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「武蔵のゼミ」 ここが出発点!(阿妻耕次郎)
はじめに

 大学開学当初からの「少人数制教育」および旧制武蔵高等学校時代から引き継がれた「三理想」の精神を具体化したカリキュラム「ゼミナール教育」。

 「経済学部経済単学科時代(1949~1958 年)」「経済学部経済・経営複学科時代(1959~1968年)」「経済学部・人文学部複学部時代(1969~1991年)」そして「学部改組、カリキュラム改正に伴う新たな展開(1992年~)」の過程において「ゼミの武蔵」と称されるほどとなり、「ゼミ」の果たす役割は大きい。

1960 年頃の撮影、経済学部の藤塚知義教授のゼミナール授業の様子。担当する学生は10 名程度の少人数である。
旧制武蔵高等学校開設当時の少人数制教育

 「少人数制教育」は旧制武蔵高等学校時代の特色であり、まずは旧制武蔵高等学校開設に際しての教育指針「国際的な感覚を持ち、自主性のある人材の教育を目標とした」視点を史料から見ることにする。

 一木喜徳郎初代校長は、「我国民の教育的欠陥は外国語に不鍛錬なことである。最近国際連盟規約の批准事務を掌った私は特にそれを痛感して現在の教育制度では到底『世界の日本人』を作ることは難しいと考えた。故に新設の私立高等学校の特色を其処に求めて力を尽くしたい」と、校長就任に際し述べられている。そして「外国語教育の重視を宣言した」と1921 年5 月11 日の朝日新聞ほか各紙に報じられた。

 実際の「英語」の授業では、40人の一クラスを20人ずつの2 組に分けて別々に行う「分割授業」が採用された。これは山本良吉初代教頭の熱心な主張を容れたものであるという。また、

 分割授業という形態は新制時代に受け継がれ、1953年(昭和28年)より英語・数学の一部に実施することになった。さらに1966年(昭和41年)より中学1・2 年の理科にも取り入れられた。

 他の教科の特色も見てみる。

 「修身」これは今日の道徳あるいは倫理に当たるが、山本初代教頭(第三代校長)が尋常科の全生徒の授業に当たった。生徒の日常の生活と行為に直結した具体的問題について、個人としてまた社会人として踏むべき道を説いた。教科書によって教えるというよりはむしろ独自の個性を通じて生徒一人ひとりと接触する方法をとった。12~13 歳の少年期において基本的なしつけを身につけねばならぬというのが山本初代教頭の信念であり、それによって徹底した教育を行った。

 「国語・漢文」は三理想の一つである「東西文化の融合」の観点から特別の配慮があり、「数学・理科」は三理想の中の「自ら考え自ら調べる能力」という観点からも大きな比重がおかれた。

 小学校卒業者を入学させて7 年間の教育を施して、大学に進学させるのであるから、自然に「エリート教育の形態」をとらざるを得ない。開校当初から「厳選少数教育」を目指したのであった。

武蔵大学の草創期―「特殊研究(ゼミナール)」の導入

 次に、大学開学に際し、「旧制武蔵高等学校の伝統」が、どのように反映、引き継がれたのか当時の入学志願要項、大学入学案内などを見てみる。

 1949年度(昭和24年度)入学志願要項には、「経済理論、経営実践の各種講義及び演習による十分な専門知識と、社会人、経済人としての必要な高度の科学知識並びに豊富な文化教養を有する有能な実力ある人材を育成せんとするものである」と記されている。

 1950年度(昭和25年度)入学志願要項には、「将来の日本経済界に活躍する経済人として充分な専門知識と、豊富な文化教養とを有する、実力ある人材を育成せんとするものである。なお、本学には武蔵高等学校・武蔵中学校を併設して「その伝統による教育」をもって日本文化の向上に寄与せんことを期している」と記されている。

 1951年度(昭和26年度)入学案内には、「本大学は、旧制高等学校以来の豊富な教育経験を基幹とし、これに優秀にして豊富な教授陣容を整備して、比較的少数の学生に徹底した教育を施し、真の実力を養い正しい人格を培い現実社会に正しく強く生きぬくことのできる人物を養成することを特色とする。教授と学生との密接な交渉は相互の人間的信頼の上に、知識の徹底的な習得と中正穏健な思想の形成と高潔な人格の陶冶を可能ならしめるもの」と記されている。

 また、「学則」の項では、「特殊研究(ゼミナール)」について、「最初の二学年においては毎年四単位、以後は八単位以上の特殊研究を取得することになっている。これは学生がその希望する学科を選んで担当教授指導の下に特に自発的な研究を行うものであり、又教授・学生間の密接な接触によって人格陶冶に資せんことを期している」と謳われている。

 1949年(昭和24年)4 月の第一回入学式において初代宮本和吉学長(旧制武蔵高等学校第五代校長)は「本学は過去の伝統にこだわらず、いわば処女地を開墾し、新しい伝統と校風を築いていくが、『視野の広い、世界人としての日本人、自ら調べ自ら考え、批判的精神を失わない日本人をつくり上げる』というモットーを大切にしたい」と述べ、「この大学を良くするも悪くするもすべて諸君の今後の努力にかかっている。武蔵大学の歴史を先ずつくる人、それは諸君である」と結んでいる。

 そして、初代鈴木武雄経済学部長は、宮本学長が描く「新しい伝統と校風」の具体化として武蔵大学の第一の特色「少数精鋭主義」を基本とする教育方針を前面に打ち出した。

 もともと旧制武蔵高等学校は、少数の生徒を徹底的に教育することを校是として大きな成果を上げていたから、武蔵大学がそれを大学教育の「場」において実現できるのであれば、極めて望ましいわけである。

 第二の特色は、「全学ゼミナール制」と「指導教授制」。これは「少数精鋭主義」の具体的な面であり、旧制武蔵高等学校以来の建学の三理想の一つの「自ら調べ自ら考える力ある人物」の育成には最もふさわしいものであって、マスプロ大学ではない武蔵大学にして、はじめて採りうる制度であるといってよい、と位置付けている。

 「全学ゼミナール制」は、第1 年次および第2 年次を「教養ゼミナール」、第3 年次および第4 年次を「専門ゼミナール」とし、学生すべてが専任教員の担当するゼミナールのどれかに入れるように全ての専任教員がゼミナールを開講、毎学年のゼミナールを必修科目とするものである。

 なお、1969 年に開設した人文学部においては、これを「演習」と呼称したが、当時の人文学分野では「ゼミナール」はなく、「演習」と呼称する傾向にあったと、星野誉夫名誉教授から史料調査の段階でご教示頂いた。

 「指導教授制」は、このゼミナール制の基盤の上に設けられたものであって、ゼミナール担当の教授・助教授・専任講師がそのゼミナール学生の指導教授となり、ゼミナールにおける学問研究の指導とともに、それとは別の学生の思想・生活その他あらゆる面にわたる親身の相談相手となるものである。

 この「ゼミナール制」と「指導教授制」によって、教授と学生の接触が深まり、他大学には見られない相互信頼のヒューマン・リレーションが形成されたことは、武蔵大学の特色となっていく。

 ここで鈴木武雄経済学部長についての「思い出」を一つご紹介する。

 1992 年に就任した第八代櫻井毅学長は、かつて1948 年4 月、新制武蔵高等学校2 年に編入されたが、随筆集『思い出に誘われるままに』の中、「武蔵高等学校時代の思い出」で、鈴木学部長が新制武蔵高等学校の「社会科」の授業もされたことを記している。「高名な学者が武蔵大学にこられて、われわれの社会科の授業を担当してくださるということに、大いに誇りを感じたものだ」、「その授業方法について、前半は講義をされたが、後半は『いわゆるゼミ形式』を取るといわれ、報告者を指名して順々に報告させた。社会科ということで内容は生徒に完全にゆだねた。生徒は勝手にテーマを決めたため、テーマによっては「あまり行き過ぎないように」と苦笑され注意を与えられたほどだ」、と回想されている。

 大学開学から8 年が経過した1957年度(昭和32年度)の『武蔵大学概覧』に、当時の鈴木武雄経済学部長が「本学の特色」と題する一文を草している。

軽井沢における合宿形式でのゼミナールに参加する経済学部18回生。右端は小林賢齋教授。

 「武蔵大学は、大学としては新しいとはいえ、創立以来すでに満8 年を経過し、その間卒業生を世に送ること5 回におよんでいる。したがって旧制武蔵高等学校の光輝ある伝統の校風の上に、いまや大学としての独自の学風もほぼ確立されたといってよい。それは、学生数を比較的少数にとどめていることによるであろうが、教授と学生の間がきわめて親密だということである。本学は、基礎的な講義のほかに、ゼミナールに大いに力を入れているが、一般教育および専門両課程の専任教授・助教授総員が担当しているので、全学生は、一人残らず毎年ゼミナールに入ることができ、且つ1 ゼミナールあたり学生数が20~30人であるため、行き届いた効果的な研究指導が可能である。また、とくに指導教授制なるものを設け専任の教授・助教授一人当たり平均20~30 人の学生を配属したグループをつくり、教室以外の師弟同行の場として、緊密な接触指導を行うとともに学生の勉学および生活上のよろず相談相手たる役を果たしている。(中略)こういうことは充実した教授陣に対し学生数が比較的少数であるからこそ可能なのであって、他のいわゆる『大』大学には見られないところの本学独自の学風として、私どもひそかに自負するところである。」

文系総合大学をめざして

 経済学部に人文学部を増設、複学部体制移行に際し、武蔵大学事務部編『武蔵をめざす友へ』《武蔵の青春群像 No.5 1968年(昭和43 年)》に、第三代正田建次郎学長の「武蔵の教育理念」と題する寄稿がある。

 「国際的な感覚と知識を身につけた人材を生み出す。身につけるためには自主的に調べ、考えなくてはならない。これが武蔵大学の建学以来の理念であり方針である。このことは本学に限るわけではないが、大学において、特に大切だと思う。

 大学教育を受けることによって学生は何を得ようとすべきか。学士の称号を得ることでもない。スポーツの選手になることでも勿論ない。良い職場を得ること、つまり働き甲斐のある職につくことも望ましい結果ではあっても、大学教育の直接の目的とはいえない。

 大学では自己と社会との関連に於いて確立し、あわせて社会の一員として役立つ専門の知識技能を身につけること、それ自体を目的として専念すべきである。

 科学技術の進歩は世界をますます狭いものにし、今日では国際的視野に立たなくては、何事もなし得ないようになった。本学の教育理念として重視してきた国際的感覚の重要性は、現在の時点に於いて特に強調すべきであろう。学校教育においては、本学に限らず、ともすると知識を偏重するきらいがある。知識はそれが働かされて初めて効能があるので、そのためには感覚にまで深められていることが望ましい。換言すれば身についたものにすることである。自ら調べ自ら考えるという、本学の教育方針はそのためであり、それも教授との密接な接触により、その個人的指導のもとに行なおうとしているのである。

 知識の切り売り的な、書物を読んで事足りているような教育は本学のとらざるところである。

 本学が開学以来経済学部だけの単科大学として今日に至り、ようやく明年度より人文学部を増設することになったのもこの望ましい姿を無理なく堅持するためであった。将来もこの姿を教職員・学生が一緒になって更に徹底させていくように努力したい。」

 その後、1992年(平成4 年)からは学部改組、カリキュラム改正に伴う新たな展開が進められている。

 2005年(平成17年)10 月、「武蔵学園将来構想計画」が学校法人根津育英会から打ち出された。その中で「大学のビジョン」として、「武蔵大学は、21 世紀の新たな時代と社会において大学に求められる知の創造、継承と実践にその教育研究活動を通じて貢献すること(「知と実践の融合」)を基本的な理念とし、知的実践の基盤となるリベラルアーツを重視した教育に重点を置く大学としてその社会的使命を持続的に果たしていくことを目指す。」と記され、この理念・使命の達成のための教育・研究活動等の基本目標を、次のように定めている。

『教育の基本目標』として、「建学の三理想」と「自由闊達な学風」の今日的な意義と有効性を踏まえ、その新たな展開を図る。すなわち、①自ら調べ自ら考える(自立)、②心を開いて対話する(対話)、③世界に思いをめぐらし、身近な場所で実践する(実践)ことができる資質・能力を有し、21 世紀の社会を支え発展させ得る「自立した活力ある人材」を育成する。

1990 年頃の撮影、人文学部の丸橋珠樹教授のゼミナール授業。
おわりに 繋げよう武蔵の伝統

 この新たな展開の中でスタートした「三学部横断型ゼミナール」、その運営に必要とされる能力として「社会人基礎力」を求めている。その社会人基礎力の活用を含めた三学部横断ゼミナールの具体的実践内容を卒業生にもアピールする目的で、「大学開学60 周年記念オールカミング(2010 年(平成22年)3 月6 日開催)」プログラムの一コマに組み入れた経緯もある。

 大学開学以来積み上げた約70 年の重み、それを未来に確実に繋ぐためにも卒業生の協力も一層重要になると感じる。「自ら考え、そして実践する姿勢」は、卒業生としてずっと持ち続けていきたい。

【参考文献】
  • 学園創立50年史編集委員会編『武蔵五十年のあゆみ』(学校法人根津育英会、1972年)
  • 武蔵70年のあゆみ編集委員会編『武蔵七十年のあゆみ』(学校法人根津育英会、1994年)
  • 武蔵大学五十年史編纂委員会編『武蔵大学五十年史』(武蔵大学、2002年) 
  • 櫻井毅『随想集 思い出に誘われるままに』(西田書店、2007年)
  • 武蔵九十年のあゆみ編集委員会編『武蔵九十年のあゆみ』(学校法人根津育英会武蔵学園、2013年)
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