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通史編

本扉

I 根津育英会武蔵学園

II 旧制武蔵高等学校の歴史

III 武蔵大学の歴史

IV 新制武蔵高等学校中学校の歴史

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VI 武蔵学園データサイエンス研究所

年表

奥付

主題編

本扉

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武蔵大学図書館のコレクション―イギリス通貨・銀行史コレクションを中心に―(清水敦)
武蔵学園の図書館

 現在、武蔵学園には、武蔵大学図書館と武蔵高等学校中学校図書館の2つの図書館がある。

 図書館の充実を図ることは、旧制武蔵高等学校の以来の方針であり、開学から数年後の時点で、すでに蔵書数は2 万8 千冊に及んでいた。ただし、独立した図書館棟の建設については、その計画はあったものの、戦前の鉄材統制の影響などもあって、旧制高等学校の時代には実現をみるに至らなかった。戦後、大学の開学をうけて、1951 年に新たに書庫と閲覧室が建設された。そして63 年には新たな図書館棟が作られ、81 年には現在の大学図書館が新築された。さらに2002 年に大学8 号館が建設されると、その地下に「洋書プラザ」が設置され、大学図書館に収蔵されていた洋書がここに収められた。大学図書館は大学と高等学校中学校が共同で利用してきたが、04 年に高等学校中学校の図書館棟が建設され利用が開始された。ただし、図書館を学園全体で利用する伝統はその後も続き、大学の学生・教員と高等学校中学校の生徒・教員が2 つの図書館を利用するかたちは維持されている。

 現在の蔵書数をみると、大学図書館では約65 万冊、高等学校中学校では約7 万6 千冊に及んでおり、充実した内容のものとなっている。

 さて、大学や高等学校中学校が図書館を設けて文献資料などを収集・保蔵し、利用の機会を提供する目的はどのよう考えられるだろうか

 いうまでもなく、学生・生徒が、学習に関連した書籍や各自の知的関心に応える文献などを閲覧できる環境を整備することを、その第一にあげることができる。武蔵学園は、旧制高等学校の時代から、「自ら調べ自ら考える力ある人物」の育成を「三理想」のひとつに掲げており、図書館機能の充実はこの理想の実現を支えるものといえる。

 他方、各分野の研究に必要な文献資料などを収集・保存することも、図書館の役割である。特に「学術の中心」(教育基本法)とされる大学の図書館の場合、これは、教育と並ぶ基本的な役割であるといえる。そして、これらの資料は当該の図書館を運営する大学などの教員の研究に利用されるだけでなく、利用の便宜を外部にも広く提供し、社会の学術研究の発展に資する役割を担うものでもある。各々の分野の研究に必要な資料は広範囲に及び、また研究分野も多様である。他方、それぞれの図書館が所蔵できる資料の数は限られている。したがって、こうした外部提供の果たす役割は大きいといえる。

 現在ではインターネットの普及により各図書館が所蔵する文献資料などを検索をすることは容易となった。各大学図書館のOPACと呼ばれる文献検索システムはインターネット上に公開されている。また、国立情報学研究所(NII)が提供するCiNii Booksというデータベースによって、全国の大学図書館などが所蔵する図書や雑誌を一括して検索することもできる。しかし、そうした現在においても、ある特定の分野に関する包括的な文献資料などが、ひとつの図書館において所蔵され閲覧できることの便宜は小さくない。各分野の資料にどのようなものがあるかの情報が得やすくなるばかりでなく、多くの資料の閲覧も多数の図書館に赴いたり、多数の図書館から資料を取り寄せたりする場合よりも容易となる。

 「何々文庫」とか「何々コレクション」と呼ばれるものは、図書館が所蔵する文献などの資料のうち特定の分野に係るものを取りまとめたものである。そのひとつのタイプは、ある個人などが収集した文献などをもとにしたものである。例えば、一橋大学には「メンガー文庫」がある。これは、『国民経済学原理』などを著し、「限界革命」と呼ばれる1870 年代における経済理論の革新の担い手の一人であった著名な経済学者、カール・メンガーが収集した2 万冊からなるものである。一方、個人ではなく、古書店などが特定のテーマに係る文献などを集め、これを大学図書館などが所蔵するコレクションもある。

 武蔵大学図書館にも、こうしたコレクションがある。イギリス通貨・銀行史コレクション、バルザック(水野文庫)コレクション、ラファエル前派コレクション、そして朝田家型紙コレクションがそれである。

1951 年に建築された仮図書館、現在の大学8 号館附近
1963 年竣工、仮図書館を建て替えて建築された図書館棟。
武蔵大学図書館のコレクション

 これらのうちイギリス通貨・銀行史コレクションについては、最後に多少詳しく述べることとし、まず、それ以外のコレクションをみておこう。

 バルザックは、19 世紀のフランスを代表する小説家であり、リアリズム文学を確立したと評価される。水野亮氏は、このバルザックの研究者であり、『従妹ベット』、『従兄ポンス』、『「絶対」の探求』など岩波文庫に収められた多くのバルザックの著作の翻訳者としても名高い。水野氏はバルザックに関する多数の文献を収集されていたが、1979 年に亡くなったのち、水野氏のもとで学ばれた私市保彦氏(武蔵大学名誉教授)との縁故により、この蔵書が武蔵大学図書館の所蔵するところとなった。79 年の受け入れ開始から1 年余りをかけて登録整理が行われ、目録が作成された。和洋合わせて1,600 点の資料からなるバルザック(水野文庫)コレクションが、これである。

 ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)とは、19 世紀半ばのイギリスで結成された芸術家のグループである。このユニークな名前は、ラファエロ以降の芸術を規範とする当時のアカデミーの在り方を批判し、それに縛られない芸術を目指したことに由来するとされる。そして、このグループは、ルネサンス以前の素朴な芸術の精神の復興を唱え、その影響は、絵画だけでなく文学などの分野に及んだ。武蔵大学図書館のラファエル前派コレクションは、この芸術運動の資料の集成であり、240 点の初刊本や書簡を含む328 点からなっている。

 武蔵大学のコレクションのなかでユニークなものに、朝田家型紙コレクションがある。朝田家は丹後国の宮津藩(現在の京都府宮津市)で、幕末の天保年間から明治30 年代にかけて、三代にわたり紺屋(染物屋)を営んでいた。その間に使用・収集された小紋や中形の型紙約3000 枚と、幕末期に藍染された小紋の裃1 具、および関連文書約250 件、図様の彩色見本帳3 冊が、武蔵大学に寄贈された。これらの資料を預かり受けていた型彫師の増井一平氏の仲介により、本学の丸山伸彦教授を通して、2012 年に朝田家より寄贈されたものである。

イギリス通貨・銀行史コレクション

 イギリス通貨・銀行史コレクションは、経済学部の金融学科開設と係わりがある。武蔵大学は、1949 年に経済学部経済学科のみの単科大学としてスタートした。その後、59年には経済学部に経営学科が増設され、69年には人文学部が開設された。そして92 年に経済学部の3 つ目の学科として金融学科が開設されることとなった。当時、情報通信技術の発達や金融市場のグローバル化の進展などを背景として、経済分野における金融の役割は拡大し、金融取引の内容も進化していた。こうした状況のもとで、金融現象を総合的に取り扱う金融学科が誕生することとなった。イギリス通貨・銀行史コレクションは、これにあわせて金融関係の図書資料の充実をはかるために、丸善の協力をえて入手したものである。

 このコレクションは、個人の蔵書をもとにしたものではなく、イギリスの古書店二社が専門家の協力のもとに5 年の歳月をかけて収集した文献からなっている。文献数は約1800 点に達する。刊行年別にみると、1600 年代のものが46 点、1700 年代が282 点、1800 年代が825 点、1900 年以降のものが627点であり(刊行年不詳のものを除く)、貴重な古書が多く含まれている。

 そのタイトルが示すように、この文献コレクションはイギリスの通貨・銀行業に関するものである。主題別にその内容をみると次のようになっている。銀行および通貨の経済理論(205 点)、イングランド銀行(92 点)、スコットランドおよびアイルランドの銀行業(141 点)、地方銀行・民間銀行・株式銀行(154点)、貯蓄銀行(194 点)、海外におけるイギリス系銀行業(66 点)、銀行業の法令および銀行実務(679点)、イギリス銀行業の歴史および回顧的研究(149 点)、通貨・貨幣鋳造・銀行券(123点)、である。このように、このコレクションに収められた文献資料は、広い範囲に及んでいる。

 現在でもロンドンは世界の金融センターのひとつであり、金融部門においてイギリスは大きな役割を担っている。ただし、イギリスの通貨制度や銀行制度を研究する意義は、こうした現代におけるイギリスの重要性に照らしてみただけでは十分理解できない。アムステルダムの後をうけて、イギリスはロンドンのシティを中心として、近代的な金融業をいち早く確立させ、その後長く世界の金融中心地の地位にあった。また通貨・銀行に関する理論の発展でもその中心となり、のちに触れるイギリスで行われた地金論争や通貨論争などは、通貨・銀行に関する古典的な論争である。したがって、通貨・銀行業の歴史や理論を研究するうえで、イギリスに関する諸文献の検討は欠かすことができず、年代的にも主題に関しても幅広く文献を収集したこのコレクションの意義は大きい。

 ここに収められた文献の全体像を紹介する余裕はないが、代表的なものをいくつかとりあげて簡単に紹介しよう*1。

 そのひとつは、イングランド銀行の設立に関するものである。現在、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行は、名誉革命からしばらくたった1694 年に設立された。革命以前からイギリス政府は財政難に悩まされており、課税の強化や借入に頼って資金を確保することが困難な状態に陥っていた。イングランド銀行はこの問題を解決するために設立された。そして、同行の設立に際して重要な役割をになった人物が、ウィリアム・パターソンであった。波乱に富んだ経歴を経て、革命後ロンドンに定住し財を築いたこの人物が提案したイングランド銀行の設立案は、「真に実際的で、且つ十分に熟考された最初の計画」*2 であり、これに基づいてイングランド銀行が設立された。イングランド銀行の創設者ともいえる彼が、同行が基礎をおくべき原則を説明する目的で、1694 に著した小冊子が、本コレクションに収められているA briefaccount of the intended Bank of England である。なお、イングランド銀行の設立と同時期に、土地銀行設立という別の構想があった。土地所有者から提供される土地抵当を基礎に信用創造を行うというこの企画に関して最も影響力が大きかった人物はH. チェンバレンであり、J.ブリスコウも有力な提唱者であったが、この二人の多くの書作も本コレクションに収められている。このようにイングランド銀行設立期において行われた信用制度に関する議論をみるうえで、本コレクションは重要な資料を提供している。

 信用制度をめぐるイギリスの議論に係る文献をもうひとつ紹介しておこう。19 世紀の初頭、イギリスは他の国々に先駆けて資本主義経済を確立させたが、1825 年以降、信用恐慌を伴う恐慌が周期的に発生することとなった。本コレクションに収められたT.ジョプリンの1832年の論稿、Case for parliamentaryinquiry, into the circumstances of the panic は、銀行業の問題の権威者であったジョプリンが、この1825 年恐慌についての検討の必要を説いたものである。

 こうしたなかで1836 年以降、議会に委員会が設けられ、通貨・信用制度の在り方をめぐる議論が活発に行われた。通貨論争と呼ばれるものが、これである。

 19 世紀のイギリスにおける通貨・信用制度に関する論争としては、地金論争と通貨論争が重要であり、かつ有名である。このうち、地金論争は、フランスとの戦争を背景として1797 年にイングランド銀行がイングランド銀行券の兌換を停止したのちの諸現象―地金価格の上昇や為替相場の下落など―の原因や、兌換再開の是非などについて行われた論争である。地金論争関係の文献も本コレクションに収められているが、それについての説明は割愛し、通貨論争に戻ろう。

 通貨論争と呼ばれるこの論争は、1844 年のピール条例制定を中心とするイギリス信用制度の展開につながったが、それだけでなく、そこで議論された論点や提唱された理論的主張は、現在に至るまで、姿を変えながら繰り返し現れてきている。現在の日本銀行の量的金融緩和政策については、専門家の間でも評価が分かれているが、1990 年代の前半には、岩田・翁論争と呼ばれる論争があった。これは、岩田規久男氏(上智大学教授、当時)と翁邦雄氏(日本銀行調査統計局企画調査課長、当時)との間で行われた論争であって、日本銀行がマネタリーベースを増加させることで物価を上昇させるという政策の実行可能性や妥当性が問題とされた。もちろん、当時、あるいは現在の日本と、19 世紀半ばのイギリスとでは、状況も異なり、論争の争点も同じではない。しかし、中央銀行が通貨量を管理することができるか否かや、それが有効な問題解決手段となりうるか否かが基本的な論点となっている点では、現代のこの論争も通貨論争と共通しているといえる。

 通貨論争の参加者は、通貨学派と銀行学派に大別される。このうち通貨学派の人々は、恐慌が発生するのは、銀行券が過剰に発行されるためだと考え、銀行券の発行高をイングランド銀行の金準備の大きさと厳密に結びつけることで、恐慌は回避または緩和できると主張した。他方、銀行学派の人々は、銀行券の過剰発行が恐慌の原因であるとする説を退け、また銀行券の発行額は取引の必要に応じて受動的に決まるなどと論じた。

 このような両派のうち通貨学派を代表する論者のひとりが、サミュエル・ジョーンズ・ロイド(オヴァーストーン卿)である。イギリス通貨・銀行史コレクションには、ロイドの著作が複数収められている。そのなかには、イングランド銀行を発券部と銀行部の二部門に分割すべきこと―これは、ピール条例で実現される―を論じた珍しい私刊本、Thoughts on the separation of the departmentsin the Bank of England(1840年)も含まれている。通貨学派の論客としては、ロイド以外にも、G.W. ノーマンやR. トレンズなどがよく知られているが、両者の論稿も本コレクションに複数収められている。他方、銀行学派に属する人物の文献としては、T. トゥックの著作、A history of prices, and of the circulation, from1793 to 1837 をあげるべきだろう。この『物価史』は、たんに通貨論争に係る文献というだけでなく、事実による根拠を丹念に示しながら、イギリスの物価変動について詳細に論じた名著である。そしてこの大著の翻訳は、武蔵大学で長く教鞭をとられ、名誉教授となられた藤塚知義氏によって行われた。本コレクションには、1838 年に刊行されたその第1巻と第2 巻が収められている。

【註】
  1. 藤塚知義「イギリス銀行業・通貨制度の文献コレクション」(『学燈』Vol.89, No.3 1992 年〔『イギリス銀行制度の展開武蔵大学金融学科開設記念蔵書展 展示資料解説』に転載〕、および吉田暁「現代の観点からみるイギリスの銀行・通貨史」(同『展示資料解説』所収)参照。
  2. A.アンドレァデス『イングランド銀行史』(町田義一郎・吉田啓一共訳、日本評論社、1971年)77頁。パターソンおよびイングランド銀行の設立に関しては、同書を参照。
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