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中学校社会科「卒業研究」への展開(柿沼亮介)
はじめに

 武蔵では、どの教科も特徴的な授業を行っているといわれる。決まった答えに効率よくたどり着くことだけを求めるのではなく、問題そのものを発見し、それに対して学問的な方法論によって立ち向かっていくような授業が、様々な教科で展開されている。

 現在、教育の世界では「課題発見・解決」のための探究型の学習の重要性が喧伝されているが、武蔵では以前からこうした取り組みが行われてきた。そしてそれは、旧制以来の教養主義的な校風を維持してきた武蔵ならではの形をとってきた。では、お仕着せではない自由な学びを大切にしてきた武蔵における探究的な教育活動とは、どのようなものなのだろうか。中学校社会科の集大成として、生徒が自らテーマを設定して研究を行い、レポートを仕上げる授業である中3「卒業研究」に注目して考えてみたい。

1 .「卒業研究」前史

 社会科における探究型の授業は、2010 年度の中3 から「卒業研究」が取り入れられる以前から試みられていた。それが、1987 年度からの教育課程の改訂にともなって生まれた高1「現代社会演習」である。

 この科目は、社会科の全専任教員が分担して担当したもので、一学期の始めに高1 全員を集め、各教員がそれぞれの専門や関心などについて説明し、生徒は希望に応じて各教員に振り分けられた。一人の教員が担当する生徒は20~30 人程度で、月曜日の1、2 限が配当されたが、日曜日にフィールドワークを実施するなどしてそれに代えた演習もあったようである。

 野心的な試みであり、「今までやれなかったことができる*1」といった好意的な評価もあったが、「結局やる気のない生徒は出てくる」「20~30人向きの部屋が少ない」「フィールドワークは日曜日を使うことになりやりにくい」*2 といった意見もあり、1987 年度と88年度の2 年間で高1「現代社会演習」は廃止され、代わりに「社会II」(歴史)が設置された*3。

 「現代社会演習」という授業はなくなったが、教員がその専門性を生かして講座を開設し、希望する生徒が選択するという形式は、その後の「家庭科」や「総合講座」の取り組みに発展的に引き継がれることとなる*4。

2 .中学校社会科の教育課程

 武蔵の社会科では1974 年から2000 年代末まで、一貫して中1 で「政治経済」と「地理」を、中2 で「歴史」と「地理」を必修としてきた。

 中1 の「政治経済」は各クラスを社会科の複数の教員で分担し、各教員がそれぞれの視点から授業を展開するもので、「社会科入門」としての役割を果たしていた。教員によってその方法は様々であるが、現代社会の諸問題について調べてレジュメを作成し、発表と質疑を行う授業、数千字のレポート課題と格闘する授業、大量の参考資料が配布され、凄まじい勢いで板書が展開される授業など、入学したばかりの新入生は武蔵の洗礼を受けた。

 「地理」は、中1 で山上学校に向けての地形図利用の習熟や日本地理を扱い、中2 で世界地理を扱うものだった。中2 の「歴史」は、歴史入門という扱いで授業が展開された*5。

 中3~高3 の教育課程は、「世界史」と「政治経済」にあたる授業の配置学年などについての変遷はあるものの、1990 年代後半以降、中3 では日本史と世界史を必修としていた。これによって歴史は、世界史分野の記述が少ない中学校の教科書のレヴェルをこえた内容が展開された。すなわち中3 は、「日本史」・「世界史」・「地理」・「倫理」・「政治経済」という高校の教育課程の枠組みに連なるものとして位置づけられていたといえる。

 こうした教育課程には2008 年度から大きな変更が加えられ、中学校の社会科の授業は、以下のようになった。

 このカリキュラムでは、地理・歴史・公民などの科目分類にとらわれずに社会を全体的に把握することが目指され、各学年に「社会1(主に日本について)」と「社会2(主に世界について)」が設置された。そして3 年次の社会2 では、集大成として卒業研究に取り組むこととされた*6。

 すなわち、これまで各教員が個別に取り組んできた社会科入門としての中1 政経や、地理、歴史を再編し、日本と世界について空間軸と時間軸を交叉させながら総合的に捉える授業が目指されることとなった。

 さらにもう一つ重要な変更点は、それまで中3 の社会科目では高校の教育課程に接続する形で「日本史」と「世界史」を設置していたのを、中学の3 年間で完結する教育課程に改めたことである。中学校3 年間を通じて社会科へのセンスを高め、その集大成として「卒業研究」に取り組むという目標がはっきりと定められた。教育内容のマニュアル化を避けつつ、一方でカリキュラムの体系化を目指す試みであったと評価できるだろう。

 中高一貫の進学校の中には、中学で高校の内容を先取りしたり、高2 までで教科書の内容を終え、高3 は受験のための演習の時間とすることを売りにするところも少なくない。しかし武蔵では、HPの「よくあるご質問」でも次のように説明している。

 

Q 教科書を早めに進めて、高2 までに課程を終えているのですか。

A 検定教科書どおりの授業はないといえるでしょう。6 年間のある時期を取り出して世間と比較してどうなのかということはいえないのです。高3 になると復習的な授業もありますが、高2 までで高校の課程を終えるという考えは持っていません*7。

 

 つまり、内容を先取りで教えることを目標とするのではなく、武蔵生の成長過程におけるそれぞれの時期に相応しい内容を教えることが重要であるということである。

 日本史や世界史は、生徒に受験で求められる知識を獲得させることのみを目標にするのであれば、中3 から授業を設置して早くから教え込み、さらに高3 で問題演習の授業を通して定着を図るという方法もあるだろう。しかし武蔵の社会科では、知識の伝授のみを目的とした授業を行うのではなく、各学問分野の思考法を身につけさせることで、「自ら調べ自ら考える」ことができるように教育していくことが目指されている。社会科は、HPにおいて次のような教育目標を掲げている。

 

 武蔵の社会科が重視しているのは、私たちがいま生きるこの「社会」をさまざまな視点からとらえ、自ら生きる道を考えることです。人と人の協調や対立、生活の場や自然現象による変化などを地理や歴史から学び、今に至るつながりを考えてほしいと願っています*8。

 

 学校が掲げるこうした目標は、往々にして建前でしかないものである。「社会は暗記科目ではない」といったことはしばしば社会科の教員によって喧伝されるが、実際にはそうした教員の出題する定期試験が知識の多寡を問うだけの問題であるという話は、しばしば耳にする。一方で武蔵の社会科では、授業で教授した知識や方法論を実際の社会において活用するということが、本気で目指されてきた。だからこそ、中3 に先取り的に設置されていた「日本史」と「世界史」が、2008年度からの教育課程ではあえて再編された。そして中3 の「卒業研究」では、社会科で身につけた力を武器に、実際に自分で社会についての問題意識を持ち、テーマを設定してレポートを作成し、中学校社会科の総まとめとすることになったのである。

3 .中3「卒業研究」

 武蔵では英語・数学・国語・理科において、クラスの人数を半分にして少人数教育を行う分割授業が行われてきた。社会科教員の中からも分割授業を望む声が上がっていたが、それが実現したのが2000 年代末からの教育課程である。分割授業の実施に際して導入されたのが中3「卒業研究」である*9。

 「卒業研究」は、中学校社会科の総まとめとして取り組むものである。人文科学・社会科学からテーマを選び、生徒が課題を自由に設定している。授業では研究・論文執筆の作法を学びながら、プレゼンテーションの技術も身につけることを目指している。何度も準備報告を行い、クラスメイトと討論を重ね、情報収集能力や論理的思考力を高めつつ、最終的に5000字以上の論文を完成させる*10。

 授業は、中3 の4 クラスをそれぞれ分割した8 クラスについて、社会科の教員で分担している*11。概ね、一学期にテーマを設定し、必要に応じてフィールドワークなどを実施し、二学期に中間報告を行い、三学期は最終報告とレポートの提出となる。

 では、武蔵の教育における「卒業研究」の特徴は何だろうか。武蔵では中1 以来、理科・社会・国語・総合講座などの様々な教科で大量のレポートが課され、レポート課題に取り組む中で武蔵生は、実験・文献調査・フィールドワークの方法を学び、分析能力・論理的思考力・文章力などを磨いていく。しかしレポートは多くの場合、与えられたテーマについて調べ、まとめていくものであり、いわば学術的な文章を書くための基礎訓練であるといえよう。

 それに対して「卒業研究」では、自らテーマを設定した上で、学問的な方法による調査、中間発表を通したブラッシュアップ、論文執筆、プレゼンテーションいう学問研究の一連の流れを追うことができる。「卒業研究」の導入にあたっての教師会の議論の中では、「単なるレポートにとどまらず、それ以上の達成感」を味わわせることの重要性が指摘されている。「卒業研究」を中3 全員に経験させることは*12、武蔵のスクール・アイデンティティの一つともいえるアカデミックな校風を維持、発展させる上で重要な役割を果たしているといえるだろう。

 

4 .「卒業研究」の成果

 「卒業研究」の導入から10 年以上になるが、現在までに多くの卓越した研究成果があがっており、一部の生徒はその成果を外部でも発表している。

 板橋区教育委員会主催の櫻井徳太郎賞には、以下のような生徒の論考が選ばれている。

○第12回(平成25年度) 

高校生の部 最優秀賞 馬場俊行「清涼寺式を中心とする特定の模刻像の流行」

高校生の部 優秀賞 内山和哉・大熊久貴「河内王朝研究」

○第14回(平成27年度) 

高校生の部 優秀賞 吉田壮志「氷川神社の創建と発展に関する考察」

 また、藥師寺恒紀君が「卒業研究」の一環として利島と与論島での実地調査を行って完成させた論文「シデ法の分布とその場所の水環境」は、学会誌である『水資源・環境研究』に「小規模集水法であるシデ様雨水集水法の分布とその特徴」(同誌Vol. 28, No.1 2015年)として掲載された。

 他にも、学問的な方法論を踏まえつつも特定の学問分野に縛られない自由な発想による論文が、毎年多く見られる。近年の『大欅』に掲載された「卒業研究」のテーマを例示すると、以下のようなものが挙げられる。

  • 地方都市における自動車高依存による交通弱者の問題
  • 劉備の遺言にみる諸葛亮との君臣関係
  • 東京都新宿区大久保地区における店舗多国籍化に関する暫定的考察
  • 児童館の必要性と問題解決:『サザエさん』を手本に
  • 新幹線開業が地方都市へ及ぼす影響から提言する地方都市整備の在り方  ―リニア中央新幹線開業を控える甲府市を例として―
  • これからの墓地の在り方について ~次世代の墓のスタンダードとは~
  • 太平洋戦争における日本軍の連合軍捕虜への虐待について
  • 地方都市間における賃金格差・盲導犬に対するトラブルを減らすためにはどうすればいいか
  • 再犯率から考える日本と世界の罰
  • 世界で飲まれているビールの違い及び日本のビールの現状とこれから
  • マカオにおける「外国人高度人材」獲得を阻害する要因
  • 日本の法律事情から考えるアレインメント制度日本導入の可否について
  • サッチャー政権以降のイギリス医療保障制度NHSの改革
  • 宮古島市における観光業の発展と課題
  • 海洋プラスチック汚染問題解決に向けて
おわりに

 探究型の学習をめぐっては、社会科・地理歴史科教育においては2022 年度からの高校新課程において「歴史総合」「地理総合」が必修化され、さらに「日本史探究」「世界史探究」「地理探究」が設置されるなど、試行錯誤が続けられている。武蔵の中学校社会科ではそれより15年近く前から科目横断的な「社会1」「社会2」をもうけ、さらに「卒業研究」を置いており、総合的・探究的な学習が早くから目指されてきた。

 こうした授業を可能にしたのは、研究志向の強い教員が自由な研究を行うゆとりを持ち、その背中を生徒たちが見てきたからである。上記のように、生徒が「卒業研究」で選ぶテーマは社会問題や地理、歴史など多岐に及んでおり、社会科の教員がすべての分野に精通しているわけではない。しかし、自らも研究を続けているからこそ、生徒の研究の指導が可能であり、また生徒も教員を信頼することができるのだろう。まさに、自由な学びに溢れる教養主義的な武蔵の校風がなせる業であるといえよう。

 探究型の学習が普及していく中で、教員によるチョーク&トークの講義形式の伝統的な授業と、グループ・ワークやプレゼンテーションを行うような現代風の授業は対比的に論じられ、ややもすると前者を軽視する傾向も見られる。しかし、後者のような授業を成立させるためには、教員には生徒の自由な発想を受けとめるだけの高度な学識が求められ、生徒には確かな知識に裏打ちされた思考力が求められる。グループ・ワークやペア・ワークを形だけ取り入れただけで効果が得られるのではなく、教員のアカデミック・レヴェルの高さこそが問われているのである。

 「卒業研究」が導入されて10 年以上が経過し、特定の流行テーマにばかり食いつく生徒が少なくないといったマンネリ化の課題なども生じてきている。武蔵生の知的好奇心・探究心をくすぐる仕掛けとしての「卒業研究」には、まだまだ改善の余地があるということだろう。

 武蔵が時代に先駆けた取り組みを行ってこられたのは、常に新しい試みに挑戦してきたからである。そしてそれは、柔軟に教育課程を改変していくことができる小規模校ならではの利点と、受験だけを意識した教育を行うのではないというアカデミックな矜持、さらには生徒・教員が自由に学問に取り組むことができる時間的・精神的な余裕の賜物であるといえる。「卒業研究」をさらに充実したものにしていくためにも、こうした武蔵の文化を守り、育んでいかなければならない。ひいてはそれが、学校教育に対する社会的な要望が多様化し、学校間の競争が激化する中で、武蔵が時代を牽引していく存在であり続けることにつながるのではないだろうか。

【註】
  1. 1987年10月実施の「カリキュラム懇話会」についての教務委員会資料。
  2. 同上。
  3. 従来より高1 の社会科で必修であった「倫理」は「社会I」に名称を変更。
  4. 拙稿「高等学校『総合講座』への展開」(本書)を参照。
  5. 「2005 年度 各科からの報告」(『大欅』No.46、2006年)
  6. 「2007 年度各科より」(『大欅』No.48、2008年)
  7. https://www.musashi.ed.jp/nyuushi/faq.html#anchor05 2022年9 月8 日最終閲覧。
  8. https://www.musashi.ed.jp/kyouiku/kyouka/#030 2022年9 月8 日最終閲覧。
  9. 2008 年度入学の生徒からの新教育課程であるため、中3「卒業研究」の授業の開始は2010年度である。
  10. 「各科からの報告」(『大欅』No.59、2019年)
  11. 2015 年度までは2 人、2016 年度は4 人、2017 年度以降は3 人の教員で担当した。副担当教員をおいた年もある。
  12. 「卒業研究」の「合格」が、中学校の卒業要件となっているわけではない。
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