宅し、高校生で徒歩2 時間程度までの者も帰宅させた一方、遠方に住む生徒は学校に留める他はなかった。中には途中まで電車で行ったものの、その先の電車が動かないために学校へ戻る生徒もいた。77 名の生徒が乾パンと水の配給を受け、アルミックシートに身を包んで寒さを凌ぎつつ図書館棟大教室や西棟多目的演習室に宿泊した。専任教員の多くも帰宅できず、各研究室内に宿泊した。翌日には鉄道各線が運転を再開して全員が夕方4 時半頃までには帰宅できたが、その後しばらくは計画停電や鉄道の運行範囲制限などが続いた上、原発事故による放射能汚染などの危険も重なり、その後の春休みの活動はほぼ全面中止となった。

 行事の実施にも震災の影響が出た。津波発生時の対応の困難さと放射能の心配などにより、海浜学校は中止となった。記念祭は、地震による交通機関全面ストップ時に来場者の安全確保が困難であるため、4 月開催は中止となったが、大きな余震発生の危険が多少低くなったという判断により6月に開催される運びとなった。

 震災発生以前から、「大地震発生時には3 日間程度学校に生徒を留め置けるだけの備蓄をしておく」が学校防災の基本的な考え方となっているが、震災の経験はその正しさを確認する機会となった。偶然、生徒の人数が少なく教員の人数が多い日であったこと、震源地が遠かったこと、真冬ではなかったことなど幸運が重なっていたために大きな混乱とならなかったが、備蓄品の充実などを含む学園全体の震災対策が、東日本大震災後の10 年間で急速に進められた。

【新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対処】

 2020(令和2)年2 月頃から国内の感染が拡大した新型コロナウイルス感染症の影響で、安倍晋三首相による全国一斉休校要請に基づき、本校も2 月末から休校を余儀なくされた。3 学期末試験と中学卒業式は中止、高校卒業式は保護者列席なしで開催となり、保護者向けには映像の同時配信を行った。2020年度が始まっても約2 か月間、生徒の登校は不可能となった。

 この間、4 月には生徒の教科書や学習課題を宅配便で送付、リモート学習のプラットホームを整備(Classi を試みたが、不具合が発生したためすぐにGoogle Classroomへ変更)し、5 月の連休明けからオンライン授業を開始した。

 6 月上中旬には分散登校を行いながら、学年別に前年度の終業と今年度の始業を実施し、中学入学式も挙行した。6 月中は分散登校をしながら、「マスク着用・手指消毒・密を避ける」を柱とする新しい生活習慣を身に着けるための慣らし期間とした。7 月上旬からは全員登校を再開した。分散登校やリモート授業を長期間行う学校も多い中、本校では「体調不良のときは登校しない」を大原則として、家庭での健康観察と登校時の一斉検温実施、各自の基本的感染防止対策の徹底により、全員登校による対面授業を早期に再開する道を選んだ。同時に、濃厚接触者に指定されるなど自宅待機を余儀なくされる生徒に対しては、教室での授業をそのまま配信するハイフレックス方式で授業を提供した。2022 年度7 月までの間に、校内でのクラスターの発生は一度もなかった。

 全員登校の再開は比較的早かったものの、度重なる感染者数増大の波に翻弄され、教育活動全般は大きな制約を受け続けることとなった。学校からは学期の始めなどの節目に「生活心得」を配付、コロナ関連の欠席届など保護者への通知にはその都度フェアキャストによる配信で、感染防止のための方針の周知徹底を図った。学校行事について言えば、2020年度は、記念祭(第98回)、中1 山上学校、中2 みなかみ民泊実習、体育祭、強歩大会、スキー教室がいずれも中止となった。

 2021 年度は、放送による始業式で始まった。第99 回記念祭は例年より1 ヶ月程度遅れて、6 月にオンライン企画中心で縮小開催とした。一般来場者なしの開催であったが、2020 年度の記念祭は中止であったため、企画の中心となっていた95 期生と保護者には来場を認め、部分的に対面企画を実施した。中1 山上学校は8 月末に日帰り実施、中2 みなかみ実習は10 月に日帰り実施、体育祭は来客なしで球技のみの実施、強歩大会は距離を半分にしての縮小実施、スキー教室は中止であった。

 2022年度には国や都による行動制限が緩和されたため、第100回記念祭は全面的な開放まではできなかったものの、事前申込制により一般来場者も迎えて、例年通り4 月末に開催することができた。中1 山上学校は2 泊3 日3 期制で実施、中2 みなかみ実習は3 泊4 日で実施された。部活動や総合講座などの宿泊を伴う活動については、事前PCR検査などの条件付きで解禁した。本人発症や同居家族発症によって参加不可となる生徒を一部出しながらも、種々の活動が意欲的に実施されている。

 部活動については、情勢の変化に応じて「校友会活動(部活動)指針」を改訂して活動ルールの徹底を図った。運動部では、競技の特性によって感染リスクが異なるため、その競技団体が示すガイドラインに従うことも要請した。2020 年度当初は中止が相次いだ各競技の大会も、その後は対策を取りながら実施されるようになった。

 最も影響が大きかったのは国外研修である。2020 年3 月以降は、武蔵からの留学も海外からの留学生受け入れもすべて中止された。そのような中、国外研修派遣生に選ばれた生徒を中心とする数名の高校生が、海外の提携校の生徒たちとリモートでの交流会を企画実行し、有意義な意見交換ができたことは特筆に値するであろう。2023 年1 月には韓国からの留学生を受け入れ、3 月には本校からも韓国に研修生を派遣する予定である。感染症流行状況を考慮しつつ、2023 年度には研修制度を本格的に再開させていく見込みである。

 様々な教育活動の制限という負の影響があった一方、リモート学習やリモート会議の必要が生じたために校内のICT環境の整備と利用は一気に進むこととなった。Google Classroomや関連の仕組みの利用は、教員生徒双方にとって日常的なものとなっており、オンライン上での課題の提示や回収が当たり前に行われている。2022 年度春の校友会役員選挙ではリモート投票が実現した。生徒向けキャリアガイダンスなどでも、海外など遠方にいる講師によるリモート授業が行われている。学園や高等学校中学校の各種会議が、Zoomによるオンラインで行われる機会も増えた。2021 年度には教育ICT推進委員会を立ち上げ、生徒全員へのタブレット端末配付や教室のWi-Fi 環境整備などを着々と進めている。

中止となった記念祭のため準備されていた入場門
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