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三理想
写真でたどる武蔵学園
巻頭言
刊行に寄せて
まえがき
目次
凡例
第1章 財団法人根津育英会の創立
第2章 旧制武蔵高等学校の開設*
第3章 旧制武蔵高等学校時代
第4章 新学制への移行
第5章 新制初期
第6章 新制中期
第7章 20世紀を挟む20年
第8章 学園創立百年に向けた学園経営の展開
第1章 その概観
第2章 各教科の特色
第3章 その他の事柄
第4章 生徒の課外活動
第5章 太平洋戦争の時代
第6章 旧制七年制高等学校の解体
第1章 創立前史(1949年まで)
第2章 経済学部単学部時代(1949-1968年)
第3章 人文学部創設と2学部体制の展開(1969-1991年)
第4章 大学設置基準の大綱化と教学体制の改革(1992-2000年)
第5章 21世紀の武蔵大学(2001-2022年)
第1章 新制武蔵高等学校中学校の歴史
第2章 旧校舎の時代(1948-1969年)
第3章 新校舎移転から20世紀末まで(1969-2000)
第4章 課外活動と学校行事
第5章 21世紀における高等学校中学校の発展と現況
第6章 学園創立百周年をむかえて
根津化学研究所
武蔵学園データサイエンス研究所
奥付
社会貢献への目覚め―根津嘉一郎にとっての渡米実業団(畑野勇)
武蔵学園の創設と本間則忠の「十一年制寄宿舎」構想(季武嘉也)
校名『武蔵』のこと(大坪秀二)
一木喜徳郎と武蔵学園(季武嘉也)
三理想の成立過程を追う(大坪秀二)
第2代校長山川健次郎―古武士の魂と科学者の合理性(三澤正男)
旧制生徒の進級・留年と健康問題(井上俊一)
生徒の「服装」について(1)―旧制時代の服装規定を中心に―(通堂あゆみ)
山本良吉「と」武蔵学園(その1):〈建学の三理想〉に棲まう帝国の理念 (吉川弘晃)
オンケルの遺産 「民文」の礎を築いた原田亨一(井上翔)
根津化学研究所初代所長・玉蟲文一の足跡と学問観・教育観(畑野勇)
財団法人根津美術館の発足と武蔵学園(畑野勇)
山川黙校長在任時代の武蔵(大坪秀二)
武蔵高等学校同窓会―発足の経緯(武蔵高等学校同窓会)
戦時下の武蔵―空襲を中心として―(庄司潤一郎)
『相浦忠雄遺稿集』を読む―武蔵卒業生戦死者の記録(植村泰佳)
「長安の月」―軽井沢青山寮集団疎開の日々に―(宇都宮弘之)
終戦軽井沢の暗い思い出(牧野信彦)
宮本和吉―誠実で生真面目な哲学者(通堂あゆみ)
鈴木武雄―武蔵大学経済学部の生みの親(通堂あゆみ)
「武蔵のゼミ」 ここが出発点!(阿妻耕次郎)
武蔵大学プレメディカルコース(医歯学進学課程)について(畑野勇)
四大学オートバイレースのこと―武蔵大学OBへのインタビュー記録(聞き手・編集:大久保武)
武蔵大学同窓会の黎明期余談(武蔵大学同窓会)
「大臣学長」吉野信次の事績と人物像(畑野勇)
「歴史家島田俊彦」の出発点―淡々たる言動に秘められた硬骨(畑野勇)
畑龍雄先生―日本バスケットボール界への貢献(佐室瑞穂)
山本良吉「と」武蔵学園(その2)―〈建学の三理想〉の系譜学―:山本没後―戦後の顕彰的語りと大坪秀二の学園史研究(吉川弘晃)
正田構想実現の十年間を回想する(大坪秀二)
「武蔵は二にして一なるものの歴史」―「二」を継ぐ学園ゴルフ会の発足(阿妻耕次郎)
昭和43~47年頃の江古田の風景(大久保武)
夫が愛した「武蔵大学」(菅又里美)
太田博太郎―武蔵出身学園長の事績と「抱負」(畑野勇)
語り継ごう濯川(阿妻耕次郎)
中学校社会科「卒業研究」への展開(柿沼亮介)
高等学校「総合講座」への展開(柿沼亮介)
第二外国語と国外研修制度の展開(柿沼亮介)
生徒の「服装」について(2)―「標準服」から服装自由へ―(通堂あゆみ)
武蔵大学図書館のコレクション―イギリス通貨・銀行史コレクションを中心に―(清水敦)
櫻井毅先生へのインタビュー記録(短縮版)(大久保武)
植村泰忠学園長の肉声(武蔵学園記念室)
田中郁三理事長・学園長(武蔵学園記念室)
多才の人、有馬朗人学園長(三澤正男)
武蔵学園構内で確認された疥癬タヌキと2017~2018 年のタヌキの生息状況 (白井亮久)
卓見異見(根津公一)
あとがき
武蔵学園百年史刊行委員会 委員一覧・作業部会員一覧・『主題編』執筆者一覧
武蔵大学「白雉祭」案内冊子ページ
武蔵高等学校中学校「記念祭」案内冊子ページ
武蔵学園史年報・年史類ページ
付録資料のページ
【オンライン版注釈】この目次は製本版「武蔵学園百年史・通史編」のものであり、オンライン版ではページ番号は付されておりません。