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第5章 21世紀の武蔵大学(2001-2022年)
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草創期の武蔵大学の教学関係の事務組織としては教務部、学生部があり、教授会より選出された教務部長、学生部長の下で運営されていた。その後1975(昭和50)年4 月に、正田建次郎学長・校長が初代の学園長に、鈴木武雄が初の公選学長に就任した。
この学園長、学長、校長制度の下では、法人事務局と大学事務局とを機構として区別することになったので、大学は職員業務を再組織して、大学運営の円滑化を図った。
また1997 年7 月には、3 学部体制への移行に備えて、大学事務部門の統廃合が行われた。大学庶務部と学部事務室が廃止され、大学事務部・学長室と学務事務部が新設された。その後も、数次にわたる改編が行われ、2012 年の時点での大学機構は、大学事務局のもとに、学長直属の学長室と企画室の他、五つの部局が置かれていた。
五つの部局とは、運営部(大学庶務課、入試課、研究支援課、広報室)、教務部(教務課、情報・メディア教育センター事務室、国際センター事務室、外国語教育センター事務室)、学生支援センター(学生生活課、大学保健室・学生相談室事務室)、キャリア支援センター(キャリア支援課、キャリア戦略推進室、キャリア開発室)、そして大学図書館である。こうした事務機構の改編は、大学の諸機関(各センター等)の増設や再編と並行して行われたが、それらの内容は、各学部・機関についての節に記述するとおりである。
学生定員に関しては、1991 年に臨時定員増を実施し、1 学年の学生定員を経済学部480 名、人文学部450 名に変更した。1992 年に経済学部に増設した金融学科の学生定員は、経済学部の臨時定員増分があてられた。その後も学部学科のあり方についての検討が続けられ、1998 年度に、人文学部の改組による比較文化学科の設置および人文学部社会学科を「改組転換」した社会学部の開設が行われた。このときの各学部の入学定員は、経済学部480名、人文学部300名、社会学部150名である*。
その後、臨時定員増は1999 年に廃止されるが、その半数は恒常化することが認められ、残りの半数を2004 年までに漸次削減することとなった。恒常化が認められた増員分は、社会学部の新学科を中心に、各学科の性格や将来性を考慮して配分が決定された。こうして、2004 年に社会学部に定員90 名のメディア社会学科が誕生した。また翌2005年には、人文学部の改組が行われ、比較文化学科を発展的に継承する形で、英米比較文化学科(入学定員90 名)、ヨーロッパ比較文化学科(同80 名)、日本・東アジア比較文化学科(同90 名)の3 学科体制(学部入学定員260 名)となった。
2008 年には、〈知と実践の融合〉を教育理念とする武蔵大学として、より充実を図るため、入学定員を840 人から930 人にする申請を文部科学省に行い認可された。この結果、翌2009 年から各学部の入学定員は、経済学部400 名、人文学部300 名、社会学部230名となった。
この間、第Ⅰ部でも記したように、2004 年の私学法改正への対応もあって、2005年に学園将来構想計画が策定され、その中で、大学も中期的な大学のビジョン、教育・研究等の目標と方策等を定めた。この将来構想のもと、2006年度から中期計画(後に第一次中期計画と呼ばれる)がスタートし、学長のリーダーシップのもと大学全体の統一的な意思決定が効率的に行えるよう組織が強化された。まず、それまで協議機関であった大学協議会が大学の最高位の審議機関として位置付けられるとともに、特命事項を担当する複数の学長補佐が置かれ、教務上でも大学としての教学の一貫性を高めることを目的とした教務部長職があらためて置かれた。また、大学協議会議題の事前調整等を行う会議体として執行部会議が設置された。2005 年度以後の各センターの改組や定員増もこの中期計画に沿ったものであった。
大学運営の改革・改善を進めるにあたっては、既に1992(平成4)年につくられた「自己点検・評価検討委員会」が、1995年4月に『武蔵大学の現状と課題』と題する報告書をまとめ(第4 章で既述)、その後も自己点検・評価を継続し、大学基準協会の相互評価を求めることとした。
大学基準協会による最初の審査は2002 年度に行われ、翌2003年度には、同協会の相互評価結果なども収録した『武蔵大学自己点検・評価報告書』が公表・刊行された。第一次中期計画においても中期計画担当の学長補佐のもとに、自己点検・評価が行われ、2007 年に大学基準協会の実査を受けて、「大学基準に適合」していると認証された。また、翌2008年には、「武蔵大学人材養成の目的に関する基本方針」を定め、この方針に従った全学・学部・研究科ごとのアドミッションポリシー(入学者受け入れ方針)・ディプロマポリシー(学位授与の基本方針)・カリキュラムポリシー(教育課程の編成・実施の基本方針)が策定公表された。また2009年には、それまで学部別に編成されていたファカルティ・デベロプメント(FD)委員会が全学組織に再編され、授業評価アンケートの他、外部講師を招いての学習会を設けるなどの活動が始まり、2012年には学生を交えたFDフォーラムも開催されている。
第一次中期計画が終わる2010 年に、第二次中期計画が策定され、翌2011 年度から実施された。特に、2011 年度から始まった新カリキュラムにおいては、3 学部共通の「総合科目」が設けられ、学部の専門教育だけでなく、4 年間にわたって学部を越えた武蔵大生としての基本的なリテラシーや教養を学ぶ教育課程が編成された。この中には、就職状況が厳しい社会状況にあって入学時から段階的にキャリアについて学ぶための科目群や、講義だけではなく少人数の環境で学べる実践科目なども配置されている。また、専門科目においても、全学共通専門科目が設けられた他、すでに2007 年に経済産業省の「産学連携による社会人基礎力の育成・評価事業」に採択され、2009年に文部科学省の教育GPにも採択された「学部横断型課題解決プロジェクト」(経産省採択では「三学部横断型ゼミナール・プロジェクト」)を、より発展的、継続的に実施するために、各学部1 名の助教を採用するなどの体制の整備が行われた。
第二次中期計画の終了を受けて2016 年度から実施された第三次中期計画(2016年度~2021年度)の策定においては、第Ⅰ部で既述のように、2013 年度に行われた寄附行為運用細則の制定を直接のきっかけとして、学園経営陣と大学教員との摩擦緊張が発生した。その結果、2014 年3 月には学校法人根津育英会武蔵学園*の根津理事長より「理事長ドクトリン」が理事会に提出・承認され、学園の教職員すべてが、はじめて具体的に理事長の考える学園経営の方途とその理念を共有することになった。
第三次中期計画は、この「理事長ドクトリン」とその教学面での具体化を図る「学園長プラン」を骨子大綱として、2014 年度から2015 年度にかけて審議策定をみた。これは、2016 年度から学園創立100 周年にあたる2021 年度末までの6 年間を期間としているが、2019年度末時点での中間報告(前半の3 年間分)においては、大学は「2017年度には人文学部にグローバル・スタディーズコース(GSC) と、社会学部にグローバル・データサイエンスコース(GDS) が開設される等、着実に成果を上げている(注2)」として計画が順調に推移していること、計画の後半(2019年度から2022 年度の3 年間)においては、「学園100 周年を見据えて、理事長ドクトリン、学園長プランの達成に向けて、リベラルアーツ&サイエンスのより一層の充実を期し、世界の高等教育機関や企業と接続するリベラルアーツカレッジの役割を果たす学園を目指すこととした。このために、大学にあっては、新たに開講された三つのコースを軸に、芯となる新しい学生層の形成を目指して、財務規律を維持しつつ、カリキュラムの再編や、リベラルアーツ&サイエンス教育を見据えた学部再編等の教育体系の再構築を行う」こととしている。
また学部の再編にあたっては、「地方大学振興法(地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出による若者の修学及び就業の促進に関する法律)の施行に伴い特定地域内部となる東京23区部の収容定員の抑制等が実施されることから、学生定員の増員は行わず、既存の学部の再編により実現することとし、同時に人件費を抑制しつつ、オンライン教育を活用すること等により、教育効果を高めながら、物件費の増額を抑制する」としている。
施設の拡充として、国際センター、学国語教育センター、CALL教室、スタジオ、洋書プラザ、ホールなどを備える大学8号館が、旧2 号館・旧研究棟・旧本部棟を建て替えるものとして2002年に竣工した後、以下のような展開が見られた。
1991(平成3)年度の大学設置基準の改正による教育課程の基準要件の緩和(いわゆる大綱化)を受けて、1996年度からカリキュラムの改訂が行われ(第4 章において既述)、その後も、経済社会の要請と学生の志向の変化に対応するために、2004(平成16)年と2011年にカリキュラムの改訂を行った。
この2 度にわたる改訂の特徴は、明確に定義されたコース制を導入し、そのコースとゼミを結び付けたことである。2011 年に改訂されたカリキュラムの特徴は次のようになっている。
コースは相互に関連の深い専門科目群から構成されている。「国際経済・経営」「経済学と現代経済」「ビジネス」「ビジネスデザイン」「企業会計」「金融」「証券アナリスト」の7 コースがあり、それぞれの専門領域について系統的に学べる仕組みとなっている。
コース名からも分かるように、経済・経営・金融の各学科との結びつきが強いコースもあれば、学科を跨ぐコースもある。例えば、「国際経済・経営」コースでは、国際という統一的な視角から経済・経営・金融の幅広い領域を学ぶことができる。また、留学を目指す学生などにとっては、留学前・留学後を含めて英語を集中的に学ぶことも可能である。逆に、経済理論・経済史・経済政策・財政などの科目からなる「経済学と現代経済」コースは経済学科と、経営戦略・組織論・マーケティング・人事管理論などの科目からなる「ビジネス」コースは経営学科と、金融論・ファイナンス・証券市場論などの科目からなる「金融」コースおよび証券アナリストの資格取得を目指す「証券アナリスト」コースは金融学科と、それぞれ強い結び付きがある。「ビジネスデザイン」コースは経営学科と関連が深いが、情報技術を活かして新しいビジネスを立ち上げたり、企業内で新規プロジェクトを始めたりするために必要な能力の構築を目指している点に特徴がある。財務会計・管理会計など会計学の基本とそれに隣接する法律・ファイナンスなどを学ぶ「企業会計」コースは、経営学科と金融学科に跨がる科目群から構成されている。
経済学部のコースの特徴は、第一に学生が自分の所属学科にはとらわれずコースを選択できることである。例えば、経済学科の学生であっても、経営学科と関連の深い「ビジネス」コースを選択できる。これは、経済学部の学生の多くが、入学時点では自分が真に学習したい分野が何かを明瞭に把握できていないことに対応したものである。第2 の特徴は、ゼミとコースがセットになっていることである。学生は2 年進級時にゼミを選択し、それが同時にゼミの配置されているコースを選択することになる。ゼミ活動で身につけることが期待されている「課題設定能力」と「課題解決能力」は、専門分野の学習が前提となる。つまり、このカリキュラムが目指しているのは、ゼミとコースを両輪として学習効果を高めることである。
経済学部のゼミ活動のハイライトは、毎年12 月に開催される「ゼミ対抗研究報告会」(以下、ゼミ大会と略記)である。ここでは、分野ごとに分かれた会場で各ゼミの代表が日頃の成果を競い合う。武蔵大学の教員と同窓生を中心とした社会人がコンビを組んで、研究と実践の両面から審査を行い、会場ごとに優勝および準優勝チームが選ばれる。現在のゼミ大会は2004 年に第1 回大会が催されたが、当初は参加ゼミ数も限られたものに過ぎなかった。しかし、年々参加ゼミ数が増えてきており、各会場で熱気と意欲に溢れた報告がなされている。2017 年からは同窓会の支援を受け、学年・学部、学科、所属ゼミナールの垣根を越えての参加も許容する「チャレンジ枠」が設けられた。
ゼミ大会の代表に選ばれなかった学生も含め、日頃のゼミ活動では、自分で課題を見つけ、その課題について自ら調べ自ら考え、まとめた考えを的確に人に伝え、さらには人の意見を聞きながら自分の考えを深めていく、という姿勢が求められる。そのプロセスにおいて、ゼミの仲間たちと協力し合い、教員にも積極的に働きかけて知恵を借りる、といった行動力とチームワークが鍛えられる。課題設定能力と課題解決能力、行動力とチームワークは、社会のどの分野に進もうとも必要とされる基礎的な力である。コースと密接に関連するゼミ活動を通じて社会人としての土台作りをする、これが経済学部の目標である。また、近年では他大学とのゼミ交流を行うゼミも増えており、研究成果を共有するとともに交流を通じて学生が様々な刺激を受ける機会も増えつつある。さらに、学外においても各種の学生研究コンテスト等が開催されるようになり、学外コンテスト等に積極的に参加し、受賞するゼミも出るようになった。
そのほか、2000年度からファカルティ・デベロップメント(FD)検討委員会が、教育方法改善のための活動の一環として学生による授業評価アンケートを開始した。また2001 年度から、大学での学習と企業や地方公共団体などにおける仕事のあり方を結び付ける実践的な教育を目指すインターンシップが始まった。現在、この両者は経済学部のみならず全学的な取り組みとして展開されている。
2011 年のカリキュラム体制の下で、4 年次の専門ゼミナール第3 部は必修となり、単位数も2 単位から4 単位に変更された。専門ゼミナール第3 部では卒業論文等の指導が行われるが、2019年度には卒業論文・専門ゼミナール修了論文ルーブリックが大学全体で採用され得る評価基準として制定され、ディプロマ・ポリシーとの対応も考慮した上で論文の評価基準が策定された。同評価基準は、経済学会で主催している学生研究奨励論文にも適用されている。
なお、2016 年度には全学ポリシーとあわせて経済学部の3 ポリシー(ディプロマ・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、アドミッション・ポリシー)の見直しが文部科学省のガイドラインに基づいて行われ、2017年度から公表された。
近年では、グローバル社会で活躍できる人材の育成に関する社会のニーズに応えるべく、経済学部においても特別コースを設置するなど、グローバル教育の対応を行うこととなった。2015 年度からロンドン大学と本学とのパラレル・ディグリー・プログラム(PDP)を設置し、英語による授業を設け、PDPを受講する学生向けの奨学金も創設された。2019 年度にPDP第1 期生が初めてロンドン大学の卒業試験を受験し、2 名の学生が学位を取得した。
その後、PDPは2022 年度に創設された国際教養学部内の経済経営学専攻の中に設置されている。
文部科学省は東京23 区内の私立大学等に対し、2019 年度からの10 年間、定員増を原則認めないとした。そのため、既存学部の定員を新学部に移し、定員の総数を変更せずに新学部を創設することを余儀なくされたことから、経済学部も2022年度にスタートする新たなカリキュラム体制を検討することとなった。
1990 年代以降、社会的に大学院の位置付けが変化する中で、経済学研究科は1999(平成11)年度に経営・ファイナンス専攻の区分制博士課程を増設し、2 専攻体制に改組した(第4 章において既述)。経済構造の高度化・ソフト化等の社会経済的な環境の変化と大学院教育に対する社会的要求の多様化に応えようとするものであった。研究者養成を中心としたこれまでの伝統を活かしつつ、入学試験制度やカリキュラムについて見直し、研究者養成と同時に高度な専門職に従事する人材の育成、社会人教育をも視野に入れたものに改めたのである。
2005年度からは、経済学専攻と経営・ファイナンス専攻を統合して経済・経営・ファイナンスの1 専攻に再び改めた。この改組は、専攻の垣根を取り払って複雑化・多様化する社会的ニーズに応える、定員をより実態に即したものに設定する、という二つの目的を持ったものである。この1 専攻の下での博士前期課程は、博士後期課程への進学を前提とする「研究者コース」と、社会から要請されている高度な専門知識の習得を目指す「高度職業人コース」の2 コースからなる。さらに「高度職業人コース」は、博士前期課程修了後に就職を希望する学生を対象とした「キャリア別プログラム」と、社会人または社会人経験者を対象とした「テーマ別研究プログラム」の二つから構成されている。博士後期課程は、大学やシンクタンクなどの研究機関における研究者養成を目的としている。
2011 年3 月の東日本大震災・福島原発事故以降、外国人留学生の大学院進学が減少したことにより、定員充足率が低迷した。そこで、2019 年度には学内進学者の促進策として大学院進学奨励学生制度を導入することとなった。同制度はすでに人文科学研究科において導入されているが、経済学研究科は年2 回の試験を設けた上で、2021 年度入学者向け大学院入試から適用することとなった。同じく、定員充足率の向上を図るため、2021 年度より博士後期課程の入学定員を5 名から3 名に削減することとなった。定員変更や入試制度の見直しとあわせて、大学院への進学者数を増やすべく大学院のカリキュラムの見直しにも着手した。従来より存在する飛び級制度や早期卒業制度を利用して、学部3 年間と大学院2 年間の計5 年間で修士号を取得して大学院を修了した者も複数名存在する。また最近では、博士論文の提出が継続的にあり、2012 年度から2019 年度の間に3 名の課程博士の学位取得者が生まれた。
1998 年、社会学科が社会学部として独立した。それに伴って人文学部では比較文化学科が誕生し、新たな3 学科構成となった。人文学部の入学定員は、欧米文化学科150 名(社会学部における学科増設後は120 名)、日本文化学科70 名、比較文化学科60名となった。
比較文化学科の特色は、第一に東アジアを重視すること、第二に文字文化のみならず非文字文化にも力を入れることであった。カリキュラムは文学・思想、民俗・美術の二分野を柱として成り立ち、学生は3 年次以降そのいずれかの分野に属して卒業論文を作成することになった。また、時を同じくして欧米文化学科も1998 年度入学生から卒業論文必修化に踏み切った。これで全学科において卒業論文が必修になったわけである。
比較文化学科は特色ある学科として受験生からの評価も高く、人文学部の看板学科的な存在へと成長していくことも期待されたが、いわゆる完成年度となる2001 年以降、学科の枠組みを超えた視野で新たな人文学を構想する議論が積み重ねられた。その結果、比較文化学科を組織としては発展的に解消し、その理念は、学部改組によって再編成される新生3 学科に継承させることになった。こうして2005年に実現した人文学部の新しい体制が、英米比較文化学科、ヨーロッパ比較文化学科、日本・東アジア比較文化学科である。各学科の入学定員は、英米90 名、ヨーロッパ80名、日本・東アジア90名となった。
従来の欧米文化学科3 専攻のうち、英米文化専攻は単独で学科となり、ドイツ文化専攻・フランス文化専攻は「ヨーロッパ」に視野を拡げることで単一の学科を構成し、新しい時代にふさわしい教育課程を編成した。また従来の日本文化学科は、比較文化学科の特色の一つであった「東アジアの重視」という要素を採り込み、日本と近隣諸国との交流という視点を「柱」の一つに加えることで、21 世紀に求められる国際性を具えた学科として他の2学科と足並みを揃える結果となった。各学科とも、比較文化学科の理念と教育内容を発展的に継承したことを、学科名称が如実に示していることは言うまでもない。
具体的には、3 学科ともこの2005 年にスタートした当初からコース制を導入し、英米比較文化学科には英米文化コース・英語コミュニケーションコース・比較文化コースの3 コースを、ヨーロッパ比較文化学科にはドイツ文化コース・フランス文化コース・広域ヨーロッパコース・比較文化コースの4 コースを、また日本・東アジア比較文化学科には日本文化コース・東アジアコース・比較文化コースの3 コースを設置して、学生の系統的学修を促すとともに、3 学科に共通して比較文化コースを設けることで人文学部全体が比較文化的アプローチを重視していることを内外に示した。
英米比較文化学科の英語コミュニケーションコースは、実践的英語運用能力の涵養を特に重視し、卒業論文に替わるものとして「英文エッセイ」の提出を学生に義務づけるなど、新機軸を打ち出したが、学科によってはコース制が学生の自由な科目履修を制限しているとの認識も生まれ、さらにカリキュラム改善の模索が継続されることになった。
その結果、新しいカリキュラムが導入されることになったのは2011 年である。このカリキュラム改訂は、理念的に大きな変更を伴うものではなかったが、2006 年に大学に教務部が創設されて以来、実施に向けて検討と調整が進められてきた全学共通の「総合科目」(人文学部では従来、「共通関連科目」あるいは「基礎科目」と呼ばれてきた科目群にあたる)の導入を主軸としながら、学部専門科目に関してもゼミ体制のいっそうの整備を図り、あわせて従来用いてきた「演習」という科目名称を(一部を除き)「ゼミナール」と変えて大学全体としての一体感を強化するとともに、さらにコース制の部分的修正なども含んでいた。またこれを機に3 学科の名称から「比較」を削り、新たに英語英米文化学科、ヨーロッパ文化学科、日本・東アジア文化学科とし、各学科のコース名称についても、比較文化コースを比較・交流文化コースへと変更したのをはじめ、幾つか手直しが施された。なお、学科の名称から「比較」を削ったのは、過去6 年間の学科運営の中で教育研究方法のいっそうの多様化が起こり、比較に加えて越境、交流の視点も重視されるようになったからである。
各学科の入学定員に関しては、カリキュラム改訂に先立って全学レベルで見直しが行われ、2009 年から人文学部は3 学科とも定員100名、計300名となった。
2011 年以降、次の新カリキュラムが導入されたのは2017 年である。第三次中期計画(2016~2021年)における人文学部の重点課題として挙げられたものが、「グローバル・スタディーズコース(GSC)」の設置であった。国や地域を超えた地球規模の課題に取り組み、活躍できる知力と実践力を備えた人材育成を目的とした本コースは、高度な語学力を身につけるために、集中的かつ特訓的な語学プログラムが準備されたものである。
3 学科いずれの学科の学生でも所属可能な「英語プログラム」では、1 年次には週4 回の英語の授業で英語力を磨き、第2クォーターには海外集中英語研修(短期留学)に原則として全員の参加が求められる。2 年次以降、専門の学修としては、GlobalRelations(国際関係)、Global Literature(グローバル文学)、Global Japanese Studies(グローバル日本文化)といった三つのテーマ群に沿って幅広い教養を拡げ、4 年間の学びの総括としてCapstone Project(卒論相当)を書き上げることで修了となるプログラムである。この学科横断型である「英語プログラム」以外にも、ヨーロッパ文化学科の学生のみ所属可能な「ドイツ語/フランス語プログラム」、日本・東アジア文化学科の学生のみ所属可能な「中国語/韓国・朝鮮語プログラム」が設置され、より高度な語学力の習得と、長期留学を目指した支援プログラムが動き出すこととなった。
このようにグローバル化に対応することを主眼としたコース、プログラムが設置される中で、既存3 学科においても新しいコースの設定や開講科目の再編が行われることとなった。
英語英米文化学科では、高度な英語力の習得を目指しながら、英語圏の文化や歴史などを専門的かつ横断的に学ぶことを目的とし、言語・言語教育コース、文学・芸術コース、歴史・社会・文化コースからなる三つのコースと先述したGSC(英語プログラム)の計4 コースの中から選択し、2 年次以降の専門ゼミナール、卒業論文ゼミナールへと発展させていくものである。
ヨーロッパ文化学科では、ドイツやフランスを中心に、現代ヨーロッパの情勢をも視野に入れた形での文化研究と、外国語学習(ドイツ語・フランス語)の二本柱でヨーロッパ文化を総合的に学ぶことを目的とし、言語と文学コース、芸術と生活コース、歴史と思想コース、環境と社会コースといった四つのコースを設定している。また、GSCに関しては、学科横断型の英語プログラムに加え、より高度な語学力の習得を目指すドイツ語/フランス語プログラムの選択も可能である。
最後に、日本・東アジア文化学科では、日本文化コース、東アジア文化コース、比較・交流文化コース、GSC(英語プログラム、中国語/韓国・朝鮮語プログラム)からなる四つのコースから選択可能となっており、東アジアの視点から日本文化を複眼的かつ国際的に学ぶことができるように設定されている。また、「ことば・文学・思想」「芸術・身体・環境」「歴史・民族・宗教」といった三つの分野に、方法論と地域研究を組み合わせた授業を展開し、専門ゼミナール、卒業論文準備ゼミナール、卒業論文ゼミナールを通して、個々の学生が掲げた研究テーマについて知見を深める作業が実践されている。
学科の入学定員に関しては、カリキュラム改訂の後、全学レベルでの見直しが行われ、2018 年から英語英米文化学科は115名、ヨーロッパ文化学科は100 名、日本・東アジア文化学科も100 名となり、学部合計は315 名となった。2022年現在では、英語英米文化学科100 名、ヨーロッパ文化学科95 名、日本・東アジア文化学科95名となっている。
なお、GSC英語プログラムは2022 年度に創設された国際教養学部のグローバルスタディーズ専攻の中に設置されることとなり、現在に至っている。
第4 章において記されたような経緯をたどって1998(平成10)年に開設された社会学部は当面、1 学科で出発し、入学定員は150 名で専任教員は4 名増の13 名、これに多数の非常勤講師が加わって学部を支えることになった。教育・研究体制の観点からは、部分的とはいえ同一の研究分野に複数の教員がいる状態が漸く実現したことになる。2002 年春に第1 回卒業生を無事送り出すことができたが、学生は総じて意欲的に勉学を行っていたといえる。その結果、人文学部社会学科の時代と同様の高い就職率を維持できた。
最初の卒業生を送り出した2002 年から、もう1 学科増設する案の検討が始まった。既存コースにおいて「メディアとコミュニケーション」コースの選択者数が多く、「メディア社会学科」増設に向けてのカリキュラムや設備の検討が行われた。
この結果、2004 年度にメディア社会学科が設置され、社会学部は既存の社会学科とあわせて2 学科体制となった。入学定員は、社会学科110 名、メディア社会学科90 名で、学部として200名となり、専任教員も社会学科10 名、メディア社会学科9 名の19 名体制となった。新カリキュラムでは、基本的な枠組は学部発足当初のカリキュラムをベースとしながら、各学科のコースの再編が行われた。すなわち、社会学科は「社会とネットワーク」「文化とグローバリゼーション」「社会心理とアイデンティティ」、メディア社会学科は「マスコミュニケーション」「パブリックコミュニケーション」「メディアプロデュース」のそれぞれ3 コース、計6 コースに再編された。また、このカリキュラム改革にあわせて、人文学部時代から「演習」と呼んできた科目名を、「社会学基礎ゼミ」「メディア社会学基礎ゼミ」等、「ゼミ」という名称に改め、「専門研究科目」を「展開科目」と名称変更した。
その後、2009 年に社会のニーズに対応して全学的な入学定員の見直しを行うことになり、社会学部では各学科の入学定員が15 名ずつ増え、社会学科125 名、メディア社会学科105 名、学部全体では230名となった。これに伴い、専任教員も各学科1 名の増員となって、社会学科11 名、メディア社会学科10 名の21 名体制となった。
2011 年には、総合科目の改編を中心とした全学的なカリキュラムの改訂が行われる中で、社会学部でも新しいコース設定や開講科目の再編が行われた。すなわち、社会学科では、旧来の3コースを「社会とグローバリゼーション」「文化とコミュニケーション」「社会心理とアイデンティティ」に再編し、両学科で専門的な講義科目である「展開科目」の個々の科目を時代のニーズに応じたものに改めた。
2017 年にはグローバル時代に対応する人材育成を目標に、「グローバル・データサイエンスコース(GDS)」を開設し、社会学科、メディア社会学科ともに入学定員が12 名ずつ増え、社会学科137名、メディア社会学科117 名、学部全体で254 名となった。GDSのプログラムを充実させるため、専任教員も各学科1 名の増員となって、社会学科13 名(助教1 名含む)、メディア社会学科11 名の24名体制となった。
GDSは、学園の「教養あるグローバル市民育成」のためのプログラムの一翼を担うものであり、当時メディア等でも話題になっていたビッグデータやオープンデータの解析も射程にした、より実践的な社会分析のための方法論を修得するための授業(「コンピューティング応用A~D」「データサイエンス応用」等)を充実させた。また、6 週間の外国語現地実習や国際ボランティアや国際インターンシップ等のグローバル体験・現場体験を行う「GDS実践」を通して、混沌とした未来を自らのコミュニケーション力とデータ分析力で切り拓くグローバルな視点を持つ人物の育成を目途とした社会学科、メディア社会学科を横断する学部の第七のコースとして位置付けられた。さらに、「データサイエンス応用」では(株)アサツーディ・ケイ(ADK)との学術連携によるビッグデータの提供や「データサイエンス特別講義」では(株)日本ユニシス(現BIPROGY株式会社)からの講師の派遣など産学連携にも取り組んでいる。
これに先立つ2016 年には、翌年より開設される「グローバル・データサイエンスコース(GDS)」を念頭に入れてカリキュラムを一新した。社会学科では、国際化に対応するべく従前のコースを「国際社会とネットワーク」「社会問題とエンパワーメント」「文化とアイデンティティ」に再編し、メディア社会学科では「マスコミュニケーション」を「メディアコミュニケーション」に改編し、2 年次の「社会/メディア調査実習」を必修から選択必修とするとともに、量的・質的社会調査、参与観察調査、資料調査、エスノメソドロジー等様々な調査方法論を学ぶことが可能となるよう「方法論ゼミ」に改めた。
この間、学部教員が中心となって様々な社会学の副読本や叢書シリーズを刊行している(詳細は「研究体制」の項を参照)。また、社会学部の学びの最終目標は卒業論文を書くという学部哲学に則して、2009 年度から優秀卒業論文の発表会を開催し、2010 年度からは「シャカリキフェスティバル」として、各ゼミ代表の卒論報告会が定例化された。主として翌年卒論を書く3 年次生を対象とした論文報告会で、メディア社会学科では、卒論だけでなく卒業制作の発表も行われている。
社会学ならではの資格として、社会調査士があげられるが、その資格取得のために、多くの実習授業、関連科目を設置しており、毎年20~30 名程度の学生たちが社会調査士の資格を取得し、卒業している。
人文学部社会学科の29 年間、単学科としての社会学部の5 年間、そして、メディア社会学科を増設した2004年からの18年間。武蔵大学に社会学の灯がともって50 年以上の歳月の上に現在の社会学部がある。学部化以降、毎年一定水準の受験生数を集めており、全国的にも認知されるようになった。また、卒業生たちが、企業の広報部門や社会貢献部門、自治体、教育分野等で活躍するようになり、教育効果が社会的にも少しずつ浸透しつつある。
2007 年度より、博士前期課程の各専攻に「研究者コース」と「キャリアアップ・生涯学習コース」を設けた。大学院での勉学を志す社会人をはじめとする新たなニーズの受け皿として用意した「キャリアアップ・生涯学習コース」には、さらに具体的な「キャリアアップ小コース」(教員能力開発・学芸員研究能力開発・専門社会調査士資格取得)と「生涯学習小コース」(語学力強化・文化交流研究・日本伝統文化研究・総合的ジェンダー研究など)をそれぞれ置いて、出願時および在学中の指針となるようにした。また「キャリアアップ・生涯学習コース」においては学位論文作成のかわりに「特定課題研究」に取り組むことを修了要件として課し、博士後期課程への進学を志す場合には「研究者コース」へのコース変更手続きを行った上で、学位論文を作成・提出して審査に合格しなければ受験資格が得られない、という制度にした。
さらにこのコース設定とあわせ、人文科学研究科では早期修了制度・長期履修制度・大学院進学奨励学生制度という3 種類の特徴ある履修制度を有している。早期修了制度とは、一定の条件を満たした成績優秀な学生にかぎり、博士前期課程在籍1 年での修了を認めるものであり、長期履修制度とは、学生の事情に応じ時間的・経済的に余裕をもって勉学を進めることを可能にしたものである。
また大学院進学奨励学生制度は、武蔵大学の人文学部および社会学部の学生が3 年次修了の時点で一定の条件を満たしていれば申請することができるもので、学部4 年次の段階で大学院科目等履修生の資格を得て本研究科の設置科目を履修し、成績優秀と認定されれば大学院入学試験のうち筆記試験を免除の上で入学許可が得られるとともに、入学後は早期修了制度を利用すれば在籍1年で修士の学位を取得することも可能、という制度である。
人文科学研究科はこうした魅力的な履修特例を設けて、学部学生に対し大学院進学をキャリア形成上の選択肢の一つとして捉えるよう促すと同時に、大学院教育の質的向上を図っている。
人文科学研究科は、設置翌年の1974(昭和49)年度より成蹊大学大学院と単位互換協定を結び、1998 年度からは成城大学大学院も加わって現在に至っている。社会学専攻は、これに加えて4国公立大学大学院を含む23校からなる「大学院社会科学分野の単位互換制度」に設立時から加盟している。欧米文化専攻も「大学院フランス語フランス文学専攻に関する単位互換制度」の一翼を担っている。
なお、人文科学研究科では、2002年の課程博士(人文学)を皮切りに2019年度末までに人文学10名、社会学10名の計20名の博士号学位授与者を生み出している。
(注)『武蔵大学五十年史』259〜260ページ
(注) 2013 年4 月に、もとの「学校法人根津育英会」から改称された。
(注)なお、第二次中期計画の期間中の2015 年には、経済学部にパラレル・ディグリー・プログラム(PDP)が開設されている。
大学が教育の場であることはもちろんであるが、その教育の内容を向上させるためにも、研究水準の絶えざる向上が図られなければならない。武蔵大学は、教育を充実させると同時に質の高い研究を推進するという課題に向かって不断の努力を積み重ねてきた。
初期の教員の研究室は、旧制高校時代と同じく専門ごとに分かれる相部屋であった。経済系の研究室の場合、大学創設から長い間、本館(現3 号館)東側3 階の四つの教室を改造して使用していた。それは、1 室あたり数人ずつの大部屋タイプであった。共同研究室には長所もあったが、研究および教育指導の充実のためには個室が必要であり、それは大学設置基準の趣旨に沿うことでもあった。1963(昭和38)年には3 階建ての研究棟が新築され、狭いながらも教員の研究室は個室となった。その後1981 年に現在の教授研究棟が建設されて研究室が広くなり(約21㎡)、冷暖房が各室ごとに設置されたため、研究・教育上、研究室の利用範囲が広まった。その後の教員の増加に伴い、2022 年現在、研究室は教授研究棟、5 号館、9 号館、11号館に分けて配置されている。
経済関係では、1963 年から経済資料室が置かれていた。この施設は、旧図書館が手狭になったことから、経済関係の資料(年鑑・白書類)・雑誌(大学紀要を含む)を分離し、旧2 号館に設置したのを始まりとする。その後1981 年に図書館棟2 階に移転し、経済関係の資料・雑誌類を開架し、利用に供してきた。しかし、2003 年4 月以後、資料・雑誌類も図書館で総合的に管理されることになったため、経済資料室は廃止された。ただし、経済学部の学生のためのグループスタディルームは1998 年から5 号館に置かれており、2007(平成19)年にリニューアルされて新しい時代のニーズに応えた。
人文学部創設当初は、3 号館に英文、仏文、独文、日文、社会の5 学科・コースの研究室が置かれ、それぞれ研究委員の指示のもとに各1 名の職員が管理運営にあたっていた。この研究室は、教員・院生・学部学生の教育研究上の交流の場であり、人文学部の特色になっていたが、図書の整理・管理などに限界があった。そのため、新図書館が1981 年に完成した時、五つの研究室はまとめて人文学部総合研究室に改組され、図書館棟の3 階部分に置かれることになった。学科図書は図書館に移管され、集中的に管理されるようになった。
社会学科の学部としての独立にともない総合研究室は一時、人文・社会の両学部が共有する空間となった。その後、社会学部が7 号館3 階にグループスタディルームや実習室、PC室などから成る優先使用スペースを得たこと、またAV・外国語教育センターが管理していたAV資料が図書館に移管されることになり、図書館内にその収納および利用のためのスペースを確保する必要が生じたことを契機に、人文学部総合研究室は人文学部グループスタディルームとして新たにPC室を備え、図書館から3 号館2 階に移転した。
各学部のグループスタディルームは、2022 年に新しい大学11号館に集約され、必要に応じて学部を超えた利用に供されている。なお11 号館には全学生対象の自習・ピアラーニング・コーチングのためのラーニング・コモンズも設けられた。
2022 年には国際教養学部の開設に伴う教員増に対応するため、大学5 号館・同11号館に研究室が新設された。
第1 章で述べたように、1953(昭和28)年に武蔵大学学会が設置され、研究成果を公表する機関誌としての『武蔵大学論集』が創刊された。この学会は、武蔵大学の学術研究体制の中心となるものであり、『武蔵大学論集』を1983年には年2 回刊から4 回刊へ、さらに1988 年度より年6 回刊とした(1995 年度以後、年4 回刊に戻る)。別に『武蔵大学紀要』(刊行期間:1963~68年)を創刊して、教養科目担当専任者の研究発表の場とした。『武蔵大学論集』は、2022年3 月現在で第69巻、通巻330号まで刊行されている。大学の10 周年以後10 年ごとに発行されている記念論文集には、学会員の研究テーマや関心が示されている。
人文学部増設後、武蔵大学学会は武蔵大学経済学会と武蔵大学人文学会に分かれ、人文学会は1969年に『武蔵大学人文学会雑誌』を創刊した。同誌は年間4 号刊行されており、2021 年度現在第53巻・通巻211 号に至っている。同誌は、専任・非常勤を問わず教員が研究成果を発表する場として機能しているが、大学院生の研究論文も査読を経て掲載に至ることがあり、学部の卒業論文の題目ならびに執筆者名も毎年度、収録している。2001年度には『武蔵大学大学院人文科学研究科論集』が発刊された。翌年度の第2号からタイトルを『武蔵文化論叢』と改めたこの大学院生の論集は、当初は投稿資格を博士後期課程在籍者に限定していたが、その後、前期課程在籍者および修了者(後期課程単位取得済退学を含む。)にも門戸を開き、その他の部分的な投稿規程の改正を経ながら、2022 年3 月現在で第22 号まで刊行を継続している。掲載論文はすべて、大学院で授業を担当している専任教員の査読を経たものであり、大学院生の研究業績充実に向けての努力を応援するシステムとして一定の貢献を果たしてきた。
社会学部の創設後、人文学会から独立した武蔵社会学会は、1999年度に社会学論集『ソシオロジスト』を発刊した。1 年1 号のペースで、現在2022年3 月現在で第23巻・通巻23号まで発行された。この論集には、『人文学会雑誌』と同じく学部の全卒業論文のタイトルと執筆者名の他、学部独自の評価基準で表彰した卒業生の名を載せている。大学院博士課程の院生には、修士論文を発展させた論文を『ソシオロジスト』に発表するよう指導している。また、2001 年以後、学会が主体となって、様々な社会学副読本や叢書シリーズを刊行している。2001 年には、『ソシオロジスト』別冊として教員たちによる『私の社会学』を、2003年には、ソシオロジスト編集委員会編『社会学と過ごす一週間』と『メディア社会学レポート』を刊行した。次いで、2006 年には、『変わりゆく社会と人権』を刊行した。さらに、2011年度からは、「現代の社会学とメディア研究」という全6 巻からなる叢書シリーズを企画し、すべての専任教員が執筆する共著の教科書作りに取り組むこととした。まずは、学部1 年生を対象に『ゼミで学ぶスタディスキル』という大学での学び方入門書を刊行した上で、現在は『文化とコミュニケーション』、『アイデンティティと社会意識』、『マスコミュニケーションの新時代』、『パブリックコミュニケーションの世界』、『メディアプロデュースの世界』の5 点が刊行されている。これらの書籍は、専門課程へ進学した3 年生を対象に、コース進路別のテーマ領域に合わせて配布された。
なお、2022 年度開設の国際教養学部は新たに国際教養学会を組織し、『武蔵大学国際教養学会論集』を創刊している。
経済学会・人文学会・社会学会・国際教養学会は機関誌を発行するだけでなく、研究会を随時開催して教員・大学院生の研究交流の場としている。経済学会では年間約10 回程度外部講師による「経済セミナー」を実施して外部との研究交流を図るとともに、特別研究員を終えた経済学部教員による「研究成果報告会」を開催して学部内における研究活動の活性化を促進している。また、人文学会の研究会は年2 回、夏季と冬季に行われており、その報告者と報告題名は『人文学会雑誌』に掲載されている。社会学会が毎年開催する研究会と総会とは、修士論文中間発表会とともに、教員・院生その他が分野を越えて議論を展開し、学問的な刺激の機会となっている。
大学の経費負担によって専任教員が海外で学術的な調査研究を行うことができるようにする海外派遣研究員制度が設けられたのは1964(昭和39)年度のことである。その後、国内において調査研究を行う教員を対象とする国内研修制度も設けられた(経済学部は1976 年度以降、人文学部は1978 年度以降)。これらの制度は1989年度に一本化されて武蔵大学国外・国内研究制度となり、1997 年度には武蔵大学特別研究員制度と改称されていっそうの充実が図られた。
さらに、2017 年度には研究の多様化への対応とグローバル化の推進のために大きな変更が行われ、 武蔵大学専任教員長期研修制度という名のもと、 以下のような3 種類の研修形態が確立された。
特別研究員は、 事前に承認を受けた計画に従って研究を遂行し、研修期間終了後1 年以内に学会報告および論文作成の形で成果を公表することになっている。本制度は、 本学の研究水準の維持・向上に大きな役割を果たしている。
専門書の出版事情が悪化する中で、専任教員の研究成果の刊行を容易にするため、1963(昭和38)年に出版助成制度が設けられた。2021年末までに助成を受け『武蔵大学研究叢書』として刊行された図書は236冊を数えている。この制度は一定の冊数の買取り助成の形をとっており、単著だけでなく共著や編著、 翻訳書も対象としている点が特色であり、専任教員によって広く活用されている。
武蔵大学総合研究所が発足したのは、1989(平成元)年4 月であった(のち、2022 年に研究総合機構と改称)。その目的は、 国際的視野のもと、 学科、学部、大学、国籍の壁を越え、 社会・文化に関する問題を総合的・学際的に調査・研究することにより学術全般の振興に寄与し、 かつ現代社会の抱える様々な問題を解明することである。その調査・研究活動は、各研究プロジェクトによって担われてきた。当初の統一テーマは「環境・都市問題」「情報化・国際化に関する諸問題」「社会変動とコミュニケーション」など、学際的な協働が求められる分野を重視したものであった。2019 年からは本学の研究の特色と社会的ニーズの大きさを意識した三つの異なる統一テーマを掲げている(すなわち「マイグレーションとディアスポラ」「グローバリゼーションと女性のエンパワーメント」「AIと人間社会」である)。それらの研究成果の一部は、『武蔵大学総合研究所紀要』(90年以降毎年刊行)に発表されている。2022 年からは時代状況に対応して「AI・データサイエンスの将来」「ダイバーシティの研究」「パンデミックと人間社会」を統一テーマとしている。各研究プロジェクト・チームは、武蔵大学のメンバーの他に、テーマに応じて他の大学・研究所などの研究者(外国の研究者を含む)によって構成され、幅広い研究交流の場になっている。
また総合研究所では、地域住民や練馬区に立地する団体、企業との連携を図るため、研究所が主催する研究会を実施している。2022 年からは研究のグローバル化の推進を担う複数の新しい研究会を設けている。
なお総合研究所では、2011 年度に、大学における研究成果を内外に広く公表すべく、「武蔵大学学術機関リポジトリ」を立ち上げることを決定し、2013 年2 月に運用を開始した。その後、2017 年度には「武蔵学園学術機関リポジトリ」と改称し、『武蔵高等学校中学校紀要』を加えた運用を開始している。
総合研究所は、 学術の国際交流の促進も課題としている。グローバル教育センター(その前身である国際交流委員会、国際センター)と協力し、講演会、研究会を主催(共催)するとともに、海外研究者の受け入れ機関の役割も担ってきた。なお、 総合研究所を足場とした研究活動は、本学の学生や留学生の教育にも活かされている。
なお総合研究所は2022年4 月から総合研究機構へと改称され、その下に複数の研究所を置くことができるようになっている。
武蔵大学では前述のとおり、研究成果を発表するため『武蔵大学総合研究所紀要』(総合研究所)、『武蔵大学論集』(経済学部)、『武蔵大学人文学会雑誌』(人文学部)、『ソシオロジスト』(社会学部)を刊行している。さらに、これらの研究成果をより広く公開するため、 2012年度末には武蔵大学学術機関リポジトリの運用が開始され、その後、2017年度には『武蔵高等学校中学校紀要』を加え、名称を武蔵学園学術機関リポジトリとして運用を開始した。
なお2022年からは『国際教養学会論集』が刊行されており、『総合研究所紀要』は『総合研究機構紀要』と改称している。
1991(平成3)年施行の大学設置基準の改正、いわゆる大綱化を受けて、カリキュラム改訂とそれに対応した教員組織について議論が行われた。この結果、1996 年に、武蔵大学の自然科学、身体運動科学等の基礎教育の推進および充実を図るとともに、その基礎教育が、経済学部・人文学部という文科系学部の専門教育に寄与することを目的として基礎教育センターが設置された。当初、自然科学3 名、体育4 名の計7 名の教員が配属され、人文学部の教授会に属した。
1996 年のカリキュラム改訂で、基礎教育科目として、経済学部は基礎科目、身体運動科学科目、総合科目、外国語を、人文学部は共通関連科目、身体運動科学科目、外国語を置いた。1998年に発足した社会学部は総合教育科目、身体運動科学科目、外国語を置いた。いずれもそれまでの一般教育科目の精神を継承しながらも、新たな展開を期するものであった。
このように3 学部それぞれが独自の科目構造を持っていたが、それから16 年が経過し、時代の大きな変革を受けて、2011 年には大幅な改訂が実施され、3 学部共通の総合科目を設けた。基礎教育センターが主として担当したのは、総合科目D群の「自然と環境」およびE群の「心と体」分野の科目であった。
このカリキュラム改革では、それぞれの分野は、講義科目と実践科目とに分類されることに特色があった。これまで武蔵大学で展開され、文科系大学としては充実していた自然科学実験科目やフィールドワーク科目、また、スポーツ実技科目は実践科目として展開された。
基礎教育センターには、自然科学系教員と身体運動科学系教員とが6 名配属された。地球温暖化や生物多様性保全などの全地球的規模での新しい枠組みが次々と作られ、困難に直面しながらも、人類全体の問題に積極的に取り組み、未来の世代に負を押し付けないという共通認識が共有される現代である。そのため、これらの素養の基盤となる、自然科学諸分野の教育は不可欠である。また、自然科学的研究方法を、実験やフィールドで体験し実践することは、課題解決型教育によって社会人基礎力を身につける高い効果がある。
生涯学習と生涯を通じて体を健康に保つ基盤を学生時代に築くことは、大学に求められている社会的責任の重要な一部である。また、現代では「心と体」は不可分であり、ストレスの大きな現代・大都市社会において、自らばかりでなく、周りの友人や家族の構成員が抱えるストレスの実態を的確に把握する素養と対処方が求められている。それらの問題に対する自分自身への対応と身近な人への支援の技術の習得は、豊かな社会生活の基盤である。その学問的理念と実践への学びを提供しているのが身体運動科学の研究教育である。
なお、2022 年からは、この基礎教育センターの機能は、この年に新設されたリベラルアーツアンドサイエンス教育センターが継承し、充実させていくこととなった。同センターは、全学対象の総合科目、外国語科目、副専攻等の運営を担い、オープンカレッジ等を含む将来構想を練る役割を果たしている。センター長には副学長が就任し、センターには専任教員を配置して体制の充実を図っている。
2005(平成17)年4 月、それまで存在したAV・外国語教育センターのうち、外国語教育部門を発展的に継承する形で外国語教育センターが発足した。新センターは、「諸外国語を教授する理念を明確に掲げ、到達目標を設定し、目標達成のために全学の外国語授業の運営に携わり、ならびに外国語教育の方法を開発し、もって本学の外国語教育の水準を向上、維持すること」(武蔵大学外国語教育センター規程第2 条)をその目的としていた。旧AV・外国語教育センターの中心業務であったLLやCALLなどの外国語教育施設の管理運営および正課外の外国語教育プログラムの企画運営業務等を継続しつつ、全学の正課の外国語授業の運営をその第一の重要業務として担うことになったわけである。なお旧AV・外国語教育センターの映像メディア部門は、新センター発足時に映像メディアセンターとして別組織となり、また外国語関連の視聴覚資料は、著作権の扱いの一元化などを理由に2008年に図書館に移管されている。
外国語教育センターの最高意思決定機構は「外国語教育センター委員会」で、そこには3 学部選出の委員や教務委員長、関係部局の代表も加わっているため、外国語教育に関する全学的な意思決定が可能になっている。正課外国語授業の運営については、当初「センター専門員会議」において方針策定を行うにとどまっていたが、2007 年度からは専門員会議に教務委員が加わる合同会議において、翌年度の授業計画の決定および時間割作成のための打合せを行うこととなり、外国語教育センターが教務的な運営業務を本格的に行うことになった。
外国語教育センターの設立以後、外国語教育向上に向けて、様々な仕組みや設備の導入がなされた。特筆すべき新規事業として、TOEIC® IP(団体受験)の導入(2006年度から)、1 年次生全員を対象としたTOEIC® Bridge の実施と1 年次英語クラス到達度別クラス編成の導入(2007 年度から)、第2CALL教室の新設(2008年度)が挙げられる。
また外国語教育の研究開発においては、英語e ラーニング授業の導入(2008 年度から)、武蔵大学独自の英語単語帳 MusashiUniversity Vocabulary Builder for English Learners の作成(2009 年度)および配布(2010年度から2016年度改訂、2017年度まで)などが行われた。
2011 年度からの第二次中期計画の実施にあわせて、TOEIC® IP学内試験・その他の英語資格検定試験・他の外国語資格検定試験を対象にした外国語学習奨励のための褒賞・勧奨制度の導入、学生がセンターの各種プログラムを利用し、また、4 年間の外国語学習計画を立てる際に役立つ外国語学習案内パンフレットの作成、これまでの継続事業である外国語ワークショップ(外国語学習相談)の一環として英語学習相談アドバイザーによる英語学習カウンセリングのサービス強化などを行った。
また2011 年度から2012 年度にかけては,2012 年度後期竣工の新1 号館に開設されたMusashi Communication Village (MCV)の設立準備を開始した。MCVは、急速に進むグローバル化に対応可能な人材の育成を目的に、武蔵大学学生の語学力の向上と異文化理解に資するための学習エリアとして構想されたものである。2012 年10 月に開村し、予約制少人数英会話レッスンの提供やクロスカルチュラル体験イベントの実施など、これまでになかった新しいタイプの教育施設として、多くの学生が訪れ、活用されている。
MCVは、本学の学生ならば原則的に無料で利用することができる。このサービス提供のために、隔週1 回のMCV定例会議を通じて、提供プログラムについて検討するとともに、必要な機器・備品、消耗品類、AV資料、各種ゲーム、図書・雑誌等を購入した。また主としてこのMCV運営のために、同年4 月から「英語専属講師」のポストを設けて、英語授業(6 コマ)を担当するほか、各種のアクティビティ(English Boot Camp、Cooking class)も担当し、MCVの打ち合わせや運営委員会にも出席して、MCV設立準備および運営に参加する人材を確保した。また、MCV以外にも、例年の事業として、TOEIC® IP 学内試験、e-learning プログラム、課外講座(TOEIC対策講座650点目標コース、IELTS対策講座)、外国語ワークショップなどを開催、Musashi UniversityVocabulary Builder for English Learners を出版、また、学生が企画運営するMITC(武蔵大学英語集中訓練コース)やEnglish JAMへのサポートも行った。外国語学習褒賞・勧奨制度についても、年度初めの新入生ガイダンスで案内し、延べ人数は140 名の申請者を得た。
MCVの業務体制は2013 年度以降も基本的に同じで、プログラム毎の定員充足率を向上させて内容の充実化を図り、また学生スタッフの管理体制などでもよりよい方向性が日夜模索されている。2014 年度から2016 年度にかけては、夏季、春季の閑散期に高校生向けに開放し、2016 年度からの第三次中期計画においては学部ごとにビジター数の目標(経済・社会:各10%、人文:15%)を設定した。学生スタッフ向けのワークショップや、学生スタッフ主催のイベント・アクティビティの企画、実施なども行った。また2016 年度には外国語教育センターと国際センターを統合し、グローバル教育センターに改組した。このことに伴い、留学生と日本人学生の交流の機会が増えることを想定し、MCVの改修工事を行い、MCVの面積を拡張した。
多言語化の取り組みとしては、MCV開設当初より英語以外の言語圏(独語、仏語、中国語、韓国・朝鮮語など)のイベントを毎年実施しているほか、本学に留学している外国人留学生を対象にした日本語教育の支援活動として、日本語チューター制度による活動を合計6 回実施した。さらに2017 年度には武蔵大学特別専任外国語講師規程を制定し、4 月1 日付で2 名の「特別専任外国語講師」が採用され、グローバル教育センターの下で人文学部に設置されたグローバル・スタディーズコース(通称:GSC)、社会学部に設置されたグローバル・データサイエンスコース(通称:GDS)の英語授業(10 コマ)やコーチング、MCVでは英語学習カウンセリングの一部を担当する体制となった。
2016(平成28)年4 月1 日に、従来の外国語教育センターと国際センターとを統合して「グローバル教育センター」が発足したが、2018年7 月1 日をもって同組織を「大学グローバル教育センター」へと改称した(あわせて「高等学校・中学校グローバル教育センター」が設置された)。
本センターが提供するプログラムは以下のとおりで、様々な留学や国際交流の機会を提供するとともに、武蔵大学における外国語学習を多角的にサポートしている。
1983(昭和58)年、電子計算機室にミニコン1 台と端末機14台を導入し、経済学部学生にプログラミング言語の教育を開始して以来、武蔵大学のコンピューティング環境は拡張を続けている。
1980 年代~1990 年代前半にかけて、コンピューティング環境は緩やかな拡張が行われた。1988 年には、新設された科学情報センター棟(現9 号館)に電子計算機室を移転し、メインフレームとPC25台を備えたコンピュータ室が設置された。1992 年には、オフラインで動く教務事務システムを導入、1993年になると、新築された大学5 号館に新たにコンピュータ実習室が設置され、UNIXを利用したクライアントサーバーシステムが導入された。
1990 年代中期になると、コンピュータを取り巻く環境は急激な発展を迎える。1994 年4 月には、コンピュータ室の機器は21台のワークステーションに置き換えられた。メインフレームの構成から、よりモダンなダウンサイジングの時流に乗ったといえる。1994 年に導入したこのシステムは、当時の大学間ネットワークシステムTRAINに接続され、武蔵大学がインターネットの世界に参加することとなった。1994 年12 月には、5 号館、教授研究棟、9 号館を接続する学内ネットワークが敷設され、各々の建物からインターネットに接続できる環境が整った。その後、TRAINの廃止に伴いプロバイダーIIJ へのインターネット接続先の変更、回線速度の増速が行われていく。これらは、「全学生の1 割が同時にネットワークにアクセスできるネットワーク環境を目指す」という目標に向かって推進されたものである。
1983 年に設立された科学情報センター・コンピュータ室は、1993 年4 月に情報処理教育センター、2000 年4 月に情報システムセンターと改組され、その時流に合わせた取り組みを実施している。2006 年4 月には、情報システムセンターは情報・メディア教育センターに改組され、2008 年には、事業継続性の観点からキャンパス内サーバー室に加えて学外データセンターの利用を開始し、教務システムの安定稼働を実現している。2010 年3 月には、情報インフラだけではなく、授業でのコンピュータ利用に対応するため教室内のAV機器の標準化にも寄与した。2011 年に新設された法人の情報システム部と連携しながら、クラウドサービスとスマートフォンの普及による、インターネット回線と無線LAN増強の要求に対応していくこととなる。また、2011 年より授業支援業務、学生教職員のコンピュータやネットワークなどの相談に応じるヘルプデスク業務、インフラ管理業務の一部をアウトソーシング化することで安定したサービスレベルの提供が行える体制とした。
2000 年代には、教育のためのコンピューティング設備がより積極的に拡張された。2000年には、大学6・7 号館の新施設完成にあわせてギガビット・イーサネットが敷設され、大学6 号館には新サーバーとファイルサーバーが、大学7 号館にはPC演習室が新たに導入された。2001~2002年には大学6 号館にコンピュータ実習室、大学7 号館にPC演習室が3 教室増設された。2002年8 月には大学8 号館新設にあわせて学内ネットワークがギガビット・イーサネットに統一された。2004~2005 年には大学9号館にコンピュータ教室が2 教室導入された。その後、2008 年4 月には8 号館2 教室にCALL(Computer Assisted LanguageLearning) システムが新規導入された(2012 年に新1 号館3 階に移設)。この時点で、現在まで続くコンピュータ教室の環境の完成を見ている。2005年9 月には、大学8 号館50周年記念ホール、8502 教室、学生食堂、学生ラウンジ等に無線LANのアクセスポイントを設置し、教室設備以外の場所でもネットワークにアクセスできるような環境を整備した。
2010 年以降、スマートフォン普及率の急激な増加に伴い、身近な情報端末として学生の保有率も増加し学習にも利用されるようになった。これに対応するため、2012 年に江古田校地の建物内80%以上のエリアがカバーできるよう無線LANのアクセスポイントを配備し、いつでもどこでもノートPCやスマートフォンなどを接続できる環境に近づけた。2018 年には同時接続可能台数を大幅に向上させた機器を導入することで、学生数の約半分となる2,000 台以上のPCやスマートフォンを無線LANに接続させることが可能となった。
環境が整備されたことに伴い、無線LANへの接続台数も増え、学内ネットワークを経由してインターネットに接続しての利用が増加した。また学内には500 台近いPCが設置され学生が自由に利用できる環境が提供された。このようなネットワーク利用機器の増加に対応するため、インターネット回線の接続速度は2002年に10Mbps、2004 年に100Mbps、2012 年に200Mbps、2016 年に300Mbpsへと増速を行った。さらに2019年には、インターネット接続先をIIJから学術情報ネットワークSINETおよびNTT回線に切り替えることで、学内からの接続速度を2Gbpsとした。これにより、PCやスマートフォンからのネットワーク利用の利便性向上、教育用ツールとして導入したOffice 365(現Microsoft365)やG Suite(現Google Workplace)などのクラウドサービスを使いやすい環境とした。
2020 年代に入ると教育環境は一変した。新型コロナウイルス感染症の影響により、情報・メディア教育センター(以下、「センター」と略記する。)と、大学を取り巻くコンピューティング環境は大きく変容することとなる。2020 年には新型コロナウイルス感染症に対する政府の緊急事態宣言により、創立以来はじめてとなる全学オンライン授業の実施が4 月中旬に決定され、5 月中旬から開始されることとなった。この決定に対して、センターはオンライン授業全般のサポートを行うこととなった。センターでは2020 年1 月以降、新型コロナウイルス感染症拡大に関する情報からこの状況を予期し、3 月下旬から授業用オンラインツールの選定と利用ルールの策定、ユーザーへの周知・教育方法の検討、オンラインガイダンス実施Webサイトの構築、ライブ授業用ツールZoomの導入検討を行っていた。
本決定を受けて、Zoomと授業支援ツールGoogle Classroomの利用ルールの策定と周知方法の検討、ルールやマニュアルを整理した「自主トレーニング会場Webサイト」によるユーザーが安心して利用するための仕掛けの構築、PCやオンライン授業を受講するに足るネットワーク環境を持たない学生に対してのPCやモバイルWi-Fi ルータの貸出準備を同時並行で実施することとなった。
2020 年5 月から2021 年度までは、実際の教室に対応したバーチャル教室を設置し、センターが全ての授業設備を支えた。オンライン授業の実施にあたっては、各年度の開始前から直後にかけて、学生や教員に対して安心して受講、実施できるような周知を積極的に行い、Zoomの利用状況をリアルタイムに把握し、サポートを行うということを実施した。
オンライン授業が続く中、アフターコロナにおいては学生のノートPC所持率が高くなり無線LANを介してのオンラインツール利用が普及していくことを見込み、2020年9 月にインターネット回線として学生専用の1Gbpsの別回線を導入し、2021 年には2Gbps超へと増速を行うなど、「全学生が同時に無線ネットワークにアクセスできるネットワーク環境」を目指して活動を続けている。
創立当初の入試制度の課題は、武蔵大学の理想を理解し、学力が高い学生をいかにして受け入れるかということであった。教職員が分担して高校を訪問し大学の特色を説明すること、国公立大学との併願者が多いことを考慮し入学試験を2 回に分けて行うこと、学科試験と面接試験を全員に対して行うことなどを進めていった。しかし受験生の増加とともにこれらの制度は継続できなくなり、全員に対する面接試験は1961(昭和36)年度入試、年2回の入試は1965年度入試をもって終えることにした。
筆記試験についても、武蔵大学の問題は思考力をみる意図のもとに作成された特色あるものであった。しかし筆記試験以外の入試制度についての検討も必要であった。
推薦入学は、武蔵高校からの推薦の他に、かつては特定の指定校から10~20 名ほど受け入れていた。武蔵高校からの推薦を除く指定校制度は一旦廃止されたが、1978 年度より新しい推薦入学制度として復活した。この制度は、武蔵の建学の三理想に基づいた伝統ある校風に共鳴して、武蔵大学で学ぶことを強く希望する、豊かな能力・資質を持った優秀な生徒を、高等学校長の推薦により受け入れること、すなわち充実した高校生活を送っており、同時に武蔵大学の校風を理解している現役生徒を全国から受け入れることを目的とするものであった。
その後、武蔵大学は、多様な資質、能力、経験を持った志願者を受け入れるため入試制度を多様化させてきた。外国の学校で学んだ生徒を受け入れるための制度として設けた「外国高等学校卒業者および帰国生徒対象入試」(1985年度から)、簿記1 級など特定の資格を持つ志願者を対象とする「経済学部公募制特別推薦入学」(1989~2007年度)と「経済学部社会人入試」(1990年度から)、小論文中心の「経済学部一般選抜入試B方式」(1989~94年度)、数学中心の「経済学部一般選抜入試C方式」(1990~94年度)、「英語聞き取り」を選択する「人文学部欧米文化学科一般選抜入試B方式」(1991~97年度)、「人文学部社会学科社会人入試」(1995年度から)、「経済学部経済学科・経営学科2 科目入試」(1998~2003年度)などである。入試多様化は、社会的要望に応えるものであるとともに、学生がその個性と能力を発揮することを期待して設けた制度であるから、現実に応じて制度を変更してきたといってよい。
1979 年開始の国公立大学共通一次試験は、 1990 年に大学入試センター試験に編成替えされ、私立大学も参加できるようになった。本学でも、2001(平成13)年度入試からセンター試験の成績を利用して合否を決定する入試も実施することにした。この「センター方式」による一般選抜入試の導入は、武蔵大学の入試における大きな変革であった。それまで1 万人台であった受験者数が1994年度以降段階的に減少し、2000年度には6,000人台にまで減っていたが、センター方式の導入はそうした受験者数の減少傾向の大きな歯止めとなり、導入以降は1 万人台を回復することとなった。2002 年には、経済学部で3 学科で試験日を別にしていた一般選抜方式試験日の4 日目に経済・経営・金融の3 学科から受験学科を選択する試験日(通称:チョイス)を設けた。
翌2003年度には、チョイスは「B方式・3 科目入試」とネーミングを変え(他に「A方式・3 科目入試」・「C方式・2 科目入試」を実施)、人文学部もこのB方式を導入した。また、社会学部では、選択科目のみセンター試験の成績を利用する「センター併用方式」を実施した。
2004 年度には、社会学部で実施したセンター併用方式を経済学部の経済学科・経営学科と人文学部のすべての学科でも取り入れるとともに、経済学部で実施していた「C方式・2 科目入試」を廃止した。ちなみにこの年から社会学部にメディア社会学科が設置された。
2005 年度は、人文学部改組が行われたが、この年より人文学部ヨーロッパ比較文化学科、社会学部メディア社会学科でAO入試が導入され、2006 年度には人文学部のすべての学科に拡充された。
2007 年度は、人文学部の英米比較文化学科のみがセンター併用方式をやめ2 科目入試を導入した。
2008年度には、すべての学部・学科でセンター併用方式をやめ、新たに「全学部日程」入試の導入に踏み切った。全学部日程入試とは、学部間の併願はできないが、学部内すべての学科を志望することが可能な入試方式で、入試日程も2 月3 日と「個別学部日程」入試よりやや早めに設定された。試験科目は2 科目で、3 科目受験した場合は、高得点の2 科目を合否判定に使用し、設問はすべてマークシート方式とした。この新たな入試方式の導入は、2004年度までl 万人台であった受験者数が9,000 人から8,000 人台の前半まで落ち込んだことが主たる要因であった。
その結果、この年の受験者数は1 万5,000 人台に激増した。これは単に全学部日程入試の導入によって受験者が増えたためばかりではなく、この方式を取り入れたことによる相乗効果として、個別学部日程入試も全学部にわたって増加し、センター方式入試では前年度のほぼ倍の受験者数となったことが要因としてあげられる。また、こうした新しい入試方式の導入にあわせて、ホームページの全面リニューアルや『大学案内』の刷新などの広報体制の見直し、高等学校への訪問体制の充実並びに学内の設備・環境の整備と美化に努めたことが受験者獲得の大きな要因となったと思われる。
翌2009 年には、全学部日程入試を2 月2 日に設定し学部間の併願も可能とした。そして金融学科を除く全学科において、センター方式入試に新たに「後期日程」(経済学部は3 科目、人文学部・社会学部は2 科目)の導入を図った(金融学科は2010年度から導入)。以降4 年間は、受験者数は1 万5,000 人から1 万6,000 人台を推移している。
2012 年度には、人文学部と社会学部において、「センター方式後期日程」入試に7 科目型が導入され、2013年度の入試まで実施された。
2015 年度には、一般方式について、それまでの「全学部日程」を「全学部統一2 科目型」へと、また「個別学部日程」を「個別学部併願3 科目型」へと、それぞれ名称を変更した。このうち「個別学部併願3 科目型」については、同一試験日において他学部あるいは他学科の併願も可能とした。また、人文学部英米文化学科のAO入試を、「総合判定方式」と「インターナショナル方式」(コンピュータ入力による英語小論文試験を課す)の二つに分けて実施した。
2016 年度からは、センター方式と一般方式における出願方法として、従来の紙による出願に加え、Web出願を導入した。
また経済学部では、この2016 年度から特別選抜入試を実施した。人文学部・社会学部のAO入試と同じ10 月に、「課外活動重視型」・「商業系資格重視型」・「英語能力重視型」の三つの選考方法を導入して、筆記試験と面接によって審査を行うものである。
2017 年度入試においては、一般方式において、「全学部統一2科目型」・「個別学部併願3 科目型」に加えて、「全学部統一グローバル型」の試験を新設した。これは、各学部学科が指定する英語資格・検定試験(4 技能)の基準を満たした上で、「選択科目」「国語」のうち得意な1 科目で受験することができ、1 回の試験ですべての学部学科(3 学部8 学科)に出願を可能としたものである。
この年度から、センター方式と一般方式においては従来の紙による出願を廃止してWeb 出願のみとした。さらに、個別学部併願3 科目型の入試日程が、それまでの2 月6 日・7 日から、2 月4 日・7 日へと変更された。
なお人文学部では、この年度からグローバル・スタディーズコース(GSC)が設置されることに伴い、入試方式によって、合格者には同コースに属する許可があらかじめ与えられることになった。また経済学部では2015 年度に、ロンドン大学と武蔵大学とのパラレル・ディグリー・プログラム(PDP)を設置して、4 月の入学時に履修者の選抜を行っていたが、この2017 年度からは、特別選抜入試において「英語能力重視型」に代えて「PDPパスポート型」を導入し、この方法による入学者については4 月の選抜での合格を確約するものとした。
2018年度入試では、経済学部のPDP履修・人文学部のGSC所属・社会学部のグローバル・データサイエンスコース(GDS:2017年度に設置)所属をそれぞれ可能とする入試方式が定められた。たとえば経済学部では、この2018 年度入試時において、PDP履修を確約する入試として「全学部統一グローバル型(数学受験で合格、かつ数学の得点が良好な者が対象)」・「特別選抜入試(PDPパスポート型で合格した者が対象)」を設定した。なお経済・人文・社会の各学部とも、それら以外の入試で入学した者については、入学後の選考において各コースの所属の可否が決定される。
2021年度入試においては、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大という、これまでに例がなかった深刻な状況下での試験実施となった。この年度の入試に限って、2021年3 月4 日に「総合型選抜 筆記方式3 月入試」という試験を実施し、1 回の試験ですべての学部学科(3 学部8 学科)に出願できるようにした。この試験は、一般選抜の全学部統一入試や個別学部併願入試で新型コロナウイルス感染症に罹患する等した志願者の受験機会確保のための振替試験としても利用可能とした。
また、この2021 年度入試からは、大学入試センター試験に代わる大学入学共通テストが全国で実施されるようになったが、受験年度における大学入学共通テストの成績を利用し、本学での個別試験を課さない「大学入学共通テスト方式」の入試を、引き続き実施している。
なお2021 年度の一般方式入試・大学入学共通テスト方式入試の志願者数は1 万4,661人(前年比77.98%)でありコロナ禍における受験控えの影響による志願者数の減少が顕著であったが、2022年度のそれは1 万7,565人(前年比119.81%)となり、志願者数はコロナ禍以前の水準(2018 年度から2020 年度まではいずれも1 万8,000人台)にほぼ回復している。
なお、この2022年度には国際教養学部が新設され、100 名の定員数に対して1,915 人の志願者があり、新しい受験者層の獲得に大きく貢献した。
2022 年4 月より事務組織を改編し、運営部入試課を独立したアドミッションセンターとして再編した。加えて、アドミッションセンター長及び副センター長、アドミッションオフィサーを配置できることとして、受験生の質問や相談に対応できる体制を整えている。
武蔵大学の発足後半年たった1949(昭和24)年10 月、最初の学生大会が開かれ、「学友会」、「自治会」といういずれも全員加入制の学生組織が生まれた。学友会は、文化活動あるいは体育活動などを行う各種団体の統合連絡機関として発足したが、各部の部長は教員であり、教職員を含む組織であった。一方、自治会は学生の自治組織で、学生の利益擁護機関としての役割を担って設置された。学生組織を統括する位置にある学友会とその一つの構成要素である自治会・文連・ゼミ連・運連(体連)は、時には異なり、時には共通の方針のもとに、各種の問題提起と活動を行ってきた。
自治会や文連あるいは闘争委員会の提起した活動については、第3 章でも一部言及したが、1966 年度の学部増設構想反対、生活協同組合設立運動、1967 年度の学費値上げ反対運動、1968 年度の父母からの寄付金募集反対運動、国際反戦デーのデモ行進、1969年度の「大学立法」反対闘争、学生会館の竣工に伴う「施設管理委員会」発足、1970 年度の「1970 年安保闘争」、学費値上げ反対の長期ストライキ、1971 年度の沖縄返還協定調印批准阻止全学ストライキ、1975 年度の大幅学費値上げ反対闘争、その延長とも考えられる1977 年度の白雉祭開催条件を巡る大学との対立とその後行われた処分に反対する運動、1979 年度以後の学費値上げ反対運動などがあった。
学費は1980 年度以降1998 年度まで、毎年値上げが行われたので、学友会は学生大会でこの問題を取り上げてきた。しかし、値上げが小幅であることもあり、大きな運動にはならなかった。この頃よりクラス・ゼミに基盤を置く自治会の活動は行われなくなり、2000 年度の学生大会において学友会規約上の自治会に関する項目は全文削除することが決定された。
そして2000年代以降は、2004 年10 月に発生した新潟中越地震救援募金活動、2005年の学生による学生目線の大学広報誌『武蔵ナビ』(通称:ムサナビ)の発刊、また2011 年3 月に発生した東日本大震災に対する復興支援の募金活動等様々な地域・社会貢献活動を行っている。施設面では、2005 年に本部団体学生自治の中心施設である学生会館が、耐震上の理由により建て替えが計画された。学友会・体連・文連・ゼミ連の本部4 団体により新施設への要望等について活発に議論が行われ、2006 年には当時の学友会長と学生支援センター長との間で「武蔵大学10号館使用合意書」が取り交わされた。こうして2007年9 月に竣工した10号館が、学生会館に代わり、現在の学友会活動の中心施設となっている。
2010 年代以降も学友会は積極的に社会貢献活動を続けており、2012 年には、前年の大震災からの復興を願って、学生団体「みちのくcaravan」「参考書宅救便」の協力の下、本学学生有志による「むさしおん」と学友会本部により、写真展「知る・想う。みちのくphoto caravan ~東北のキセキ~」を開催した。会場では古本・参考書の回収も行い、被災地の受験生への援助の一環とした。
2013年には、学生大会において、「みずほ銀行ATM撤去」と「立て看板設置場所の移動」等が議題に上がり、学生不在の決定事項であるとの報告がなされたほか、喫煙所の設置・運営等を巡っても大学とのコミュニケーション不足が話題となり、学生団体と学生支援センター関係者の間でフリーディスカッション方式による建設的な話し合いが実施された。この年には、学友会費を部費以外の使途で学生に還元する目的で、七夕企画並びにクリスマス企画が催され、好評を博した。
2017 年には、大学構内での禁煙問題に動きがあった。同年11月には、「武蔵学園校地内全面禁煙宣言」が提示されたことに伴って全学生への周知とスローガンの実現に向けての意見集約を行い、翌12月には全面禁煙宣言に関する学園総務部との協議を行った。2018 年4 月には、全学生向けに協議結果が報告されたが、全面禁煙実施後に予想される諸困難を憂慮した学友会側から学長にあてて「学内全面禁煙の延期に関する願い書」が提出された。
学友会は現在も全学生をもって構成され、代表は選挙で選ばれた会長である。最高決議機関は学生大会で、それに次ぐ決定機関は学友会長、学友会サークル局および本部団体(体育連合会本部、文化団体連合会本部、ゼミナール連合会)委員で構成される審議会である。執行機関は学友会本部で、会長が任命し審議会の承認を得た学友会本部員によって構成されている。
2020 年から2021 年度末までの、新型コロナウイルス感染症の拡大への対応は以下のとおりである。
2020年6 月:新型コロナウイルス感染症拡大防止のため学生大会が延期となった。
12 月:次期学友会長選挙は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のためGoogle フォームを活用しての投票となった。
2021年4 月:学友会が新型コロナウイルス感染症の影響で大学に登校できなかった1~2 年生対象に、質問・相談を受付ける企画として学生相談会を実施した。
6 月:学生大会は、主要メンバーのみ大講堂に集まり開催・収録し、他の参加学生はGoogle フォームにて動画配信を視聴後、審議事項に投票するという形式で実施した。
1963(昭和38)年から「白雉祭」と命名されるようになった大学祭は、文化団体連合会の委員および有志で構成される白雉祭実行委員会の手によって運営されてきた。2000 年代に入り、白雉祭実行委員会の組織は、文連本部委員と有志という形態から、文連本部委員の関わりが少なくなり、前年度実行委員会有志が年度ごとに有志を募り組織化される傾向にある。2004 年度本学が開催校となった第59 回四大学運動競技大会の際には文化団体連合会が体育連合会本部に協力し、学園大講堂を会場として音楽企画を実施し、参加選手のくつろぎの場を提供した。選手・役員だけでなく文化系学生も参画する大会となった。
2012 年度時点では、文化団体連合会は24 の部、1 同好会があり、他に文化系サークルとして学友会公認サークル1、学友会登録サークル8 があった。
文化団体連合会所属の各団体は、2010 年代に入っても堅実かつ安定的な課外活動を継続しているが、2017 年度から、文化団体連合会が中心となって(学友会所属学生と体育連合会所属学生も在籍)活動していた新入生歓迎行事実行委員会が、卒業記念行事実行委員会と併合し、歓送迎行事実行委員会と名称が変わって組織変更がなされた。そこでそれぞれ新歓部門、卒記部門として活動していくこととなった。
2022 年11 月現在、文化団体連合会には18 の部と一つの同好会が存在する。
コロナ禍による2020 年4 月の緊急事態宣言発令に伴い、多くの団体が活動停止となった。文化団体連合会所属団体の多くは屋内での活動であること、さらに発声や管楽器など感染リスクが高いと思われる活動も少なくないため、2020 年度から2021 年度はオンラインでの活動を余儀なくされた。そのような状況に対して、2021 年11 月には映画研究会、演劇研究会等が活動の再開を強く望み、「感染対策を示す活動計画書」を提出し、大学から施設使用の許可を得て、限定的ではあるが活動を再開し始めた。
また新入生歓迎行事について、2020 年度は正式な行事としては中止となったが、代わりに本学の有志がオンライン上で新入部員獲得のための活動を行い、2021 年度には正式に新入生歓迎行事がオンラインにより行われ、各部が新入生獲得のための勧誘活動を行った。
四大学運動競技大会の総合成績(正式種目および一般種目)は、1970(昭和45)年に3 位、1984~1986年に2 位になるなどの結果を示すようになった。しかし、それ以後は3 位か4 位の成績が続いており、 2000 年代に入っても、四大戦の成績については、依然として総合優勝は悲願であるが、一般種目において複数回の優勝を数えるにとどまっている。
施設面では、2004 年にアメフト・ラクロス場および朝霞第二部室棟が竣工した。さらに2010 年6 月には、整備改修により懸案であった朝霞グラウンド内のホッケー場、サッカー・ラグビー場、アメフト・ラクロス場3 面の人工芝化が完了した。
これまでの体育連合会の一貫した授業優先の考え方、先輩・後輩間の自由な雰囲気は特筆されるべきものであるが、部組織に拘束されるのを嫌う学生一般の風潮によって、多くのサークルが設立され、その組織化が課題となっていることは文化団体連合会と同様である。
2012 年度時点では、体育連合会には30 の部が所属しており、他に体育系学友会公認サークル21、登録サークル5 があった。
2016 年10 月には、朝霞クラブハウスが竣工した。かねてより朝霞グラウンドで活動する学生数の増加により部室が不足しているとの声が多く寄せられていたが、すべての部が等しく恩恵を受けられるよう、シャワー室完備の大きな男女更衣室、レセプション等で使用可能な多目的室、打合せができるコモンルーム、休憩室を備える建物の設置をという希望に応える形での完成となった。日常的な清掃は水曜会団体が音頭をとり、学生団体が当番制で清掃を実施している。
2018 年11 月には、朝霞テニスコート5 面のうち2 面が砂入りオムニコート(人工芝)化され、翌年には残り3 面がオムニコート化された。
体育連合会は、既述の通り、四大学運動競技大会の運営に多大なる貢献をしているが、一般種目出場選手の選考も兼ねる学内運動競技会の運営にも尽力してきており、よき伝統は脈々と受け継がれている。
2022年4 月現在、体育連合会には36の部が所属している。
コロナ禍による2020 年4 月の緊急事態宣言発令に伴い、活発に行われていた部活動も全ての活動が原則として禁止となった。同宣言発令中ではあったが、一部競技のリーグ戦は中止とはならず、延期となることが予想されたため、水曜会所属団体等から部活動の再開を強く求められるようになった。
2020 年7 月に朝霞校地で活動する水曜会所属団体から順次活動再開を認める方針を決定した。活動の再開には「感染対策を示す活動計画書」の提出が必須となり、それを大学が審査し、再開許可を通知する流れとした。10 月には金曜会所属団体、高志会所属団体、風・水の会所属団体も活動再開を認めることとなった。
学内運動競技大会は2020年度、2021年度とも中止となった。四大学運動競技大会は、2020 年度の第71 回大会は本学が当番校であったが、新型コロナウイルス感染症が蔓延する中、開催の可否について、実行委員の学生や各大学の学生部と何度もオンラインで会議を重ねた結果、式典のみ開催し、正式種目、一般種目、教職員種目は開催しないこととなった。式典は「特別式典」と名付けられ、式典の模様は、四大学の学生、教職員に向けてYouTubeで配信された。また、四大学運動競技会特別宣言の採択も行われた。2021 年度の第72 回四大学運動競技大会は成城大学が当番校であったが、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため、第72 回大会は式典と正式種目のみの実施となり、正式種目の一競技である「駅伝」では各大学応援団のエールも制限付きで認められ、運営学生と参加学生からは笑顔が見られた。
施設面では、2021 年度に安全強化のため、朝霞グラウンドの野球場、ホッケー場とサッカー、ラグビー場の間にあるフェンスの嵩上げ工事と陸上自衛隊朝霞駐屯地と接する朝霞グラウンド南側フェンスの工事が行われた。
ゼミナール連合会の形成に至る過程や、その後現在までの展開を、21 世紀よりも前の時点にまで立ち返って記述すると、以下のようになる。
1956(昭和31)年、第3 回日本学生経済ゼミナール全国大会に参加した武蔵大学のゼミナリステンはその実力を高く評価され、翌1957 年度に早稲田大学、慶應大学とともに全国ゼミナールの理事校に選ばれた。ゼミナール大会への参加は同時に、武蔵大学内の各ゼミナール間の交流を促し、1957 年6 月には、その3 か月前に発足したゼミナール協議会を発展的に解消させてゼミナール委員会が誕生した。また機関誌として全学生が自由に投稿できる「ゼミナリスト」も発行されることになった。
1961 年に、ゼミナール委員会は日本学生経済ゼミナール全国大会を補完する東京部会の第1 回大会を武蔵大学で開催するとともに、学生大会で独自の規約を承認され、それまでの有志による形式から全ゼミナールの幹事によって構成されるゼミナール連合会へと発展した。その後、各ゼミナールは学内ゼミナール大会・全国ゼミナール大会などにおいて研究成果を発表してきたが、ゼミ連はそのまとめ役を務めた。
ゼミ連は、人文学部設立後、人文学部学生の一部の参加を得て、1960 年代末から1970 年代にかけ、経済・人文の両学部のカリキュラム改訂について発言したが、経済学部のゼミを構成員とする組織という基本的性格は変わらなかった。その後も、1971年、1976 年、1980 年、1984 年、1988 年に日本学生経済ゼミナール東京部会大会を武蔵大学で開催し、全国大会に参加するゼミや研究会の窓口としての役割を果たしてきた。
また、2004年までは「学内ゼミ大会」と称して、経済学部の各ゼミの研究成果を発表する大会がゼミ連によって毎年開催されていた。しかし、大会への参加が任意であるため発表するゼミがほぼ固定化し、大会は形骸化していた。経済学部35 のゼミの中で参加するゼミは実質10 前後であった。また発表者と聴講者がほぼ同一であるため、参加学生は全体でもわずか100 名弱という数字であった。字であった。
こうした状況の中、2004 年が経済学部開設55 周年にあたり、コース制の導入等全面的な見直しによる新カリキュラムがスタートすることとなった。これを契機に、学内ゼミ大会は「ゼミ対抗研究発表大会“ 発する2004”」として大幅にリニューアルされた。これによりゼミ大会の規模が拡大し、参加ゼミ数が24、聴講者数も約350名と例年の4 倍弱の結果となった。また、従来のゼミ大会は分科会形式であり、研究の成果を発表し合う純粋な「発表大会」であったものを、2004年度からブロック内での各ゼミ対抗形式とし、優勝ゼミには賞金が贈呈されるようになった。また審査員には学内の教員に加え、学外から実務家を招くようになった。さらに聴講者による優勝ゼミの予想投票も行われており、2004 年のリニューアルが現在のゼミ対抗研究発表大会の基盤となっている。
その後も様々な試みがあり、2007 年度は、社会学部の参加枠を設定し、参加ゼミ数が32 となった。2004 年以降は大学同窓会はじめ、多くの協賛企業の協力、支援のもとゼミ大会が開催されている。最近に至るゼミ対抗研究発表大会の概要を記すと、大略以下の通りである。
2012年度 テーマ「繋げる知識の輪、超えよ自分の壁」
一般聴講者にも優勝・準優勝者の発表を見てもらえるよう、表彰式会場の50 周年記念ホールと聴講者集合会場の8702 教室を中継で繋ぐ試みがなされた。優勝ゼミ予想抽選会も行われた。
2013年度 テーマ「武蔵の本気 この冬、あなたは変わる」
過去最多8 ブロック 39ゼミ参加
2014年度 テーマ「飛躍」
2015年度 テーマ「Let’s Challenge 挑戦が自信に変わる」
2016年度 テーマ「武蔵魂を、今ゼミにささげろ Perfect Human」
2017年度 テーマ「力戦奮闘 駆け上がれ、型を破って、武蔵の頂点へ」
2017 年度にはチャレンジ枠(大学同窓会協賛)が設けられた。個人でも経済学部以外の学生でも参加可能という魅力的な企画である。協賛企業は5 社となり例年よりも増加した。
2018年度 テーマ「“ 色” を出せ 平成懐古の大号令」
2019年度 テーマ「先古不易~君の熱意が時代を貫く~」
2020 年度 テーマ「百世不磨~軌跡を残せ~」(新型コロナウイルスの影響によりオンライン開催)
2021 年度 テーマ「拓け、ニューノーマルの学び」(来場者制限を行って対面開催)
2022年度 テーマ「水滴石穿」2012~2016 年度のゼミ連本部員は10 名前後で推移していたが、直近の数年、たとえば2017 年度は34名、2018 年度は43名と、本部員が大幅に増加した。
学友会の経済研究部と人文研究部が自らの研究発表の場として、また教員に寄稿してもらう場として、雑誌『武蔵評論』を創刊したのは、1951(昭和26)年であった。発行所は、第3 号から武蔵大学出版部(学友会所属)となったが、この出版部は同時に『武蔵文化』という学内誌の発行を行っていた。1952年になると、『武蔵文化』は学内雑報中心の編集方針が改められ、『武蔵大学新聞』(第6 号から)となった。その後1954年になって、出版部は「武蔵大学新聞部」と改名し、新聞をタブロイド版からブランケット版にかえて紙面を拡大した。『武蔵評論』が同年7 月発行の第7号をもって終刊となったのは、その機能の一部が新聞に吸収されたためであろう。1955 年1 月に開かれた学生大会は、それまで新聞部(出版部)の果たしてきた報道・啓蒙の実績を認めて、4月から「武蔵大学新聞会」の名称のもとに学友会組織から離れた完全な独立機関として発足することを承認し、あわせて全学生が維持会員として購読料を納付する義務を負うことをも可決した。ここに新聞会は公正な報道機関としての活動が認められ、資金的裏付けを得た。
その後の新聞会は、武蔵大学唯一の報道機関としての自覚の上に、学内・学外の問題に鋭い目を向け、問題提起を行った。主体的な取材報道活動はもとより、武蔵大学教員の時評や経済問題の論評は毎号のように紙面を賑わし、一般学生からの投稿も目立っていた。また、大学祭参加の一環として、新聞会が主催し練馬区教育委員会・毎日新聞社の後援を得て、練馬区内の小中学生を対象にした図画作文コンクールを行ったこともあった(1960年から4 年間)。
その後1960 年代後半から1970 年代前半にかけての時期に編集方針は変化したが、1971 年6 月の学生大会で新聞会活動の実態が問われ、翌年の2 月には、学友会審議会で新聞会の活動停止が決められた。その後、2 回の再建活動は実らなかったが、第3 期の再建活動の結果、1978 年10 月の学生大会で新聞会は正式に再建が承認された。
報道の内容は時代とともに変わり、近年は学内問題中心の編集を行っている。なお、版型も1988 年の207 号からタブロイド版に戻り、さらに2005(平成17)年には学生への親しみやすさを向上させるためにA4 版へ変更した。
なお、2000年には『武蔵大学新聞』縮刷版第1 巻(1967年12月の第129号まで)と第2 巻(1999年6 月の第250号まで)が発行され、その作成には活動停止期間中に納入されていた新聞会費が充てられた。その資金は本来であれば納入者に返却すべきものであったが、納入者が数万名にのぼり返却が困難であるという理由から凍結されていたものであった。1987年の新聞会総会において「同窓会との話し合いによる運営権について解決の上で縮刷版発行、印刷機器購入のための資金としてのみその使途を認める」と承認されたことに基づき、凍結資金は縮刷版作成に使用され、残金約170 万円は大学が管理することとなった。その残金についても大学と話し合いを重ねた結果、新聞会の備品購入に充てることが決定し、2010 年度に全額を使用した。
2010年度の新聞会総会において「積立費」の仕組みが承認された。これは本学学生から徴収している年間400円の会費を増額しないために始められた。現在も同制度は続いており、「武蔵大学新聞」の縮刷版の作成に向けて順調に積み立てが行われている。
2011 年4 月16 日発行の第290 号では、凍結資金についての記事が掲載された。
2012 年度以降は、新聞会で活動する学生の確保が難しくなり、一時は1 名での活動となった時期もあった。現在では員数不足問題は解消され、年に3~4 回のペースで『武蔵大学新聞』を発行している。なお、2013 年11 月には創刊300 号を発行した。また、2019 年2 月には武蔵大学新聞公式ホームページを開設し、1952年12 月発行の第7 号から最新号まで、号外を含むアーカイブスを『武蔵大学新聞電子版』として公開した。
新型コロナウイルス感染症拡大の影響により2020 年度は武蔵大学入学式が中止となり、入学式当日の大学正門前での配付ができなくなったことから、『武蔵大学新聞』第325号の発行を取り止めた。その後、課外活動が一部を除いて活動停止となり、2020年6 月に発行予定であった『武蔵大学新聞』第325号の発行は休止となっている(第325号は2022年11月下旬発行予定である)。
学生の厚生施設として「武蔵にも生協を」という声は1960(昭和35)年前後からあったが、1966 年10 月の学生大会で正式に生協設立決議が行われ、これを受けて教授会内に設けられた生協審議会で検討の結果、教職員・学生が一体になっての生協設立が確認された。1967 年2 月、多数の学生教職員が出席して設立総会が開かれ、武蔵大学生活協同組合が発足した。なお、生協は1976 年に武蔵学園生活協同組合と改称したが、これは高校中学の教職員・生徒の加入を可能にするためであった。
こうして1967 年4 月より、当時の学生ホールの東側に新築された建物において、書籍や文房具・日用雑貨を取り扱う業務を開始した。その後、1970年の学生会館完成後、生協はその1 階に移転し、2002年9 月になって、購買書籍部が1 号館1 階に移転した。
設立以来、生協にとっての重要課題は食堂の経営であった。懸案であった学生食堂の生協への移管は、その後の運動により、学生食堂の問題を扱う食堂管理委員会も移管を承認し、一方、委託していた業者からは赤字のため撤退したいとの申し出もあり、学生食堂は1971年4 月から生協の運営となった。
1980年には、完成した中講堂棟の1 階に、学生食堂・学生ホール(400席)を設けた。1988年9 月に第2 学生ホール(パスタクラブ二番館)が完成すると、そこにスパゲッティ・ショップも開いたが、2002年夏に営業休止となった。
2010 年に長年の懸案であった中講堂棟1 階の食堂の大幅な改装を行い、2012 年には大学1 号館の撤去新築がなされ、新築1号館1 階に開放的な購買書籍部を新装オープンした。
近年の主だった事柄を記すと、大略以下の通りである。
2013 年度から生協学生委員会主催による無料の自転車点検が開始された。
メニュー等に工夫を凝らし多くの支持を得てきた学生食堂の運営だが、採算上の問題等もあり、2015 年度から土曜日は営業休止となった。
2017 年から教科書販売の特設コーナーが3 号館学生ラウンジへと移動となった。また2022 年には、新たに建設された大学11号館の1 階に購買書籍部が移転している。
コロナ禍による2020 年4 月の緊急事態宣言発令に伴い、大学生の入構が原則禁止となったことから、学生食堂及び購買書籍部の通常営業ができなくなり、利用者数は激減した。2021 年度中も時短営業となることが多く、利用者数が回復するまでには至らなかった。
経済的にも精神的にもより安定した学生生活を送るため、学生寮を設けて欲しいという要望は早くからあった。大学側でもその必要を認めて検討した結果、旧制高校時代の外国人教師の舎宅で当時教員住宅にあてられていた建物を寮向きに改造し、1959(昭和34)年4 月、定員20名の「武蔵大学第一学寮」として開設した。その後規程が定まり、教職員学生からなる学生寮運営委員会も発足した。
1965 年6 月には武蔵大学第一学生寮自治規約が、在寮生の手によって作成され、翌年第1 回武寮祭も開催された。1968 年に至り、施設委員会の発足とともに新学寮建設問題も懸案の一つとして採りあげられた。それまでの学寮の土地・建物を売却処分することになったからである。委員会では寮生代表をオブザーバーに加え、検討を重ねた。その結果、朝霞校地に50 名収容可能な新学寮が建設されることになった。朝霞寮は1970 年12 月に完成し、当初1、2 年の男子学生を対象としたが、その後、3 年生も入寮可能となった。
この朝霞寮が老朽化したため改築をすることになったが、その際、朝霞校地のいっそうの活用を図るという方針のもと、新しい建物については在学生の寮としての機能のほか、留学生の宿舎の機能、ゼミ・演習単位で利用できる学習・宿泊施設としての機能などを併せ持つものとすることになった。
2003年3 月に完成した武蔵大学朝霞プラザには、定員60名(男子46名、女子14名)の寮機能を持つ部分が設けられた。
また、留学生受け入れ施設として、この寮機能のうち10 室を留学生専用居室とした。その後、留学生の増加に伴い2006 年4月、ゼミ・演習室を寮生居室として6 室の改修・増室を行い、66 室とした。この内16 室を留学生専用の居室として受け入れを行い現在に至っている(一般男子学生40名、一般女子学生10名、留学生男女16 名)。
その他、2003 年度より武蔵大学の推薦寮として寮運営会社の寮を紹介していたが、その会社が運営する寮の居室一部借り上げを2009 年に開始した。ただし、利用者が想定よりも少なかったため、2015年に契約を終了している。
2020 年度から2021 年度は、寮内における新型コロナウイルス感染症のクラスター対策として、空きフロアを3 フロア設けることとなり、入寮定員を大幅に減らしての募集となった。
大学創立以来、大学保健室は、学長・高校中学校長(のち学園長)直属の部署として高校中学保健室と一本化された組織であったが、1994(平成6)年4 月に組織が改正され、学生部に所属する組織となった。
2006 年6 月には、学生部が学生支援センターとなり、それに伴い大学保健室、学生相談室、学生生活課は同センターの下で、両者は緊密な連携をとって一体的に運営されてきた。なお、大学10号館の新設に伴い2007年より大学10号館1 階に位置している。
また、これまで法人職員・大学教員の健康管理業務も大学保健室が担っていたが、2011 年より、総務部に教職員健康管理室が設置され、学園教職員の健康管理に対する責任体制の明確化が図られた。
学生相談室は、1990年、学生有志による「学生相談室を創る会」から当時の学生部に設置の要望が提出され、1 年余の準備期間を経て1992 年に開室された。学生部長が室長を兼務し、実質的な業務のとりまとめは教員兼務のコーディネーターが行った。なお、設置当時から大学3 号館1 階に位置し、2002 年には改装され以前の1.2倍のスペースが確保された。
2014年2 月には「障害のある学生の修学支援に関する武蔵大学の指針と現状」が制定され、同年12月には修学支援コーディネーターが学生支援センターに配置された。現在、修学支援コーディネーターは、大学保健室に2 名おり、所属の業務を兼務している。
2016年4 月に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が施行された。この施行に伴い、社会の障害に対する考え方も変化している。今までは大学進学を断念していた重度の障害であっても、今は大学への進学を希望する者が増えてきている。こういった多様な学生の支援については、更に専門的な知識やスキルが必要であり、修学支援に関わる知見や経験を持つ教職員の人員配置が望まれる。
2020年9 月に「武蔵大学障害学生支援基本方針」及び「武蔵大学障害学生支援基本方針に基づく支援の現状」が制定され、これに伴い「障害のある学生の修学支援に関する武蔵大学の指針と現状」は廃止された。
○大学保健室
大学保健室の主要な業務は学生に対する健康管理である。学生は「学校保健安全法」により年に1 度、定期健康診断を受けることが義務付けられており、健康診断受診率は93~95%を維持している。2006 年に出された文部科学省の指導もあり、健康診断結果は結果の如何にかかわらず全員に通知し、その内容に応じて一人ひとりへの保健指導や健康相談を行っている。なお、健康診断の目的は、1970年代半ば頃までは結核の予防・発見にあったが、次第に腎臓・心疾患・糖尿病などの対策に焦点が移り、1980 年以降になると生涯保健の見地から生活習慣病も対策に加えられ現在に至っている。問診票に記入された心身症状についても、気になるものについては来室依頼し面接を実施している。この10 年間では、肺結核・糖尿病・本態性高血圧・悪性腫瘍・心臓疾患・甲状腺疾患等の発見につながっており、健康診断後の適切な措置が重要である。内科校医や保健師との面談を中心に、必要時は学外医療機関への紹介を行い、早期介入・早期治療へつなげている。なお、女子学生特有の健康問題に対応するため、2009 年からは婦人科医の相談日を設けている。
また、2007 年に発生した大学生の麻疹流行、2009 年の新型インフルエンザ対応など、近年では学校における感染症対策が改めて重要視されている。武蔵大学でも、6 か月で約500 名の新型インフルエンザの罹患報告があった。さいわい重症化した者はいなかったが、これらの事象は、一人ひとりの健康を守るためのみならず、集団に対する安全管理・リスク統制という意味でも、大学における保健管理の重要性が見直される機会となった。
一方、1970年代前半から統合失調症など精神面の相談も増加してきたため、それまで内科医師のみであった校医に加え、1977年に精神科校医を委嘱、保健師とともに相談対応にあたっている。1992 年に学生相談室が開設され、大学保健室での精神症状を主訴とする相談件数は減じたものの、現在も入学時よりうつ病などの精神疾患や発達に困難を抱えている学生等に対し、教員や学生相談室、他部署と連携を図りながら就学中の支援を行っている。また、緊急時対策として2006 年より順次AED(自動体外式除細動器)を導入、現在は江古田・朝霞校地合わせて4 台が設置されている。
大学保健室で対応する学生は、様々な問題を抱えている。学業と過度なアルバイトによる不規則な生活は、睡眠不足、過労の原因ともなり、健康破綻をきたしかねない。長引く不況による就職活動の長期化は、疲労による様々な心身症状を引き起こしている。なお、2011 年には東日本大震災が、また2020 年には新型コロナウイルスの世界的な規模での感染拡大が発生し、いずれも将来にわたる健康影響も懸念される。
健康相談の相談内容は内科、外科、婦人科、皮膚科、整形外科、スポーツ障害、精神症状などあらゆる領域にわたっている。特に年々発達障害を含む精神的な問題を抱えている学生は増加しており、大学生の身体症状と精神症状は切り離せない関係にあるため、どのような相談であろうとも常に心身両面の対応が欠かせない。
今後の健康管理面での課題は、飲酒や喫煙など生活習慣に対する健康教育の充実、受動喫煙を防止する環境作りの提案(2020年4 月から校内は全面禁煙となった)、障害や心身の困難を抱える学生に対する修学支援への学内連携の模索等があげられる。
○学生相談室
1992(平成4)年に開設されてから30 年を経た学生相談室は、学内の心理的援助の場として定着している。心理的相談を中心とした個人カウンセリングに加え、日常的な学生生活のサポートをコミュニケーションスペースというフリースペースで対応しており、学生の心理的な成長を支える個別相談の場として、あるいは、対人コミュニケーションの場として、学生や保護者に利用されている。教職員の指導学生への対応についてもコンサルテーションという形で支援を行っている。その他、教職員に対し1998 年より、内外の講師を招いての「武蔵大学の学生相談を考える会」を開催(2007年より「オータムセミナー」へ名称変更)したほか、学生対象のグループワークを年に数回コミュニケーションスペースにて実施している。
なお、開設当初より、教員コーディネーター以外は臨時職員で構成されていたが、2001年に、学生部を中心とした「学生相談のあり方検討プロジェクト」が立ち上げられ、専任カウンセラー教職員の必要性などを核とした中長期的な提案が大学執行部に申し入れられた。その結果、2003年より、事務嘱託職員(カウンセラー資格なし)が採用され、さらに潜在的な学生のニーズに対応する必要性から、2011 年には臨床心理士の資格を持つ事務嘱託職員の採用に至っている。
学生の来談時の主訴は、対人関係・学生生活・身体精神症状・心理性格・履修等多岐にわたる。一方で、コミュニケーションスペースの利用者は年間平均3,000 件、もっとも多い月で約500件、1 日平均25名の利用があり年々増加傾向にある。したがって、自分の居場所を探して来室する学生が安心して快適に過ごすことができているかという点についても検討の余地がある。
その他の課題としては、昨今の学生が抱える問題に鑑み、次のような点が挙げられる。学業不振や休学学生への支援、精神障害・発達障害を有する学生への支援、就職活動に困難を抱えている学生への支援、事件・事故、自殺などに対する危機介入等である。今後も他の教職員との連携を図りつつ、こうした課題に取り組んでいく必要がある。
2012 年度から常勤カウンセラー1 名と非常勤カウンセラー5名、インテーカー(受付)2 名の計8 名となった。2013年度には常勤カウンセラーが2 名と増加、非常勤カウンセラーは1 名、インテーカー2 名の計5 名体制となった。スタッフ総数は減ったものの、常勤カウンセラーとして毎日同じカウンセラーが2 名在室することにより、学内連携や緊急対応についてより柔軟に手厚く対応することが可能となり、学生相談体制の充実が図られたといえる。
しかし、この体制は長くは続かず2 年後の15年度にはインテーカー(受付)が廃止され、常勤カウンセラー2 名、非常勤カウンセラー1 名の計3 名体制となった。さらに16 年度以降の学生相談室スタッフ数は常勤カウンセラー2 名のみと縮小し、開室可能な最小限のスタッフで運営を続けている。
開設以来、面接相談の設定は、1 枠50 分の対面相談を基本としてきた。電話での相談は相談者の状態把握が十分にできないことが懸念されるため、まずは来室での相談をすすめていた。しかし、2019 年度末から世界的に新型コロナウイルス(COVID-19)感染症の流行がはじまり、本学でも感染拡大予防のための対応策が講じられ、学生相談室では2019年度3月から対面相談を中止し、応急的対応として電話相談を開始した。
2020 年度前期は対面相談を中止として電話相談を継続し、後期に入り10 月からはZoomによるオンライン相談を併用し、11月20 日から本人が希望し必要性が認められた場合に限って対面相談を行うという対応となった。
2021年度のスタッフはカウンセラー(臨床心理士・公認心理師)2 名であり、学生相談業務(カウンセリング・受付窓口対応・電話対応等)、コミュニケーション・スペース業務、その他大学関連業務に従事した。この年度は、「新型コロナウイルス感染症拡大防止のための武蔵大学活動基準」(以下、「大学活動基準」)に則り、6 月21 日より一部科目で対面式授業が再開され、これに連動して学生相談室でも対面相談を再開した。以降、年度末まで対面相談、遠隔(電話/Zoom)相談の各形態で学生相談を提供した。
2020 年3 月以降のCOVID-19 による入構制限と相まって、学生から相談内容にも変化が見られた。日常の学生生活における、いわゆる「よろず相談」というものから、学生自身の明確な問題意識を伴った、より具体的な問題を抱えた学生からの相談が多くを占めるようになった。このことは、感染症パンデミック下における学生の相談ニーズの探索、予防・開発を目的とした一次的支援の提供方法等、今後の学生相談室運営について示唆するところが大きい。
COVID-19の影響により、学生の生活の場は限定されることとなった。そのため、学生自身の問題を家族や友人、教員等と共有する機会が減り、一人で抱え込む傾向が認められた。大学の人間関係に煩わされる機会が減少した一方、その質も希薄となり、日常会話の中で交わされていた不安や疑問が表出しにくくなったり、家庭にあって大学のことを理解してもらえる存在がいなかったりしたことで、孤立感を深める学生の傾向も認められた。こうした状況の下、学生相談室が電話またはweb会議システムを用いた遠隔相談を提供したことにより、学生の潜在的なニーズに応ずることが可能となった。その結果、相談件数がCOVID-19 の影響を受ける以前の水準まで回復したものと考えられる。
感染症パンデミックは災害と位置付けられ、人為的災害とは異なりピークや収束が分かりづらいことが特徴である。見通しが立たず、かつコントロールできない状況により社会が不安、恐怖、怒りなどに影響され続け、人々の精神的負担が増大しやすい。新型コロナウイルスはその感染経路の特徴により、外出並びに接触の制限、社会活動の制限による経済の停滞等、従前の人間関係を毀損する可能性が高く、人間の心身のみならず、社会全般、教育、医療、経済など多岐にわたり長期的な影誓を及ぼすことが予想されている。大学における学生のメンタルヘルス支援はより重要性を増し、個人と社会が分断されている状況に対し再適応を試みるなど、学生相談は新たな役割を意識し、支援のあり方を模索し続けることが求められている。
学生に対する奨学金としては、地方自治体や民間育英団体の奨学金もあったが、学業に優れ、経済的理由により修学困難な学生を対象とする日本育英会奨学金(貸与)が中心であった。しかし、人数が限られており、必要があっても奨学金を受けられない学生がいたので、1962(昭和37)年度に武蔵大学奨学金(貸与)制度を、1999年度には給付奨学金制度を設けた。
また、学業奨励のため、かつて成績優秀者に対する授業料減額制度を設けていたが、1981 年度にこれを廃止し学生海外研修奨学金を新設した。その後あらためて、成績・人物優秀者に対する奨学金を復活させることとし、武蔵大学特別奨学金制度を1990 年度に開設し、同趣旨の故岡茂男元学長にちなむ岡奨学金も1994年度に設けられた。
他にも、課外活動などの面で、武蔵大学の教育理念に沿った活動を行っている学生に対する奨学金として、国外留学奨学金(1990年度から)と課外活動奨励奨学金(2001年度から)がある。
さらに、2010年度に武蔵大学独自の給付型の奨学金制度の一層の充実を目的として武蔵大学同窓会からの拠出資金を基に、地方学生の学業奨励を目的とした「地方学生奨励奨学金制度」を創設した。同年度には厳しい社会経済状況に鑑み、給付型奨学金制度に追加して、武蔵大学提携の信販会社とのローンによって学費等の納付をした学生を対象に、在学中に限り年間の金利分について限度額を設けて援助する提携ローン金利援助奨学金も創設した。
2015 年度には、経済学部PDP1 期生の学業奨励を目的とした奨学金を創設した。
2017 年度には、人文学部GSC所属生の学業奨励を目的とした奨学金、並びに、社会学部GDSコース所属生の学業奨励を目的とした奨学金を創設した。
同年度には、経済学部第24 回卒業生である野澤美和子氏の御遺族の寄付金を元に、学業奨励と人材育成を目的とした「経済学部野澤奨学金」を創設した(2022年度給付分で、武蔵大学経済学部野澤奨学金資金の残額が第3 条に定める1件あたりの奨学金の給付額を下回るため終了予定)。
2020 年度には、社会学部教授江上節子氏からの寄付金及びその他の寄付金を基に、ひとり親世帯等における経済的負担の軽減と社会に貢献しうる優れた人材の輩出を目的とした「白雉奨学金」を創設した。
2020年から深刻化した新型コロナウイルス(COVID-19)感染症の広まりに応じた奨学金制度の整備については、感染症対策の項で記述する。
1990 年代においては、世界の各地域に協定校を配置し、武蔵大学に在籍したままの学生の留学が可能となったが、派遣者数は1990 年代を通して1 年に10 名を超えることはなかった。そのため、加速度的に進むグローバリゼーションを社会的背景として、量的拡大を図り、同時に制度運営の質を高めることの必要が強く認識されるようになり、学長のもとに検討委員会を置き、具体的な方策についての議論が行われた。その結果、国際交流の基軸を派遣型から双方向的な交換留学型へと転換することとなり、新しい方針の下で、2001(平成13)年に高麗大学(韓国)、セント・マイケルズ大学(アメリカ:現在は協定関係にない)、2002 年にケント大学(イギリス)と学生交換協定が締結された。また、そのような状況に対応するため、同年4 月には「本学における国際交流の推進と充実を図ることにより、教育及び研究の振興に寄与することを目的として」武蔵大学国際センター(以下、国際センターと略記)が開設され、交換、派遣の2 種が存在することとなった協定留学制度および認定留学制度を一元的に管理するとともに、従来学生部所管であった学生海外研修制度もあわせて担当することとなった。
国際交流を統括する国際交流会議およびその下部組織である国際交流委員会は国際センターの発足後2005年度末に廃止され、それ以後は「国際交流に係る基本的事項については、大学協議会に付議」されることとなった。
国際センターは、センター長(学長が専任教員の中から任命)、センター員(各学部1 名の専任教員を学長が委嘱)およびセンター事務長を常任構成員とする「国際センター会議」で決定された方針に従って運営されるが、同会議には必要に応じて各地域あるいはEASプログラム(後述)等、特定の任務を担当する専門員(専任教員を学長が委嘱)も参加することとなっていた。発足時の国際センターは、センター長、センター員、専門員を、専任職員(1 名)、事務嘱託員(1 名)、臨時職員(1 名)が事務担当として支えるという態勢で、EASプログラムについては、プログラム・アカデミック・コーディネーター(1 名、外国人、非常勤)の支援を得ながら、専門員1 名がプログラム・ディレクターの役割を担っていた。
協定校は、地域分布および学生のニーズに対応する形で選定されたが、国際交流に特化した実務組織である国際センターの設置後、交換協定締結交渉は着実に前進し、上述の高麗大学、セント・マイケルズ大学、ケント大学に加え、リヨン第三大学(フランス、2003 年)、マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(ドイツ、2005年)、西安外国語大学(中国、2007年)、ハワイ・パシフィック大学(アメリカ、2008年)、オハイオ大学(アメリカ、2008 年)、ディーキン大学(オーストラリア、2008 年)、パリ第七大学(フランス、2009年)、パッサウ大学(ドイツ、2009年)、国立政治大学(台湾、2012 年)、フォンティス・インターナショナル・ビジネス・スクール(オランダ、2012 年)との間で交換協定が締結された。その結果、派遣数、受け入れ数ともに年を追って順調に増加した。
交換協定を結んだセント・マイケルズ(アメリカ)、ケント(イギリス)両大学の学生を迎え入れ、また、将来、双方向的な国際交流制度を本格的に推進することを視野に入れて、武蔵大学は、2003 年度後期から、留学生を主たる対象として、英語ですべての授業を行う「EAS(東アジア研究)プログラム」を開設し、それと並行して外国人学生のための日本語授業を開講した(ケント大学国際関係学部は、その措置に対応して、EASプログラムを“Politics and International Relations with a Year in Japan” コースの指定派遣先プログラムとして認定した)。留学生を迎え入れるためには、教育プログラムの開設に加え、宿舎確保の必要もあった。そのため、受け入れ初年度である2002 年は民間宿舎を借り上げて高麗大学からの留学生に提供したが、2003 年度からは、竣工なった新学生寮(朝霞プラザ)の寮部分を日本人学生と留学生が共に暮らす国際宿舎として用いることとなり、寮内に留学生の居室を確保できるようになった。この段階では、武蔵からの派遣留学生、協定校からの留学生、ともに原籍校に学費、寮費を支払い、留学先にはそれらを支払わないという制度が採用された。
2005 年、できるだけ多くの学生が交換留学制度を活用できるようにするために、海外協定校で学ぶ際に必要な知識と語学力を獲得するよう支援する「留学準備講座」が開設された。EAS、日本語、および留学準備講座の授業は各学部が分担して提供する形を取るが、授業編成と実施の実務は国際センターが担うこととなり、国際センターは、事務的業務に加え、それらの授業の運営を担当する組織となった(国際センターは2011年の事務機構改革以後は外国語教育の運営にあたる外国語教育センターと並んで教務部に属する組織となった)。交換留学制度と組み合わせて実施される点が評価されて、EASプログラムおよび留学準備講座は、2004 年から2007 年までの間、文部科学省私立大学教育研究高度化推進特別補助の助成対象となった。留学準備講座に加え、学生海外研修に参加する学生の渡航準備となる放課後課外授業「英語インタビュー入門」も2005年に始められた。
交換留学制度は組織のあり方も運営の実態も異なる海外大学との教育連携であり、円滑な運営および迅速な危機管理のためには緊密な情報交換を通じて相互の信頼を確立することが必須である。そのため、国際センターの設立以来、日常の絶え間ない連絡にとどまらず、センター所属教職員と協定校担当者間の相互訪問が定期的に行われるようになり、2004 年にはケント大学学長、2009 年には西安外国語大学学長による武蔵大学公式訪問も行われた。
武蔵大学は、2002 年に国際交流に積極的に取り組む日本国内の大学・教育機関等を会員とする特定非営利活動法人JAFSA(国際教育交流協議会)に加盟し、2012 年には武蔵大学学長が理事に選出された。
2007 年からは、JAFSAと関係の深い米国を拠点とする国際教育交流団体、NAFSA: Association of International Educatorsにも参加して、その年次大会に教職員を派遣している(のち2016年からは第三次中期計画がはじまり、NAFSAでのブース出展を行っている)。NAFSAの大会は世界最大の教育交流フェアであり、武蔵大学の国際交流について広報し、教育のグローバル・ネットワークに連なるうえで不可欠の情報を得るための貴重な場となっている。
さらに、2008年からはアジアを拠点とするAPAIE: Asia-PacificAssociation for International Education、欧州を拠点とするEAIE:European Association for International Education の年次大会にも教職員を派遣し、教育交流を巡る世界の趨勢を把握するとともに、大会の場で得た情報や人脈を活用して新しい協定の締結に至るなどの成果を挙げている。
受け入れ留学生に対して授業料等の相互免除を行う交換留学制度を持続的に運営する上でもっとも重要な点は、送り出しと受け入れの人数を可能な限り同数に揃えることである。しかし、教育の質と効果を維持するために、健康、学業成績、語学力などについて、それぞれの学校が求める様々な条件があり、制度の開始当初は、一定の語学基準を充たす留学希望者数を確保するのに困難が伴うこともあった。そこで2006 年、協定校の中でも制度開始以来中軸的な位置を占めているケント大学と交渉を行い、正規学生が履修する正課授業に加え、同大学が持つ留学生受け入れ準備課程の授業を武蔵・ケント間の交換留学プログラムに組み込むことによって、一定水準[IELTS 4.0 またはTOEFL 45(iBT)/133(CBT)/450(PBT)]まで最低語学基準を引き下げることとした。またそれとあわせて、学生の語学力に応じて三つの選択コース(Pathway)を設け、それぞれのコースに適合した授業群をあらかじめ指定して、そのなかから学生が授業を選択する仕組みを用意することとした。その措置を講じたことにより、制度利用が可能な学生数が増加して交換留学制度の維持が可能になったばかりでなく、学生にとっては、留学先での無理がなく、より効果の高い学習が可能になった。4 月に出発し1 年間留学する通常のプログラムに加え、就職活動期間の早まりを懸念して留学を躊躇する学生のために12 月に帰国できるプログラムを用意したことも学生に歓迎された。
一方で、このような措置を講じて送り出し、受け入れの留学生数が増勢に転じた場合、大学がその用地内に十分な量の宿舎を用意できず、様々な家賃、様々な条件の学外の宿舎も利用せざるを得なくなることは明らかであった。そのため、学内外の多様な宿舎の利用を促しつつ、宿舎に対する支払額が同一である場合に生じる不公平感をあらかじめ避けるため、2008 年の協定改定では、寮費分離方式、すなわち、学費は原籍校に支払うことにより留学先で免除になるが、宿舎費・家賃は学生が現地で自ら支払う、という方式に改定された。ヨーロッパ単位互換制度(ECTS)を本格的に導入しているケント大学との緊密な交渉を通じて、教育の質の保証、単位互換基準など、教育の国際交流の中核にある原理的な枠組みについての理解を深めることができた意義も大きい。
武蔵大学は、その後、ケント大学との協定の枠組みを参照枠として協定各校との協議を定期的に行い、必要な場合には協定の改定を行っている。イギリス政府が入国管理政策厳格化の一部としてビザ給付要件としての語学基準の引き上げを行ったため、2012年、前述の改定語学基準は廃止することとなった。そのため、ケント大学は政府の方針にそって新しい受け入れ規準を発表したが、強い留学意欲をもち、英語習得に熱心な学生が育ってきているため、ケント大学との間で年あたり5 名程度の規模で1 対1交換留学制度を維持することができた。
制度を開始して10 年以上が経過し、国際センター、外国語教育センター、経済学部国際コースなど、全学をあげての努力が実りつつある。もっとも早く交換協定を締結した高麗大学の場合、当初6 年間(2002~2007年)は派遣人数の平均が1 名、受け入れ人数の平均が4.6 名と、派遣と受け入れの間に不均衡がみられたが、その後の6 年間(2008~2013年)の派遣人数の平均は3.5名、受け入れ人数の平均は3.4 名であり、派遣人数を増加させたうえでほぼ1 対1 の比率が実現している。
すべての協定校に対する派遣および受け入れの総数についても、2004 年から2009 年にかけては受け入れ人数が派遣人数を上回る年が多かったが、国際センターが設置された2002 年度から2012 年度まで11 年間の平均値でみると、派遣15.3 名に対して受け入れが17.5 名であり、3 年間(2010~2012 年)の平均値は派遣24.3 名に対して受け入れが25 名である。1 対1 交換の原則は、交流の規模を拡大しつつ、持続可能な形でおおむね貫かれていると言うことができる。
双方向的な交換留学制度の定着に伴い、それ以外の留学制度による留学を希望する者の数は減少し、国際センターが開設された2002 年以後2012 年まで11 年間の派遣実績は、交換留学による派遣が141 名であるのに対し、(武蔵への受け入れをともなわない)協定留学の実績は30名、認定留学の実績は1名にとどまっている。
2000 年代にはまた、夏季休暇、春季休暇中の数週間を利用して海外の協定校に付属する語学教育機関や定評ある語学学校で英独仏中韓諸語を集中的に学ぶ「海外現地実習」(2 単位科目。2011年のカリキュラム改訂後の名称は「外国語現地実習」)が始まった。実践的な語学学習に加え外国の生活と文化を現地で体験できることから、この集中授業に対する学生の関心は高く、2000 年度から2012 年度までの13 年間で年平均68 名、総数883 名を送り出している。
武蔵大学が短期語学研修を実施した学校は、リヨン第二大学(フランス、1995~2002 年)、カリフォルニア大学サンディエゴ校(アメリカ、2000~2005 年)、マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(ドイツ、1997~2010 年)、トゥーレーヌ学院(フランス、2003 年~)、オハイオ大学(アメリカ、2001~2011 年)、セント・マイケルズ大学(アメリカ、2001~2010 年)、高麗大学(韓国、2002年~)、西安外国語大学(中国、2006年~)、ディーキン大学(オーストラリア、2008年~)、カール・デュイスベルク・ツェントレン(CDC)(ドイツ、2009年~)、ケント大学(イギリス、2013年~)、国立政治大学(台湾、2013年~)である。
2000 年代は、国際センターが設立され、交換留学、外国語現地実習、学生海外研修の3 事業を主要な柱とする国際交流制度の輪郭が形成された時期であるといえるが、留学生の受け入れは、一般の学生の場合と同様、学業、宿舎、健康など、多岐にわたる分野に関わるので、その影響は純粋に国際センターの所管する分野にとどまるものではなく、教務部、学生支援センター、同センター大学保健室等、大学のすべての部局に何らかの対応を迫るものであった。また、留学生に充実した日本生活を提供するためには、学部学生・大学院生の協力が必要であり、留学生をサポートするボランティア組織である「キャンパス・メイト」が誕生し、留学生と交流しながら韓国を研究する「チング」のような学生サークルが作られたのもこの時期である。国際センターも春秋に新着留学生の歓迎会を開催するだけでなく、外国人スタッフの案内で日本人学生とともに都内見学をするフィールドトリップを毎月実施し、地元である江古田商店街との交流を企画したり、国際理解教育をサポートするため練馬区立小中学校に留学生を派遣して日本の子供たちとの交流の機会を設けたりしている。こういった留学生を温かく迎え入れる姿勢は、初めての受け入れから今に至るまで全学的レベルで保たれており、大学と大学同窓会が各地の同窓会支部と連携して彼らを地方旅行に招待する有意義な試みも、2012 年度の新潟旅行で10 回目となった。この地方旅行には日本人学生の参加も認められ、留学生と武蔵大学の学生が交流する絶好の機会となっていた。このような、それぞれに工夫をこらしての対応が新鮮な刺激となり、交換留学生の受け入れを契機として大学全体が自らとの関わりで国際化を意識し始めた。このことが双方向的な留学制度に転換した最大の成果であろう。
2007年夏、教員が海外に学生を引率して教育活動を行う「国外フィールドトリップ」が始まった。この年の試行を経て2008 年から制度化されたこの制度は、「本学正規科目での教育活動の一環として海外での学習活動について具体的な計画を有する」専任教員に対して、1 企画30万円(機中泊を含め7 日6 夜)を上限として助成を行う制度である。
2008 年、「武蔵学園における各種国際交流活動を推進し、併せてそれにともなう危機発生時に学園として対処することを目的として」、学園長を委員長とする学校法人根津育英会国際交流委員会(以下、国際交流委員会と略記)が設置された。大学、高等学校中学校、それぞれが独自に国際交流を運営し実績をあげてきたが、国際交流の規模が大きくなり、テロ、感染症等の脅威も存在する以上、派遣学生に事故が発生する可能性を完全に排除することはできない。したがって危機管理体制の整備は喫緊の課題であるという認識が学園内で共有された結果であった。
国際交流委員会での検討を踏まえ、派遣学生の安否確認を代行する危機管理支援業者と契約をしたり、事故発生時に国際センター以外の部局からの支援が可能となるようタスクフォース要員を指定したりした上で、大学、高等学校中学校、法人役員職員、それぞれの場合に分けて事故発生時の対応フローチャートが作成され、海外派遣者に対する出発前教育も強化された。しかし、2011 年3 月11 日の東日本大震災と深刻な原発事故を受けて学園の危機管理関連諸規程が抜本的に改定されたため、国際センター規程等、国際交流関連の諸規程もそれと連動して改定することとなった。しかし、国際交流については、大学、高等学校中学校の枠組みを超えた事務組織再編が必要となる可能性もあり、慎重な検討がなされた結果、2014 年に学園の国際交流に関する危機管理対応部署として法人部門に国際業務室が設置され、2015 年には大学の国際センター事務室と外国語教育センター事務室と統合して法人部門の国際部となった。
他大学、他教育機関の場合と同様に、あの未曾有の原発事故の発生後、受け入れ留学生の大半が母国政府または原籍校からの指示や示唆に基づき一斉に帰国した。時を経て状況は正常に復したが、それは想定を超える事態であった。
国際交流委員会では、武蔵大学と武蔵高等学校中学校の教育連携についても協議が行われた。その最初の実りが、2008 年3 月に締結された「武蔵大学と武蔵高等学校との国際交流にかかわる高大連携事業に関する協定書」である。この協定書は、危機管理体制の共有、教育・研究両面での国際交流に関わる共同事業の実施、「留学準備講座」への武蔵高等学校生徒の受け入れ、を事業内容として掲げており、同年の4 月から、留学準備講座中の「アカデミック・イングリッシュ」、「TOEFL」の2 授業が時間割を調整した上で武蔵高校生に開放されている。2008 年以降、武蔵大学は武蔵高等学校中学校の英語科専任教員に、留学準備講座、英語正課授業への非常勤講師としての出講を委嘱している。
同協定による大学と高等学校中学校の共同事業の主たるものは、2009年4 月に調印された「武蔵大学、武蔵高等学校中学校とテンプル大学ジャパンキャンパスとの基本協定書」に基づくテンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)との連携である。フィラデルフィア(アメリカ)に主キャンパスを置くテンプル大学の日本校であるTUJは、文部科学省により「外国大学の日本校」として正式に認定されており、東京都心に立地して距離的にも近く、異なる校風ながら共にリベラル・アーツ教育を志向する大学であることから、相互補完関係を創出することが可能な大学との判断に立ち、この連携が実現した。
まず実現した教育プロジェクトは、2010 年の夏から開催されている5 日間の集中授業、English Summer School である。同プログラムには「アメリカの大学授業体験プログラム」という副題が添えられており、毎年扱うテーマを変えながら、アメリカの大学教育の基礎にあるcritical thinkingの力を養う「アカデミック・イングリッシュ」の授業をTUJの外国人講師が行った。武蔵学園の学生・生徒を対象として江古田キャンパスで夏季休暇を利用して行われる授業であり、大学生コースと高校生コースに分けられた少人数のクラス(2016 年からは大学・高校MIXクラス、2018からは中学3 年生以上が受講可能となった)にTUJの外国人学生もアシスタントとして参加した。
2011 年度より、このプログラムは大学の認定科目となり、大学生の修了者には申請により1 単位が認定されるようになった(2018 年からは「グローバル・コミュニケーション1 および2」、その後「イングリッシュ・サマースクール1 および2」という授業科目として開講している)。
包括的な協定であるTUJとの「基本協定書」が掲げる連携の目的は、教育・学術上の連携、共同研究、文化交流など多岐にわたるが、2010 年には、武蔵大学とTUJが力を合わせ、5 か国の研究者が参加する国際シンポジウム「東アジアのグローバリゼーションと大学教育の将来」(共催:武蔵大学、独立行政法人日本学生支援機構、協力:TUJ、後援:文部科学省、外務省)が、学生支援機構が運営する東京国際交流館プラザ平成を会場として開催され、2011 年10 月からは、TUJ図書館と武蔵大学図書館との協定に基づき、両大学所属の学部学生、大学院生、専任教職員、非常勤講師は、紹介状無しで相互に大学図書館を利用することができるようになった。
2012 年からは、さらに連携が進み、両校教務部間の協議に基づき「単位互換に関する覚書」が交わされ、基本協定締結時からの懸案であった「単位互換プログラム」が実現した。日本に立地する米国の大学であるTUJとの連携を通じて、武蔵大学は大学の国際化について多くのことを学んだといえる。
2012 年には、協定校以外の外国大学に所属する学生をEASプログラムに受け入れる「EAS(東アジア研究)インデペンデント・ステューデント履修プログラム」が始まった。同プログラムは授業数に比して所属学生が少なく、学生数の増加は、経営面でのメリットにとどまらず、1 クラスあたりの人数を上積みすることによって授業運営の円滑化につながると考えられる上、様々な大学、様々な分野の学生を受け入れることが大学構成員の多様化にも寄与するとの判断に立っての決定である。
この年にはまた、これまでの諸活動の点検を行い、それを踏まえた検討の結論として、翌2013 年度から「海外フィールド実習」(1 単位)、「海外調査方法論」(2 単位)の2 科目の新設が決定された。「海外フィールド実習」は、「国外フィールドトリップ」制度の利用率が低い(制度開始の2008 年以来で申請件数5 件、申請者2 名)ことに対応する措置で、今後ますます重要性が高まるはずの教員引率の海外調査を正規科目化することにより、教員・学生双方の参加インセンティブを高めるべきとの判断に基づくものである。
また、「海外調査方法論」は、海外調査の方法論を体系的に教育する科目を新設し、その履修を学生海外研修の応募条件に加えることによって、学生海外研修をより効果的にするための方策として立案され、2013 年度から2021 年度まで開講された。この科目では、海外において調査を行うために必要な基礎知識の習得および調査方法の体系的な学習、さらには調査研究の事前調査方法、立案の仕方、申請書の書き方、報告書の書き方までを学ぶことを授業内容としている。
2012(平成24)年度には「学園国際センター」(仮称)の設置に関する意見交換会が高校中学も交えて複数回行われた。
2016年4 月に教育研究組織としての「国際センター」は「外国語教育センター」と統合され、「グローバル教育センター」が新たに発足した。それに先駆け、2015 年度10 月には事務組織の改組があり、国際センター事務室は外国語教育センター事務室および法人の国際業務室と統合され法人部局の国際部となり、国際センター、外国語教育センター(2016年4 月からは大学グローバル教育センター)の事務機能は国際部・国際教育室が主に担い、学園全体および高校中学校の国際交流に関する事務支援や危機管理を国際部・国際企画室が担うこととなった。これに伴い、武蔵学園国際交流委員会は廃止され、武蔵学園グローバル戦略会議が設置された。2018年度には武蔵学園グローバル教育推進センターが置かれ、大学グローバル教育センターは新設された高等学校・中学校グローバル教育センターとともに、学園グローバル教育推進センターの下に位置付けられ、武蔵学園グローバル戦略会議もまた、学園グローバル教育推進センター内の会議体として改められた。
2015(平成27)年度に経済学部に「ロンドン大学と武蔵大学とのパラレル・ディグリー・プログラム(PDP)」が開設されると、グローバル教育センターでは第2 クォータの海外語学研修の送り出しを担うこととなった。続く2016年度には、人文学部に「グローバル・スタディーズコース(通称:GSC)」が、社会学部に「グローバル・データサイエンスコース(通称:GDS)」が設置され、PDP同様、それぞれのコースの海外英語研修送り出しを同センターが担当することとなった。
PDP開設にあたっては、ロンドン大学インターナショナルプログラム教授機関として認定を受けるため、2015 年度に、国際センター職員2 名がロンドン大学でのワークショップに参加し、Self-Evaluation Document の作成、実査に協力した。また、学園内の高大連携事業の一環として、International Foundation Programme(IFP)科目を武蔵高校生も履修可能とした。
2017 年度も引き続き各学部のグローバルコース第2 クォータ海外英語研修を支援し、経済学部PDPの学生をSMEAG(フィリ
ピン・セブ)に、人文学部GSCの学生をDeakin大学(オーストラリア・メルボルン)およびPace大学(アメリカ・ニューヨークに、社会学部GDSの学生をケアンズ・ランゲージセンター(オーストラリア・ケアンズ)にそれぞれ派遣、2018年度は経済学部PDP
の学生をSMEAGに、人文学部GSCの学生を3 か国3 校(Deakin大学、Pace大学、Worcester 大学(イギリス・ウスター))に、社会学部GDS履修者をケアンズ・ランゲージセンターへ派遣した。また、2016 年度より経済学部PDP履修学生のための英文ライティング指導、2019 年度からは社会学部GDS履修学生のための英文ライティング指導をグローバル教育センターが担っている。
海外協定校の多角化の一環として英語圏の協定校をさらに多様化すべく、オランダ、台湾などいわゆる英語圏ではない国・地域における英語で行われるコースも英語圏への留学として派遣先の拡大を図っている。
2014(平成26)年度には、英語圏の新たな協定校として、アデルファイ大学(アメリカ)と協定を締結する一方、英語圏語学研修先の多角化の一環として、経済学部PDPコース第2 クォータ語学研修先としてだけでなく、夏季・春季の語学研修先としてフィリピン・セブ島にある語学学校SMEAGとの協定が締結され、2015 年度から派遣が開始された。PDPコース第2 クォータ8 週間の語学研修には19 名が、4 週間の夏季英語研修には23 名の学生が参加した。
また、2015年度には、新たにノーザン・ケンタッキー大学(NKU、アメリカ)との学生交換協定も締結、2016年度には、Pace 大学(アメリカ)、延世大学(韓国)、Singapore Institute of Management(SIM、シンガポール)の3 校と協定を締結する一方、Fontys International Business School(オランダ)との協定をFontys応用科学大学との協定に拡大し、人数枠も3 名から5 名に拡大した。
2017年度には、基本協定3 校(RMIT、Worcester、Missouri)、学生交換協定1 校(Medicine Hat)の交流協定を締結。さらにDeakin大学(オーストラリア)との交流拡大策として、本学が教員引率型スタディツアーの学生4 名の受け入れに対して、本学の協定留学生1 名分とする約束を取り付けた結果、2017 年度は6名の協定留学生を派遣することができた。またインドやベトナムでの協定校開拓のため教職員を派遣し、ホーチミン市人文社会科学大学および経済大学でゲストレクチャーを実施、インド・バンガロールの視察を行った。
2018年度には、基本協定をホーチミン市人文社会科学大学(ベトナム)と、学生派遣協定をサザンクロス大学(オーストラリア)、London school of Economics and Political Science (LSE、イギリス)、学生交換協定をホーチミン市経済大学(ベトナム)、ウィンデスハイム応用科学大学(オランダ)、香港教育大学(香港)など合計6 校の新規協定校と協定を締結した。これで本学は合計30校の海外大学と協定を締結したことになり、学期換算で受け入れ留学生67 名、派遣留学生50 名(インディペンデント・スチューデント含む)の学生交流が行われた。また、米国非営利教育財団の The Study Abroad Foundation(SAF)およびUMAP(アジア太平洋大学交流機構)とも協定を締結した。
2004(平成16)年から大学同窓会協賛で実施してきた留学生・在学生交流フィールドトリップは、2012 年度1 月大学同窓会新潟支部、2013 年12 月大学同窓会愛知・三重支部、2014 年10 月大学同窓会群馬支部、2015 年10 月大学同窓会栃木支部との共催で第13 回を数えたが、1 泊2 日程度の行程で回れる地域はほぼ回り尽くし、留学生の興味関心も様々であることから一旦終了とした。受入れ留学生と在学生の交流のためのフィールドトリップとしては、EASダイレクターが2004 年後期より日帰りで各学期数回実施しており、現在はウォークアバウトと称している。また、2015 年11 月には協定校ディーキン大学からスタディツアーの学生15 名1 団体を2 週間受け入れ、東京近郊のフィールドトリップを6 回実施した。
Independent Student は「武蔵大学履修証明制度に関する規程」(2008年制定)に基づくプログラムの一つとして、「EAS(東アジア研究)インデペンデント・ステューデント履修プログラム実施要領」(2011 年度 大学協議会決定)に基づき、2012 年度から受け入れを開始した。この制度を利用し、東京にスタッフが常駐している留学エージェント(ISA)を通じて北米から留学生を受け入れることとした。質の高い留学生が多く、当初定員を年間3名としていたが、2013 年度には10 名へ定員増を図り、2014 年度には9 名を、2015 年度には14 名、2016 年度には13 名、2017 年度23名、2018 年度には23名をそれぞれ受け入れた。なお、現在は、ISAとの提携は終了している。
2012(平成24)年に韓国へのフィールドトリップが実施された後、数年間「海外フィールド実習」は開講されなかったが、武蔵大学教育改革支援制度による参加者への助成もあり、2017 年度には教員2 名の引率のもと学生12 名が参加して、デンマークの教育機関を視察し、日本とは異なる教育制度について学ぶ7泊8 日の研修が行われた。また、2017 年度は授業外で実施したハワイ研修を、2018 年度には授業化し、「Glocal Leadership an Awareness Development(GLAD) Project 2018」が実施された。12 泊14 日のハワイ島・オアフ島での海外体験プログラムとして学生募集を行い、2019 年2 月19 日から3 月4 日までの日程で、学生5 名(経済学部1 名、人文学部4 名)の参加を得てプログラムを実施した。
オーストラリア、ニュージーランドのみで実施していたグローバル・インターンシップは、6 週間という研修期間の長さ、費用、求められる語学力の高さといったハードルを下げるため、2018(平成30)年度に研修実施国を5 か国(オーストラリア、アメリカ、ベトナム、マレーシア、カンボジア)に拡大するとともに、研修期間を短縮し(6 週間から4 週間)、語学力も中程度から参加できるプログラムを増やし、奨学金の額を従来の一律30 万円から豪米20万円、東南アジア15 万円へ変更した。
MCVを利用する学生が卒業後のキャリア形成を考えるきっかけとして、海外で活躍する卒業生にMCVで講演をしてもらったり、留学先で何らかの支援が必要になった際に協力をしたりしてもらえるような海外在住卒業生とのネットワーク強化を図り、現在、北米、ドイツなどを中心に協力的な卒業生との関係構築を進めている。
2020(令和2)年度は、学生交換協定を海外の2 大学と新たに締結した。コロナ禍により、派遣留学生も受入留学生も予定を大幅に下回り、派遣は19 名、受入は14 名となった(いずれもオンラインを含む)。
2021年度は、受け入れ留学生に関しては、前学期は新規11 名、2020 年度からの継続4 名、期間変更7 名の計22 名を受け入れる予定であったが、最終的には、新規3 名、2020 年度からの継続4 名、合計7 名(渡日3 名、オンライン4 名)にとどまった。後学期は、新規19 名、2021 年度前学期からの継続1 名、期間変更5 名、計25名を受け入れる予定であったが、最終的には新規3 名、期間変更1 名、合計4 名(全員オンライン留学)の受け入れとなった。派遣留学生に関しては、2020年秋の選考時点では延べ44名、加えて2021年度春の選考時点では延べ20名の合計64名の派遣を予定していたが、最終的に年間合計18名(渡航7 名、オンライン11名)となった。
なお2022年度春学期は13名の留学生が(イギリス、オランダ、ドイツ、フランス、中国、香港、台湾の協定校から)来日し、秋学期は春学期から継続している3 名とともに、新たに来日した30名の留学生が(イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、オランダ、ドイツ、フランス、中国といった協定校からに加えて、ウクライナの留学生3 名も)武蔵大学で学んでいる。
創立初期の武蔵大学で学生の就職相談に応じたのは学生部で、学生部は第1 回生が就職活動を行った1952(昭和27)年以来、きめ細かい親身の指導を行ってきた。武蔵大学がその後、就職環境の厳しい時にあっても常に高い就職率をあげることができたのは、当時の学生部を中心とする全学をあげての応援体制によるものに他ならないが、それとともに指導教授制および父兄会(1996年度からは父母の会)が果たした役割も大きかった。
かつて就職は学校推薦が主流であった。学生は職業選択にあたって、会社・団体などからの求人を学生部で知ると大学に推薦を希望する旨を申し出る。大学は求人側の条件に沿って希望学生の中からその会社に向ける学生を選考する。例えば1968 年度の場合、73%の学生がこの制度の下で就職し、それ以外は縁故や自己開拓によるものだった。
この推薦制度に代わって学生が直接会社を訪問し選考を受けるという、いわゆる自由応募が普及するのは1970 年代以降である。武蔵大学の場合も1970 年代に入ると学校推薦は減少し、学校推薦応募は1979 年には10%以下になった。自由応募による就職が一般的になる過程で、大学の就職関連業務は斡旋から指導に変わっていった。
就職に関する指導は、1989 年度までは学生部課、1990 年度からは就職部が担当し、ガイダンスや各種就職対策講座などを行ってきた。さらにゼミ・演習の指導教授、卒業生の積極的な協力もあり、きめ細かな全学的協力体制が確立してきた。その結果、卒業生の就職状況は良好で内定者の8 割以上が当初から希望していた、もしくは就職活動を通じて働くことを望むようになった会社や団体などに決まっている。武蔵大学の卒業生は会社、団体、学校など様々な分野で活躍しており、人事担当者をはじめ各方面から、社会人としての基礎力が身に付いている人物が多いと評価を得ている。
近年の就職にあっては、学生が就職活動をインターネットで行う時代となり、学生はネット上で企業検索をし、応募(エントリー)や応募書類(エントリーシート)の提出、説明会や面接の予約もサイト上で行うことが多くなってきた。就職という限定した指導にとどまらず、キャリア形成という広い視点からの支援が求められるようになり、2006 年6 月より就職部就職課から学生支援センターキャリア支援課に組織変更をした。さらに2010年4 月には学生支援センターから独立してキャリア支援センターキャリア支援課となり、同年7 月には企業開拓を主に担当するキャリア開発室を設け、企業訪問、求人開拓や学内企業説明会の企画などを行っている。2011 年からはデータ分析にも力を入れており、キャリア形成の基礎データを蓄積している。
キャリア形成を支援するために、従来から個別相談にも力を入れている。学生個々人の志望を尊重し、自らのキャリアに対する主体的な行動を促すため、キャリアコンサルタントなどの有資格者の相談員を11名配置し、学生からの相談に対応している。
2009 年度、文部科学省の「大学教育・学生支援推進事業学生支援推進プログラム」に採択され、学内共通データベースの導入や、就職が内定した4 年生がキャリア支援センター内で「就活サポーター」として自分たちの経験を後輩たちに伝える取り組みを始めた。毎年多くの4 年生がサポーターとして活躍している。また、2011 年度からはOB・OGの協力を得て、3 年次を対象とした交流会(「武蔵しごと塾」)を実施しており、現在も継続している。各界で活躍する卒業生を講師に招き、業界の知識習得や自己分析、模擬面接などの講座を開催している。
2011年度からは新カリキュラムの総合科目に「ライフマネジメントとキャリアデザイン」という分野が設けられ、1 年生から正課授業の中でもキャリアについて学び、考える環境が整えられた。単位制インターンシップやキャリア形成科目の教員との情報交換や連携を行なっており、学生のキャリア形成、進路選択のバックアップに努めてきている。
2013 年に8 号館3 階に場所を移し、来室しやすい環境整備も行っている。面談ブースのレイアウト改善や、学生同士で話ができるスペースの設置、キャリア形成に役立つ文献や資料の整備など、就職活動を行っている学生だけでなく、1 年次から来室しやすい環境作りを着実に行ってきている。また、卒業生からの相談にも応じており、応募書類の添削や面接練習などを行っている。
2020年度(2021年3 月卒業)の大卒求人倍率は、主としてコロナ禍の影響から、前年より0.3 ポイント低下した1.53 倍であった(リクルートワークス研究所調べ)。本学の就職希望者のうちの就職率は96.3%となった。また、2021年度(2022年3 月卒業)の大卒求人倍率は、前年の1.53 倍から0.03 ポイント微減の1.50 倍と底堅い結果となった(リクルートワークス研究所調べ)。本学においては、就職希望者のうちの就職率は96.5%となっている。
1998(平成10)年度に社会学科が社会学部として独立し、人文学部は比較文化学科を新設した。さらに、2004 年度には社会学部にメディア社会学科が加わった。これらの学部・学科の課程認定も順次に進行し、教職課程の拡充が図られていった。その後、3 学部体制は変わらないものの、2011 年度よりスタートしたカリキュラム改革の中で、人文学部各学科の名称が変更となり、新たに課程認定を行った。
このような過程を経て、現段階において武蔵大学の学部学科・大学院研究科で課程認定を受けた免許状の種類は、表1 および表2 の通りである。
1958(昭和33)年3 月、最初の教職課程修了者18名を教育界に送り出して以来、この64年間に教員の免許状取得者は約4,500名、そのうち教職に就き、あるいは現在も現役で活躍している者は900 名に及ぶ。最近の教員採用状況は、かつてより緩和されたとはいえ、中等教育の教員採用状況は未だに厳しい状況が続いている。そのような中、武蔵大学の教職課程履修者の教職への就職は次第に好転しつつある。2018 年度の場合、教職課程修了者(大学院生1 名を含む)56名中、何らかのかたちで教職にアクセスしている数(教職のキャリアアップを目指して大学院や特別支援・初等教員免許課程等への進学者を含む)は23名に及ぶ。
学部に在籍し教職課程を修了したのち人文科学研究科に進学し、修士論文執筆に取り組み専修免許状を取得してから教職に就く学生も少なくない。たとえば、2018 年3 月に学部を卒業した教員免許状取得者のうち4 名(人文学部3 名、社会学部1 名)が人文科学研究科博士前期課程に進学している。
1993年8 月、教職課程修了者の同窓会「白雉教育会」が結成され、断続的に活動を発展させながら今日に至っている。現在、白雉教育会は、年2 回の研究会を学内で実施し、同時に、現役学生の実践的指導力向上や教員採用試験準備への支援に尽力している。そのような側面支援も、教職課程の充実に貢献している。
21 世紀に入り、波状的に継続する教育改革の一つの焦点として、教師教育改革が浮上してきた。すなわち、教育基本法改正(2006年)、教育三法改正(2007年)と相前後して、「今後の教員養成・免許制度のあり方について」(中央教育審議会答申、2006年)が提出され、教職の制度改革が進行した。その下で、教員養成課程の質向上のための諸施策(「教職実践演習」の導入を含む)や教員免許更新制度の導入等が図られた。
改革の一環として、中核教員を育成する「教職大学院」が発足し(2008 年)、その後拡大して国立大学の教育養成系大学院は軒なみ教職大学院に編成替えされた。この教職大学院制度の発足と連動して、「実務家教員」という範疇の大学教員が登場した。そのことに鑑み、本学においても主に「教職に関する科目」に位置する授業科目担当の非常勤講師の任用に際し、学術性とともに実務経験をも加味する方向で対応している。
その後、2012年には「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」(中教審答申)が発表され、教職の「修士レベル化」の推進方針や「基礎免許・一般免許・専門免許」という形で教員免許の上進制度の制度設計が提示された。こうした動向に関わり、大学院レベルでの教師教育の拡充を目指し、2015年度から人文科学研究科内でキャリアアップコース(教員能力開発プログラム)が設置され、学部生の進学先として機会の拡充が図られた。
先述した文科省の改革を受けて、2010 年代以降、本学教職課程も様々な内発的な改革を推進してきた。以下、教職課程における内発的改革として4 点挙げる。
第一に、教職課程経営の改善に向けた改革である。戦略的な目標探究のため、教職課程調査員を雇用し(2010 年度後期)、関係機関への訪問調査を含めた研究を実施した。その提起を参考にしつつ、初等教員の免許取得に向けたガイダンスや特別支援教員の免許取得のための進学ルートの開拓に努めてきた。
また、2010 年度には、教職課程経営委員会(後に、「教職課程会議」に名称変更)を発足させ、教職課程経営の全学的体制を構築した。さらに2012 年度には、教職課程研究協力者制度を創設し、学校現場や教職課程実務家との連携による教職課程経営を図りつつある。
第二に、教職課程カリキュラムの改革である。2011 年度よりスタートしたカリキュラム改革の中で、人文学部各学科の名称が変更となり、新たに課程認定を行うとともに、教職課程カリキュラムについても実践系科目の拡充をはじめとして、再編成が進められた。
その中で、「教育実習1」(3 年次後期)を創設し、「教育実習2(または3)」(4 年次前後期)を経て「教職実践演習」(4 年次後期)に至る18 か月間を一貫的な指導体系として構築した。授業は、免許状の取得を希望する教科ごとのクラスに分かれて展開され、とりわけ各学生が実践的課題に取り組むにあたっては、授業担当者のほか実践指導員(後述)が支援にあたる。節目では、3、4 年生合同の集中授業を配置し、模擬授業検討会や各種講演会、ワークショップを組織した。模擬授業検討会では、実習を前にした3年生が模擬授業を行い、実習を経験した4 年生とともに省察し学び合う場をデザインした。また、講演会やワークショップでは、フォーマルもしくはノンフォーマルな教育に携わる実践者や教育研究者をゲストとして招き、学生が視野を広めるとともに、それまでに習得した学問的・専門的知識を現実の教育実践に有機的に結び付け、学びを深められるようにした。
さらにこの時期には、本学で独自に「教育学特論」という授業科目が「教科又は教職に関する科目」として開講された(2013年度から)。「教職総合演習」という授業科目が2012 年度をもって取りやめになったことを受け、本授業科目の趣旨を引き継ぐ授業を提供できるようにと設置することになった。なお、「教職総合演習」は、1998年の教育職員免許法施行規則の改正を受けて設置した授業科目で、「人類に共通する課題又は我が国社会全体にかかわる課題のうち、一以上のものに関する分析及び検討並びにその課題について幼児、児童又は生徒を指導するための方法及び技術を含むもの」(同施行規則備考)とされていた。現在、「教育学特論」は、専任教員3 名と非常勤講師複数名が担当し、各授業担当者が広く教育に関わるテーマで展開する少人数ゼミ形式の授業科目となっている。
なお、教師教育のカリキュラム改革における最近の動向として、文科省による「教職課程コアカリキュラム」の導入(2017年7 月)とそれに基づく再課程認定の実施(2018 年度)がある。学校教育を巡る課題の多様化・複雑化に鑑み、各大学における教員養成の質の保証と向上を企図する政策である。しかしながらその一方で、教員養成カリキュラムの画一化、ひいては大学の自主性や独自性への侵害を危惧する声も上がっている。
第三に、教職課程履修学生に対する学習指導環境の改善である。この点では、1 号館の新築に伴う教職課程施設の8 号館4 階への移動に連動して、同階に模擬授業教室(後に、「教職課程ラーニング・コモンズ」[略称:教職LC]に名称変更)を創設した。同教室には、教材・教具(デジタルを含む)、参考資料の他、広く教育に関わる文献等を配備し、随時、学生が教育に関わる情報を収集したり、仲間とともに実践的なトレーニングを行ったり、協働で学んだりできるような環境を整備した。これに加え2016年度より、各教科各校種での教壇実習の個別具体的支援のために、教職課程「実践指導員」制度をスタートさせた。これをもって、学習環境というハードウエア、指導資料および参考文献というソフトウエア、個別指導というヒューマンウェアの三つの要素が完備したことになる。なお、教職LCは2022年4 月から大学3号館2 階へ移設され、教職課程実習準備室に名称を変更した。
これまでに述べた本学教職課程での課題への取り組みを通じて整備した重層的な指導体制は、図1 のように示すことができる。
本学教職課程における内発的な改革の第四は、教職課程の広報および発信機能の強化である。ここでは、1986年に刊行が始まった『教職課程研究年報』の質的改善、2016年創刊の『教職課程通信』(年2 回発行)、教職課程ホームページおよび学生ブログのリニューアル・オープン(2014年度)が挙げられる。こうした媒体の充実は、開かれた教職課程経営の要諦であり、活動の記録(アーカイブ)でもある。
2019 年8 月、山梨県丹波山村で、教職課程合宿が初めて開催された。教職を目指す学生有志が教職員や同窓の先輩教員と学びあうとともに、地域の教育実践を知る貴重な機会となった。教職合宿が学習院大学で30 年以上続いていることを知り、その概要を調査し、同時にへき地教育にアクセスしてきた本学教職課程の伝統を継承して、今回実施することにしたものである。丹波山村、同村教育委員会、および丹波山小中学校の全面的な支援により、内容の充実した合宿となった。
前項で述べた教職課程行政の変容に伴い、教員免許更新制が導入され、教員養成に関わる各大学等に更新講習の設置が求められるようになった。武蔵大学では、2008(平成20)年度の「試行」に引き続き、2009年度より本格的な更新講習をスタートさせ、2015年度まで実施した。
更新講習の実施にあたり、学長を委員長として「教員免許状更新講習委員会」を立ち上げ、検討を行った。その結果、更新講習に取り組む意義として、①免許更新制度の趣旨に照らし教職専門性の社会的担保を担うこと、②教職課程設置大学としての社会的責任を果たすこと、③大学の社会的貢献の一環として位置付けられること、④中等学校およびその教員との「縁づくり」の機会とすること等の判断から、更新講習に取り組むこととなった。
制度化された更新講習は、全体で30 時間以上(必修領域が12時間以上、選択領域が18 時間以上)のプログラムを必要とする。武蔵大学では、隔年ごとに必修領域-選択領域を開講することによって、合わせて要件を満たすように、講習をデザインした。
講習に関する受講者の事後アンケートでは、いずれの項目でも、「よい・だいたいよい」が90数%に及び、好評を博してきた。更新講習の詳細については『武蔵大学教職課程研究年報』23 号(2009年)および26号(2012年)に紹介されている。
前述の通り、本学の更新講習は2015 年度をもって閉じている。当該講習が全国に普及し、飽和状態であることを考慮してのことである。
グローバル化、情報化、少子高齢化の進行は、世界規模で激しい社会変動を巻き起こしている。大学や教職課程のあり方も、時代の変容に対応して進化が求められている。他方、行政主導の教師教育改革により、教師教育を巡る質保証、基準化、指標化が進行している。教育委員会の主導により地域ごとに教員育成協議会が組織され、教育委員会と教職大学院を設置する国立大学がリーダーシップをとって体制が整備されている。
そうした状況下で、教育学部・学科を持たない中小規模大学の教職課程は、転換期を迎えつつある。開放制教員養成の下で、特に中等教育段階の教員養成に貢献してきた私学の教職課程にとって、近年の行政動向は逆風の動きのようにみえる。
さらに少子化傾向は、児童生徒の減少による教員需要の低下を招くだけでなく、18 歳人口の減少により大学間の競争を激化させている。大学経営にとっても教職課程経営の進化が必要になっている。教職課程はまさに転換期を迎えているといえる。
1980(昭和55)年に課程が設置されてから43年が経過し、修了者の数は約750 名を数える。2012 年には、文部科学省の博物館法施行規則の改正に伴い、新しい学芸員課程に対応した必修科目の改訂を行った。この改訂は学芸員となるための実質的教育が多くの大学で行われていないという状況を是正することを目的としていたが、武蔵大学においては、学芸員の職責や社会的役割に関して履修学生が主体的に学習する指導体制を設置当初から確立し、現場を知る教育に力点を置いていたため、改訂後もカリキュラムの内容に実質的な変更は生じていない。
特に本学では、「博物館実習1・2」の実習において、作品の扱いや調書の作成(撮影等の学習も含む)、キャプション(作品解説等)や展示台の作成、オープンキャンパスでの学芸員課程の広報、博物館・美術館訪問に際しての依頼交渉、報告書の作成などについて、計画から実施まですべて履修学生が調査・議論を重ねて行っている。この主体性を重視した教育の継承は、他大学に類をみない本課程の誇るべき伝統として特筆しておきたい。
「博物館実習3・4」には、「館園実習」という博物館・美術館での実習が課せられているが、本学の課程履修生に対する外部の評価は良好で、館園実習時の対応が評価されて実習先の美術館から望まれ学芸員となった事例もある。卒業後、多くの課程履修生が県立博物館をはじめとする博物館・美術館の学芸員となり、また、展示施工業者など博物館・美術館関連業種に就職する者も少なくない。このように博物館およびその関連分野へ就職を果たした課程履修生の数は、美術・美学などの専門学科を持たない大学としては、突出しているといってよい。
就職後も課程修了生間での交流は活発に行われており、2018(平成30)年2 月には「これからの武蔵ネットワーク~現場からの報告~」と題して学芸員課程35 周年記念交流会が催された。これを契機に課程修了生を中心とするMGN(武蔵学芸ネットワーク)が発足し、卒業生間での情報共有が促進されるとともに、本学課程室との連携強化を図る基盤が整備されることとなった。MGNの今後の活動が注目されるところである。現在、課程履修生にとって不可欠となっている実習室は、2007年に2 号館2 階に新設され、2010 年に同館地階に移転したが、2012 年度末に8 号館4 階に、また2022 年4 月には1 号館4 階に移転して活動が行われている。
初代根津嘉一郎は、図書館について武蔵の名に恥じない内容の充実したものを作り、一人内部にとどまらず広く一般の人々も、これを有効に利用できるようにしようという抱負を持っていた。しかし、設計上の問題で思わぬ時を経ている間に鉄材統制が行われ、図書館棟建設計画の実現を見るに至らぬまま他界した。その後、学園の発展とともに図書館は、蔵書の収集や利用の面でも、施設面でも大きく拡充され、図書管理の方式なども変化してきた。以下、これを蔵書とその利用、施設、図書管理の順で見ていく。
まず蔵書の拡充について見ると、旧制武蔵高等学校設立の当初から図書を充実させる方針が採られた。「東西文化融合」の理想に応じて、宋版や古活字版を含む漢籍類やその他各種の書籍が洋の東西を問わず集められた。蔵書数は、学校設立間もない1926年でも2 万8,000 冊、新制武蔵高等学校が設立された1948 年には約5 万冊を数えた。1949 年、武蔵大学経済学部が発足したが、経済学関係の図書は少なかったため、その充実が図られた。新たな学部や学科の設置に伴う関連図書の拡充がなされたこともあって、その後も蔵書数は増加し、経営学科設置申請時(1958年)には6 万7,000冊、人文学部設置申請時(1968年)には9 万6,000冊、金融学科設置申請時(1991 年)には44 万冊、社会学部設置申請時(1997年)には55万冊となった。その後も2000年には60万冊、2010 年には72 万冊と蔵書数が増え、2021年には80万冊を超えた(2004年の高中図書館開館以降は同館分も含む)。
蔵書のうちには、平井卓郎名誉教授より寄贈を受けた『六家集』やラフカディオ・ハーンの自筆書簡等の貴重資料も含まれている。また文献コレクションとしては、金融学科開設に伴って購入した書籍・資料を中心とするイギリス通貨・銀行史コレクション、バルザック研究者の水野亮氏の旧蔵書で研究に不可欠な書籍を集めたバルザック(水野)文庫、19世紀イギリスの芸術運動を担ったラファエル前派に関するコレクション等がある(注1)。新たに2012 年度に寄贈を受けた着物の染織のための型紙を中心とした朝田家型紙コレクションが加わった。
蔵書が増加する一方でその利用も拡大していった。貸出冊数によってこれをみると、1990年度は2 万1,000 冊、2000年度は4 万7,000 冊、2010 年度は6 万5,000 冊と着実に増えている。2000 年度から2010 年度の増加が特に顕著であるが、これは、後に述べる電算化によって図書検索の便宜等が向上したことによるところが大であると考えられる。2010 年度以降は、インターネットの普及によりWeb 上で確認できる資料が増えたためか、6 万冊前後で推移している。
図書利用に関しては、学外への図書館開放も進められ、代表的なものは学習院、成蹊、成城、武蔵の各大学間で1998 年から始められた四大学相互利用である。この相互利用協定は、2002 年度から個人貸出の制度が成立し、それぞれの図書館の利用登録を行えば、館外貸出を受けられるようになった。
武蔵大学が他の3 大学から受け入れている利用者の貸出冊数は、毎年一定程度あり、他の3 大学でもそれぞれある程度の利用がある。甲南大学からの希望もあり、2019 年度から甲南大学を加えた5 大学図書館相互利用を開始している。また、テンプル大学ジャパンキャンパスとは、学園が基本協定を締結したことから、図書館でも相互利用協定を締結して2011 年10 月から相互利用が開始された。
また、社会貢献の一環として、2005 年度から練馬区立図書館と利用協定を締結し、練馬区民が武蔵大学図書館を利用できるようになった。練馬区立図書館に登録している利用者は、条件(18歳以上。有料等)はあるが館外貸出を含めた図書館利用ができる。その後利用対象者の範囲を広げ、練馬区立図書館に登録していれば近隣の中野区民等でも利用できるようになった。その結果、利用登録者は年々増加し、2008 年度から11 年度までは年間150 名を超えた。
しかし、2010 年度頃から、学生の大学図書館利用の増加に伴い、閲覧席の不足が見られるようになった。学生に対してより良い図書館環境を提供しつつ、近隣住民の方への社会貢献を続けるために、2019 年度から、従来の練馬区民の方が直接本学に来館して利用する方式から練馬区立図書館経由で図書を貸し出す方式に変更した。
図書館棟内のリフォームを行い、学生がグループで議論(討論)するための「ディスカッションスペース」を3 階に設置した。また、1 階にはPC設置席を30 席設けるとともに、貸出用PCも用意して館内でのPC利用を可能にした。いずれも利用率が非常に高くなっている。
なお、学園80 周年記念事業の一つとして高中の図書館棟が建設され、2004 年4 月から収容可能蔵書数8 万冊の高中図書館の利用が開始された。
図書管理の仕組みや図書館組織のあり方にも様々な変化があったが、ここでは図書管理の統一化と電算化について見ていく。現在の図書館棟が建設される以前から、すべての図書類が図書館によって直接管理されていたわけではなかった。経済学部単学部時代から分室として資料室があった。そして人文学部が創設されると、同学部の2 学科と学科3 専攻の研究室に関係図書が備え付けられ、続いて資料室も経済学部経済資料室となった。書庫不足や学習・研究機能上の理由などからこうした措置が採られていたのだが、人文学部の研究室図書は整理・請求番号が図書館で使用しているNDC(日本十進分類法)と異なるなど、管理上の問題もあった。1981 年に現在の図書館棟が建設されると、経済資料室や人文学部の五つの研究室に分散していた図書類はここに納められることになったが、従来の体制は形を変えて一部残った。
しかし、こうした分散的な体制はその後次第に解消されていった。まず1980年代には人文学部の購入図書がNDC化され、整理番号が統一された。また、図書館棟ができた当初、1 階は図書館、2 階の経済資料室は経済学部、3 階の人文学部総合研究室は人文学部がそれぞれ所管し、職員の所属も分かれていたが、1986 年に図書館、経済資料室、人文学部総合研究室を合わせて研究情報センターと称するようになった。そして1991 年には予算・職員に関して1~3 階を統一できるように図書館・研究情報センターが設置され、1994年にこれが「図書館研究情報センター」と改められた。
さらに、2003 年4 月からは図書の配架に関しても統一された。すなわち、洋書・洋雑誌は分野を問わず新たに開設された「洋書プラザ」に配置する一方、図書館棟は全体がNDCによる配架に統一されたのである。その後、図書館棟書庫の狭隘化のため、日本語以外の資料を洋書プラザに移動することが図書館委員会で承認され、2018 年度までに書庫にある一般図書のうち日本語以外の資料(主に中国語、韓国語)も移動した。将来的には、製本雑誌類や開架部分に配架されている資料も移動する予定である。
なお、「図書館研究情報センター」という名称は、2006 年度に大学の機構改革に伴い「大学図書館」に変更され、現在に至っている。
業務の電算処理について見ると、1994 年に導入するシステムが決定されてその構築が始まり、1997 年度末までに全システムが稼働することとなった。電算処理システムは、蔵書管理、発注・受入・整理、予算管理などのシステムによって図書館の事務処理の迅速化・合理化を実現しただけでなく、図書館利用者サービスも向上させた。
また、インターネットの利用が急速に進んだため、オンラインによるデータベース、電子ジャーナルの契約も2000 年度以降増えている。これらのデータには学内だけではなく学外からアクセスすることも可能になり、研究支援体制も充実してきた。その他、資料の所蔵データの入力を自館での入力だけではなく大幅な外注も行った上で計画的に進めた結果、視聴覚資料を含めてシステムでの蔵書検索が可能になった。また、2011 年度の図書館システムリプレイスにあたっては、これまで図書館事務室が独自でシステム業務にあたってきた方式を変え、総務部情報システム課および情報・メディア教育センターと連携した。図書館事務室は図書館システムのソフトウェアの管理・メンテナンスを行い、ハードウェアの調達・管理・メンテナンス等については情報システム部門で対応することにより、図書館職員が、コア業務に専念できる体制を取れるようになった。
電子書籍については、資産管理や利用面でシステム改修の必要があり、導入までの検討に時間を要したが、コロナ禍を機に丸善雄松堂が提供するMaruzen eBook Libraryを導入した。
(注)本百年史の『主題編』に収録の「武蔵大学図書館のコレクション―イギリス通貨・銀行史コレクションを中心に―」も参照されたい。
大学におけるエクステンションとは、一般的に、教育・研究活動によって得られた成果や研究活動を通じて得た知見、人的資源等を地域・社会に開放し、大学の使命の一つである「社会貢献」を積極的に果たす活動であるといってよい。これは、特に1980(昭和55)年代以降、臨時教育審議会の4 次にわたる答申で「生涯学習体系への移行」等の提言があり、生涯学習進行整備法の施行を背景に、大学改革の一環として推奨されてきたものである。
武蔵大学は草創期以来、後述するように、いろいろな形態の公開講座や講演会、学部の授業の開放、施設の貸し出し、練馬区等の自治体や地域諸団体との連携等を通じて「社会へより開かれた大学」を目指し、社会貢献に対する教職員および学生の意識の向上を図るとともに、その活動を積極的に行ってきた。これらの諸活動のなかには、現在でも継続開催されているものもあるが、中断ないしすでに廃止となったものもある。これは、時代の変化に応じて、活動の実績・成果を常に検証しつつ、より社会に貢献できることは何かを問い直してきたからである。
以下、これまで行ってきたエクステンションの活動内容を紹介する。
1.武蔵大学主催の公開講座・講演会
現在年2 回行われている公開講座の前身は「全学特別講義」である。これは、1953 年から、学生の教養を涵養する目的で社会の各方面の権威者を講師とし毎月1 回開催されてきたが、その後、1962年に「土曜講座」と名称を変更し、受講対象を学生のみではなく、地域住民等学外者にも広げた。
その後「土曜講座」は1982年度をもって閉じ、新たな組織体制で「武蔵大学公開講座」として発展していくことになった。第1回は1983 年2 月に開催され、原則として、各回、統一テーマを設け、春期は連続5 日間、秋季は毎週土曜日、5 日間開催するという形式で実施され、2010 年度からは4 日間に変更となった。2021 年9 月から10 月にかけて開催された第72 回公開講座は「パンデミックと現代社会」というテーマ題目のもと、来場型とオンライン型のハイブリッドで実施された。
2.外部の機関との連携による講座・講演会等
武蔵大学は、外部の機関・団体とも積極的に連携し公開講座や講演会等を実施してきた。現在も続いているものとして、以下、連携対象ごとに紹介する。
《練馬区との共催による事業》
練馬区との共催による事業には二つある。一つは「練馬区との共催による公開講座」であり、もう一つは「練馬区・武蔵大学特別履修生制度」である。
前者は、主たる受講対象を練馬区民とし、練馬区教育委員会の要請を受け、1991(平成3)年度にスタートした。講座のテーマは、毎年、同委員会との協議により設定し、武蔵大学教員が講師を務めている。その後、2012 年度より練馬区教育委員会との共催から練馬区との共催に変更され、2022 年度の開催をもって29 回を数えている。
後者の「練馬区・武蔵大学特別履修生制度」は、練馬区在住・在勤者を対象に、高度で専門的かつ体系的な学習機会を提供することを目的に、武蔵大学の授業科目を開放するもので、1996 年度に練馬区教育委員会との共催により「練馬区・武蔵大学特別聴講生制度」として発足した。受講できる科目は年間1 科目とし、練馬区と武蔵大学が聴講料を補助することにより、費用負担の軽減を図っている。その後、2013 年度より練馬区教育委員会との共催から練馬区との共催に変更され、2015年度からは名称を「練馬区・武蔵大学特別履修生制度」に改め、2019 年度現在、第24期生が受講している。
《公益財団法人練馬区文化振興協会との3 大学連携事業》
2006(平成18)年3 月、練馬区の文化芸術振興を推進するため、練馬区、同教育委員会、同文化振興協会、武蔵大学、日本大学芸術学部、武蔵野音楽大学が一堂に会し、「練馬区文化芸術振興推進連絡会」が設置された。これまで武蔵大学は、講演会、映画会、図書展示会等を行ってきた。2009 年度には、武蔵大学開学60 周年を記念した講演会(「日本のアニメ-絵巻物から漫画まで-」)と「写し絵」の公演を行い、2011年度からは「文化芸術資産調査研究事業」として、練馬区所有の故五味康祐氏のコレクション(和装資料等)の一部を借り受け、授業での活用や学芸員課程生によるオープンキャンパスでの展示などを実施している。
続いて、2014 年度には武蔵大学に寄贈された朝田家の型紙コレクションを通して、型染めの歴史や練馬区内の伝統工芸の染色を紹介する展覧会を石神井公園ふるさと文化館にて実施するなど、練馬区の文化芸術の振興に寄与している。また、2017 年8 月には、練馬区および公益財団法人練馬区文化振興協会が主催する練馬区独立70周年記念コンサート「真夏の第九」が、前述の三つの大学の協力のもと開催され、武蔵大学では大講堂を合唱練習会場として提供するとともに、コンサート当日のギャラリー展示「映像と音で体感する練馬70年の歴史と未来」の企画に関わり、70年前から現在までの学内や江古田の風景写真を提供した。
《大学同窓会との連携による公開講座》
「武蔵大学土曜講座」は、武蔵大学同窓会との共催により1998(平成10)年度から開催している。講師は、武蔵大学専任教員と卒業生から各1 名ずつ選び、おおむね年3 回開催しており、2021年度末の時点で61 回を数える。主たる受講者が卒業生となっているが、一般社会人の聴講を妨げてはいない。なお、前述の「土曜講座」とは別の性格のものである。
3.その他の社会貢献活動
上述以外、武蔵大学が行ってきた社会貢献活動をあげると、極めて多岐にわたっている。以下「地域貢献」、「地方公共団体等、その他団体等との連携」、「教育システムの提供・研究成果の公表」に分けて紹介する。
《地域貢献》
・江古田駅周辺地域連絡会への参画
江古田駅周辺地域連絡会は江古田駅周辺地域の活性化のために設置されたものであるが、武蔵大学が積極的に参画するようになったのは1993(平成5)年度頃からである。
江古田駅の「地下横断歩道」および新駅舎の建設にあたっては、この連絡会の意向が反映された。この連絡会は、武蔵大学にとって、地域住民からの要望等を直接ヒアリングできる機会でもあり有益なものである。
・武蔵学園記念室の一般公開
武蔵学園記念室は、1994(平成6)年に開設され、学園関連の資(史)料を展示し、学内外に公開してきたが、その後、2011年に展示室等がリニューアルされ、学園の歴史がより一層分かりやすく見学できるようになり、現在に至っている。
・武蔵学園の桜を観る会
武蔵学園は、従前より大学周辺住民の生活環境に配慮してきた。1995(平成7)年度から、桜の開花時期に「桜を観る会」を通じて、周辺住民にキャンパスを開放し学内の美しい自然環境に触れる機会を設けていたが、桜の老木化により2018 年度から中止となった。今後若木が育ったところで再開を検討する予定である。
・大学図書館の開放
2005(平成17)年度から、練馬区立図書館に利用登録済みの練馬区民対象に図書館を開放し、2007 年度からは対象を練馬区隣接の地域住民にも拡大した。その後の学内者の図書館利用者増加にともない、2019 年度から練馬区民の方の利用登録を停止し、練馬区立図書館経由で図書を貸し出す方式に変更した。
・江古田音楽祭への協力
江古田10商店会が中心となり、2017(平成29)年10 月に「EKOON !! 江古田音楽祭」が開催された。本学では大講堂を提供し、「さだまさしコンサート」、「アルゼンチン・タンゴコンサート」、「グランドフィナーレコンサート」の3 回のイベントが行われた。翌2018 年10 月には第2 回目が開催され、大講堂を会場に「朗読と音楽のコンサート」、「ゲーム音楽コンサート」の2 回のイベントを実施。2019年10 月には第3 回として大講堂において再び「アルゼンチン・タンゴコンサート」が催された。
以後、商店会の主催事業として継続的に開催していく予定とされていたが、2020 年は新型コロナウイルスの影響でイベントは中止となった。
《地方自治体等、その他団体等との連携》
・人的(知的)資源の提供
武蔵大学専任教員が、国、地方自治体、財団法人等の公共的団体から審議会、研究会等の委員等の委嘱を受け、活動することにより、当該団体の政策形成等に寄与している。また、武蔵大学総合研究所や専任教員が練馬区など地域再生のためのシンクタンク的機能を果たすこともある
・高大連携事業の推進
武蔵高等学校だけでなく、他の多くの高校と武蔵大学との連携を一層推進していくという観点から、各高校のニーズに応じて、専任教員が直接現地に赴いての対面授業や、現地に出張せず直接大学から、遠隔教育システムを利用した授業を行うなど連携を図っている。
また、2016(平成28)年6 月には玉川聖学院高等部と、2017年12 月には横浜女学院中学校高等学校と高大連携協定を締結し交流を進めている。
・学生のボランティア(社会貢献)活動への支援
練馬区教育委員会との協定に基づき、学生による区立の幼稚園、小中学校に対する教育支援活動について、大学として支援している。その他、学生の様々なボランティア活動に対しては奨学金(武蔵大学課外活動奨励奨学金)を給付することにより支援している。
・江古田ミツバチプロジェクトへの支援
「江古田ミツバチプロジェクト」は、ミツバチを飼育すること、花を植えることで環境保全に努め、採取した蜜の販売や消費を通じて地域の活性化を目指す市民団体で、2010(平成22)年3 月に発足した。武蔵大学と練馬区内の白石農園でミツバチの飼育と採蜜を行っており、このプロジェクトには、武蔵大学の学生・教職員、地域住民等が参加している。
・環境教育支援プロジェクトへの支援
「環境教育支援プロジェクト」は、環境教育の啓発と活動支援を行う市民団体で、武蔵大学では、2005(平成17)年より毎年、「若者と市民の環境会議」を共催し、会場を提供している。
・中学生の職場体験の受入れ
中学生の「総合的な学習」における活動の一つである職場体験学習への協力として、区内中学校からの要請により、武蔵大学の仕事を実際に体験してもらう機会を設けている。毎年3~4 校の中学校の生徒各校2 名程度を1~2 日間受け入れている。
・児童の異文化理解への支援
2016(平成28)年より児童の異文化理解を深めるため、練馬区立旭丘小学校へ留学生が赴き、児童との交流を継続的に行っており、2019 年で4 回目を数えた。2020 年のコロナ禍以降はしばらく中断しているが、この交流はお互いに好評であり、練馬区立練馬小学校、同中村小学校との交流の実績もある。
・練馬区との包括協定の締結
2019(令和元)年9 月、練馬区と武蔵大学、日本大学芸術学部、武蔵野音楽大学との間で「練馬区と区内高等教育機関との包括的な連携・協力に関する協定」を締結した。この協定の締結により、今後、前述の三つの大学が個別に行っている練馬区との連携事業の情報が共有され、今後の連携事業の拡充・発展が期待される。
・「江古田キャンパスプロジェクト」
2019年8月から、西武鉄道が実施する取り組みに参画している。
《教育システムの提供・研究成果の公表》
・科目等履修生制度
社会人に対する教育上の配慮として、入学試験に関して社会人が入学しやすくなるように配慮するとともに、博士前期課程においては、コース・テーマごとにプログラムを設け、職場で経験した課題に即したテーマを選択し、課題指向的に研究を行うことができるようになっている。これにより、社会人が日頃の経験に基礎を置いた形で、大学院における専門的教育を受けることが可能となっている。
2019 (令和元)年11月に中国武漢で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、2020年1 月15 日に日本で最初の感染者が確定され、2 月末には全国の小中高等学校が一斉臨時休業になり、新年度を迎えた直後の4 月7 日に7 都府県に1 回目の緊急事態宣言が発出された。
この間、武蔵大学は原則入校禁止とし、卒業式も入学式も実施できず、学長式辞や学園長祝辞はオンラインで提供するという対処を迫られた。授業も、オンラインで授業を提供するための準備期間を要し、5 月連休明けからの開始となり、それも全授業オンラインで実施した。
この2020年5 月には、以下の事項を実施に移した。
2020 年6 月下旬からは、オンラインでは授業運営に著しく支障をきたす場合に限り特例措置で対面授業を開始し、9 月の後学期からは原則対面授業が実施できるよう準備を進めたものの、7月末以後に感染者が急増する中で、結果的に後期も原則オンラインとせざるを得なかった。
7 月下旬から8 月上旬には、例年実施している授業評価アンケートの他にオンライン授業に関するアンケートを実施し、後期以後の授業改善を図った。また、新入生の多くが入学以来一度も大学に足を踏み入れていないという異例の状況が続く中、10 月に「新入生登校日」を設け、半年間オンラインのみでコミュニケーションしていた新入生がゼミの仲間たちや担当教員に出会う機会を提供した。また、この10月の土曜日に「新入生交流会」を設定し、毎土曜日に学長・副学長の挨拶、学科別・ゼミ別の交流会を実施した。参加者は7~8 割程度であった。
コロナ禍により、家計急変を理由とした給付奨学金について、対象者が増加すると想定されたため、例年10 名までの人数枠を取り払い、金額も年額20 万円から30 万円に増額した上で、GPA基準も引き下げて対応した。
2020 年3 月の卒業式は中止となったが、9 月26 日に、2020 年3 月卒業生と2020年度9 月卒業生との合同卒業式を挙行した。
2021年度は、4 月2 日の入学式は挙行できたものの、授業のほとんどは前年度に引き続きオンラインで実施せざるを得なかった。
5 月のゴールデンウィーク明けには、ほとんどの授業を対面で開始する事として安全な対面授業体制の構築に努力していたが、前提となっていた「緊急事態宣言の解除」が度々(結果的に6 月20日まで)延長されたことから、その都度、授業形態について再考を迫られた。各授業の履修登録者数を踏まえて、教室での密な状態をできる限り避け、学生が安全に授業を受けられるように、教務部が中心となり教室の再配当を検討し、一部の授業を除いて、しばらくはオンライン授業を継続する体制を維持した。
6 月20 日に、政府が東京都を含む9 都道府県の緊急事態宣言を解除したことに伴い、翌6 月21 日より大部分の科目で対面式授業を順次再開し、ほぼ9 割の授業を対面に戻すことができたが、それでも、大規模授業は6 限のオンデマンドという特別な体制を取らざるを得なかった。
その後、政府が7 月12 日から、東京都に4 度目となる緊急事態宣言を再度発出することを決定したことから、本学でも7 月12日より原則オンラインで授業を行うこととなった。
この間の8 月末と9 月末に、大学拠点接種へ協力し、本学の学生約1,200名がワクチン接種(2 回)を完了した。東京都の緊急事態宣言期間は3 度にわたり延長され、宣言が解除されたのは9月30日となったが、学生に抗体ができたであろう10 月15 日からようやく対面授業を開始することができた。
その後は、2022 年1 月12 日まで対面授業を継続し、オミクロン株の蔓延により、新規陽性者の数が増加したため、1 月20 日まではオンライン授業を実施可能という対応策を講じた。3 月の卒業式は、感染対策を講じ、学部ごとに3 回に分けて、無事に挙行できた。
2022年度は、前年度の履修生が150 名を超えた授業以外は、原則対面で行っており、そのためキャンパスに学生が戻り賑わいを取り戻している。
3 年ぶりに新学期から学生の姿や声が江古田キャンパスに見られ、響き渡るようになり、2021 年12 月に竣工した11 号館1 階の楠テラスや1 号館1 階の新ウェルカムゾーンである白しら樫かしスクエアには、数人単位で学生たちがパソコンを広げながら学び合う風景が新しく加わり、江古田キャンパスに彩りを添えている。
学園創立100周年を迎え、新学長に高橋徳行が就任した2022(令和4)年度に、武蔵大学では経済学部のPDPと人文学部のGSC英語プログラムを発展させた国際教養学部を新設し、4 月に初めての入学生を迎えた。この国際教養学部は以下の二つの専攻で構成され、学部全体の入学定員は100名である。
・経済経営学専攻(EM専攻):世界レベルの経済・経営学を学び、ロンドン大学の学位取得を目指す「パラレル・ディグリー・プログラム(PDP)」を軸に据え、少人数での質の高い授業を展開する。
・グローバルスタディーズ専攻(GS専攻):高度な語学力を養うとともに、国際関係、コミュニケーション、文化の側面から学際的に学びを深める。さらに、留学や異文化体験を通して、地球規模の課題に国際的に協働し取り組むことができるグローバル人材を育成する。
また国際教養学部は、以下の三つの特長を有している。
(1)世界で学び、世界を知る教員陣
日本国内において世界水準の学びを実現するため、海外大学での学位取得者をはじめ、国内外から多様な専門分野に精通した教員が集い、徹底した少人数教育を行う。各教員の授業においても、ディスカッションやフィールドワークなど、海外の大学同様にインタラクティブで能動的な学習をサポートする。
(2)英語運用能力の育成
授業は英語で行われる科目を中心に構成されており、実践的で高度な英語運用能力が身につく。また、それらの授業の履修を可能にするため、各専攻では英語運用能力向上を目的とした集中的なカリキュラムも準備している。海外研修、留学、海外インターンシップなど、語学力だけでなく異文化に触れて視野を広げる機会を設けている。
(3)視野を広げるリベラルアーツ&サイエンス
専攻の枠を越えて履修可能な学部共通科目を開設している。様々な社会課題に対応するために必要な基本技能や実践力を養う科目や、両専攻の学生が学ぶ意義のある科目が配置されている。多様な科目履修により、世界の文明と社会に関する幅広い知識、深い思考力と判断力、知的創造力、問題発見や課題解決の能力が身につく。
この学部新設と同時期に、自主的な学びの場としてのラーニングコモンズやグループスタディルームを備えた大学11号館(地下1 階・地上5 階建、建築延べ面積は3,139.70㎡)が2021年12月に竣工した。
学園が2022 年に創立100 周年を迎え、武蔵大学で国際教養学部を新設したことを記念するイベントとして、「記念講演会」ならびにシンポジウムを中心とする〈Musashi Global Days 2022〉を、同年9 月26・27の両日に開催した。
記念イベントでは、新学部開設にいたる本学園の歩みを振り返り、今後の国際交流およびグローバル化推進のための礎となるべき外国語教育が抱える課題とも向き合い、高度な専門教育と並んで21 世紀の大学教育の根幹を成すリベラルアーツ教育のあり方を考えた。使用言語は英語で、ハイブリッド型(対面およびオンライン)の事前予約制で参加可能とした。
開催概要 Musashi Global Days 2022
1 日目〈Day1〉
■日時 2022年9 月26日(月) 13:30~18:00
■場所 京王プラザホテル 4 階 花の間
■プログラム
13:30~14:00 記念式典
池田 康夫(武蔵学園学園長)
高橋 徳行(武蔵大学学長)
14:00~14:45 記念講演会1
三島 良直(武蔵高等学校42期/東京工業大学名誉教授/前学長)
15:15~16:00 記念講演会2
東郷 賢( 武蔵大学国際教養学部長)
16:20~18:00 レセプション
2 日目〈Day2〉
■日時 2022年9 月27日(火) 9 :30~17:00
■場所 武蔵大学 8 号館 8 階 50周年記念ホール
■プログラム
9:30~9:45 開会の辞
踊 共二( 武蔵大学副学長)
9:45~10:15 基調講演
日比谷 潤子(聖心女子学院常務理事/国際基督教大学前学長)
10:15~12:00 パネルディスカッション
日比谷 潤子(聖心女子学院常務理事/国際基督教大学前学長)
和田 敦朗( 武蔵高等学校76期/外務省/公益財団法人グルー・バンクロフト基金理事)
他、武蔵大学教員
12:50~14:20 過去の留学生とのラウンドテーブル
14:30~17:00 留学フェア( 場所:1号館 3階 MCV)
両日合計で一般(学生含む)が114 名、学内関係者が51 名、留学生が20名、合計185名の参加があった(延べ人数。オンライン参加者、ブース協力団体からの参加者数は含まず)。
大学はこの間、国際教養学部設置の準備と並行して次の百年に向けて大学全体の教育方針を明確化する作業を進めた。その結果、学園建学の三理想に基づくゼミ中心の少人数指導の理想を堅持しつつ、特定の専門の枠を超えた総合的・分野横断的な広く深いリベラルアーツとサイエンスの学びを教育の柱としてグローバル市民・グローバルリーダーの養成を目指すことを新しい中期計画として策定することになった(2022年4 月開始の武蔵学園第四次中期計画)。同時に研究面ではイスラーム世界を含む広大なアジア世界にあらためて目を向け、東西文化の交流と融合の諸相を新しい視点で探求すべきことを確認している。
これらのことに関しては、学園の中期計画ワーキンググループにおいて検討が行われ、2018 年12 月13 日の第278 回理事会にて学長構想(リベラルアーツ教育改革・新学部構想・全学のカリキュラム再編の概要)のかたちで報告され、2021年10月21日の第293回理事会にて審議された武蔵学園第四次中期計画案に盛り込まれている。この方針および中期計画案は2021 年11 月18 日の第7 回大学協議会において報告され、周知と共有が図られた。加えてリベラルアーツとサイエンスの定義を明らかにする学生向けの文書を履修要項に掲載する試みも担当副学長によってなされ、その原案が2022年1 月20日の大学協議会に上程されている。
なお大学の新しい教育の基本目標を実現する役割は2022 年4月発足のリベラルアーツ&サイエンス教育センターに託されたが、同センターは学園百周年の年に教授会相当の組織を整えて新任教員の業績審査等、自律的な役割をみずから担うことができるように諸規程の整備が進められた。初代センター長には副学長が就任して諸計画の実行を牽引する役割が託された。
武蔵大学は今後も、建学の「三理想」にもとづき、リベラルアーツ&サイエンス教育によって総合知・専門知・他者と協働する力・実践力をバランスよく身につけ、身近な場所での知的探究と実践にたゆまず取り組み、世界に雄飛して地球的な課題の解決に貢献しうるグローバルリーダーを養成していく。