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第1章 新制武蔵高等学校中学校の歴史
第2代校長山川健次郎―古武士の魂と科学者の合理性(三澤正男)
旧制生徒の進級・留年と健康問題(井上俊一)
武蔵高等学校同窓会―発足の経緯(武蔵高等学校同窓会)
戦時下の武蔵―空襲を中心として―(庄司潤一郎)
山本良吉「と」武蔵学園(その2)―〈建学の三理想〉の系譜学―:山本没後―戦後の顕彰的語りと大坪秀二の学園史研究(吉川弘晃)
太田博太郎―武蔵出身学園長の事績と「抱負」(畑野勇)
中学校社会科「卒業研究」への展開(柿沼亮介)
高等学校「総合講座」への展開(柿沼亮介)
第二外国語と国外研修制度の展開(柿沼亮介)
田中郁三理事長・学園長(武蔵学園記念室)
多才の人、有馬朗人学園長(三澤正男)
武蔵学園構内で確認された疥癬タヌキと2017~2018 年のタヌキの生息状況 (白井亮久)
卓見異見(根津公一)
あとがき
武蔵学園百年史刊行委員会 委員一覧・作業部会員一覧・『主題編』執筆者一覧
武蔵大学「白雉祭」案内冊子ページ
武蔵高等学校中学校「記念祭」案内冊子ページ
武蔵学園史年報・年史類ページ
付録資料のページ
1948(昭和23)年、新制武蔵高等学校、翌1949年には武蔵中学校が発足した。武蔵大学(初めは経済学科単科として)の開学も1949 年である。初代の大学学長・高校校長・中学校長として宮本和吉が就任した。宮本は京城帝国大学教授であった。新制度の下、旧制七年制の精神を中学高校一貫の6 年制に受け継ぎ、建学の理想を支えに再出発した。
とは言っても、社会の中における学校が置かれた位置は、旧制・新制の間には大きな違いがあった。旧制高等学校は、少数の選良校であり旧制の帝国大学にほぼ直結した学校であった。特に七年制高校は旧学制の中で最も狭い関門である高校入試の苦労をせず、修業年限を1 年短縮できる利点を有していた。旧制武蔵高等学校に豊かな資質に恵まれた入学志願者が殺到したのは当然であった
一方で、新制度の下では、学制改革で中等教育は前期の中学校3 年、後期の高等学校3 年に分けられ、全国に何千という数の高等学校が誕生した。